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龍とわたしと裏庭で  作者: 中原 誓
第6話 花は桜の高3新学期編

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3時間目~理想と現実 3

 ペロ、待ってるかなぁ。


 授業時間自体が短かったので、寄り道はしたけれど、帰宅時間としては早い方だ。人にしろペットにしろ、誰かが帰りを待っていると思うと、胸がほっこりと温かくなる。


 愛される方が幸せ? そうね、そうかも。


 バスを降りると、朝と違って柔らかな風が吹いていた。バス停から家へと向かう途中に交差点がある。和服姿の人影が信号待ちをしていた。

 だけど、一向に渡らない。


 ひょっとして手押し信号だって気付いてない?


 わたしは近付いてスイッチを確かめた。『押して下さい』の電光のメッセージ――やっぱり手押しだって分からなかったんだ。ボタンを押すと、文字が『お待ち下さい』に変わった。


 その人はわたしを見て、軽く会釈をした。

 上品そうなお婆さんで、淡いグレーの着物にくすんだピンク色のショールを身に纏っている。

 問題はこの会釈の意味だ。

 わたしがボタンを押した事に対する礼なのか、単に目が合っただけの挨拶なのか、はたまた向こうはこっちを知っているのか……

 羽竜本家にいると、一方的に知られているというのもよくある事なのだ。

 曖昧な笑みを浮かべて、わたしも会釈を返した。

 まもなく信号が青に変わり、わたしは一歩踏み出した。すると、お婆さんが何かにつまずいたようによろめいた。


 危ない!


 思わず手を差し出した。お婆さんは、ギュッとわたしの手を握るように掴まった。

 指先がピリッと痛む。さっき切った所かな……

 お婆さんがわたしの手を離さないので、わたしは仕方なく、お婆さんの手を取ったまま横断歩道を渡った。

 ふわっと桜の匂いがした。

 ほのかないい匂い――お婆さんの香水だろうか? 和服だから、匂い袋かもしれない。


 道路を渡り切ると、お婆さんはわたしに深々と頭を下げた。わたしも慌ててペコッと頭を下げた。


 カッコ悪っ。


 彩名さんとか、優月さんなら、もっと優雅に振る舞えるんだろうな。わたしは去って行くお婆さんの背中を見送って、そう思った。


 『お気をつけて』って言えばよかった。あーあ……お嬢様への道は遠いなぁ。


 ため息をついて家に帰ると、ペロがキャンキャン鳴いていた。


「さっきまでおとなしかったのよ」

 伯母様が言った。

「志鶴ちゃんが帰って来たって分かったのね」


 圭吾さんが帰って来た時のわたしみたい。


「みんなにチヤホヤされて嬉しそうでしたけれど、やはりご主人様が一番なのですね」


 和子さんが言った。


「ペロ、いい子ね」


 わたしが撫でてやると、ペロは頭をこすりつけるようにしてわたしに身を寄せた。


 ああ、かわいい。


「圭吾さんは?」

「お部屋にいらっしゃいますよ」


 今日はわたしの帰るのを、待っててくれなかったんだ……


 別に不満ってほどの事じゃなかったんだけど、気持ちが顔に出たのか、和子さんがジロッとわたしを見た。


「圭吾様はお忙しい方ですよ」


 うう……分かってるわよ。


「ご帰宅の挨拶をされて、コーヒーでも入れて差し上げては?」

「そうする」

「結構。好きな方に喜んでいただくのが、女性の幸せというものでございますよ」


 そうなの? 愛する方が幸せって事? ……まっ いいか。圭吾さんに聞いてみよ。


「おいで、ペロ」


 わたしが立ち上がると、ペロはテッテッと後をついて来た。

 渡り廊下を通って、離れの建物まで来ると、わたしは足を止めた。ニ、三歩先まで行ってから、ペロが不思議そうに振り返る。

 母屋と違って、こっちは午後になると人気がない。

 わたしは廊下の片隅にしゃがみ込んで、鞄のファスナーを開いた。ペロが物珍しそうに鞄の中に鼻を突っ込む。


「ペロ、ダメよ。ちょっと待って。えーと、おすわり」


 ペロはちょこんと座った。

 シェルターでしつけられていたのか、ペロは『おすわり』と『待て』だけは最初からできた。


「えーっと、ね。ちょっと手伝ってね」


 わたしは鞄から大学のパンフレットを取り出し、床に並べた。


「ペロはこの中でどれが一番好き?」


 最初、パンフレットの匂いを嗅いだ後、ペロはお気に入りの一冊を見つけてじゃれついた。


「第一志望決まり――っと」


 ペロがよだれだらけにする前に、パンフレットを取り上げる。


「次は? そこ?」


 うーん、そうきたかぁ……


「じゃあ、ここ第二志望ね――でね?」


 わたしは鞄の中から、現国と英語の教科書を取り出した。


「さあ、どっちがいいでしょう!」


「志鶴?」


 へっ?


 顔を上げると、圭吾さんが訝しげにわたしを見下ろしていた。


「何をしているの?」


「えーと」

 わたしはヘラッと笑ってごまかそうとしてみた。

「……英才教育?」


 圭吾さんは腕を組んだ。


「ふーん、で?」


「ほ……本当は、進路相談です」


 ペロが現国の教科書に向かって、ワンッ!と吠えた。


 あ、やっぱり? わたしもそっちかなぁって思っていたんだ。





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