5時間目~心の中の絆創膏 2
4時間目は芸術の選択授業だった教室移動なので、みんなでゾロゾロと廊下を歩く。
わたしは書道、美幸と亜由美は音楽選択だ。
「今日、歌のテストなんだよね」
美幸がげんなりとした顔をした。
「歌、得意じゃない」
わたしが言うと、美幸は『とんでもない』と、言った。
「カラオケとは違うよ。ピアノ伴奏で独唱、だよ? あー、わたしも書道にすればよかった」
「あんた、壊滅的に字が下手じゃない」
亜由美が笑った。
「じゃあ美術」
「絵も酷いわよ」
「中学の時、校内絵画展で金賞を取ったよ」
それ、すごくない?
「覚えてる。美術の先生の講評もね。『子牛の生命力を感じる力強い絵だ』――だったわね」
亜由美がニヤニヤと笑った。
「そ、う、よ。笑えばいいわ」
「それなら美術の方がよかったんじゃない?」
わたしがそう言うと、亜由美が意味ありげに美幸を見た。
「でもねぇ」
美幸は大きくため息をついた。
「絵のモデルは三毛猫だったのよ――ああ、もう。笑いなさいよ」
「ご……ゴメン。でも、おかしい……」
「残念ね。実際の絵を見たらもっと笑えたのに」
亜由美、やめて。おかしすぎる。
笑いながら階段に差し掛かった時、フワッと桜の匂いがした。思わず足を止めて振り返った。
廊下の窓は閉まっている。
「志鶴? どうかした?」
階段の途中で、美幸と亜由美がわたしを見上げていた。
「ううん。何でもない」
わたしは階段を下りようとした。
その時――ドンと背中を押された。
体が前に揺れた。とっさに手摺りを掴んだけれど、右足の裏が階段の角をズルッと滑ってしまった。
落ちる――そう思った瞬間、不思議と全てがスローモーションのように見えた。
わたしの後ろに小さな女の子がいた。
あれは誰?
桜色の着物を着て、無邪気に笑っている。
美幸が悲鳴を上げ、亜由美がわたしの方に手を伸ばした。
ダメだよ。亜由美まで巻き込まれちゃう。
わたしは亜由美の手を避けるように体を捻った。
「しづ姉!」
階段の下に大輔くんがいた。大輔くんは、持っていた物を全部放り投げて、手をパンッと打ち鳴らした。
「止まれ!」
止まれって――あれ? わたし、浮いてる?
「大輔! 堪えろ!」
わたしの真横にいきなり悟くんが現れた。
悟くんはわたしの腰を抱き抱えると、そのまま下に向かって跳んだ。
うぎゃ―――っ!
空中がグニャッと歪んで、わたし達はその中に飛び込んだ。
ぐるぐると目眩がする。でもそれは一瞬の事で、気づいたら、わたしは階段下の廊下に座り込んでいた。
美幸が泣きながら階段を駆け降りて来るのが見えた。大輔くんが、心配そうにわたしを見下ろしている。
目の前で指がパチンと鳴った。
「しづ姫?」
悟くんがわたしの横にいる。
「大丈夫? どこか痛む?」
「足」
わたしはノロノロと答えた。
「右の足首、捻ったみたい」
悟くんは制服の上着を脱いでわたしの脚にかけた。
「保健室に行くよ。僕の首に腕をかけて――はい、はい、みんなどけて」
げっ! お姫様抱っこ、恥ずかしいんですけど
「大輔、司兄貴を呼んで来てくれ」
「了解」
「よくやったな」
悟くんはサラリと言った。
悟くんの肩越しに振り返ると、大輔くんは照れ臭そうにニヤリと笑った。
やっぱいいな、兄弟って
「どうして階段ダイブしようと思ったの?」
歩きながら、悟くんが訊いた。
「階段を踏み外したの」
誰かに押されたなんて言ったら、大騒ぎになる。
「間に合わないかと焦ったよ。大輔にあんな芸当が出来るとは思わなかった」
悟くんは保健室の前まで来ると、ドアを足で蹴った。
「せんせ! 開けて!」
もう一回、ドアを蹴る。
「やかましいわっ!」
ドアがガラッと開いた。
「ドアを蹴るな、馬鹿者」
保健室の先生は、4月に来たばかりの女の先生だ。美人だけれど、ちょっと男っぽい。
「蹴るなんて、まさか。ノックしただけですよ」
悟くんは天使のような笑顔で言った。
嘘つき。
先生はわたしの顔をジロッと見ると、『どうした?』と訊いた。
「右の足首を捻ったみたいで、痛いです」
わたしは小さな声で答えた。
「入って。そこのベッドに座らせて」
先生はドアの前から中に下がった。
悟くんは先生の横をすり抜け保健室に入ると、わたしをベッドの上に慎重に下ろした。
先生はわたしの前にしゃがんで、足首を確認した。
「捻挫だね。腫れ始めてる。靴と靴下、脱がすよ」
「はい」
「それと君」
先生は悟くんを見上げた。
「授業でしょ? もう行きなさい」
「ゴメンね、せんせ。言いにくいんだけどさ、兄貴が来るまで持ち場を離れるわけにはいかないんだよね」
「お兄さん?」
「校長だよ。もう来ると思うけど」
悟くんはわたしの横に座って、ニッコリと笑った。
「ああ、来た」
先生は疑わしげな顔をした。
「ホントだってば。5、4、3、2、1、ビンゴ」
ドアをノックする音がした。
「ほらね?」