戸惑う午後 3
親父にメールを打っている手が止まる。
どうしよう。圭吾さんの事、書こうかな。
圭吾さんは相変わらず、わたしの事を大切にしてくれる。龍の訓練に付き合ってくれるし、勉強も見てくれる。わたしのおしゃべりだって、嫌な顔ひとつしないで聞いていてくれる。
でも、恋人同士ってこんなじゃないよね?
「あんまり悩まなくていいよ」
圭吾さんはそう言う。
「僕の気持ちを知っておいてもらいたかっただけだから。志鶴は今まで通り、ここで楽しく暮らしていればいいんだ」
ちょっと迷ったけれど、親父へのメールにはプロポーズのことは書かない事に決めた。決まってもいないことだもの。
わたしはそのまま送信ボタンを押した。
さてと、そろそろ寝ようかな。
パソコンの電源を落として、部屋の明かりを消そうとした時、ドアの向こうから彩名さんの声が聞こえた。珍しく激しい口調で話している。
「圭吾! お待ちなさい」
「うるさいな! 大丈夫だって言ってるだろ!」
姉弟ゲンカ?
わたしは、ドアをほんの少し開けた。二人の姿は見えない。
「お母様は騙せても、わたしはそうは行かなくってよ。羽竜の娘ですもの」
「少し疲れているだけだよ。騒ぎすぎだ」
圭吾さんが険しい声で答える。
「叔父様や司に手伝ってもらえばいいじゃない」
「できない」
「いつまで仲違いすれば気が済むの。もう、司を許しておやりなさい」
「許してるよ!」
圭吾さんが怒鳴るように言った。
「とっくの昔に許してる!」
「それなら――」
「今更どの面下げて手伝ってくれって頼める? あれだけのケンカをしたのに!」
圭吾さんの声に、わたしは思わず身を縮めた。親父が物静かなタイプだったので、わたしは男の人が声を荒げるのを見たことがないのだ。
「でも、このままじゃお父様の二の舞よ」
彩名さんは、圭吾さんの怒鳴り声をものともせずに食い下がった。
「僕は父さんよりは丈夫だよ」
「そうだとしても、羽竜の仕事は激務ですもの。あなた一人で抱え込むのは無理よ。死んでしまうわ!」
死んでしまう? 何、それ?
わたしの手がドアノブから滑った。カタッと小さな音が鳴った。
二人の声が急にしなくなって、わたしの目の前のドアがゆっくりと開いた。
「志鶴」
わたしは目を上げた。圭吾さんが立っている。
「声が聞こえたから」
わたしは小さな声で言い訳をして、思わず数歩下がってしまった。
圭吾さんの表情が強張った。
「騒がしかったね。ゴメン」
圭吾さんの悔やむような口調に、泣きたくなった。
どうして後ろに下がってしまったの? きっと、わたしが怖がってると思われた。
「彩名」
圭吾さんはわたしを見つめたまま言った。
「彩名の言う通りだ。僕は少しばかり傲慢だったようだ」
「少しばかり?」
彩名さんの声が、圭吾さんの後ろから聞こえる。
「訂正。かなり、だな」
圭吾さんは自嘲ぎみにそう言ってから、わたしに
「もう寝るところだったのかい?」
と、訊いた。
わたしはコクンと頷いた。
「大きな声を出して悪かった」
いつもの優しい圭吾さんだった。
わたしは小さな声で、『お休みなさい』と言ってドアを閉めた。そのままドアにもたれて考える。
圭吾さんには支えてくれる人が必要なんでしょう?
圭吾さんのお仕事ってそんなに大変なの?
校長先生なら、手伝ってあげられるの?
圭吾さんは、本当は校長先生と仲直りしたくて、校長先生だって仲直りしたそうだった。
彩名さんが心配するように、圭吾さんはとても疲れていたようで……
ちょっとくらいイライラするのは、当たり前だわ。なのに、わたしったら小さな子供みたいにビクビクしちゃった。
バカみたい。
わたしは急いでもう一度ドアを開けた。圭吾さんはもういなかった。
ああ、どうしよう。
「大丈夫よ」
目をやると、彩名さんが自分の部屋の前にいて、こっちを見ていた。
「あの石頭も、自分が体を壊したら志鶴ちゃんを守れないって良く分かったでしょうから」
「でも……」
わたしはうつむいた。
「わたし、子供みたいに過剰反応して、圭吾さんの負担になってる」
フワッといい匂いがして、彩名さんの腕がわたしを包み込んだ。
「いい子ね。無理を承知で言うわ。圭吾といてあげて。ずっとずっと側にいてあげて」
彩名さんはそう言ってくれたけど、
わたし、圭吾さんの支えになれる?