枯れ木残らず花が咲く4
家に帰ると、圭吾さんは留守だった。
圭吾さんはいつも、わたしの帰宅時間には家にいることが多いので、ちょっと拍子抜け。
まっ いいか。留守の方が都合がいい。
「お帰りになったらアトリエの方においで下さいと、彩名様が」
わたしを玄関で出迎えた和子さんが言った。
「分かりました。その前にお手伝いさんたちにちょっとお願いがあるの」
わたしがそう言うと、和子さんは『また小腹がおすきになっているのですか?』って、
失礼ね! そんなにいつもいつも空腹じゃないわよ。
そう言われても仕方ない時も確かにあるけど……
「そうじゃないの。お菓子の作り方を教えてほしいのよ」
「お菓子? でございますか?」
そうよ。
和子さんよりはるかに若いお手伝いさん達に言うと、
「バレンタインデーですか?」
と、すぐに分かってもらえた。
「あんまり甘くないのがいいの」
「そうですね。圭吾様になら、ブラウニーなどはいかがですか? チョコレートケーキの一種ですよ。甘さの調整もできますし」
そうそう。そういう助言がほしかったのよ。
材料はお手伝いさん達が用意してくれることになった。わたしはラッピング用のグッズと一緒に、プレゼントするものを買ってくるだけでいいらしい。
「圭吾さんには内緒ね」
わたしが言うと、みんなは訳知り顔でうなずいた。
よしっ! 順調だわ。
わたしは気をよくして、伯母にただいまの挨拶をしてから彩名さんのアトリエのドアを叩いた。
「志鶴ちゃん、お帰りなさい。ちょっと手伝ってほしいの、いいかしら?」
二つ返事で中に入ると、パンツスーツの若い女性がいた。
髪を後ろにねじるように結い上げて、どんな構造になっているのかわたしにはよく分からないヘアアクセサリーで留めている。キャリアウーマン風のその人は、キビキビした口調で挨拶をした。
「夏の花火大会の時に会っているんだけど、あの大騒ぎの中じゃ覚えていないわよね」
「ええ、まあ。じゃ、彩名さんのお友達なんですね」
「そうよ。東京でアパレル関係の仕事をしているのだけれど、今回、彩名の個展に合わせてコラボ企画を考えているの」
話の半分は分からない。
「要するにね」
彩名さんが口を挟んだ。
「彼女がデザインした服をお人形に着せるの」
「そして、同じ服を初夏のコレクションとして、うちの会社が売り出すのよ」
少し分かった。
「わたしは何をすればいいんですか?」
「採寸させて」
へっ?
「あなた、人形にちょうどいい体型よ」
「胸が小さいから、とか?」
「当たり。わたし、ヨーロッパのアンティークドールのような服を考えているの。ナイスバディじゃダメなのよ」
見せられたスケッチブックのスタイル画は、いわゆるロリータファッションっていうやつだった。
「うわっ、かわいい!」
「でしょ? どんなのが好き?」
「うーん、これかな? でも、黒じゃなくて……」
「白? ダークグリーンもいいかなと思ってるんだけど」
「紫ね」
彩名さんが言った。
「志鶴ちゃんのイメージで作るなら紫がいいわ」
「ナイスだわ、彩名! あー、すっごくイメージ湧いてきた。採寸させて、ね?」
わたしはあっという間にキャミソール一枚に剥かれて、体のあちこちを測られた。
「女の子を下着姿にする手腕たるや、感服するわ」
彩名さんが笑いながら言う。
「人聞き悪いわね。でも、カメラマンよりも早く脱がせる自信はあるわ」
採寸の次は、色々な布とレースを肩から掛けられた。
目が回りそうになった頃、ドアがノックされて圭吾さんの声がした。
「ああ、ここにいたのか」
「お帰りなさい」
わたしは振り返って、肩越しに圭吾さんに言った。
「もういい加減に僕に返してくれよ」
圭吾さんは不機嫌そうだ。
「はいはい。堪え性のない子ね」
彩名さんが言い終わらないうちに、圭吾さんはスタスタとわたしの方に歩いてきた。
両手を伸ばして圭吾さんに抱きつく。
圭吾さんはわたしをギュッと抱きしめてから、来ていたジャケットをわたしに着せかけた。
「病み上がりなんだから、無理させないでくれ」
ぶっきらぼうな口調で言う。
自分の方が後にインフルエンザにかかったくせに。
おかしいほど過保護な圭吾さんに、わたしはそっともたれかかった。
「疲れた?」
圭吾さんが慌てたようにわたしの顔を覗き込む。
「ううん」
大好きだからよ。
わたし、プレゼントの意味が分かった気がする。
あなたを笑顔にしたい――ただ、それだけ。
きっと、物は何であってもいいのね。
その人の事をいっぱい考えて、その人の笑顔を思い浮かべながら選ぶのよ。
大切なのはその人を思うって事なんだわ。
圭吾さんのこと、いっぱい、いっぱい思おう。天から降り続く雪のように。
そうしたら
きっとわたしの愛は、花のように圭吾さんを包み込むわ。