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七章

放課後。

オレは虚脱の体で鉄柵に背中を預け、ぼんやりと空を眺めていた。

屋上の上に広がる初夏の空は、どこまでも澄み渡っている。にも関わらずオレの心は、一面が鉛色の冬空に覆われていた。

いっそ、このまま幽体離脱して成層圏あたりまで飛んで行ってやりたい気分だ。

ただでさえ霧島に対するストーキングで悪名を轟かせていたオレは、ここへ来て、いよいよ霧島に毒牙を伸ばした変態かつ暴行魔として、その名をクラスどころか全学年へ知らしめる羽目になった。ついには“コミヤマウイルス”なる新種のウイルスまでもが登場。致死性はないが、感染すると変態と化してしまうのだという。

そんな新型ウイルスの感染源たるオレの傍には、今にも泣き出しそうな表情でうなだれる霧島が立っている。

「今日は本当に、すみませんでした」

 上擦った声で、霧島は呟いた。

「私のせいで、先生に怒られて……おまけにクラスの皆さんにも……」

「いいよ、慣れてるから、そういうの」

 この時、オレが完全なる自暴自棄の境地に陥っていたのにはいくつか理由がある。生活指導の川原による懇切丁寧な人格否定のせいであったり、中島の放った「もうお前には付き合いきれねぇ!」の一言に、思いがけずショックを受ける自分にがく然としたせいだったり、もちろん、コミヤマウイルスの宿主に指定されたせいでもあったり。

 だが、いずれのダメージも、後に挙げる一点に比べれば、所詮は蚊に刺された程度のかすり傷に過ぎなかった。

 そう。オレを瀕死の重傷に追いやったのは他でもない―――

霧島である。

やっぱ……男だったんだな。こいつ。

 つまり、オレはこの数週間というもの、ずっと男のケツばかりを飽きもせずに追いかけていたという事になるのだ。誰よりも健全かつノーマルな恋愛を渇望していたはずの、このオレが……。

「情けねぇ……」

「え?」

「いや、何でもない」 

確かに、男に惚れたオレはどうかしていた。

だが、一つだけ言い訳をさせてもらうと、コイツにも悲劇の一因はあったのだ。その一因というのは他でもない、こいつが可愛いという事だった。

 それも、恐ろしく圧倒的なまでに。

「せめて、理由ぐらい教えてくれよ」 

「え? 理由、ですか?」

「何で、そんな格好してんの?」

「それは……」

 すると霧島は、ただでさえ頑なに強張らせていた頬を、ことさらに硬直させた。

「すみません……お答えできません」

「え?」

問い返すオレに、今一度、かすれるような声で霧島は繰り返した。

「すみません、それだけは誰にも教えてはいけない約束なんです」

「約束?」

 誰の、どんな内容の―――と返しかけたオレは、すかさず口を閉ざした。

 今や霧島は、瞬き一つでこぼれてしまうかと思われる程の涙を、その大きな双眸にたっぷりと溜め込んでいた。

そんな反則極まりない瞳で、じっとオレを見上げるものだから―――

これ以上、追及を続けろって方がムリってもんだ。

「わ……分かったよ。もういい」

確かに、オレの物言いも随分と配慮に欠けていた。

 女装癖なんてアブノーマルな趣味について語るのは、聞く方にとっちゃ何でもない話かもしらない。だが、話す本人にしてみれば、トラウマをえぐられるような辛い話だったりする可能性もなくはない訳で……っていうか、男の涙ごときで何をこんなに動揺してんだオレは! 

ああもうムシャクシャするっ! つかテメーも、何でそんなにメソメソしてやがんだよ! お前は女かっ! いや、本当に女だと嬉しいけど!?

「な、泣くなよ……ほれ」

 仕方なくオレは、ポケットからハンカチを取り出し、奴の前に突き出した。

「え、でも」と、期待通りの奥ゆかしい戸惑いを見せる霧島。しかし、男と知った以上は萌える訳にはゆかぬ。そう、萌えてはならないのだ。

しばしの間、臆病な小動物のようにしきりにオレとハンカチを見比べていた霧島は、ややあって、ようやく控え目な手つきでハンカチを受け取った。

「すみません……洗ってお返ししますので」

「いや、いい。使い終えたら、返して」

「でも」

「いいから、気にすんな」

「は……はい」

頷くや、霧島は四つ折りのハンカチをさらに二つに折り、超音速旅客機のような形にしつらえると、機首をそっと目尻に当て、吸い取るように涙を拭い始めた。

その気品溢れるしぐさは、やはりいくら目を凝らしてみても、しつけの行き届いた深窓の令嬢のそれにしか見えない。

「これ」

 不意に霧島は、ハンカチを鼻先にかざしながら、ぽつりと切り出した。

「すごく、好きです。この匂い」

「え……」

 その瞬間、オレは心臓が爆発する心地を覚えた。

やめてくれ霧島。せっかく治まりかけたオレのナニかを、またしても狂わさないでくれ。

「どんな洗剤を使ってるんですか?」

「ふ……普通の洗剤。普通の、安物の、量産品の、たしかシトラスの……」

「小宮山くんの匂いだったんだ……これ」

「へ?」

「廊下を歩いていると、時々この香りが漂って来て……何の匂いだろう、って不思議に思っていたんです。……そうだったんだ。これ、小宮山くんの……」

 ぎく。

 今度は、心臓が爆縮してブラックホールにでもなってしまうかと思われた。

 まさか、こいつ、オレの尾行を……?

「そういえば私、小宮山くんとお話しする機会があれば、是非お礼を申し上げたいと思っていたんです」

「お礼?」

「ええ。いつも見守ってくれて、ありがとう……って」

「は? ……見守る?」

「はい。いつも物陰から私を見守ってくれたり、会話を録音して、ちゃんと私がクラスに馴染めているか確かめてくれたり、お弁当のおかずをチェックして、栄養バランスを気遣ってくれたり……」

 やっぱりバレてやがった―――いや、その前に、本気で言っているのかこの子は!?

 だが、霧島の眼差しはあくまでも真摯そのものだった。冗談を口にしているような浮わっついた双眸には、とてもじゃないが見えない。

「きっと私の事を心配して下さっているんだと……それで、ずっと申し訳なく思っていたんです。私の性格や体調のせいで、小宮山くんに余計な心配をかけてしまって」

「いや、アレはその……」

「ごめんなさい。私、もっと強くなりますから。もう二度と、小宮山くんに心配をかけないように頑張りますから」

「……そう」

―――ああ、死にたい。

 霧島の真剣な眼差しに射抜かれるや、オレは思った。

靴も脱がず遺書も書き残さず、ただ一言、生きててごめんなさいと君に謝り、この屋上から潔く身を投げたい。できればパンクバンドのボーカルが客席にダイブする時みたく、大きく両手を広げたまま飛び降りてやりたい。

「どうしました?」

「え?」

 気付くと霧島が、形の良い眉をハの字にしてオレの顔を覗き込んでいた。

「すごくぼんやりして……ひょっとして、体調が悪い、とか?」 

 その慈母のような眼差しに、オレは心の底から救われた心地がした。これほど慈愛に満ちた眼差しを持つ人間が、よもや、この殺伐とした現代に生存していようとは。

 けど、こいつ……慈母どころか、女ですらないんだよな。

「あのさ、もう一度訊いていいか?」

「はい」

「お前、本っっ当に、男なのか?」

「はい、男ですけど……何か」

「いや……何でもない」

 それきり、オレは言葉を閉ざした。



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