3時間目~理想と現実 4
圭吾さんが笑ってる。
って言うか、まだ笑ってる。
「何がそんなにおかしいのか、分かんない」
わたしはむっつりと言いながら、圭吾さんの前にコーヒーを置いた。
「だって……だって……進路先を犬に選んでもらうなんて……普通、しないだろ?」
「美幸が、迷ってるならダーツで決めろって言ったんだもの。犬に選ばせるのと大して違わないでしょ?」
それを聞いた途端、圭吾さんはまたゲラゲラと笑い出した。
「ま、まさか、ぼ……僕との結婚、ダーツで決めてないよね?」
「やーね、そんな事してないわよ」
そう言ったものの、わたしも急におかしくなった。廊下に座り込んで犬に話し掛けているなんて、確かに変な光景だったろう。
「わたしが何をしてると思った?」
クスクスと笑いながら聞いた。
「僕の事を忘れて、ペロと遊んでるんだと思った」
「犬にまでヤキモチ?」
「そこまで酷くはないよ」
圭吾さんは笑いを含んだまま、コーヒーを飲んだ。
「志鶴といると飽きないな」
そりゃ どーも。
「指はどうしたの?」
「指?」
「右の人差し指。キレイな色だけど、それ、絆創膏だろ?」
「あー、これ? 紙で切ったの。美幸が絆創膏はってくれたんだ」
「こっちへおいで」
言われるままに横に座ろうとすると、手を引っ張られて、圭吾さんの膝の上に座る羽目になった。
圭吾さんは、わたしの右手を光にかざすように持ち上げた。
「痛い?」
「全然。切った時はちょっとピリッとしたけど」
圭吾さんはホウッと息を吐いて、わたしの頭を自分の肩に乗せるようにして抱き寄せた。
「圭吾さんの過保護」
からかうように言うと、『何とでも』って返事が返ってきた。
「ねえ」
わたしは、頭を圭吾さんの肩に乗せたまま、言葉を継いだ。
「圭吾さんは、愛するのと愛されるのと、どっちが幸せだと思う?」
「何、それ?」
わたしは、亜由美と和子さんに言われた事を教えた。
「そうだなぁ」
圭吾さんはちょっと考えてから言った。
「僕としては、君に愛されたい。うんと深く、ね」
そうなの? んー、何をすればいいんだろ?
「特別な事をしてほしい訳じゃないよ」
圭吾さんは、わたしの考えを読み取ったように言った。
「ただ、君に僕を好きでいてほしいんだ」
「大好きよ」
「どんな奴よりも?」
「もちろん」
「絶対に離れたくないってくらい好きになって」
「いいわ――こんなんで幸せなの?」
圭吾さんの口の端が上がるのが分かった。
「その続きがまだある。僕は一から十まで君の世話を焼きたい。ベタベタに甘やかして、わがままを全部ききたい」
「それって『愛する方が幸せ』ってことじゃないの?」
「大抵の女の子は、そんなに愛情を注がれたらウンザリするはずだよ」
そうかも。
「でも君は僕の事が大好きだから、ウザイと思っても我慢してくれる。そのために愛されたいんだ」
わたしは笑いながら、圭吾さんの首に腕を回した。
「変な人。でも、大好き」
圭吾さんはわたしの髪を撫でた。
「志鶴?」
「なぁに?」
「キスするからね」
優しいキスはコーヒーの香りがした。わたしは恥ずかしくなって、圭吾さんの肩に顔を埋めた。
「どうしてキスするっていちいち言うの?」
「いきなりキスしたら、君、無意識に逃げるだろ?」
そうかなぁ?
「今は逃げなかった。ほら、こっち向いて。もう一度するから」
唇が重なる瞬間、圭吾さんが『あれ、結構へこむんだよ』って囁いた。
二度目のキスは、探るような甘いキス。背中がゾクッとして、体中の力が抜けた。
圭吾さん、圭吾さん、大好き。
頭の芯が痺れて、何も考えられない。
なのにどうして?
「志鶴? どうした? 大丈夫?」
キスした後、無言のわたしに圭吾さんが訊く。わたしはコクンと頷いた。
ずるい。わたしは泣き出しそうなくらい気が高ぶっているのに、
「少し刺激が強すぎた?」
どうして、圭吾さんはそんなに落ち着いていられるの?
パワーがほしい。あなたをドギマギさせるくらいの。わたしに夢中で、何も考えられなくさせるくらいの。
でも――
どうすればいいのか、分かんない。




