戸惑う午後 1
「ユキーっ!」
名前を呼ばれた白い龍が旋回する。
純白の鱗に陽射しが反射してキラキラキラキラ光る。
「あいつも速くなったな」
圭吾さんは手をかざして陽射しをよけながらわたしの龍を見て言った。
「後はわたしがどれだけ正確なタイミングで笛を鳴らすことができるかよね」
「そういう事だ」
闘龍は障害物をかわしながら速さを競う競技だ。相手の走路を妨害するラフプレーも認められている。
龍の種類は体の色から黒、白、赤、黄、青の五種類。
わたしが選んだ白龍という種類は、飛速は速いけれど、躯体が小さい分ぶつかり合いに弱い。できるだけ正確な飛行で逃げ切る事が、要求される。
障害物の間を飛ぶ龍には次の障害物が見えない。『龍師』と呼ばれるわたしたち人間が専用の笛の音で飛ぶ方向を指示するのだ。
笛をくわえ、長く吹く。
するとわたしの龍、シラユキは急降下して止まり木にとまった。
わたしは餌壷のふたを開け、長めのピンセットで中身を一本取り出した。
おわぁ 動いてる。
顔をしかめるわたしをよそに、シラユキは差し出された好物――うごめく巨大ミミズをペロッと平らげた。
この餌付けが嫌で、たいていの女の子は闘龍をやらない。
「すごいしかめっつらだよ」
圭吾さんは笑いながら、わたしの眉間のシワをのばした。
「少し休むかい? 冷蔵庫にデザートが入ってるはずだよ」
「うん!」
わたしは、跳ねるように圭吾さんの後ろから螺旋階段を上った。
圭吾さんの部屋にも、彩名さんのアトリエのようなミニキッチンがある。
「えーと……クリームブリュレとかいうのがあるけど」
わお!
「食べる!」
洋菓子店のラベルがついたクリームブリュレとプラスチックのスプーンを渡された。
「圭吾さんは?」
「僕はこれで」
缶入りのブラックアイスコーヒー。
一口だけ飲ませてもらった事があるけど、どこが美味しいのかさっぱり分からない。
二人で並んでソファーに座った。
「クリームブリュレって何?」
圭吾さんが訊いた。
「プリンみたいなの」
「どんな味?」
「クリームブリュレの味――はい」
わたしはスプーンですくったクリームブリュレを差し出した。
圭吾さんがパクッと食べる。
「うわっ、甘いな」
「そう? おいしいよ。これ、どうしたの?」
「お客さんの手土産だよ」
ああ――
「さっき伯母様のところに来たお客さん?」
「うん」
「お見合い写真、持ってきたでしょ」
「あれ? どうして知ってるの?」
「あの人、前にも持ってきたもの」
あの黒い四角いバッグに、何人もの写真が入ってるに違いない。
「そうだっけ? でもちゃんと断ったよ」
「美人だった?」
「美人だったよ。それってヤキモチ?」
わたしは、ちょっと考えた。
「違う気がする」
「なんだ」
なんだって何よ?
「志鶴は僕のお嫁さんになるって話、考えてくれた?」
しまった!
あれから――わたしをお嫁さんにほしいって圭吾さんが言ってから、何日もたつけれど、焦った自分がバカみたいに圭吾さんの態度が変わらないから油断していた。
あれって、やっぱり冗談じゃないの?
「実はさっき、母が『見合いしろ』ってあまりにもうるさいから、志鶴を嫁に欲しいと言ってしまった」
へっ?
わたしはスプーンをくわえたまま、唖然として圭吾さんを見返した。
「で……でも圭吾さん? あのね――」
「待った。今すぐという話じゃないんだ。返事は三田の叔父さんが帰ってきてからでいい」
「だって――」
「OKの返事ならすぐほしいが、断るつもりなら、叔父さんが帰ってくるまでの三年間保留にしてもらいたい」
「どうして?」
ああ、やっと口を挟めた。
「三年あれば、志鶴を振り向かせることができるかもしれないだろ? 今は兄貴にすぎなくてもね」
困った。
わたし、完全に退路を断たれてない?
「圭吾さんはどうしてわたしと結婚したいの?」
「君がかわいいし、幸せな気分になれる」
そうなの?
「でも、それは恋じゃないよね」
「君に恋がどんなものか分かるの?」
「分からない……かも」
「じゃあ僕が今、恋をしていないってどうして言える?」
「圭吾さんはわたしに恋をしているって言える?」
「言えるよ」
わたし、地雷原に足を踏み入れたかも。
「甘い言葉をささやくのは簡単だよ。ただ、君を急かしたくない。君は兄貴としては僕を好きだろう? 僕はそれがベースでも構わないと思っている」
何を言われているのか分からず首を傾げると、圭吾さんは優しく微笑んだ。
「誰もが両想いで付き合っている訳じゃない。ある日突然告白されて、『付き合ってみようかな』と思ってカップルになる人もいるんじゃないかな?」
わたしはうなずいた。
友達がそんなふうに言うのを聞いた事がある。
「僕をそういう相手だと思ってみないかい? 僕が二人分君を好きだよ」
それならできそうな気がする。
でも、待って。
「でもね、圭吾さんは結婚まで考えてるでしょ?」
「そうだね。僕はもう大人だから。さっきも言った通り急かすつもりはない。僕と付き合って三年後に答えを出せばいい」
穏やかな優しい人。わたしは何が不満なの?
「付き合うってどうするの?」
わたしは、クリームブリュレを食べながら訊いた。
「別に。今のままでいいんじゃないか? まあ、もう少し一緒に出かけてもいいかな」
それなら居心地はいい。いいけど、それでいいの? 何か忘れている気がするんだけど。
わたしは少し考え込んだ。
そうよ!
「他に好きな人ができちゃったら?」
だって両思いってわけじゃないもの、そういう事も有り得る。
「僕にはできないよ。志鶴が好きなんだから」
「わたしは?」
圭吾さんは目を伏せた。
「その時はあきらめるよ」




