課外授業~命の声 3
「あの馬鹿、自分もろとも封印してしまったんだ」
要さんが苦々しく言う。
「悟くん、どのお兄さんでもいいから電話してって言ってた。必ず助けてくれるって信じてるんだわ」
要さんは苛立ったように岩を蹴って、『くそ生意気なくせに、こんな時だけ弟面すんなよ!』と、怒った。
きっと、悟くんを助けられない自分が歯がゆいんだ。
「志鶴、君の髪をくれ」
圭吾さんが言った。
「わたしの髪で効き目あるの?」
羽竜の血筋の彩名さんの方がよくない?
「君のがいいんだよ」
そう?
「要、ハサミを持ってるだろう?」
「どうしてお前達一般市民は、お巡りが何でも持ってると思うんだよ」
要さんはため息混じりに言った。
「右側のポケットにマルチツールが入っている」
圭吾さんは要さんのズボンのポケットを探って、細長い四角の金属の塊を取り出した。それは圭吾さんの手の中で引っ張られ、捻られて、魔法みたいに形が変わった。
「はい。ここの部分がハサミになってるから」
ドライバーや缶切りもあるみたい。
わたしはハサミで髪の先を一房切って、圭吾さんが広げる懐紙の上に置いた。圭吾さんはそれを丁寧にたたんだ。
わたしがハサミを渡そうとすると、圭吾さんは後ろを振り返った。
「要、これ鉄か?」
「ああ、ステンレスだ」
「じゃあ、これは志鶴が預かっていて。魔除けになるから」
圭吾さんは、わたしに金属の塊を持たせた。
「少しじっとしていて、キスするからね」
へっ?
圭吾さんが体を屈めた。
「唇、少し開いて」
言われた通りにする。唇がそっと重なって離れる直前に、圭吾さんが息を吸った。軽く目眩がした。
何? 今の何?
圭吾さんは閉じていた目を開いた。
気圧されそうな眼差しの強さに、危うく後退りしそうになった。
寸前で堪える。
圭吾さんの中に龍がいる――強く、烈しい龍が。でも、怖くない。これも圭吾さんの一つの面だから。
圭吾さんはわたしに向かって軽く頷き、要さんの横に立った。わたしの髪を包んだ懐紙を左手の指で挟み、両手を音高く一拍打ち鳴らす。
「開け」
その言葉は床を這い、岩を震わせた。
「よし! そのまま開け!」
要さんがそう言って、両腕に力を込めた。
軋むような音と共に岩に亀裂が入り、緑色のモノが次から次へと溢れて来た。
指先が見える。形のいい長い指、男の子にしては華奢な悟くんの指だ。
要さんは岩の隙間に肩を入れ、悟くんの手を、腕を、肩を、渾身の力を込めて引っ張り出した。
まるで子馬が生まれるように、悟くんの体がスルッと床の上に落ちた。悟くんは身動き一つしない。
要さんは、悟くんの顔を覗き込んだ。
「くそっ! 息をしてない!」
悲鳴が漏れそうになって、わたしは片手で口元を押さえた。
要さんは、悟くんを俯せにして顔を横に向けさせると、背中を押しはじめた。そのまわりで緑色のモノがうごめいて集まり、形を作ろうとしていた。
圭吾さんがもう一度手を打ち鳴らす。
「散れ」
緑色のモノは細かい飛沫となって周囲に飛び散った。
「悟! 戻って来い!」
要さんは、悟くんの背中を押し続けながら叫んだ。
「イツキ! 聞こえるか、イツキ?! お前の時はもうすぐ終わる。あの娘の光を集めても、こいつの命を飲み込んでも、お前が若返る事はない!」
岩の裂け目から風が吹きすさぶような音がする。
「辛いよな。悲しいよな。でも、どんな生命もいつか終りの時を迎えるんだ。イツキ、お前は綺麗だったよ。毎年毎年、春が来る度に満開のお前に見とれたよ。お願いだ、俺の中のお前の記憶を汚さないでくれ。俺の――俺の弟を連れて行かないでくれ!」
悟くんの口から、緑色の液体がゴボッと音をたてて流れ出した。それから悟くんは、激しく咳き込んだ。
生きてる!
「脅かすなよ、馬鹿野郎。死んだかと思ったぜ」
要さんが大きく息をついて、床に座り込んだ。
「要兄貴でもビビる事あんの?」
しわがれた声で、悟くんが茶化した。
「悟、大丈夫か?」
圭吾さんが声をかけた。
「お蔭さまで」
「では、片をつけてしまうか」
圭吾さんが岩の裂け目に片手をあてた。
「やっちゃって」
「綿津見なる竜城の神より、百年なる咲良の比女に申す」
朗々とした声に合わせるように、圭吾さんの指先から光が立ち上った。
「これらは吾が裔、こは吾が地なり。伏して下がれよ」
光は龍のようにうねりながら、岩の周りをぐるりと巡った。裂け目からパキパキと音がする。程なく、岩は砂山ででもあったかのように、サラサラと崩れ落ちていった。
その跡には、薄紅色のガラス玉のような物が残っていた。




