5時間目~心の中の絆創膏 3
『失礼します』と言って保健室に入って来たのは、やっぱり司先生だった。
司先生は、わたしの裸足の片足にサッと目をやった。
「志鶴さん、大丈夫ですか?」
「はい。でも、足を捻挫したみたいで……」
司先生は顔をしかめた。
「片岡先生、捻挫で間違いないですか?」
「医者じゃないんで、多分、としか言えませんよ」
養護の先生は答えた。
「湿布を貼っておくけど、心配なら病院へ連れて行った方がいい」
司先生は、片手で顔を覆って呻いた。
「悟、報告を」
「しづ姫が階段でコケた。落ちかけたところを大輔が術で止めて、僕が下に下ろした。最初に足を滑らせた時に、右足首負傷。僕が保健室まで運んで、片岡先生の見立ては捻挫。以上――圭吾には僕が電話しよっか?」
「いや、いい。それは、わたしの仕事だ」
司先生はわたしの方を向くと、口調を和らげた。
「志鶴さん、迎えが来たら今日はこのまま帰りなさい。鞄は悟に届けさせるから」
「はい」
あー、何か申し訳ない。圭吾さん、司先生に怒るんだろうな。
「片岡先生、わたしは保護者と一緒にまた後で来ます。それまで三田さんについていて下さい」
司先生が言った。
「分かりました」
「僕、もう少し一緒にいてあげようか?」
悟くんが期待を込めて言う。
「お前は教室に戻りなさい」
悟くんは文字通りつまみ出された。
「ケチ。じゃあまた後でね、しづ姫」
ドアが閉まり、保健室は急に静かになった。
「さて、と」
片岡先生はわたしの足に湿布を貼りながら言った。
「三田志鶴さん――だね?」
わたしは頷いた。
「雷恐怖症だそうね。気分が悪くなるのかな?」
「そうです」
何で知ってるの??
片岡先生は湿布を貼り終えると、椅子を持って来てわたしの前に座った。
「ここに赴任した初日に、校長から『特別に配慮してほしい生徒がいる』と言われたの。重度の雷恐怖症だから、保健室に来た場合は休ませて欲しいってね」
あー、そういう事か。
「それ以外でも、あなたに何かあれば必ず校長に報告するように言われている。親は金持ちのモンスターペアレントか何か?」
遠慮のない言葉に、思わず笑ってしまった。
「親は海外赴任中です。代わりの保護者が何て言うか……過保護ぎみで」
「なるほど」
「先生は、ここの出身じゃないんですね」
「うん。大学時代の友人がここの出身でね。空きがあるからって勧めてくれた」
「わたしも去年来たばっかりです。ここ、小さいけどいい所なんですよ」
わたしがそう言うと、先生はふふっと笑った。
なぁに?
「あなたは、ここで幸せなんだね。幸せだと、どんな場所でも世界で一番いい所だと思えるものよ」
そうかも。
「先生もここを好きになりたいな」
笑顔の裏に孤独の影を見た気がした。羽竜家に来るまで、毎朝わたしが鏡の中に見たものと同じだ。
「先生は一人でも平気なタイプ?」
「そうだね。一人で何でもやっちゃうタイプだよ」
「先生、わたしに似てる。本当は寂しがり屋でしょ?」
わたしは、痛くない方の足をブラブラさせながら片岡先生を見た。
「わたしね、前は人といるのが苦手だった。誰といても、他の人にはわたしよりも大事なモノがある気がしたの。だから一人でいた」
片岡先生は何も言わずに目で先を促した。
「人といる方が寂しさを感じたの」
「今は違うの?」
「今はね、恋をしているから寂しくない」
先生は目を丸くしてから、『まいった!』と苦笑いを浮かべた。
「見抜かれたか。先生は失恋してこの町に来たの。寂しくてどうにかなりそうでね。内緒だよ」
わたしは頷いた。
「さっきの子が彼氏?」
「悟くん? 違う。悟くんは親友で、わたしの『子守』なの」
先生は面食らった顔をした。
「そのうち分かるわ、先生。ここは小さな町だから」
「そのうち分かる、か。先生の友達もそう言うんだよね。よそ者を受け入れない土地柄ってわけでもないんでしょ?」
「よそから来ても、ここに住む人にはみんな親切よ」
「ああ、そんな感じはするね」
その時、廊下の方から、怒ったように悪態をつく声がした。
「あ、来た!」
片岡先生が『あらら』と呟く。
圭吾さん、まる聞こえだってば。
声は保健室の前まで来ると、ピタッと止んだ。
あれ? 入って来ない?
わたしと片岡先生は、ドアをじっと見つめた。十秒くらいしてから、ノックの音がした。
「どうぞ」
片岡先生が答える。
ドアがカラリと開いて、圭吾さんと司先生が入って来た。
圭吾さんはわたしを見ると、ホッとしたように息を吐いた。顔色が悪い。うわぁ……思いっ切り心配させたかも。
「こんにちは。三田志鶴の保護者です」
圭吾さんが片岡先生に挨拶をした。
「こんにちは。えーと、お兄さん?」
「従兄です」
わたしが答えるのと同時に、圭吾さんが『婚約者です』と、言った。
「どっち?」
片岡先生が面白がるように訊いた。圭吾さんがわたしをジロッと見る。
はいはい。分かったわよ。
「従兄で、婚約者です」
わたしは言い直した。
「捻挫だと思うんですけど、念のため病院に連れて行って下さいね」
片岡先生はテキパキと言った。
「右足は腫れているんで、靴は履けません。ここのスリッパを使って下さって結構です」
「痛む?」
圭吾さんが心配そうにわたしの足元を見る。
「たいして痛くない。ちょっと階段を踏み外しただけだもん。先生、スリッパ借りてくね」
わたしは、右の上靴を片手に立ち上がった。
いてて。
圭吾さんが慌てて腕を差し出した。
「抱いて行くよ」
「歩ける。腕だけ貸して」
でも、通学に松葉杖いるかなぁ。
「片岡先生、ありがとうございました」
わたしはペコリと頭を下げた。
「はいよ。今度は怪我じゃなくて、話をしにおいで」
先生は軽く片手を上げて、そう言った。




