2時間目~将来の展望 2
急にペロがキャンキャンと吠え出した。
「来たね」
悟くんはニヤッと笑って紅茶を飲み干した。
来たって、何が?
すると、いきなりドアが音高く開いて――
「悟っ! この性悪のドラ息子っ!」
すごい怒鳴り声に驚いて、わたしは思わず美月に抱きついた。
「台詞が昭和だね」
悟くんはピクリともせずに、言ってのけた。
「もう少し気の利いた怒り方できないの?」
「何だと!」
鬼の形相で怒鳴り込んで来たのは、悟くんのお父さん――明彦おじ様だった。
「今日という今日は許さん! そこに座れ!」
「もう座ってるよ」
「母さんに何を言った?」
「犬を飼いたいって言うから、『父さんに言って』って言っただけだよ」
「お前、そこは母さんを止める所だろう?」
「だって可哀相じゃない。僕らが大きくなって寂しいんだって」
「冗談ぬかせっ! ゆうべの仕返しだろう? 大人気ないぞ」
「僕はまだ子供だよ。大人気ないのはどっち? そんな小さいのが怖いの?」
悟くんがペロを指差した。
ペロはサークルの中で、舌を出してしっぽを振っていた。
「うわあぁぁぁ! もう連れて来たのか!?」
「それはうちのですよ、叔父さん」
開いた戸口から、圭吾さんが入って来て言った。
「志鶴が、悟に見せたいからって連れて来たんです。それと、怒鳴るのはやめて下さい。志鶴が怯える」
わたしは美月に抱きついたまま、固まっていた。
「先輩、大丈夫ですか? なまはげを見た子供みたいになってますよ」
美月が言った。
なまはげ……そうよ。そんな気分よ。
「み……美月は驚かないのね」
「あー、わたしは小学生の頃からこの家に出入りしてますから、慣れっこです」
おじ様が、決まり悪げに咳ばらいをした。
「とにかく、その……なんだ。母さんを止めてくれ」
「僕はやだね。大輔、お前が言えよ」
悟くんの言葉に、大輔くんが顔をしかめた。
「えーっ! 俺もやだよ。犬かわいいし、飼ってもいいじゃん」
「お前もか、ブルータス!」
「三田先輩、ブルータスって何ですか?」
美月が小声で訊いた。
「『何』じゃなくて『誰』。古代ローマの人。ジュリアス·シーザーの暗殺者の一人だよ」
わたしも小声で答える。
「えっ? ジュリアス·シーザーって古代ローマの人なんですか?」
「初代皇帝だけど」
「そうなんですか? わたし、てっきりハリウッドの女優さんだと思ってました」
「俺もそう思ってた」
大輔くんも言った。
「犬を飼う話より、世界史の指導方法を見直すのが先じゃない? 理事長センセ」
悟くんが皮肉っぽく言った。
「生意気言うな。世界史は二年の授業だ。今年から二年生の美月ちゃんが分からないのは当然だ」
「悟」
圭吾さんが、ため息混じりに言った。
「お母さんを説得して来い。上手くいったら、大学卒業までアルバイトとして雇ってやる」
「やりぃ」
悟くんはニヤッと笑って立ち上がった。
おじ様が悟くんをジロッと睨む。
「行け。僕達はもう帰るから、首尾は電話で報告してくれ――おいで志鶴」
圭吾さんがわたしに手を差し出した。
「了解。じゃあ、しづ姫またね」
悟くんは軽い足取りで部屋を出て行った。
「圭吾、あいつの口車に乗ったらひどい目に会うぞ」
おじ様は顔をしかめて言った。
「分かっています。でも、その口車を利用しない手はないでしょう?」
圭吾さんはペロを抱き上げてわたしに抱かせると、サークルを畳んだ。
おじ様は部屋の一番端に避難している。
ホントに苦手なんだ……
「噛み付きはしませんよ」
圭吾さんがそう言ったけれど、おじ様は首を横に振った。
「怖いわけではないんだ。触れば情が移る」
おじ様は、ちょっと困ったような顔をした。
「子供の頃、猫を飼っていた。わたしの不注意で死なせてしまった……それだけだ」
圭吾さんは少しの沈黙の後、言葉を継いだ。
「叔母さんにそう言えばいいだけでは?」
「自分の弱い面を見せたくはない。分かるだろう?」
「ええ。でも弱い面をさらけ出すと、すごく優しくしてもらえますよ」
おじ様は、圭吾さんとわたしを代わる代わる見比べて、『なるほど』と頷いた。
「お前がやけに柔らかくなったのは、そのせいか」
「まあ、そういう事です」
圭吾さんは微かな笑みを浮かべた。
そういう事って、どういう事?
「帰るよ、志鶴」
「あ、はい」
「三田先輩、またね」
美月がにこやかに手を振った。
「次はベロを連れて、うちにも遊びに来て下さい」
だから『ペロ』だってばっ!
「妖怪人間じゃねーし」
大輔くんが、ボソッとツッコミを入れた。