待ち人別れを4
穏やかな冬の日々が続いた。
十二月の中旬になると、裏庭の龍たちは――美月の話によると――岩場の洞窟で冬眠に入ったらしく、姿を見かけなくなった。
圭吾さんは、最近、ものすごく忙しい。
神社で冬至の儀式があるとかで、その準備らしい。
遅くまで外出してばかり。今日も外で食事を済ませると連絡があった。
わたしは、夜、一人で圭吾さんの広い部屋にいるのが嫌で、二階の自分の部屋にいることにした。
そろそろ家に帰る支度もしておかなきゃ。
今、やっちゃおうかな。圭吾さんの目の前でやったら、嫌がりそうだから。
わたしは、クローゼットから旅行かばんを取り出した。
えーと、七泊でしょ……家に残して来た衣類もあるから、三日分くらい詰めればいいか。どうせ洗濯もするし。
クローゼットから下着とソックスを出して、ジーンズと一緒にかばんに入れる。
ここに来てから買ってもらったオシャレな服を一着――シワにならなそうなやつね。
冬休みの課題は、お隣りのなっちゃんに教えてもらおうかな。
そういえば、親父はお節料理をどうするつもりだろ? ま、いいか。最悪、コンビニがあるもの。
「志鶴? 入るよ」
圭吾さんの声とノックの音がして、わたしは飛び上がった。
「ちょっと待って!」
急いでクローゼットのドアを閉めて、旅行かばんをベッドの下に蹴り込む。
息を整えてドアを開けると、圭吾さんが立っていた。
「お帰りなさい」
わたしは入口に立ったまま言った。
「ただいま。こっちにいたんだね」
「うん、一人だと部屋が広くて寂しいから」
圭吾さんはネクタイをちょっと緩めて、伺うようにわたしの顔を見た。
「中に入れてくれないの?」
う……入れないのも変だよね。
「どうぞ」
わたしは数歩下がって圭吾さんを通した。
圭吾さんが部屋に入って後ろ手にドアを閉める。
「で、隠し事は何?」
あちゃー
「えーと……隠し事ってほどでは……」
「志鶴?」
何よ、そんなに怒んなくてもいいでしょ。
「家に帰る荷物を詰めてたの」
圭吾さんの顔色がサッと変わった。
もう! だから嫌なのよ
「まだ一週間以上あるよ」
「分かってる。暇だからやってただけ」
圭吾さんはちょっと考え込んでから、わたしに手を差し出した。
「じゃあ、おいで。忙しくさせてあげるから」
差し出された手を取ると、そのまま抱き寄せられた。
「ここでいい? それとも上に行く?」
「何が?」
「君と愛し合いたい」
ちょっとタンマっ!
「け、け、け、圭吾さん? 無茶言わないで!」
「ダメ?」
ダメに決まってるでしょ!
「じゃあ、せめて言葉で言って。君は誰のもの?」
「え?……わたしは圭吾さんのもの」
「必ず帰って来るって言って」
「必ず帰ってくるわ」
圭吾さんは、手の平でわたしの口を軽く塞ぐと、何かささやいた。
「上へ行こう」
圭吾さんがニッコリと微笑む
へっ?
「心配しなくてもいい。お許しも出ないみたいだし、話しをするだけでいいよ」
待って。今、何か騙された気がする。
「圭吾さん、今のは何?」
「ちょっとしたおまじないだよ。君がちゃんと帰って来るようにね」
圭吾さんは楽しそうに答えた。
やられた。圭吾さんのやる事が『ちょっとしたおまじない』な訳ないでしょ!
「いいじゃないか」
圭吾さんはわたしを部屋の外に連れ出しながら言った。
「志鶴には何の害もない。僕は安心できる。それだけだよ」
わたし、丸め込みまれてる――絶対。
釈然としない気持ちを抱きながら寝たせいだろうか、夜中にふっと目が覚めて眠れなくなった。
「お水、飲んで来ようかな」
眠りの浅い圭吾さんが珍しく目を覚まさない。わたしは暗闇の中、ぐっすり眠っている横顔を見つめた。
「大好き」
そっとささやいて、わたしはベッドから離れた。
寝室のドアを開けながら、わたしは不意に奇妙な感覚にとらわれた。
何だろう? 何かいつもと違う気がする。
そして――
もしもサンタクロースと会えたらって、確かに子供の頃にはそう思った。
でも実際、自分の家のクリスマスツリーの側に、赤い服を着た見知らぬ外国人のおじいさんがいたら……驚くなんてものじゃない。
悲鳴を飲み込んだわたしを見て、サンタクロース(たぶん)は首をひねった。
「この格好で合っていると思ったのだが」
合っているって、何?
「クリスマスとやらには少し早いが、婚約祝いの贈り物を持って来たぞ」
へっ?
「姫や、我が一族へようこそ。死せし者を返す事は出来ぬが、八年分のそなたの願いに応えよう」
サンタクロースが手を振ると、光が散らばって女の人の姿になった。
彩名さん? ううん。あれは……あれは……
「ママ!」
わたしは差し出されたママの腕に飛び込んだ。
――志鶴、寂しかったでしょう? ゴメンね
ママだ。ママの声、ママの匂いだ。
「いいの。もう寂しくないから」
ああ……きっと夢は一瞬で消える。言おう。今ならきっと言える。
「ママ、大好きよ。わたしを産んでくれてありがとう」
わたしはママの顔を見つめた。
「さようなら」
――さようなら、志鶴。幸せにね
ママがわたしの髪を撫で、頬に触れて――サンタクロースと一緒に光に包まれて消えていった。
「ありがとう、サンタさん」
それとも龍神様と呼ぶべきかな。
涙を拭いて振り向くと、入口のところに圭吾さんがいた。
「今の見た?」
「見たよ」
側まで行くと、圭吾さんはわたしを抱きしめた。
「春になったらペットを飼ってもいい?」
「もちろん。ウサギでも犬でも猫でも、その全部でも」
ママ、わたしこの人と幸せになるね。
春の裏庭は、きっと賑やかになるだろう。
― 第四話 終 ―




