2時間目~将来の展望 1
「で、これがそのワンコ?」
悟くんがサークルの中を覗きながら言った。
「そう。可愛いでしょ?」
「普通の犬じゃん」
悟くんの弟の大輔くんが呆れたように言う。
「名前は?」
と、これは学校の後輩、竜田川美月。
「ペロ」
「ペロ?」
「昔持ってた絵本の犬が、ペロって名前だったから」
「ああ、『フランダースの犬』ですか?」
フランダースの犬?
「美月、『フランダースの犬』は『ネロ』だぞ」
大輔くんがそう言うと、悟くんは大袈裟にため息をついた。
「ついでに言わせてもらえば、『ネロ』は主人公の男の子で、犬の名前は『パトラッシュ』だよ」
「あー、じゃあ『青い鳥』だっけ?」
悟くんは苦笑した。
「それは『チロ』。美月ちゃん、微妙に外してくるのはわざと?」
「わたしは、いつでも真剣です」
そうだよね。
美月は誰もが振り返るような美少女で、頭もいいのに、どこかズレている。
「皆さん、お茶はいかが?」
開いたドアから、悟くんのお母さんが顔を出した。
「僕がやるよ。貸して」
悟くんがサッと立ち上がって、お母さんからトレーを受け取った。
ティーポットの紅茶に、お手製のパウンドケーキが添えられている。
「あら! 可愛いわね」
悟くんのお母さんは、サークルの中を覗き込んで言った。
「要の所から貰って来たんですって?」
「はい」
「いいわね。わたしも一匹探してもらおうかしら」
「五人も子供がいるのに、まだペットの世話なんてしたいの?」
悟くんが紅茶を注ぎながら言う。
悟くんは五人兄弟だ。
1番上がわたし達の高校の校長、司先生。次が要さんで、大学生の巧さん、わたしと同い年の悟くん、末っ子の大輔くんと続く。
そのために悟くんの家には、わたし達が今いる部屋――二十畳はあろうかというプレイルームがある。この部屋なら、どんなに騒いでも平気だったろうな。
「だって、もうみんな大きくなっちゃったじゃない。司は結婚して独立しちゃったし、大ちゃんだってもう高校生だし」
「だからっ! 『大ちゃん』って呼ぶなよっ!」
大輔くんが怒った。
「えっ! ダメなの?」
美月が目を丸くする。
「美月にならいいけどさ、高校生にもなって母親にちゃん付けで呼ばれたくねぇよ」
「ほらね。ママは寂しいのよ。うちも犬を飼いましょうよ」
「それは父さんに言って」
悟くんが言った。
「お父様ね……一応言ってみようかな」
悟くんのお母さんは、ため息をついて部屋を出て行った。
「悟にぃ、ひでえ」
大輔くんが笑った。
どうして?
「ちょっとした仕返しだよ」
悟くんがウインクした。
「うちの父、生き物が苦手なんだ。で、母の方はこうと思ったら突進するタイプ。おまけに母は子供の言う事は聞いても、父の言う事を聞いた試しがない。あの分じゃ、父が『うん』と言うまで『犬を飼おう』って粘るよ」
「仕返しって、お父さんと何かあったの?」
わたしが訊くと、悟くんは軽く肩をすくめた。
「僕の進路の事で、ちょっとした意見の相違があってね。僕は基本、一族の仕事に関心がないんだ。はっきりとそう言ったら、大学の学費は出してくれないんだって」
「えっ? でも悟くん、勿体ないわ。すごく頭いいのに」
「しづ姫もそう思う? この才能を無駄にする事はないよね。そこで、だ。頭のいい僕は、圭吾から金を引き出そうと考えている」
「圭吾さんからお金を借りたら、結局は羽竜家の仕事をする事になるんじゃない?」
「そうでもないよ。圭吾の使いっぱしりをすればいいだけだもの。羽竜の仕事って、他にも色々面倒な事があるんだよ」
「悟さんって自由人ですよね」
美月が言った。
「そっ。魅力的でしょ?」
悟くん、意地悪。大輔くんが険悪な顔してるよ。
「素敵ですけど、わたしはもっと堅実な人が好みです」
「お、お、お、俺、堅実だよ。将来は体育教師になる」
大輔くんが勢い込んで言った。
「そうね。大ちゃんは堅実なタイプだよね」
美月がニッコリと微笑む。
「高校に行ったら、モテるよきっと。彼女できたらわたしに紹介するのよ」
あ……あーあ。美月……あんたって、どうしてそう鈍感なのよ。
ガックリと肩を落とす大輔くんが気の毒になる。
「美月は将来の事考えてる?」
「わたしですか? 今のところは父の事務所を継ごうかと」
「お父さん、税理士だっけ?」
「ええ。わたしは数字に強いから、合ってると思うんですよね」
「東京に出たいとか思わないの?」
「全然。どうしてですか?」
「美月、綺麗だし、モデルとか女優になれるんじゃない?」
「うーん……憧れないって言ったら嘘になりますけど、わたしはこの町を出たくないんです。ほら、他所には龍がいないでしょ?」
「そうだった」
わたしは額に手をやって言った。
「あんたが龍ヲタクだっていうの忘れてた」
『龍』とは、この町に棲息する翼のある爬虫類の事で、龍神様の使いだと言われている。
美月と大輔くんは、龍を競わせる伝統競技『闘龍』の競技者なのだ。
「やだなあ。三田先輩も同じじゃないですかぁ」
わたしも闘龍はやるけどね。自宅で龍を人工孵化させるあんたには、負けるわよ。
でも、
みんな意外と将来の事、考えてるんだな……