夜明けの嵐は突然に 1
親父、ホントにここにわたしを置いて行く気?
目の前にそびえ立つ純和風な門構えに、はっきり言ってわたしはビビってる。
死んだママのお姉さんちって聞いていたのに――いたのにですよ
目の前のこれはどう見ても、時代劇の大名屋敷。
インターホンとかある?
キョロキョロとあたりを見回すわたしを尻目に、親父はさっさと敷地に入って行く。
そりゃあ門は開いているけどさ、門番が出て来て取り押さえられるんじゃないの?
「志鶴、早くしなさい」
親父が振り向いて言った。
うん 門番も忍者もいなさそう
手にしたかばんを抱え直して、わたしは門から足を踏み入れた。
親父とママは周囲の反対を押しきっての駆け落ち婚。だからママの親戚って誰にも会ったことがない。もっとも親父の方も、介護付きの老人ホームに入居してるおばあちゃんがいるだけだ。
今まで親父とわたしと二人きり、肩寄せ合って仲良く暮らしてきた――つもりだったのに。
二ヵ月ほど前の日曜の事だった。
「実は、海外赴任することになったから」
親父が、いきなりの爆弾発言!
朝ご飯中にだよ。
トーストが、喉に詰まりそうになった。
「期間は三年間だ」
「三年も? じゃあ わたしも一緒に行くの?」
「紛争地域だからお前は行けないよ」
親父の仕事は報道記者。
今までも数日間家を空ける事は何度もあったんだけど……
「お前のことはママのお姉さんに頼もうと思ってる」
えぇ――っ! 誰それ?
ミサイル発言命中!
いやいや……傷はまだ浅い
「そ、その伯母さんちってどこ?」
親父が口にしたのは、全く知らない町の名前。
「『町』? 『市』じゃなくて『町』?」
親父は頷いた。
「こぢんまりとしているが、過疎というわけでもない。海沿いの、景色の綺麗な所だぞ」
いや、景色なんてどうでもいいって
「学校はどうするの?」
「転校する事になるな」
ああ、もうダメ
完全に爆死
わたし、人見知りなのに
「中学生じゃないんだから、『はい、転校』ってわけにもいかないでしょ?」
「学校は近くに私立高校があるんだ。編入試験もこっちの学校で受けられるらしい」
げっ! そんなところまで話を詰めてるの?
「そんな面倒臭いコトしなくても、この家で一人暮らしでいいよ」
ダメ元で言ってみる。
「今までのようにはいかない。父さんが行くのは、お前に何かがあっても、帰って来るのに一週間はかかるような場所だ」
「何かって――せいぜい盲腸になるくらいでしょ」
わたしは、ブツブツとつぶやいた。
「お前は人見知りだからな……」
親父は諦めたように言った。
「仕方がないか」
「ちょっと待ってよ! 誰も行かないとは言ってないでしょ?」
わたしは慌てて言った。
親父に仕事を断ってもらいたい訳じゃない。
「少し――うん、いきなりだったから少し驚いただけ」
わたしは、オレンジジュースを飲み干した。
もしかしたら、今まで親父は何度も仕事を断って来たのかもしれない。
わたしのために
海外勤務なんて、親父にとっては、年齢的にいっても最後のチャンスだろう。
「いつ行くの?」
「三月末だ」
あと二ヵ月?!
もっと早くに言ってくれれば……
ううん、そうじゃない
伯母さんと話す前に、わたしに相談してくれてもよかったのに。
この二ヵ月間
いつかは社会人になって、知らない人の間に入って行くんだから、このくらい平気――って自分に言い聞かせてきた。
でも、今すごく後悔してる。
わたし、こんな格式高そうなお屋敷になじめるの?
逃げ出したい
逃げ出したい
親父は迷うふうでもなく歩いて行く。
そうか、親父はここに来たことがあるんだ。本当にここの家ってわたしの親戚なんだな。
あれ? 玄関の引き戸が全開で開いてる??
「ごめんください。三田です」
親父が声をかけると、
「お待ちしておりました三田様」
と、即座に答える声がする。
恐る恐る親父の後ろからのぞき込むと、和服姿のお婆さんが三つ指ついてお出迎え
――って やっぱ無理!
絶対無理ぃ
本気で逃げ出しかけた時、誰かが後ろから腕を組んできた。
「うげっ!」
思わず踏み潰されたカエルのような声をあげちゃった。
やばっ! お婆さんが渋い顔でこっちを見てる。
「あら、ごめんなさい。驚かせちゃったわね」
腕を組んできた人が言う。
わたしより少し年上だろうか、優しい笑顔のお姉さんだ。
「志鶴ちゃんね? 従姉の羽竜彩名よ。よろしくね」
「あ……はぁ、よろしくお願いします」
ああ、我ながら間の抜けた挨拶
「女の子は可愛いわね」
彩名さんはニッコリと笑って言った。
ふんわりといい匂い。
やっぱ、香水とかつけてるのかなぁ
「彩名お嬢様」
お婆さんがますます顔をしかめて言う。
「三田様へのご挨拶が先かと」
「まあそうね。ごきげんよう、志郎おじ様。お久しぶりですわね」
「この度はお世話になります」
「母もわたしも志鶴ちゃんがいらっしゃるのを楽しみにしておりましたのよ。妹ができたようで嬉しいわ」
わたしも、こんなお姉さんがいたら嬉しい事は嬉しいけど――
わたしは落ち着きなく周りを見回した。
ここはお城の庭園か、ってくらい手入れの行き届いた純和風の庭が広がっている。
やっぱ 家に帰りたい~
「さ、どうぞお上がりになって。母もお待ちかねですわ」
こうして、わたしは逃げ出す事もできず、彩名さんにしっかりと腕をつかまれ、半ば押し込まれるように羽竜家の敷居をまたいだのだった。