誰かさんの羊3
「僕の部屋の冷蔵庫を漁りにおいで。ちょっとした見物だよ」
わたしがお風呂から上がると、圭吾さんが言った。
「アイスクリームでいっぱい――とか?」
「いい読みだね。でも買ったのは僕じゃない」
「彩名さん?」
「はずれ。いいからおいでよ」
わたしは思わず、差し出された手に自分の手を預けた。圭吾さんが伏し目がちに微笑み、わたしを引き寄せる。
「髪、まだ濡れてるね。どうしていつもちゃんと乾かさないんだ?」
「長くて面倒なんだもの」
そして今日は時間かせぎよ。わたしの髪を乾かしているうちはキスできないでしょ? その間にわたしも落ち着くわ――たぶん
「そのうち乾くわ」
「その前に風邪をひくよ。行こう。僕の部屋で乾かしてあげるから」
圭吾さんはわたしが肩にかけていたタオルで、濡れたままの髪を器用に包んだ。
優しい手つき。
いつもと変わらない圭吾さんの優しさに、わたしは心の中で安堵のため息をついた。
圭吾さんの部屋は、離れの三階のフロアー全部。マンションのような作りになっていて、小さなキッチンもある。
小ぶりの冷蔵庫に、いつも圭吾さんはわたしが好きそうな物を入れておいてくれる。そこに、今日はカップのアイスクリームがいっぱい入っていた。
どれもこれも、有名な牧場のプレミアム限定品だ。
「どうしたのこれ?」
「分家の叔母から――つまり悟のお母さんから年始の挨拶に貰ったんだ。君にだって」
圭吾さんの従弟の悟くんとわたしは確かに仲良しだけど――
「これ、すごく高いよね?」
「たぶんね。気後れしたの?」
わたしはコクンとうなずいた。
「悟の家も裕福だよ。これくらい普通だ」
「でも……」
「少し離れていただけで一からやり直しか」
圭吾さんはため息混じりに言った。
「志鶴は遠慮のし過ぎだ。他意のないプレゼントにさえ後込みをする。ただ君に喜んでほしいだけなのが分からないのか?」
圭吾さんが言っているのは、悟くんのお母さんの事だけじゃない。圭吾さんの事も言っているんだ。
「ごめんなさい……」
「謝らなくていい。単純な事じゃないか。一つ選んで食べて、僕に笑顔を見せてほしい。そうして明日、悟の家に電話をして『とっても美味しかった』って言えばいいだけだよ」
「うん……」
「どれにする?」
「イチゴ」
圭吾さんはイチゴのカップアイスを取り出した。
「おいで。僕が髪を乾かす間、食べていればいい」
新年早々失敗しちゃった。
圭吾さんの足元に座って、髪を拭かれながらそう思った。イチゴアイスは甘酸っぱく、ミルクの味が濃厚でとっても美味しかった。
「おいしい」
つぶやくように言った。
「圭吾さんも食べる?」
「いや。先に君の髪を乾かしてしまいたい」
取り残されたような気分。
アイスクリームを見た時、単純に喜べばよかった。髪だって自分でちゃんと乾かせたのに、久しぶりに圭吾さんと過ごすのが気まずくてズルをした。
父さんには、圭吾君が必死になってお前の機嫌を取っているように見えるよ――
親父の言葉が不意に思い出された。
涙がアイスクリームの上に落ちた。
圭吾さんはいつでもわたしを思ってくれるのに、わたしの方はちゃんと圭吾さんに向き合っていない。
ドライヤーの音がしていてよかった。鼻がぐずついてカッコ悪いもの。
わたしは目をしばたいて、必死に涙を払おうと頑張った。アイスクリームを飲み込む度に喉の少し下が痛む。
やがてドライヤーの音が止んで、圭吾さんはブラシでわたしの髪を梳かした。
「終わった?」
何か言わなきゃと思ったわたしの言葉は、不自然に明るくなってしまった。
圭吾さんの手がピタッと止まった。
あ……まずい。
左手がいきなり伸びてきて、わたしの頬を確かめた。
悪態をつく声がして、ブラシが床に落ちる。
気がついた時には、わたしは両脇を抱え上げられて、両手にアイスクリームのカップとスプーンを持ったままという何とも間が抜けた格好で、圭吾さんの膝の上に座らせられていた。
「泣かせるつもりじゃなかった」
圭吾さんは悔やむように言うと、いきなりわたしの唇を奪った。
ちょっと待って! 持ってるアイスクリーム、どうすればいいの?
どうしようもなくて、手にアイスクリームカップを持ったまま、肘を圭吾さんの肩に乗せた。
「苺の匂いがする」
キスの合間に圭吾さんがつぶやいた。
それ、アイスクリームの匂いよ。
「どうして僕の思いは、いつも君に伝わらないんだろう?」
十分に伝わってるってば!
「――たぶん」
わたしは、やっとのことで言葉を挟んだ。
「たぶん、アイスクリームのカップをどこかに置かせてくれたら、もっと熱心になれると思うんだけど」
圭吾さんは、やっとわたしの不自然な体勢に気づいた。
「何、持ってるの?」
「アイスクリームのカップとスプーン」
それ以外に何があるって言うのよ。
わたしは圭吾さんから少し体を離して、両手を自分の前に持って来た。
「もうほとんど入ってないけど」
むっつりとして言うと、圭吾さんが声を立てて笑いだした。
何よ。
「気がそれてるなと思ったのは、そいつのせい?」
わたしはうなずいた。
「落としたらベタベタになるもの」
「じゃあ、それ置いて僕にキスして」
今、散々したじゃない。
わたしは圭吾さんの膝から滑り下りて、サイドテーブルの上にカップとスプーンを置いた。
はい、OK――って、違うでしょ!
「圭吾さん」
「ん? 何?」
「『よし、準備できた!』って感じでキスできない」
圭吾さんは、笑いを堪えているように咳ばらいをした。
「分かった。精一杯ロマンチックなムードを作るから、後でキスして」
『うん』って答えたけど、やっぱり、わたしって女の子としてダメダメじゃない?
「とりあえず戻っておいで」
圭吾さんがそう言って自分の横を指差した。
「僕のいないところで、どんな悪さをしていたのか教えてくれ」
「失礼ね。いい子にしてたわよ」
わたしは圭吾さんの横に座って、肩に頭を乗せた。




