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三章

小宮山家の家事は、そのほとんどをオレが担っていると言っても過言ではない。

 掃除も、洗濯も、料理も、買い物も、家計の管理も―――そう、家事に関する事柄であれば、ほぼ全てを、である。

「おにーちゃーん、おなかすいたぁ。晩御飯まだぁ?」

 四人分のチキンライスをフライパンでせっせと炒めるオレに、リビングからカウンター越しに声をかけてきたのは、今や制服を脱ぎ捨て、キャミソールにホットパンツ一枚という何とも解放的な姿を晒す綾菜だった。

「早く食いたきゃ、少しは手伝えよ」

「ムリ。おなかが減って、そんな体力ない」

 と言いつつ奴が勤しんでいるのは、女性らしいくびれが出来ると近頃、女子の間でも評判のDVDエクササイズである。テレビの映像を睨みつつ、ちっこい尻を右に左にくねらせながら、くびれぇぇ、くびれぇぇと呻く様は、さながら新型の黒魔術のようだ。あるいは本当に誰かを呪い殺す気なのかもしれん。夏の水着シーズンに向け、何としてでもくびれを作りたいとの事だそうだが、だったらそもそもアイスなんぞ食うな―――などと内心で綾菜をやっつけつつ、オレはなおも四人分のオムライス作りに勤しみ続ける。

 連中がオレの家事に手を貸す事は、まず皆無と言っても過言ではない。

 もっとも、完全にない、というワケではない。

オレが修学旅行で家を空けている間は、ごミ捨てだけは一応やってくれていたし、連中が友人を呼んでホームパーティを開く時などは、友達の前でだけは、甲斐甲斐しく準備に奔走してい(るように見せてい)た。

そんな奴らの行く末を、オレは非常に危惧している。母親はまぁ良いとして、果たして姉貴と綾菜は、無事に嫁へ出る事が出来るのだろうか、と。とはいえ最終的には見た目でどーにかゴールに押し込むんだろうけどな。相手の男には気の毒だが。

 ようやっとテーブルにサラダと四つのオムライスを並べたその時、突如、玄関の方から勢い良くドアの開け放たれる音が響いた。と共に、張りのある声が廊下に響く。

「たっだいまぁ!」

 瞬間、オレを構成する六〇兆個の細胞が、いっせいに凍りついた。 

ほどなくしてリビングに現れたのは、存在感だけで並み居る悪霊を成仏させかねない、バブル乗り一筋ウン十年のアラフォー女子(女子か?)だった。

 消毒液の匂いが染みた白衣を颯爽となびかせ、後頭部でまとめた和栗色の長髪を揺らしつつ豪快な足取りでガツガツと歩く。女医という仕事の性質上、さして濃い化粧などは施していないものの、その顔は、息子のオレから見ても人目を引く派手な造りに思われた。また、その体つきも、齢四一にして未だくたびれず、見事に締まりのある身体をキープしている。

時折、お前の母ちゃんは魔女か、と、クラスメイトに真顔で訊ねられる事があるが、むしろ、魔女で済んでいればどれほど楽チンだった事か。そう、彼女は魔女でも何でもない。我が家の大黒柱にして小宮山第三帝国の総統、小宮山真理閣下であらせられる。そして、その本質たるや口元にチョビヒゲがないという点以外は、基本的にヒトラーのそれと変わらない。それが証拠に総統は、オレが端正込めて完璧にセッティングした夕食のテーブルを眺めるや、開口一番こう仰った。

「うーん、今日は飯モノって気分じゃないわ。作り直しっ!」

「え!?」

 カウンター越しにフリーズする息子の姿には構わず、総統は揚々と続けた。

「肉っ! 修司、あたし肉食べたい! 肉汁がだくだく滴るような、すんごくでっかくて柔らかいステーキ! そんでもって、切らずにそのままかぶりつくの! 豪快にねっ!」

 そこへ、エクササイズ中のヒトラーユーゲント、もとい綾菜が元気よく手を挙げる。

「綾菜も食べたーい!」

「お、お前、早く晩飯が食いたいとか何とか言ってなかったか!?」

「つーワケだから、修司、作り直して」

「つーワケでって、どういうワケだよ! 文脈おかしいだろ!? そもそもステーキ肉なんて豪勢なモン、買い置きなんてしてねーし、」

「修司」

にこ。

やおら母さんは、にこやかな笑みを浮かべて言った。

「自分が誰の子宮から産んでもらったか、分かってる?」

「はい」

優美な微笑の底に冷徹な殺意をちらと見たオレは、首にかけたエプロンもそのままに、早々に玄関へと駆け出した。


「いやー。コレよコレっ! コレが食べたかったのっ!」

 言いながら母さんは、サバイバルブーツの靴底にも似た分厚いステーキに、丸のまま豪快にかぶりついた。

「やっぱ、生理中はタンパク質取らないと持たないわよねぇ」

 デリカシーのかけらもない母さんの言葉に、これまた品性のカケラもない姉妹がうんうんと深い相槌を打つ。

「あのさ、食事中にそのテの話をするのはマジでやめてくんね?」

「は? 何か言った? 修司」

「あ、いえ何も」

 猛禽類のような母さんの眼差しに、危険を察したオレはすかさず従順の意を示した。

現在、我が小宮山家を構成するのは、オレの向かいに座る妹と、隣に座る姉(あれからどうにか下着だけは着てくれた)、そして斜向かいに座る母の、計四人である。

残念ながら父はいない。もう随分と前に他界しちまった。そんなワケでオレは今、女三人に囲まれる黒一点の生活を余儀なくされている。

この状況を羨ましいと見るか恐ろしいと見るかは人によって意見が分かれる所だろうが、少なくともオレにしてみれば、この境遇はまさしくイングリッシュマン・イン・ニューヨーク、蕎麦の名店で、そうとは知らずにカレーうどんを頼んじまった場違いな客のそれだった。

一言で言うと、肩身が狭いのである。

 ところで、先程食卓から撤去された四つのオムライスの件だが、うち三つはラップにくるまれ、冷蔵庫の中にきちんと納められている。

残りの一つは、今まさにオレの目の前に所在なげに置かれているワケだが、先程からその一つに対し、じいい、と突き刺すような眼差しを送っている奴がいる。向かいの綾菜だ。

「お兄ちゃん、そのオムライス」

「何だよ、やっぱり食べたいのか? だったら、」

「違う」

 だったら冷蔵庫にあるから取りに行け、と言いかけたオレの言葉尻を遮ると、なおも綾菜は、オレの手元の黄色いオムライスをじいい、と見つめ続けた。

 おいおい綾菜。今、貴様の目の前には、えもいわれずかぐわしい匂いを放つオーストラリア産の牛の焼死体が置かれているではないか。食いたかったのだろう? だったら大人しく、そいつを食らえ。―――などと内心毒づいていると、やにわに綾菜はテーブルの隅からケチャップを取り上げ、オレのオムライスへ勝手にぶっかけ始めた。

「な、何するんだよ!」

「似顔絵描いてるの」

「は? 誰の?」

「お兄ちゃんの」

 だが、ほどなくして黄色いキャンバスに完成したオレの顔は、さながらストリートファイトを終えたチンピラが帰り道でバイク事故に遭い、その上、応急処置に当たった看護師から、消毒液の代わりに塩酸をかけられたかのようなひどい顔をしていた。もし、これが本当にオレの顔だったとすれば、今頃オレは間違いなく、UMAとして米軍やら藤岡弘やらに追われる日々を送っていた事だろう。

 ところが、当の画伯ときたら、完全に一仕事やり終えたと言わんばかりのドヤ顔をオレに突きつけている。

「どう、似てるでしょ?」

「いや、オレこんなイケメンじゃねーし」

「しまった、美化しすぎたか」

「真に受けるな」 

 すると、そんな綾菜の暴挙に創作意欲を掻き立てられたか、今度は、横合いから別の手が伸びてきた。

「次はお姉さんが描くー」

 そんな姉貴の手には、何故か封を開けたばかりのケチャップが。そして姉貴は、新品のチューブを振り絞りると、もはや絵とも言えないナニかを、先程の似顔絵の上に重ねてゆく。

「ちょっとおねーちゃん! 綾菜の絵が消えちゃうー!」

「消してるんじゃないわー。書き足してるのよー。シュウくんはもっとこう、目はこんな感じで、鼻はあんな感じで……」

そうして完成したオレの顔は、もはや人間でも脊椎動物でさえもなく、ただの菌類だった。

悲惨……なんという姉貴の画力。

「ったく、あんた達、さっきからなにチマチマやってんのよ!」

 そこで突如、席を立ったのは母さんだった。

「貸しなさい! こういうのはね、豪快さが肝心なのよ!」

 言うなり母さんは姉貴の手からケチャップをひったくると、絞り口ごとガポッとキャップを外し、チューブから直接、オレの皿にケチャップをぶちまけた。

 だばだばだばだばだば……

「うん。これぞゲージツ☆」

 と、母さんが満足そうに席へ戻った時には、すでにオレのオムライスは、血の海の底へと完全に沈んでいた。

 これ、そもそも何の絵だったっけ? いや、その前に、何の料理だっけ?

 途方に暮れるオレの一方で、散々オレの皿に狼藉を働いた当の本人達はというと、まるで何事もなかったかのように、香ばしい匂いを放つ牛の焼死体をうまそうに食っている。

 気を取り直し、オレは一人、ライスケチャップを口に運ぶ。

 案の定、ケチャップの味しかしねぇ……。

「どうしたの、お兄ちゃん。なんか顔色悪いよ? ほら、脂身食べて元気出して」

「あらほんと。じゃあほら、この脂身でも食べて精力つけなさい」

「大丈夫ー? とりあえずこの脂身食べてー」

「ありが―――じゃねーよ! つか、どさくさに紛れて人に脂身を押し付けてんじゃ、」

「あら修司、私達の好意を無駄にするの?」

「いえ。すみません」

 かくしてオレはその夜、若干の炭水化物と、チューブまるまる一本分のケチャップと、そして、ステーキ三枚分の脂身を、成長期の胃袋に詰め込む羽目となった。

 これが、我が小宮山家の、日常とその肖像である。



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