雪よりも白く
机の引き出しから、古い封筒が出てきた。
宛名には、かつての恋人の名前。三年前、出せなかった手紙だ。
メールにしようかと思ったが、あまりに軽い気がして手紙にしたのだった。
今となっては書いた言葉も思い出せないが、その時の気持ちは覚えている。
愛している、戻って来てくれと、頼み込んでいるはずだ。
あまりにも情けなくて、結局出せなかった。
僕は優月の名を指でそっとなぞり、苦い笑みを浮かべた。
「さようなら」
若すぎた自分に別れの言葉を告げて、僕は封筒ごとシュレッダーに突っ込んだ。
ガガガと鈍い音をたてて、過去が粉々になった。シュレッダーが止まり、静寂が僕を包んだ。
静か過ぎないか?
僕は不意に不安になって、仕事部屋を出て居間を覗いた。
志鶴がいない。
僕の仕事が終わるまで宿題をやっているって言ったのに。テーブルの上には、閉じたノートと教科書が重ねられている。
どこへ行ったんだろう。自分の部屋か?
僕は階段を下りて志鶴を捜しに行った。
いない。
家中を捜しても志鶴はいない
体中の血の気が引く思いがした。
僕の血筋の中にある龍神の力――自分のために使うことはめったにないが、仕方ない。非常事態だ。
両手を一拍打ち鳴らし、精神を集中させて志鶴を捜す。
外?――雪だぞ。
そういえば、朝、志鶴は窓の外を覗いて『圭吾さん、雪!』ってはしゃいでいたっけ……
僕を待ちきれなくて外へ出たのか?
裏庭の片隅で、しゃがみ込んでいる志鶴を見つけた。コート姿で、帽子や手袋を身につけてはいるが雪まみれだ。
「志鶴?」
声をかけると、振り向きもせず『なぁに?』と返事をする。
「おいで。風邪をひくよ」
「ゆき……雪だるまを作ってたの。手袋の方にベタベタ雪がついて手が雪だるまみたい」
鼻にかかった妙に明るい声――泣いていたのか?
そばに行ってこちらを向かせようとすると、手を振り払われた。
「見ないで。わたしの顔、今、きれいじゃない。ヤキモチ妬いて、きれいじゃない」
ヤキモチ?
「そ、外に出たくて、圭吾さんに言いに行ったら手紙を見てた」
封筒を、だよ。
「悲しそうだった」
女の感は鋭いな。
「もらった手紙を見ていたんじゃない」
僕は言った。
「出さなかった手紙が出てきただけだよ。もうシュレッダーにかけたし」
「そうじゃないの」
そうじゃない?
「圭吾さんの思い出だもの、大切にしていていい――そう思ってたのに、胸の中がモヤモヤして、頭の中がグルグルして……わたし、きたない」
ああ、そうか。
君が許せないのは僕ではなくて、君自身。自分の中の一点の汚れも許せないのだ。
志鶴の年若さと幼いほどの潔癖さに、僕はたじろいだ。
何を言えばいい?――僕もバカだな。迷っている場合か? 風邪をひかせてしまう。
僕は強引に志鶴を抱き寄せた。
「嫌なら顔は見ないから」
そう言って暴れる志鶴を宥める。
志鶴は僕の胸に顔を埋めて、子供のように泣きじゃくった。
それでも
「け、圭吾さんが濡れちゃう」
しゃくりあげながら志鶴が言う。
僕はそっと微笑んだ。
優しい志鶴。
「寒くなってきたね」
僕がそう言うと、志鶴は慌てて顔を上げた。痛々しいほど真っ赤な目。
「大変! 風邪ひいちゃう!」
それは君の方だよ。雪よりも真っ白で綺麗な僕の恋人。
「もう中に入ろう」
「うん」
志鶴が素直にうなずく。
僕は志鶴の手を引いて螺旋階段を上った。
「黙っていなくなるから、心配したよ」
「ごめんなさい」
「部屋に戻ったら僕を温めてくれる?」
「うん」
僕の微笑みが大きくなる。
部屋に戻ったら、濡れたコートを脱がせよう。風呂に入れて温めてやらなきゃ。
それから約束通り、僕を満たして温めてくれ。
かわいいため息で僕の心を。柔らかな肌で僕の体を。しっかりと包んで温めてくれ。
自分でも汚いやり方だと思うが、構うものか
死ぬほど僕に冷や汗をかかせたんだからね――




