くれない匂う3
程なくわたし達と落ち合った圭吾さんは、ひどく不機嫌だった。
こんなに早く着いたのは、龍神の通り道だという龍道を通って来たからだ。
「どうなっている、悟? 電話じゃ全く話が分からなかったぞ」
わたしでもビビりそうなくらい厳しい声。
「そうだろ? 電話じゃ埒が明かないから呼び出したんだよ」
悟くんは飄々と切り返す。
「志鶴」
圭吾さんが苛立ったようにわたしを呼ぶ。
「はいっ!」
勢いよく返事をしたものの、美幸にピッタリとくっついたままのわたしを見て、圭吾さんは顔をしかめた。
「おいで、志鶴」
口調が和らいだ。
「こちらへ。君が無事かどうかを確かめさせてくれ」
わたしは、おずおずと圭吾さんの前まで行った。
「怖がらないで」
圭吾さんは、わたしの頬に触れてそう言った。
「君に怒っているわけじゃない」
じゃあ誰に怒っているの? それとも、何に、かな?
ゆっくりと身を寄せると、圭吾さんはそっとわたしを抱きしめた。
「生霊の顔を見た?」
「ううん。ほら、写真を撮る時に逆光だと顔が真っ黒になるでしょ? そんな感じだった」
「わたしは見えたわ」
美幸が言った。
「ショートカット、赤いプラスチックフレームのメガネ。唇の左下側にホクロ。年は三十代後半ってところかな」
「あの一瞬でそれだけ見えたの?」
悟くんが驚いたように言った。
「滝田はもともと『遠見』の家よ。それに羽竜の血が入ってるんだもの」
美幸は肩をすくめた。
「でも、恨みつらみって顔じゃなかったんだよなぁ」
圭吾さんは、顔をしかめて小さく唸った。
「で、常盤の名前を口にした?」
「うん。『あなた道隆くんの恋人?』って。心あたりある?」
「ある」
えっ、本当?
「ただ、どうしてなのか理解できない」
圭吾さんがわたしの髪を撫でる。
あの……ですね。家じゃないんで、そろそろ放してもらえたらなー、とか――言い出せない感じか……
圭吾さんが思い当たると言った女性――恵さんは、数年前まで常盤さんのお父さんの秘書をしていた女性で、常盤さんを弟のように可愛がっていたという。
「故郷で縁談があって事務所を辞めたんだ。円満退社だと聞いてるし、常盤と恋仲だったわけでもない。年が違いすぎる」
「世迷い言を言うなよ」
悟くんが言う。
「恋に年齢も性別も関係ない。当事者同士にしか分からない何かがあるんだろ。そうじゃなきゃ、生霊になるほど思い詰めないって」
「呼び出すか。気は進まないが、このままって訳にも行かないしな」
圭吾さんはわたしから手を離した。
「お嬢さん達はどこかでお茶でも飲んでいるといい」
あっ 子供扱いしたわね。
プッとふくれたわたしの腕を亜由美が引っ張った。
「はいはい、志鶴はこっちへ来る。邪魔しちゃダメよ」
う……亜由美まで。
「悟、僕が呼び出したらすぐに結界を張れ。今度は逃がすなよ」
「了解」
圭吾さんがパシッと手を打った。
「早くいこ」
美幸がみんなを急かすようにしながら歩き出した。
わたしも仕方なくみんなと一緒にその場を離れたけれど、なぜか後ろが気になる。
「ほら、志鶴。わたし達がいたって邪魔になるだけだから」
亜由美にそう言われて、わたしはワッと泣き出した。
「何? 何? わたし、何か悪い事言った?」
ううん そうじゃない。
「わ……わたし、美幸みたいだったらよかったのに。圭吾さんがお仕事するのに、何の役にもたたない。おまけに心配ばかりかけて」
情けなくも鼻水をすする。
「黙って家にいればよかった。もう出かけたりしない」
「ああもう、極端なんだから」
亜由美がティッシュを取り出した。
「ほら、鼻かんで。女子高生が情けないわね。元気出して。仕事の助けにはならないかもしれないけど、圭吾さんにはあんたが必要なのよ」
「それだって違う。け……圭吾さんが本当に必要だったのは別の人だもん。わたしじゃなくたっていいのよ」
何だろう? どうしてわたし、こんなネガティブな事ばかり言っているの?
「志鶴?」
美幸がわたしの顔を両手で挟んだ。
「こっち見て。わたしの目、見て――憑依かな? 違う……同調してる。亜由美、戻って圭吾さんを呼んできて! 志鶴が生霊に心を引っ張られてる!」
寒い 寒い 寒い
美幸がわたしの背中をさすってくれてる。
「しっかりして。すぐに圭吾さんが来るからね。志鶴、あんた気持ちが優しすぎるのよ。何にでも同情しちゃだめなのよ」
暗い 暗い 暗い
幸せになっちゃだめなの。自分だけ幸せになっちゃだめなの。
「志鶴!」
圭吾さんの声がする。
わたしを抱く手が、美幸の優しい手から圭吾さんの力強い腕に替わるのが分かった。
「ごめんなさい。わたしじゃ、圭吾さんの役に立たない」
震える手がわたしの頬を撫でる。
「志鶴、しっかりして。僕を見て。君じゃなきゃだめだ」
「ごめんなさい。わたしじゃだめなの。優月さんにはなれないもの」
わたし、何言ってんだろ。
「バカなこと言うな。僕がいつそんな事を言った?」
「わたし、圭吾さんにあんな寂しそうな顔しかさせられない――道隆くんをあんな冷たい家に置き去りにした」
自分でも意識が錯乱してくるのが分かった。自分のではない言葉が口をついて出る。
「卑怯だわ。彼のためと言いながら、結局は自分の幸せのために彼を見捨てた」
心が暗く蝕まれていく。彼女の強い思いに引きずられる。
わたしは、命綱にすがるように圭吾さんの服を掴んだ。