もういくつ寝ると3
「志鶴――」
耳元で低い声が囁く。
圭吾さん?
わたしは両手を差し延べて、キスを受けた。長い指が喉から下に滑って、その後をキスが追う。優しい指と熱いキス。
待って もう少しゆっくり。これじゃ、わたし……
うううわぁぁぁぁぁっ!
わたしはガバッと起き上がって、キョロキョロと辺りを見回した。
実家のマンションの自分の部屋だ。
夢? 夢――そう、夢よ。
三日連続で圭吾さんの夢を見ている。それも、きわどい夢ばかり……
今……今、わたし何されてた? ああ、恥ずかしい。
時計を見ると、まだ朝の五時半。そろそろ圭吾さんが目を覚ます時間だなぁ。
今日は、圭吾さんに電話できない日だ。明日も。
羽竜家にいれば、少しでも会えたのになぁ。
わたしはベッドの上に仰向けに倒れた。
「圭吾さん」
小さくつぶやいた。
「大好き」
こんなに好きなのに、幼い恋心って言われちゃうのは何故? 大人の恋って何? キスより先に進めば、身体を重ねたなら、大人の恋?
ううん。
親父や圭吾さんが言うのは、そういうことじゃない気がする。圭吾さんにあって、わたしにないものって何だろう?
ベッドの上で何度も寝返りうちながら悩んでるのって、バカみたい。
わたしは起き上がって、パジャマのまま居間へ行った。
和室への仕切戸が開いていて、ママのお仏壇に向かって座っている親父が見えた。
「おはよう。早いのね」
わたしはそう言って、親父の横に膝を折って座った。
「お前こそ、もう起きたのか」
「大晦日だもの」
「掃除するところは、もうないぞ」
わたしはうなずいた。
「住んでいなかったから、きれいなものよね」
「そうだな」
写真の中から、笑顔のママがわたし達を見ている。
「ママとはどこで知り合ったの?」
「お前が今住んでいる町で。大型台風での災害の取材に行ったんだ。ママは大学の助手で、地元の歴史を研究していた」
「一目惚れ?」
「いいや。お嬢様然としていて、生意気な娘だと思った」
親父は懐かしそうに笑った。
「でも真っすぐで、気持ちの優しい人だった。笑顔が美しかった」
本当ね。
「お姉さんの嫁ぎ先だと言って、ママはよく羽竜家に出入りしていた。不思議な家だったよ。台風が直撃したというのに、あの町は被害がなかった。隣町でも、羽竜一族の地所だけは無傷だった。すぐ横で大きな土砂崩れがあったというのに」
「分かるわ」
だって龍神様の土地だもの。
「普通の家ではない」
「知ってる」
わたし達は、お互いに真っすぐ前だけを見て話した。
「いいのか?」
「構わない。羽竜の人達は、圭吾さんの家だけでなく、親戚の人達は、わたしを『お姫様』って呼ぶのよ」
「お前を?」
「そうよ。ジーンズとTシャツばっかの志鶴をよ。圭吾さんはとっても優しいのに、みんなは圭吾さんを怖いって言うの。圭吾さんの機嫌が悪い時は、わたしに執り成してほしいって言うの」
「志鶴」
「なぁに?」
「お前にずっと嘘をついていた」
意外な言葉にドキッとした。
「どんな嘘?」
「ママは自分の死期が近いと知った時、自分が死んだらお前を羽竜のお義姉さんに預けてくれと言っていた」
「そう」
「お前を手放すのが嫌で、今まで誰にも言ったことはない。父さんのわがままで、お前に寂しい思いをさせてきた」
ああ、だから……親父が時折見せたやましそうな顔は、そのせいだったんだ。
わたしは、足手まといなんかじゃなかった。愛されて、必要とされてここにいたんだ。
「親父、ありがとう」
わたしはママの写真に目を据えたまま言った。
「大好きだよ」
「ああ、父さんもだ」
照れ屋の似た者親子。
「ねえ、ママの飼っていた羽トカゲいたでしょ?」
「ああ」
「あの子はどうしたの?」
「死んでしまってね」
それは知ってる。
「ペット霊園で焼いてもらった。灰は……実は、ママのお墓にこっそり入れた」
ええっ? やるじゃん、親父。
じゃあ、ママは寂しくない。ハクも。
「わたしがお嫁に行ったら、親父が寂しくなるね」
「結婚していいとは言ったが、お前の気が変わるかもしれない」
変わらないわよ。
「婿とまではいかなくても、この近くに住んでくれるような相手はどうだ?」
意外としつこいわね。
「悪いけど、気持ちは変わらないわよ」
圭吾さんが許すはずがない。
「やっぱりママの娘だな……親の言うことなんて聞く訳がない」
親父はぼやくように言った。