課外授業~命の声 1
どうしよう、圭吾さんは留守なのに。
「『何か入り込んだ』の『何か』って何?」
「少なくとも人間じゃあないみたいだね。音が違う」
音? 音なんてしてる?
「しづ姫には聞こえないよ。ペロには聞こえたようだけど」
「ど、どうしたらいいの? 探して追い出す?」
「家の中までは入って来ないよ」
「ホント?」
「たぶん」
たぶん―――――っ?!
「冗談だよ」
ホッとしたのもつかの間だった。
「敷地にだって勝手に入り込めないはずなんだから、家の中まで入って来ても不思議じゃない」
冗談ってそっち?!
憤慨すると、悟くんはニヤッと笑って、『怖くなくなったろ?』と、言った。
「ひどい」
わたしは笑った。
その時、廊下の方から猫のしっぽを踏ん付けたような『うぎゃっ!』という声がした。
わたし達は顔を見合わせた。
「この家、猫もいたっけ?」
「いないわよ」
ペロが吠えた。
『だ……誰かぁ……』
和子さん?!
悟くんが引き戸を開けて、廊下に出た。わたしも松葉杖をつきながら戸口から顔を出した。
少し離れた先に、和子さんが腰を抜かしたように座り込んでいるのが見えた。
「和子ばあちゃん、どうした?!」
近付いた悟くんの腕に、和子さんは勢いよく縋り付いた。
「さ、さ、悟様……何やら分からぬ影が目の前を通って、あちら側にススーッと……」
和子さんが指差したのは、普段は使っていない棟へと続く廊下だ。
「落ち着いて。何だろうと悪さはしないから」
悟くん、言葉の最後に『たぶん』って小さく聞こえたのは気のせい?
「僕が確かめて来るから、しづ姫といてあげて」
悟くんがそう言うと、和子さんはハッとしたように居住まいを正した。
「いえ、わたしが見て参ります。大奥様と圭吾様から、万事滞りないようにと家の中の事を全て任されているのですから」
「無茶だって、ばあちゃん」
うん、わたしもそう思う。
「お見苦しい所をお見せしまして、申し訳ありません。羽竜の御本家に仕える者としては、あるまじき事でございました」
気丈にも、和子さんは立ち上がった。
すると、わたしの足元をウロウロしていたペロが、急に耳をピンと立てて立ち止まった。
「ペロ? どうしたの?」
何か聞こえたのだろうか、次の瞬間、ペロは勢いよく走りだした。
「ペロ?!」
悟くんが捕まえようとしたけど、ペロは素早くすり抜けて行ってしまった。
向かう先は、さっき和子さんが指差した方向。得体の知れない影が通って行った先だ。
「悟くん、どうしよう!」
「黙ってても戻って来るんじゃない?」
「戻って来なかったら?」
もし、和子さんが見た影に食べられちゃったらどうするの?
「やっぱり僕が行った方がいいみたいだね」
「いいえ、わたしが参ります」
和子さんが言った。
「悟様は、志鶴様をお守りするのが御役目ですから」
「わたしも行く!」
だって、ペロはわたしの犬だもの。
悟くんは困ったように顔をしかめた。
「僕が逃げろと言ったら、和子ばあちゃんはしづ姫を連れて逃げること。絶対に、だ。約束できる?」
わたしと和子さんは頷いた。
「じゃあ、三人で行こう」
いかにも渋々といった感じで、悟くんが言った。
羽竜のお家は、増築と改築を繰り返してきた広くて複雑な建物だ。
ペロが走って行った先は江戸時代の建物とかで、今はほとんど使っていない。かろうじて電気だけは通したらしく、和子さんがスイッチを入れると廊下に明かりが灯った。
廊下の床がギイッと軋む。
「昔は防犯のために、わざと床鳴りがするように造ったらしゅうございます」
音にビビるわたしに、和子さんが言った。
う……そう言われても、少し怖い。でも、ペロを見つけなきゃ
「ペロ? どこぉ?」
わたしはペロを呼びながら歩いた。
こんな時、圭吾さんがいたらな……
悟くんを信頼してないわけじゃない。でも圭吾さんだったら、きっと、あっという間にペロを見つけてくれる。圭吾さんがいたら何も困った事は起きなくて、心配する必要もなくて――
「ペロぉ?」
廊下の先からテチテチと音がして、角からペロが顔を出した。
よかった。無事だったんだ。
「ペロ! おいで!」
わたしが呼ぶと、ペロは嬉しそうにしっぽを振ったけれど、こっちに来ようとはしない。食べる物でも持ってくればよかった。
「おいでってば!」
わたしが近付くと、ペロはまたダッと走って行ってしまった。
「もう!」
和子さんがふふふと笑った。
「きっと遊んでいるつもりなのですよ」
「やっぱりビシッとしつけなきゃダメなのね」
わたしがそう言った途端、和子さんと悟くんが吹き出した。
何よ?
「いや、別に」
悟くんが笑いを堪えながら言った。
分かってるわよ。わたしには出来ないと思ってるんでしょう? ふん! 子犬くらい、しつけられるんだから。
曲がり角を曲がると、ずっと先でペロが何かにじゃれついているのが見えた。何か布の塊のようだ。
「ペロ、おいで」
体を少し屈めて手を差し出すと、今度こそペロはわたしに向かって走り寄って来る。
どこからかその時、フワッと香りが漂った。
「悟くん、桜の匂いがする」
「やばい」
悟くんは前を見据えたまま、小声で言った。
ペロがじゃれついていた物が、いきなり膨れ上がった。それは、ザザッと床を擦るような音と共に、わたし達の方に滑るように向かって来た。
「逃げろ!」




