誰かさんの羊2
羽竜家の玄関を入ると、圭吾さんがいた。
玄関先で待ち構えていた、って言った方がいいかも。
「ただいま、圭吾さん。明けましておめでとうございます」
わたしが笑顔で言うと、圭吾さんは『おかえり』とニッコリと笑った。それから親父と新年の挨拶を交わして、家に上がるように勧めた。
「では、少しだけ。後で圭吾君に頼みたいことがあるんだが」
「いいですよ」
圭吾さんは愛想よく言ってから、わたしの方をチラリと見た。
「随分と……その……遅かったね」
歯切れが悪いわよ。町の端の龍道を越えたところから、追跡していたわね。
羽竜一族は龍神様の子孫で、それぞれ不思議な力を持っている。圭吾さんは普段、わたしの前ではそういう力を使わないようにしているけれど、今日はしびれを切らして使ったようだ。
「途中、車の故障で立ち往生している人に出会ってね」
親父が言った。
「レッカー車が来るまで少し待っていたんだ」
「常盤さんよ」
訊かれる前にわたしは答えた。
「常盤? あいつ、今頃ここで何をやってるんだ?」
さあ?
『あんな奴、放っておけばよかったのに』 圭吾さんの心の声が聞こえる気がした。
家に入ると、みんなの顔に安心したような表情がありありと浮かんでいた。
「圭吾さん、酷かった?」
圭吾さんが親父と一緒に別室に消えてから、わたしは彩名さんにきいた。
「それがね、そうでもなかったのよ。みんなが覚悟していたよりもずっと機嫌がよかったの。ピリピリしてたのはこの一時間くらいよ」
あー すぐに着くはずのわたしがモタモタしてたからね。
「でも志鶴ちゃんが帰って来てくれたから、これであの子も落ち着くでしょう」
ええ、そう。圭吾さんは、わたしを決して怒らない。
だからみんな、わたしなら簡単だと思っているみたいだけど、圭吾さんのご機嫌取りってそれなりに大変なのよ。わざとわがまま言って、甘えてみせて、最後にキスを奪われるんだから。
圭吾さんとキスをするのは好きよ。ちょっぴり恥ずかしいけど。
抱きしめられるのも好き。わたしのことが好きなんだって、感じられるから。
ただ――
ただね、
時々、圭吾さんのキスは奪い取るように深く激しくなる。わたしの頭の中を真っ白にさせて、泣き出す寸前まで追い詰める。
分かってる。
圭吾さんは、わたしに合わせるために自分を押さえている。
他の人から聞く圭吾さんは、気性の激しい怒りっぽい人。だけど、わたしに接する時の圭吾さんはいつも優しい。
圭吾さんの優しさに応えたい。わたしだって、ちゃんと愛してるんだって伝えたい。泣かずに圭吾さんのキスを受け止めたい。
でもね、
圭吾さんの中の眠れる龍が目覚めた時、本当にわたしの手に負えるんだろうか。頭からそのまま飲み込まれてしまいそうな気がするの。
ややしばらくして、圭吾さんと親父が戻ってきた。
圭吾さんは、彩名さんとお茶を飲んでいたわたしの横に立った。いつもなら手を伸ばして抱きつくところだけど、さすがに親父の目が気になる。
圭吾さんはわたしの顔を見て、『今日は随分と冷たいね』と言った。
親の目の前で、いつもみたいなことできないわよっ!
圭吾さんは手を伸ばして、わたしの髪を一房手に取った。
「志鶴はちょっと離れたら、こんなに冷めちゃうんだな」
真顔で当てこすり言うのはやめてよ~
髪の先まで神経が通っているみたい。長い髪だっていうのに、圭吾さんの手に弄ばれている感触が伝わってくる。
ああ、ドキドキする。
「後でね」
仕方なく、わたしは小声で言った。
「『後で』か……楽しみにしてるよ」
圭吾さんは微笑みながらささやくように言うと、わたしの髪から手を離した。
まずい。
一週間離れていた間に免疫なくなったかも。圭吾さんにちゃんとキスできるかなぁ。
親父が帰った後も、わたしは何となく気恥ずかしくて、圭吾さんと距離を置いていた。
圭吾さんは何も言わないけれど、ずっとわたしを目で追っているのが分かる。観察されてるみたい。
どうしよう――って、もう! 何ビビってるのよ。相手は圭吾さんなのよ。
落ち着いて、落ち着いて……
「ねぇ」
隣で夕食を食べていた圭吾さんがボソッと口を開いた。
なぁに?
「『後で』っていつ?」
うわぁん! 本当にまずい気がする。
「圭吾さん、お仕事ないの?」
「君が帰って来るのに? 今日は予定を空けておいたよ」
「お、お、お、お風呂入った後でいい?」
自分で言ってから舌を噛み切りたくなった。
お風呂に入っちゃったら、もしもの時に逃げる口実がないじゃないっ! っていうか、『もしもの時』って何考えてるの、わたし!
「お風呂ねぇ……長湯し過ぎて伸びるんじゃないよ」
狼狽しきってるわたしを楽しそうに眺めて、圭吾さんが言った。