どんなに上手に隠しても3
「ねえ、志鶴。起きて」
なぁに? わたし眠いの。
「学校、休むの? それとも送って行く?」
えっ、何? もうそんな時間?
「今、何時?」
わたしはベッドの上に起き上がった。
「六時十五分」
圭吾さんはもう、ちゃんと服を着ている。
「もっと早く起こしてくれればいいのに!」
「疲れてるみたいだったから。学校には間に合うだろ?」
「学校にはね。でも和子さんはそうはいかないの」
平日はいつも六時半には朝食を用意される。
もちろんパジャマで食べる訳にはいかない。
クローゼットに飛び込んでバタバタ着替えるわたしを、圭吾さんは面白そうに眺めた。
「規則って訳じゃないんだから」
「ダメよ。わたしは圭吾さんの奥さんになるんだから」
ベッドの端に座ってタイツと格闘していると、圭吾さんが目の前に座った。
「貸して」
圭吾さんは器用にタイツをクシュクシュにして、わたしの爪先にあてた。
「急がば回れって言葉、知ってる?」
それよりタイツのはかせ方なんて、どこで知ったのよ。
キャー! 膝まででいい!
後は自分でやるったら!
っていうか、後ろ向いててっ!
「ねえ、髪ひどい?」
「僕は後ろを向いてるはずじゃないのかい?」
もう! こっちが悪戦苦闘しているのに、圭吾さんったら笑ってばかり。
「サッと梳かせばいいよ。後は朝食が終わってからやればいい」
「圭吾さん、楽しそうね」
「楽しいよ。君が突然やって来て、毎日が輝くように鮮やかで」
圭吾さんは身を屈めてわたしの頬にキスをした。
「君は可愛いいし、僕だけのものだ」
「圭吾さん」
「ん? 何?」
「首にキスマークつけるのやめて」
「髪で隠れるよ」
本当に?
「行こう。遅れたくないんだろ?」
絶対に見えるところにつけられたわ。
家を出てバスに乗り込むと、先に乗っていた悟くんがわたしを呼ぶ。
「しづ姫、助けて」
バスに乗っているのは大多数がうちの学校の生徒なので、通り道を開けてくれた。
「おはよ。どうしたの? 痴漢にでもあった?」
「笑えない冗談はやめてよ。それより、この娘なんとかして」
へっ?
悟くんの横にいたのは――
「松本さん?」
わたしのクラスの軍曹――もとい、委員長の松本さんだ。
「おはよう」
松本さんがきまり悪げに顔を上げた。
「おはよう。あれ? 松本さんちって反対方向じゃ……」
「うん。始発でこっちまで来たの」
「始発って……どうしたの?」
「長谷川から逃げてるんだってさ」
逃げてる?
「逃げてないわよ!」
松本さんが慌てて言う。
「ただちょっと、毎朝家の前で待たれるのが困るっていうか、何というか」
「ひょっとして、まだ仲直りしてなかったの?」
「仲直りはしたのよ。『やっぱり友達でいましょう』って」
それ、仲直りって言うの?
「でも、毎日迎えに来るようになって、困って、今日は早くに家を出て――」
「このバスに乗ったら僕がいたんで、延々とお悩み相談さ」
悟くんがため息をつく。
「いいかい? 本当に困るならはっきりと言ってやりなよ。『お友達』なんて生温いコト言ったら相手だって期待するだろ?」
「わ……分かった。明日こそはっきりと言う」
今日じゃないんだ。
「最初から無理だったんだよね……わたしみたいに地味な女の子が手に負える相手じゃなかったのに、好きだって言われて舞い上がっちゃった」
「好きって言われたら誰だって舞い上がるよ」
悟くんが優しく言う。
「わたしの事だけが好きなんだって思い込んじゃって。カッコ悪い」
松本さんの言葉に、わたしは首を振った。
「ううん、カッコ悪くなんかない。当たり前よ」
誰だって、好きな人の一番でいたいもの。
バスが学校前に着いた。
バスを降りてから、松本さんは思いを振り切るように、
「とにかく、グズグズ未練たらしく付き合うのやめるわ」
と、言った。
「長谷川が本気でも?」
と、悟くん。
「やだなぁ、本気の訳ないじゃない。あんなチャラチャラした人よ。本気だって言っても、きっと軽い気持ちで言ってる」
「それならどうして付き合ってたの?」
わたしは不思議に思って訊いた。
「チャラチャラしてるのは見た目だけだと思ったの。本当は真面目で優しい人だって――」
松本さんはため息混じりに言った。
「努力家なのよ。じゃなきゃ、あんなに勉強できないもの。付き合い始めたきっかけも勉強だった。情けないけど、わたし年下の彼に勉強を教えてもらっていたの。ただ、女の子関係がルーズすぎて、わたしにはついていけない」
「ねえ、明日まで引き延ばすことないよ。今、はっきりさせちゃえば?」
わたし達は、悟くんが顎で指し示した方を見た。
校門の前に長谷川くんがいる。
いつものチャラい雰囲気は露ほどもなく、険しい表情で腕を組んで校門にもたれ掛かっている。
「どうやら一筋縄ではいかないみたいだけどね」




