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五章

霧島葵がオレのクラスへ転校してより、早くも半月が過ぎた。

すでに暦は、間もなく六月を迎えようとしている。にも関わらずオレは、未だに霧島葵の正体へと繋がる確かな情報を得る事が出来ずにいた。

だが、その点を理由に、オレがこの半月の間、霧島葵の正体を掴むための努力を何も行わずにいた―――と思われるのは、オレとしては甚だ心外である。

この半月というもの、オレは奴の正体を暴くべく、考えうる限りの手段を試みた。

霧島が教室を出るたびに、その動向を尾行するのはまぁデフォルトとして、その目的が購買部での昼食の購入であれば、買った品目から買い物に要した時間に至るまで逐一チェックする。

 全校集会や理科の実験等で教室を移動する際は、共に歩く女子のメンツや会話の内容も漏らさず調査する。そこで登場するのが、先日ネットで密かに購入した超高性能集音マイクである。これ一台さえあれば、移動教室の際の会話のみならず、ランチ時の会話も傍受する事が出来るという、大変なすぐれものだ。

ちなみに、購入に要した費用、約四万九八〇〇円は、いずれもオレのへそくりから捻出した。これぞ、家計のやりくりを一手に預かる者の役得と言えよう。

 また、体育の授業前には、彼女がどこで体操服に着替えるのかも無論、チェックする。ところが、ひどい貧血持ちの霧島は、体調上の都合を理由に、これまで一度も体育に参加した事がない。したがって更衣室を使う機会もなく、この点からの捜査は現在、完全に暗礁に乗り上げるかたちとなっている。

 ところで。

移動は、集会や授業、ランチのみによって行われるのでは決してない。

 生物である以上、食ったからには出さねばならん。

 そう、トイレである。

言うまでもなくオレは、トイレへの尾行も欠かさない。

 使用したトイレが男子用か女子用かをチェックする事はもちろん、それらトイレに要した時間も、ストップウォッチで丁寧に計測する。実は、この調査にストップウォッチを使用するという点が、我ながら慧眼を自認するところでもある。 

 今のご時勢、アホの男子中学生でも、女性に毎月一週間ほど訪れる「つきのもの」の存在ぐらいは、保健体育の授業等ですでに聞きかじっているものと思われる。知らないというアホは、今夜にでもお宅のママに尋ねるがよろしい。

で、その「つきのもの」であるが、オレは家族があーゆー感じの連中なので当然よく知っているのだが、「つきのもの」が来ている間、女のトイレは概して長くなる。

 つまり、霧島がいくら女子トイレを使って他人の目をごまかそうと、それに要した時間さえ継続して計測すれば、いずれ真実は、おのずとオレの目の前に露わになるのである。トイレの時間に定期的な変動が見られれば、すなわち霧島が女である事を示し、逆に変化がなければ、奴は男という事になる。

 しかしながら、この捜査線にも未だに目立った収穫は見られない。周期が合っていないのか、あるいは奴が男であるためなのか、それは未だにはっきりとしない。

 その他、この半月の間に分かった事と言えば、例えば霧島が、実は柔道部顧問の霧島大二郎先生の娘(ご子息?)である事、霧島先生と霧島は、本当に親子かどうかも疑わしい程に姿形が掛け離れている事、親子といえども登校や帰宅は別々である事などが挙げられるが、これらの情報は、今ではクラス中の常識と化しているので、ここで敢えてオレが細かく記述する必要もあるまい。


 まんじりとしない膠着状態が続く、ある日の昼休みの事だ。

「おい修司、お前最近おかしくね?」

 オレの傍らで、特盛り牛カルビタンハラミロースハツ弁当なる茶色い弁当を腹に掻き込んでいた中島が、ふと、責めるような口調でこう切り出した。

「おかしい? どこが?」

一方のオレは、弁当を片手に屋上の手すりから双眼鏡のレンズを突き出し、階下に望む中庭のベンチにチキチキとレンズの照準を合わせる。二つの丸に切り取られた視界の向こうに見えるのは、言うまでもない。霧島葵だ。

 この二週間というもの、霧島は一度たりとも誰かとランチを共にした事はない。一応、誘われてはいるらしいのだ。だが霧島は、一度としてそれらの誘いを受けた事はない。よっぽど引っ込み思案な性格なのか、あるいはオレと同様、ひどい人間嫌いなのか、その理由ははっきりとしない。ともあれ実際のところ霧島は、毎日のように一人で弁当を食っている。 

 この日も霧島は、例に違わず一人で中庭のベンチに腰を下ろしていた。そんな奴の膝には、今日もにぎりこぶし大のピンクのおべんとうが慎ましく鎮座している。思春期の運動部男子であれば一口で片付けてしまうであろうそいつを、霧島はまぁ、ちまちまちまちまとついばむ。

まるで生まれたばかりのヒヨコが、ちっこい粟粒をついばむように、ちまちまちまちま。

 その弁当の中には、卵焼きやらソーセージやら、茹でたブロッコリーやらが彩りよく、バランスよく詰められている。彩りといい栄養バランスといい、一見するとそれは確かに、女子の手による弁当にも見えなくはない。だが、この程度の理由で奴が女であると判断するのはまだ早い。なぜなら、あの程度の可愛らしい弁当など、男の手でも充分作ることは可能だからである。他でもない、オレ自身がその実例だったりするのだが。

 ちなみにオレは毎朝毎朝、自分を含めた家族四人の弁当を欠かさずこさえている。

だが、これをただの弁当作りと思うなかれ。何せ、作る相手はあの魑魅魍魎共である。

「友達にも見せるんだから、カワイイのを作って」だの、「健康とアンチエイジングのために、おかずは最低五品目は入れてちょうだい」だの、「りんごはうさぎさんカット以外は認めない」だの、挙句は、「みんなに自慢したいからキャラ弁を作ってー」だのと、その要求は多岐に渡る。

そんな要求に、逐一応える弁当マイスターのオレに言わせれば、霧島の弁当など、まだまだ初心者もいいところである。っていうか何ならオレが、弁当作りの何たるかを手取り足取りマンツーマンで懇切丁寧に教えてやってもいいんだがなぁ。

「いや、どこがっつーか、全体的におかしーだろ! てゆーかお前、少しは今の自分の姿を省みてみろよ! 完全に変態だぜ!?」

「仕方がないだろ。これも事実究明のためだ」

「事実究明? 何の事実究明だよ!? つかお前、ただでさえクラス中の女子にウザがられんのに、これ以上ウザがられてどーすんだよ! マジで彼女作るどころの話じゃなくなるぜ?」

「知るか。オレにしてみれば、あんな連中はそもそも女じゃない。ただのアバズレ、取るに足らないメスブタだ」

「いや、お前はそれでいいかもしれねーけど、少しは俺の身にもなってくれよ! こうしてお前とツルんでるってだけで、俺まで変態扱いされてんだぞ!? 少しは自重しろ!」

「やかましいっ! そもそもオレがいつ、オレとつるんで下さいとお前に頼んだ!? 勝手に絡んで来るくせに、偉そうな事をぬかしてんじゃねぇっ!」

「んだとぉ!? お前がいつも一人で寂しそうに教室の隅っこで佇んでやがるから、同情心でつるんでやってんじゃねぇか! 感謝はされても、文句を言われる筋合いは微塵もねぇよ!」

「同情心? いや違うね! お前はただ、オレをはけ口に自分の劣等感を解消したいだけなんだ! クラスでは誰も自分を相手にしてくれない、だから、よりクラスで嫌われてるオレを見下す事で、溜まった劣等感を解消したいだけなんだよ! オレとつるむ目的なんてどうせそんなもんだろ! 違うか!? え!?」

「そ……そうだよ! ていうかいつの間に、話が俺の人格否定にすり替わった!?」

「さぁな。とにかく話を元に戻すが、いちいちオレのやる事に口を出すな」

「わ……わかったよ」

そうして完膚なきまでにオレに叩きのめされた中島は、いよいよ本格的に特盛り牛カルビタンハラミロースハツ弁当をがっつき始めた。

 中島との会話は、いつもこんな調子で終わる。互いに手痛いクロスカウンターを打ち合ったところで、どちらともなく言葉を失い、黙り込む。だが不思議な事にコイツは、こんな調子で物別れに終わった後も、しばらくすると再び性懲りもなくオレにつるんで来る。ひょっとしたらオレは案外、こいつに懐かれているのかもしれない。気色の悪い話である。

適当に中島をいなしたオレは、再び霧島葵の観察に取りかかった。

ところで、ここいらで一つ、霧島について分かった事を話しておこうと思う。

オレの観察によると、現時点において霧島葵は、オレ以外の生徒には誰一人として自分の正体を明かしていない。また先生達も、霧島が普通の女子生徒として普通の学園生活を過ごしている事を、誰一人として咎めようとしない。

これは一体、どういう事だ?

 例えばオレが明日、突然女子の制服を着て教室へ登校したとしよう。ギャーだのキモイだのという女子の反応はさておき、とりあえず先生達はオレをスクールカウンセラーの元に連行し、何とか症候群だの何とか障害だのとレッテルを貼った上で、ねんごろなカウンセリングを施すに違いない。

なぜなら、そう、オレは男だからだ。

男は男の制服を着なければならない。それが規則、世間のルールというものだ。にも関わらず先生達は、さも霧島が本物の女であるかのように奴のスカート姿を放置している。生活指導の先生はもちろん、服装にうるさい体育の教官までも。

先生達がそんな調子だから、当然、霧島の正体に気付く生徒なんぞいる訳がない。

 いや待てよ……ひょっとして。

 そもそも霧島は、本当は女で、あの書類の内容こそ間違っていた、とか?

 あの時、自分を男だと言ったのは、単にオレに対する照れの表れだった……とか?

 という事は、だ。

 オレは別に、落胆しなくても良かったという事じゃないか?

 相手は普通の女の子で、しかも、一から百までオレ好みの女の子なら、遠慮なく、心おきなく、霧島にホレても良かったって事じゃないか?

 どきっ……。

 思いがけず、あの日感じた甘酸っぱい感情が、心の底に蘇る。

 もし……。

もし、だ。アレがマジでオレに対するテレだったとして、って事は、向こうもオレの事を、まんざらには思っていないハズで。

だとすれば、行ってみれば案外イケるかもしれないワケで。

付き合えたりするかもしれないワケで。デートなんかも出来るかもしれないワケで。

あわよくば手を繋いだり、キスしたり、その上、あんな事いいな出来たらいいな、的な事も、出来るかもしれないワケで。

期待と怯えを浮かべた瞳でオレを見上げる霧島の姿が、不意にオレの脳裏をかすめる。リボンを外し、大きくはだけたブラウスからは白い胸元を覗かせている。花火のようにシーツに散るのは奴の艶やかな黒髪。そして、まくれたスカートから覗く白い太ももからは、えもいわれず良い香りが漂い……。

そして奴は、上擦った声でオレにこう言う。

初めてだから……優しくしてね……修司クン―――

「―――修司、おいっ、修司!」

「はいっ! 優しくさせて頂きますっ! ……って、あれ?」

 気が付くと、中島が宇宙人を見るような眼差しでオレを見つめている。どうやら奴の掛け声が、オレの意識を現世へと引き戻したものらしい。

チッ、もう少しで、脳ミソだけでも大人の階段を登る事が出来たと言うのに。

「今度は何だよ」

「いやお前、さっきからすげぇ鼻血出てンだけど」

「え?」

 中島に促され、目を落とすと、いつしかオレの弁当は完全に血の海と化していた。

 図らずも、いつぞやのケチャップ騒乱が頭を掠める。だが、今こうして弁当を赤く彩っているのは、残念ながらケチャップでも何でもなく、正真正銘オレの鼻血である。

「うああっ、何だコレッ! 血ぃ!?」

「いいから保健室行って来いよ! バカ!」

「うるさいっ! バカのくせにバカって呼ぶな、バカ!」

 かくしてオレは、昼飯もそこそこに、早々に保健室へと駆け出した。

 ちくしょう、どれもこれも、元はといえば全てアイツのせいだ!

かくなる上は絶対に正体を暴いてやるっ! 覚悟しろ霧島葵いっっ!


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