十五章
今や季節は本格的な梅雨に突入していた。毎日毎晩、よくもまぁこれほど大量の水が空に溜め込まれていたよなと呆れるほどの雨が、飽きもせずに街を洗っている。きっと高天原あたりの工事現場で、角髪結いのヘタクソなブショベルカー使いが、アスファルトをひっぺがす際にうっかり水道管でも突き破るかしたに違いない。
季節は変わった。が、実は、オレの周囲で変化したのは季節だけではなかった。
「はぁ!? あの霧島さんが、お前の家に入り浸ってる!?」
柔道の授業の最中、道場の隅で身を潜めるオレにまたも中島が喚いた。いきなり何の前触れもなく音がデカくなる様は、さながら週末にテレビでやってるロードショーのCMを彷彿とさせる。こいつにリモコンがあれば、今すぐ消音ボタンを押して黙らせてやるところなんだが、生憎、そんな殊勝なものはコイツに備わっていない。
「入り浸ってるって程じゃない。たまに学校帰りに立ち寄る程度だ」
「どっちにしても家に通ってる事に変わりはねーだろ。―――って事は、あの霧島さんが、ほぼ毎日のようにお前の部屋で、数時間、もしくは一晩、お前の体臭を呼吸しながら過ごしてるっていうのか!?」
「だから、違うって言ってんだろ? くつろぐにしてもせいぜい夕方までだよ。あいつんち、門限早いから」
「お前、それ完全に入籍モード突入じゃねーか! 家族ぐるみでじわじわと霧島さんを取り込んで、いずれお嫁さんにでもする気だろ? ……おいおい頼むぜ親友。お袋さんもお姉さんも妹さんも美人で、その上、お嫁さんも可愛いだなんて、どれだけ鉄壁の布陣だよ!」
「誰が―――」
誰があんな女男、と言いかけて、とっさにオレはに口をつぐんだ。
……あぶねぇ、危うく葵が男だって事を明かすところだったぜ。
そう。葵の正体は、未だにオレ達だけの秘密とされたままになっている。学校では今もなお、オレと霧島先生を除いては、誰一人として葵の正体を知る者はいない。
そしてもう一つ、霧島先生にも知られてはならないオレと葵だけの秘密がある。
「小宮山」
「は、はい」
いつもの銅鑼声に顔を上げると、案の定、目の前に傲然と立ち尽くす霧島先生の姿があった。
「稽古中は私語厳禁だと、何度言えば分かる」
「す、すみません」
「来い。指導者として、友人の父として、貴様の軟弱な精神を根本から叩き直してやる」
「お、お願いします……」
そう、“オレが葵の正体を知っている”という秘密だ。
葵曰く、家族の者にだけは、自分の正体がバレている事を絶対に悟らせてはならないとの事。
まぁ確かに、タイ人もしくはよっぽど前衛的な家族ならいざ知らず、一般の家庭であれば、息子のそういう事情を他人に知られて平気でいるのは、やはり難しい事なのかもしれない。
そんなワケで今もなお、先生がオレの事を、“悪い虫”と見なしているのは、むしろ致し方のない事であり、よって先生の背負い投げ百連発をオレが甘んじて受けねばならない事も、ある意味、仕方のない事であった。唯一、救いがあるとすれば、次第に受け身によるダメージが減りつつある事だろう。先生の「悪い虫めっ!」は相も変わらず続いている。威力が減ったワケではないとすれば、考えられる理由は一つ、身体が勝手に受け身を覚えてくれたせいに違いない。
考えてみれば、授業のたびごとにクマ殺しの受け身百連発なんぞを食らっている人間が、自然と“良い打ち所”を心得てしまうのはむしろ当然の話なのだが。
相変わらず、葵はオレとばかりつるんで過ごす日々を送っている。
昼は屋上で一緒に弁当をつつき、夕方になればオレの家で適当にダベって過ごす。
だが、以前であれば多少のオイシさすら感じていたこの状況も、近頃のオレには、もはや頭痛の種にしか感じられなくなっていた。別に、クラスの野郎共の嫉妬を帯びた眼差しが痛かった訳ではない。女子共の蔑むような眼差しが辛かった訳でもない。
それは、あの日、あの時、ふと垣間見てしまった、寂しげな葵の横顔のせいに違いなかった。
本当はもっと、いろんな連中と仲良くしたいはずなんだ。
もっと、たくさんの友達を作りたいはずなんだ。
そして葵には、オレなんぞと違ってその素質は充分にあった。資格も十二分にある。だからこそ、あいつの心にかけられたブレーキの存在が、オレには厭わしくて仕方がなかった。
一体何が、葵のブレーキを執拗にベタ踏みしていやがるんだ。
―――いや、正確には、誰がと言うべきか。
その日の夕方。受け身のダメージをひきずりつつ自宅のリビングへと戻るや、オレは持っていた買い物袋を思わず床に落としかけた。
「あ、おかえりなさい、修司く―――じゃなくて、ご主人様」
「え!? お兄ちゃん!?」
ちょっと待て。二人してここで何やってんだ、お前ら。
そこには、ブラとパンツ(いずれも縞柄)のみというキワどい姿を晒す綾菜と、そんな綾菜が脱ぎ捨てたと思しきセーラー服を、奴の傍でせっせと畳む葵の姿があった。
しかも、その格好たるや―――何でメイド服?
メイド姿の乙女男子が、人の妹を裸に剥いて、その乙女男子はオレの友達で……岡本太郎先生でなくとも思わず叫びたくなる。何だこれは。
「ちょっとお兄ちゃん! 乙女の着替えをのぞかないでよ!」
「誰がガキの着替えなんか覗くか。ってか、何なんだよ、このカオスな状況は」
「ああ、これは、綾菜ちゃんと一緒に修司くんをビックリさせようと思って」
ガキとは何だと喚く綾菜の横で、こともなげに葵が答える。いや葵、お前はこともなげに答えるな。状況をややこしくしてんのは、他でもないお前なんだから。
「そうよっ! たまにはお兄ちゃんの欲求不満を解消してあげようと思って、内緒でメイドカフェごっこをしてあげようと思ったのに、それを何よ! のっけからブチ壊しにしちゃって!」
「いや、そもそもオレ、メイド属性とかねーし。あと綾菜。言っとくが葵は男だからな? オレに着替えを見られて怒る前に、まず葵に怒れよな」
「いいのっ! 葵ちゃんはお兄ちゃんと違って目がイヤらしくないから!」
「バカ言うな。そもそもエロくない男がこの世のどこにいる」
やれやれ。気を取り直したオレは、早々にバカの相手を切り上げると、買い物袋をキッチンへと運んだ。
「ごめんね修司くん、本当はお買い物のお手伝いもしたかったんだけど」
メイド服姿の葵が、カウンター越しにすまなさそうな顔を向ける。
「いいんだよ、こっちとしては綾菜の子守を手伝ってもらってるだけで有り難いんだから」
「あ! また綾菜を子ども扱いしたぁ!」
「つか、お前はさっさと着替えを済ませろ」
オレの言葉に、下着姿の綾菜がようやっと着替えを再開する。
結局、ヤツに声を掛けた雑誌というのは、当初のオレの予想通り、ローティーン女子向けのエロくも何ともない雑誌だった。そんな幼児体型で、何がエロ雑誌のグラビアだ。……ったく、無駄な心配かけやがって。
やがてメイド服への換装を終えた綾菜が、カウンター越しに顔を覗かせて来た。
「で、今日の晩御飯は何?」
「魚。安かったし」
「あ! そういえば」
不意に綾菜が、とんちを思いついた一休さんのような顔で喚いた。
「DHAでおっぱいが大きくなるって、あれ、ウソだったの!?」
「ウソっつーか、まぁ、ウソだけど」
「ウソつき! もう二度と、お兄ちゃんの言う事なんか信じない!」
「いや、騙したのはオレじゃなくて姉貴なんだけど」
が、もはや聞く耳をなくした綾菜は、早々にブンむくれると、リビングにとって返し、ソファにふて寝を決め込んでしまった。
おい、スカートの裾から、貴様のしましまパンツが見えておるぞ。
「あ、あの、修司くん」
いつしかキッチンに入って来ていた葵が、おずおずと口を開いた。
「この格好……似合う、かな?」
「え?」
上目遣いの葵に促されるように、オレは今一度、葵のメイド姿をまじまじと見つめた。
黒のワンピースに、ひらひらのフリルがついた白のエプロン、そして頭にはレース地のカチューシャという比較的オーソドックスなそのメイド服が、元々が従順で素直な葵のポテンシャルをより一層引き立てている。こんな姿の葵をメイドカフェにでも据え置けば、そこいらの血に飢えた男共が、磁石に吸い付く砂鉄のごとく寄り集まるのは必定だったろう。
つまり、言ってしまえば葵のメイド服は、超絶と呼んで差し支えない程に似合っていた。
敢えて言おう。オレは今、猛烈にこいつにご奉仕してもらいたいいっ!
バロック調だかゴシック調だかのテーブルにて、ガウン姿のオレが優雅に紅茶を飲んでいる。テーブルに置かれたふわっふわのショートケーキを食べさせてくれるのは、傍らに遣えるメイド服姿の葵だ。「ご主人様、あーん」などと言いながら、葵は小さなフォークにすくったスポンジやクリーム、そしてイチゴを、甲斐甲斐しくオレの口へと運ぶ。かすかにクリームのついたイチゴは、甘酸っぱく、それでいてどこかクリーミー。
ケーキを食べ終えたオレに、葵が言う。「ご主人様、お口の周りにクリームが」そこでオレはある一計を案じる。「では拭き取ってくれたまえ。キミのかわいい唇で」
オレの命令に、途端に顔を赤らめる葵。「え、そ、そんな」だがしかし、イジワルな主人であるオレは続ける「何だ、主人の言う事が聞けないと言うのかね」
「でも、私めなどが、ご主人様にそのような畏れ多い事……」
「遠慮はいい。さぁ、早く拭き取ってくれたまえ」
「は、はい」
恥ずかしそうな、しかし同時に、光栄ですとばかりに嬉しそうな笑みを浮かべて葵はオレの頬に唇を寄せる。「で、では早速、クリームを拭き取らせて頂きます……」
そして、バラの蕾のように小さく尖った唇が、そっとオレの口元へ――――
「どうしたの? 修司くん」
「へ?」
我に返ると、そこには心配そうにオレの顔を覗きこむ、空想と同じ顔があった。
「うあっ!」
思わずのけぞるオレ。弾みで、足元に置いていた買い物袋の中のタマゴを、ついぐしゃっとやってしまう。ああ、この感じ、多分二個はイッたな……。
「い、いや、何でもない」
気持ちと共に体勢を立て直し、オレはふぅと息をついた。夢と現をごっちゃにし、うっかり現実の葵に唇を重ねかけた自分を鋭く律する。
「やっぱり、似合わない、よね」
「うー……ん」
うなだれる葵に、オレは上手い答えを寄越すことができなかった。男らしさを手に入れたいとのたまう奴に、果たして、「超絶似合ってるぜ!」などと能天気に答えて良いものやら。
―――いや、ちょっと待て。
こいつ、本当は男らしくなりたいんだろ? なのにどうして、メイド服が似合わないからと言ってヘコむんだ? ……結局、何がしたいんだよ、コイツ。
「何ヘコんでんだよ。男らしくなりたいんだろ?」
「あ……そういえば」
「そういえば、って……自分の事だろうがよ」
「うん……」
葵の煮え切らない返事に、オレは違和感を覚えた。
何だ……? この妙な独りずもう感は。
「どうしたんだよ。元気ないな」
が、なおも葵は釈然としない表情のまま、何かを言いたげに唇をもごつかせる。
「何だよ、言いたい事があれば、はっきり言えよ。友達だろ?」
―――すると。
葵は、思わず耳を疑いたくなる言葉を口にした。大概のラフプレーには鷹揚なオレでさえ対処に困る、そんな言葉をだ。
「もう……無理に男らしくなるの、やめようと思う」
「―――へ?」
なんぢゃ、そりゃ。
この時のオレの気分を強いて喩えるならば、コンビでデビューした芸人の片割れが、ある日突然、相方に「オレ、今度から俳優一筋でやっていこうと思う」と告げられた時の、あの置いてけぼり感に非常に良く似ていた。しかも、漫才を始めよう、漫才で天下取ろうと言い出したのはそもそもが相方の方で、二人して田舎から出て来たはいいものの、これからオレ一人、東京で何すりゃいいんだよ、といった茫然自失感までもがセットになっている。
「え……ええと、それはつまり、今のまま女装を続けるって事で、いいのか?」
「うん……そういう事に、なるかな」
「あ、そう」
まぁ、オレにしてみれば、今のままの葵でいてくれた方が、正直に言えば嬉しくはある。
―――が、何だろう、この、釈然としない感じは。
「私、気付いたの。私が本当に欲しかったのは、きっと、こういう場所……」
「え? ……場所?」
「うん。本当の私を受け入れてくれる場所。嘘をつかなくてもいい、そういう場所」
「葵にとって、それが、ここ……?」
「うん……修司くんや、おばさま、夏樹お姉さんに、綾菜ちゃん……みんな、本当の私の姿を受け入れてくれて、仲良くしてくれて。今まで、こんな人達がいるなんて想像した事もなかった。私の事を受け入れてくれる、そんな人達がいるなんて、だから―――」
「だから、もう無理に男らしくなる必要はない―――と、そういう事なんだな?」
こく。小さく、葵は頷いた。
「私の父が、柔道の霧島先生だって事は知ってる、かな」
「あ、ああ、そりゃもう……」
知ってるどころか、つい数時間前も散々畳に叩き付けられていたんですけど。
「私達霧島家はね。代々続く武道家一族で、男らしさを何よりも重視する家柄なの」
「は?」
「だから……今よりもっと男らしくなれば、きっとお父様も、それにお爺様も、私を家族の一員として認めてくれる……そう思ってたんだ。―――今までは」
「はぁ……?」
男らしさに重きを置く家族が、何故、葵の女装を黙認しているのか。しかも、当の女装息子である葵は、男らしくなりたいときたもんだ。あまりにも矛盾の過ぎる言葉の連続に、オレはいよいよめまいがひどくなるのを感じた。そういえば随分と立ち話が続いている。しかも、この話はさらに長く続きそうだ。
テーブルに移り、もっと腰を据えて話そう。そんなオレの提案に、葵は二つ返事で頷いた。
「おい綾菜、邪魔だ。あとパンツ見えてるぞ」
綾菜を押しのけ、ソファに腰を下ろす。追い出された綾菜は、最初こそぶうたれていたものの、オレ達の間に漂うシリアスな空気を察してか、すぐにしおらくなった。
「で、さっきの話の続きだけど、男らしさを重んじる家族が、何で、お前の女装を許してんだ?」
「違うの。むしろお爺様の方が、私にこの格好をしろと」
「は?」
分からん。いよいよもって状況が分からん。
「な……何で?」
葵はしばし黙りこくった。込み入った事情でも抱えているのか、その薄い唇は、なかなか次の答えを紡ぐ様子を見せない。
「大丈夫? 葵ちゃん」
綾菜の声に、ようやっと我に返ったか、ふと葵は顔を上げた。
「あ、うん……ありがとう」
そんな綾菜の言葉が契機となってか、つっかえていた息を吐くと、葵はようやく切り出した。
「私……生まれつき、すごく身体が小さくて、おまけに、ひどく病気がちだったの」
「まぁ、今もそんなに、強くはないよな」
オレの迂闊な軽口に、葵の表情がますます暗く沈む。しまった、と思うや否や、オレの脇腹に重い肘鉄が突き刺さった。
「いてっ、何だよ綾菜」
「お兄ちゃん、ほんっと最低」
責めるような綾菜の鋭い眼差しに、しかし、今回ばかりはオレに反論の余地はなかった。確かに、今のはこちらが悪い。
オレ達の小競り合いには構わず、葵は続けた。
「でも……ひとたび霧島家に男子として生まれたからには、強く逞しく育たなければならない。さもないと、門下生の人達や、他道場の人達に対する一門の長としての威厳を、保てなくなるから……。そこで家長のお爺様が、私のようなひ弱な子供の存在を隠すために、いっそ女の子として育てようとお決めになったの。それ以来、ずっと女の子の格好を……」
「つまり、男としての葵の存在を隠すために?」
再び、葵はこく、と頷いた。
「どのみち武道家として強くもなれない、身体も病気がちで頼りない。そんな男は、霧島家には必要ないと……」
「それで、男らしくなりさえすれば、今度こそ、家族に自分の存在を受け入れてもらえると思った―――そういう事なんだな?」
「……うん」
「なんか、めんどくさい」
「黙れ」
失言を制しはしたものの、実際のところ、オレも綾菜と同意見だった。
面倒くさい。いくら身体が弱いかろうと小さかろうと、その家に生まれた人間は、誰が何と言おうとその家の子供なんじゃないのか? 生まれた子供の存在を隠すだとか、隠すために女装を強いるとか……はっきり言って、オレ達の感覚からすれば完全に狂気の沙汰としか思えない。
「でも近頃は、不思議と女の子の格好もイヤじゃないって思えてきたの。だって、今の格好のままでも、受け入れてくれる人がいるって事が分かったから。―――きっと私は一生、お爺様に家族の一員として認められる事はない……だから、せめて家名を汚さないように、本当の姿を隠して生きるの。修司くんがいてくれれば、きっと、そういう生き方も耐えていける……だから」
「本当に、お前はそれで満足なのか?」
「え?」
瞬間、葵は、その黒水晶の瞳をはっと見開いた。
「お前も言ってただろ? 男だってバレるのが怖くて、なかなか友達を作れないんだって。ウソをつきながら人と接するのは、辛いって」
「……そう。だから―――」
「だから、オレが話をつけてやる」
「―――え?」
途端、葵の表情が静かに硬直した。
「ど、うして……」
「決まってるだろ。オレがお前の友達だからだ。苦しんでる友達に、手を差し延べるのは友達として当然の義務だろ? 違うか?」
我ながら歯の浮くようなセリフを、よくもまぁスラスラと口に出来たものだとオレは呆れた。普段であれば、そんなヤンキー漫画じみたクサい友情など、ミジンコのウブ毛ほども重んじてはいないのに。
けど、まぁ相手が葵なら、そんなクサい友情も結ぶ価値はあるだろうな。
「い、いいの。もう決めた事だから。今のまま、誰にも知られずに……」
「いや、お前には、そういう生き方はもったいない」
「え?」
「お前には、いろんな奴と仲良くなれる素質がある。……人の輪の中で楽しく生きていける、そういう素質がさ。―――オレなんかと違って」
「それは、修司くんも一緒、」
「じゃねぇんだよな、生憎。つか、ああいう能無しにいちいち程度合わせていられるほど、オレ、お人好しじゃねーし」
「うわっ、お兄ちゃん、それ超中二くさい」
「リアル中二が、人を中二呼ばわりすんなっ! ―――ま、まぁ、つまりはさ、オレはお前に、もっと自由に生きて欲しい、って思ってるってコト。わかるか?」
「……自由、に」
自分に言い聞かすように、葵はぽつりと呟いた。
「つーワケで今から、その爺さんってのに会いに行ってもいいか?」
すると今度は、葵は今にも泣きそうな顔をがばと上げた。
「い、今から? でも、今はまだ稽古中で……」
その青褪めた顔色は、葵の爺さんとやらが、いかに葵の生殺与奪の権を握っているかを伺わせた。どうやら葵の家では、爺さんに逆らう事は余程勇気のいる行為であるらしい。―――が、生憎オレは部外者だ。そのような家庭内力学なんぞ、部外者であるオレには何ら関係はない。
「そもそも、そのお爺様とやらが撒いた種だろうが。忙しいなんて言わせねぇ」
「……」
いよいよ葵は、泣く前五秒前の潤んだ瞳でオレを見上げた。止めてくれ―――黒い瞳が、必死にオレに訴えている。が、それでもオレは、止まるつもりはなかった。
「いいから、オレを道場に案内してくれ」
ご意見、ご感想、お待ちしています。