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八章

人生は、ままならん。

 齢十六の尻の青いガキが、偉そうにこんな事をのたまうのも何だが、オレは今回の事で、つくづく、そう思った。

 人生は、ままならん。

「ちょっと、おにーちゃん! 何よこれ!」

キッチンにて大根をおろすオレの背中に、カウンター向こうから綾菜の怒鳴り声が飛んだ。

「何でおかずが魚なの!? ステーキは!? 今夜はステーキだって言ってたじゃない!」

「仕方ないだろ? スーパーに駆けつけた時にはとっくに売り切れてたんだよ」

本当は、屋上にて霧島と話し込んでいたために夕方の爆安タイムセールに遅れ、先着一〇〇名様限定、三パック一〇〇〇円のステーキ肉をゲットし損ねてしまったのであるが、んな事ぁ死んでも口にしない。喋ったところで、今さら時間が巻き戻るワケでもなし。

「何で手に入れらんなかったのよ! ってか、間に合わないんなら授業サボってでも買いに行きなさいよ! 最優先事項でしょ!?」

「じゃあ、オレが学問をおろそかにして成績が下がってバカになって、大学に行けなくて高校卒業後はそのままダメなニートになってもいいって言うのかよ? え?」

「どうせ今だってバカじゃない。授業に出ようが出まいが変わらないわよ」

「いちいち、ムカつく事を……」

オレは思う。

どうして、人の神経を逆撫でするしか能のない、こんな奴が女として生まれ、あんなに清楚で可憐で、優しさと思いやりに満ちた霧島のような人間が、男として生まれやがったのか。

 つくづく、人生はままならん。

「あら、良かったじゃないアヤちゃん」

 言いながらキッチンへ入って来たのは、またもやシャワーから上がったばかりの姉貴(全裸)だった。どうやらいつものごとく、冷凍庫に大好きなアイスを取りに来たものらしい。

 もちろん、いつものようにオレは、そんな姉貴から慌てて目を逸らす。

「え? 何でよ、お姉ちゃん」

「知ってるー? お魚さんにはねぇ、DHAっていう、食べるとおっぱいが大きくなる成分が含まれてるのよー」

「いや姉貴、違うから。DHAは、頭が良くなる成分だから」

「えっ、それ本当!? お姉ちゃん!」

「聞けぇ! っていうか綾菜も信じるな!」

「お兄ちゃんうるさいっ! そんなに綾菜の胸が大きくなるのがイヤなの? 大きくなって、今以上にモテモテになるのがイヤなの!?」

「ああイヤだね。ただでさえ頭の栄養が足りてねーのに、この上、胸にまで栄養を取られちゃかなわねーよ」

 すると、いよいよ綾菜は、むうう、と不機嫌そうに頬を膨らませた。

「いいもん! お魚いっぱい食べてFカップになっても、お兄ちゃんには指一本触らせてあげないんだから!」

 ぷい、と踵を返すや綾菜は、ぷりぷりと噴煙を上げつつリビングの方へと戻っていった。

「ったく、バカはどっちだよ」

ようやっとキッチンに静寂を取り戻したオレは、再び夕飯の準備にとりかかった。

ボウルにサラダを盛り、焼き魚の隣に、おろしたばかりの大根おろしを添え―――

「シュウくーん。おなかすいたー」

ぎゅむぎゅむっ。

そこへ突如、背後からとんでもない奇襲がかかった。

ゴムボールよりも弾力があり、水風船よりも確かな手ごたえのある双丘が、がら空きだったオレの背中に、惜しげもなく押し付けられる。

「姉貴……当たってる」

 が、姉貴は一向に離れる様子を見せない。どころか、オレの腰に手を回し、なおもぎゅっと密着度を増してくる。

「あー。シュウくん、心臓がすっごい速さでバクバク言ってるー」

「す、するに決まってるだろ!? そんなもん押し付けられたら、そりゃ、」

「今度は向き合ったままぎゅっとしてあげようかー?」

 は? 向き合う?

 それってつまり、姉貴の胸をこの目で直接見下ろしながら……ぎゅっと……?

「いっ、いらねーよ、そんなサービスっっ! つか、毎度毎度思うけどよ、そーやって実の弟からかって、何が楽しいんだよ姉貴っ!」

「弟だから楽しいのよー」

「は?」

「実の弟とこーゆー事するの、なんかイケナイ事してるみたいでワクワクするでしょー?」

 囁きつつ姉貴は、回した手の片方をオレの胸になぞらせた。

そして、もう片方の手を、するりと腰の方へ―――

「しっ、しねぇええよっっ! オレはあくまでノーマルだ! 正等派でオーソドックスで正しい恋愛がしたいんだよ! つか、勝手に弟をアブノーマルな道に引きずり込むな!」

「えー。つまんないのー」

 ぶうたれつつも、ようやく姉貴はオレの背中をリリースしてくれた。

 あっぶねぇえええ。もう少しで、開いちゃならねぇ扉を開く所だったぜ……。

姉貴は、まるで何事もなかったかのようにキッチンを出て行くと、ソファに身を投げ出し、いつものようにミルク味のアイス棒をうまそうに舐り始めた。

 オレは思う。

 どうして、男子中学生並みのエロチズムと倒錯した変態趣味しか持たない姉貴のような奴が、女として生まれ、開きたての花びらのような慎ましさと恥じらいを帯びた霧島のような人間が、男として生まれやがったのか。

 まったく、人生はままならん。

「修司」

「は?」

 鋭い呼びかけに振り返ると、キッチンの入口に、チョビヒゲを剃り落としたヒトラーならぬ仕事帰りの母さんが、眉間に深い溝を刻み、腕組みをしたまま仁王立ちを決め込んでいた。

「あ、母さん、おかえ、」

「何でステーキじゃないの。今夜はステーキだって言ってたでしょ?」

「え」

 あれ? このやりとり、ついさっきもどこかで。

 なおも母さんは、切れ長の目をさらに三角に釣り上げながら、腹立たしげに呻いた。

「せっかく今夜は肉だと思って、朝から楽しみにしてたのに」

「で、でも今日は、ステーキ肉が売り切れてて、それで……」

「売り切れてた? 隣町にだってスーパーはあるでしょ?」

「でも、隣町の方は遠くて、学校帰りに寄るには、」

「あんた」

 やおら母さんは、気持ち悪いほど柔和な微笑みを浮かべて見せた。

「誰のおかげで、学費のクソ高い私立高校に通えてると思ってんの?」

「すみません」

穏やかな口ぶりの裏に冷徹な殺意を覚えたオレは、矢も盾もたまらず財布を掴むと、エプロン姿もそのままに、逃げるようにキッチンを飛び出していった。

 ほんとに、人生はままならん。


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