1時間目~いきものがかり 2
車を降りると、塀の向こうから、犬の吠える声が聞こえた。
塀の近くには家が一軒あるだけだ。
家の向こう側には原っぱが広がっていて、真ん中に大きな木がポツンと生えていた。
圭吾さんは、携帯で誰かに電話している。
程なくゲートの横の扉が開いて、こちらに歩いて来る人影が見えた。
「やあ、いらっしゃい」
あれ、要さん?
現れたのは、圭吾さんの父方の従兄の要さんだ。お仕事は警察官だけれど、私服ってことは非番らしい。
「こんにちは、要さん」
やきもち妬きの圭吾さんを気にしながら、わたしは挨拶をした。
「ペットを飼いたいって言ってただろう?」
圭吾さんがわたしの肩を抱きながら言った。
「ここは何?」
「飼い主が見つからない動物を一時的に保護する施設だよ。ペットショップで売れ残ったのとか、一般の家で生まれて引き取り手が見つからないのとか。羽竜の遠縁が運営しているんだ。要は、非番の日にボランティアで手伝っている」
「犬と猫がほとんどだけど、中を見てみないかい?」
要さんが言った。
「お気に入りが見つかるかもしれない」
「見ます」
わたしは頷いた。
「じゃ、要と行っておいで。気に入ったのがいれば連れて帰ろう」
圭吾さんの言葉に、わたしは驚いた。
「圭吾さんは?」
「僕はここで待っているよ」
「でも――」
「いいから行っておいで」
おかしい……
絶対に変だよ。いつもの圭吾さんなら、必ずついてくるはずだもの。
「おいで、志鶴ちゃん」
要さんに促されて、わたしは入口に向かった。
途中、二回くらい振り向いたけど、圭吾さんは微笑んで手を振るばかりだ。
「要さん?」
「何だい?」
「圭吾さん、変じゃありません?」
要さんはクスッと笑って、入口の扉を開けた。
「あいつは、いつも変だよ――はい、どうぞ」
要さんが扉を押さえていてくれる。わたしは軽く頭を下げて中に入った。
犬達が一斉に吠え立て、わたしはびっくりして要さんにしがみついた。
「みんな繋がれているから、大丈夫」
要さんが優しく言う。
「犬は怖いから吠えるんだ。ほら、あいつを見てごらん」
要さんが指さす方を見ると、大きなラブラドールレトリバーが檻の中でゆったりと寝そべって尻尾を振っていた。
ライオンみたい。
「あいつは頭がいいから、志鶴ちゃんが怖い人じゃないってちゃんと分かっている」
うん……なんかそうみたい。
「小さい犬はいないんですか?」
「いるよ。小型犬と猫はあっちのプレハブ小屋の中だ」
わたしが動くと、犬達がまた一斉に吠えだした。
わたしは要さんの腕にしがみつき、陰に隠れるようにして横向きに歩いた。
「志鶴ちゃん、普通にしたら? 犬にしてみたら、その方が怪しく見えるぞ」
「だって……」
「じゃあ手を繋ごう。俺が犬の側を歩くから。それでどうだい?」
わたしは頷いて、要さんの手に自分の手をすべりこませた。
ゴツゴツした大きな手。
要さんは圭吾さんより背が高いから、手も大きいみたい。
でも、優しい手だわ。それに、ちっともドキドキしない。
「圭吾には内緒だよ。殺されてしまう」
うん。わたしも部屋から出してもらえないかも。
「要さんも、圭吾さんと同じね」
「どこ? 変なところが?」
「そうじゃなくって」
わたしは笑って言った。
「さっきドアを押さえていてくれたでしょ? 圭吾さんもよくそうする」
「ああ――我ら羽竜一族はフェミニスト揃いなんだ。家を継ぐのは男だけれど、力の源は女性だから」
「力の源って?」
「身を守る霊力ってのは女性の方が強いんだ。子供を宿す身だからね。俺達、野郎は家族とか恋人の髪を身につけて、その霊力を借りる事が多い」
そういえば、前に圭吾さんに髪をあげた事がある。でも、あの時は……
「じゃあ、わたしは全然力がないんだわ。髪の毛をあげたのに、圭吾さん怪我したもの」
「去年の十二月の話かい? 俺はその場にいなかったけど、かなり大変な仕事だったようだよ。うちの大輔が無傷で、圭吾の怪我があの程度ですんだのは、志鶴ちゃんの力があったから――そう考えたら?」
「そうだといいけど……」
「自信を持つ! もしも、そんな力がなくてもどうだって言うんだ? 圭吾は気にしないぞ」
「それは分かってる。でもね、圭吾さんの役に立ちたいとも思うの」
「そこにいるだけで、誰かのためになる事もあるんだよ」
わたしは要さんを見上げた。
「ありがとう。要さんって説得上手ね」
要さんは顔を赤らめて咳ばらいをした。
「仕事柄だな。こんな小さな町にも、家出少女や不良少年はいるんだ。本当に怖い事に巻き込まれる前に、誰かが手を差し延べなきゃね」
「だからお巡りさんになったの?」
「羽竜の仕事に都合がいいってのもあるよ」
「そうかい。あたしゃ、子猫を拾って来るのにちょうどいいからだと思ってたよ」
後ろからハスキーな声がそう言った。
振り向くと、短い白髪をツンツンに立てた白衣姿のお婆さんが、腰に両手をあてて立っていた。
「今日は、また随分と色っぽい子猫を拾って来たもんだね」
「松子さん、その舌は引っ込めてくれ」
要さんが言った。
「この娘は、本家の圭吾の婚約者だよ」
「噂のお姫様かい? こりゃ驚いた。圭吾にこんな趣味があったとはね」
その『趣味』の中身、聞いていい?
「兄貴の結婚式に来れば会えたのに」
「あたしゃ、めでたい席が苦手なんだよ。葬式の方がよっぽどドラマチックで面白い」
な……なんかジワジワと来る。
「志鶴ちゃん、この人は田辺松子さん。この施設の持ち主で、俺達の大叔母にあたる」
「はじめまして。三田志鶴です」
わたしは慌てて頭を下げた。
「はいよ。さすが貴子さんだね。躾が行き届いて上品なもんだ。圭吾はどうした? あんたの後ろを、馬鹿みたいにくっついて歩いてるって聞いたんだけどね」
わたしは耐え切れずに吹き出した。
「け、圭吾さんなら外の車のところに」
やだ。声が震える。
「しょうがない子だね。男の子ときたら、どいつもこいつも図体ばかりでかくて、肝っ玉が小さいんだから」
「こき下ろすのは、それくらいにして」
要さんが苦笑した。
「志鶴ちゃんは、里親になるかどうか決めに来たんだから」
「早くそれをお言い! 小さいのがいいんだよね? それとも猫かい?」
えっ?! うわっ!
松子さんは要さんからわたしをひっさらうと、プレハブ小屋へと引きずるように連れて行ったのだった。




