十四章
翌週の日曜日。ついにオレは、運命の一戦を迎える事となった。
「いいか綾菜」
駅の改札前にてオレは、先週交わした取り決めの内容を、今一度きつく綾菜に言い聞かせた。
「言っておくが、くれぐれもアイツが男だって事には触れるなよ」
「うんうん。分かってるって」
最寄り駅まで葵を迎えに行くと言ったオレに、綾菜は、頼みもせずについてくると言い出した。今もこうして、オレの傍にぴったりとへばりついているのはそのためである。
よそ行き用のワンピースに、丁寧に結い上げられたおだんご頭。いつになくめかしこんだ格好は、一応こいつなりの、葵に対するおもてなしの気持ちを表したものであるらしい。が、散々自分を飾り立てる一方でコイツは、掃除やら料理といった葵を歓迎するための準備は何一つ手伝ってはくれなかった。まぁ、元々手伝いなんぞ期待はしちゃいなかったから、別に困りはしなかったけど。
「そういえばさぁ、お兄ちゃん」
ふと、思い出したように綾菜が口を開いた。
「何だよ」
「綾菜ね、こないだ街角で、雑誌に載らないかって声をかけられちゃった」
「面白ペットのコーナーにでも載るのか」
すると綾菜は、ぶう、と頬を膨らませ、人目もはばからずに大声で怒鳴った。
「違うもんっ! モデルさんにならないかって言われたんだもん!」
「なりゃいいだろ」
「何よっ! お姉ちゃんには前もって相談しろとか言っといて、綾菜の事はどうでもいいの? 心配じゃないの?」
「姉貴と自分を一緒にするな。お前の場合、どうせ子供服の読者モデルか何かだろ? そもそもお前みたいなペッタンコが、男性誌のグラビアなんかに載れるワケねーだろ」
「ひどいっ! ひょっとしたらエッチな雑誌かもしれないじゃん! 貧乳好きでロリコンの人が、ハァハァするような雑誌かもしれないじゃん!」
「そんなに心配して欲しけりゃ、その貧乳ロリコン雑誌ってやつをオレに見てみろよ」
「じゃあ見せてやるっ! 綾菜の超絶えっちなグラビア見せて、悔しがらせてやる!」
「おうおう、そんなに言うんなら、悔しがらせてみろよ。お前の超絶えっちな写真ってヤツで、オレをハァハァさせてみろよ!」
「そういうのが……好きなの? 修司くん」
「は?」
背後からの思わぬ声に振り返ると、そこには、困惑げな眼差しでオレを見上げる葵の姿が。
「―――――ぁ」
声なきシャウトを上げるオレに、なおも葵は、細い眉をハの字に寄せながら言った。
「小さな女の子にそういう事を強いるのは、どうかと思う」
「ち、違う! 今のは全部、コイツが言い出した事で、オレはそんなもん、見たいとも聞きたいとも、拝みたいとも思ってなくて、」
と、その時。
「にゃーーっ! こ、こ、こりが、男の子ぉっっ!?」
必死に弁明を図るオレの背後で、突如、綾菜がNGワードを喚いた。
と同時に、ぴき、と強張る葵の顔。
と同時に、綾菜の頭をこれでもかと押さえつけるオレ。が、時すでに遅かった。
「いだいよお兄ちゃん! バカ! ヘンタイ! 死ね!」
「死ね、じゃねーよ! それは禁句だって約束だっただろうが!」
「いーじゃん、いい意味で言ったんだしー」
不満げな声を漏らしつつ、綾菜は、むう、と唇を尖らせた。いや、可愛くないから! お前は可愛いつもりでやってんだろうが、オレにとっては憎しみの対象にしかならないから!
「修司くん、ひょっとして、私のこと……」
なおも顔と声をぴきぴきと硬直させる葵に、オレは矢も盾もたまらず―――
「葵っっ、ほんっっ当にごめんんっっ!」
路傍に這いつくばり、文字通り地に頭をこすりつけて謝った。
「本当は、全部バレてたんだ……お前の正体……ごめん」
恐る恐る顔を上げる。するとそこには、形容するに何とも微妙な葵の表情があった。人形のように虚ろな表情がかえって痛々しい。いっそ綾菜のように、「死ね! ブタ野郎!」と罵ってくれた方が、いくらかマシだった事か。
「葵……」
「イヤじゃない、かな」
「え?」
「こんな格好の男の子が、家に来るの、……イヤじゃない、かな」
「いや、そんな事、むしろ葵の方こそ、」
「でも……」
やばい。完全に、帰りたいオーラを発散しとる。
「本当にごめん。でも、オレ達は……」
と。その時だ。
「ごめんね葵ちゃん。うちのお兄ちゃん、土下座に誠意込めるのヘタだから」
そもそもの問題の発端である綾菜が、突如、妙なコトを口走り始めた。
「は? 綾菜お前、何言って、」
「そーゆー時はね、コイツの前に生足を突き出して、『許して欲しかったら、あんたの舌であたしの足の裏をおそうじして』って言えばいいんだよっ☆」
言いながら綾菜は、ウインク一発、早々にサンダルを脱ぎ捨てると、ワンピースから伸びる白い脚先をオレの鼻先にずいと突き出してきた。売るところに売れば、確かに高値で売れそうなシチュエーションではある、が、生憎オレは、妹の足を舐めるという行為に貨幣価値を見出せる類の人間ではなかった。
っつーか、日曜夕方の改札前で、堂々と披露していい光景じゃねーだろ、これっ!
うろたえる葵を前に、綾菜はなおもしゃあしゃあと続ける。
「大丈夫大丈夫。こういうのお兄ちゃん慣れてるし、それにヘンタイだから、むしろ悦んでご奉仕してくれるし。ね? お兄ちゃん♪」
「修司くん、まさか……」
ほらぁああ! 葵ってば素直だから信じちまってるじゃないかぁっ!
「ってか、オレがいつお前の足をナメたよ! それにオレは、そんなプレイで喜ぶような変態じゃねぇ!」
「またまたぁ。こないだも綾菜の足、おいちーおいちーって舐めてくれたじゃん」
「舐めてねぇぇぇっ! ってか、勝手にオレの友達にヘンな情報を吹き込むなぁ!」
「そうなの? 修司くん……」
「違うっ、葵! 誤解だから! これ全部、綾菜の冗談だから!」
だから葵、どうか、そんな悲しげな眼差しでオレを見つめないでくれぇええ!
「まぁ、うちはこういうカンジの家族なんで」
「―――え?」
「女装が好きな男のコも、うちは大歓迎だよっ!」
会話の内容について行けずにポカンと呆気に取られる葵に、綾菜はなおも、にぱっと無邪気な笑みを向けて見せた。
「早く行こっ! みんな葵ちゃんに会うの楽しみにしてるんだから!」
「う……うん」
戸惑いながらも、葵はこく、と頷いた。そんな葵の表情からは、いつしか帰りたいオーラが完全に消え去っている。
悔しいかな、この時オレは、綾菜が一緒で良かったと心から思ってしまった。きっとオレ一人では、たとえ葵を家に招くことは出来ても、秘密を抱える葵の心を開き、緊張から解き放ってやる事までは出来なかっただろう。
こんな事、絶対に口にはできないが……ありがとうな、綾菜。
「いつまで這いつくばってんの? お兄ちゃん」
「は?」
我に返ったオレに、なおも綾菜は、用足しを終えた飼い犬に呼びかけるように言った。
「ほら、さっさと行くよ。みんな待ってるんだから」
前言撤回。綾菜、てめーいつか絶対ぶちのめすっっ!
「ちょっとあんた、本当に男おっ!?」
玄関で葵を出迎えるや、母さんは鳶色の目を目一杯に開いて奇声を上げた。
あんたは終戦直前のソ連か。一週間前にあれほど固く交わしたはずの不可侵条約は、一体どこに消えやがった。
そんな母の姿たるや、これからセレブな友人とホテルディナーに行きますのよオホホホホとばかりに、きらびやかなパーティスタイルでキメられている。薄紫のドレスは、確か一年ほど前に、再婚希望者用のお見合いパーティへと参加するためにわざわざ購入したものだ。その際の戦果は、今もなお母さんの独裁体制が続いている点からも、容易にお察し頂ける事だろう。
「話では聞いていたけど、改めて見るとやっぱり驚きよねぇー」
そんな母さんの後ろで、心底感心したように姉貴が溜息をつく。その姿は、下着姿こそ勘弁願ってはいるものの、姉貴のこだわりによる(どういうこだわりだ)超ミニのチャイナドレスだ。
どうやら奴は、今回の裏テーマとして、男の娘でもちゃんと女子に欲情するのかどうかを、自身の身体でテストしてみたいのだそうだ。知らんがな、そんな裏テーマ。
「何よ、このマシュマロみたいな肌! ねぇ、あたしの肌と交換してぇー!」
葵の頬を、ぷにぷにと無遠慮につまみながら、母さんがさらに声を上げる。一方の葵は、母さんと姉貴の勢いに気圧され、未だに「おじゃまします」さえも口にできずに目を右往左往させている。
「ってか、男のくせに何でこんなにキレイなのよ! ほんっと、ムカつくっ!」
「そうねー。ここまで完成度が高いと、さすがにイラっとくるわねー」
「なんというか、すみません……」
「おい母さん! 姉貴! いい加減にしろよ! 葵が怖がってるだろ!?」
怒涛のような歓迎の後、早速オレ達は、料理を用意したダイニングへと葵を誘った。
「うわ……すごい」
リビングを見渡すや、葵は感嘆の声を上げた。
「どう? すごいでしょ! ちなみに、このフライドポテトに塩を振りかけたのは私よっ!」
「このピザにバジルを乗せたのはお姉さんー♪」
「見て見てっ! このケーキにいちごを乗せたの、綾菜だよっ!」
って、どれもこれも最後の仕上げばっかじゃねーか。
「そ、そうですか……すごいですね」
「ほんと、今回だけはみんなすげぇ協力的で……おかげで助かったよ。あはははは……」
そう、リビングのテーブルに所狭しと並ぶミックスピザもサーモンサラダも、フライドポテトもトマトのパスタも、ロースとビーフもサンドイッチも、果てはケーキに至るまで、どれもこれもオレが朝から調理し、ここに並べたものばかりだった。
その間、他の連中はというと、今日の服はどーするか、とか、化粧はこーするか、とか、そんな他愛もない話を延々とやり合っていたに過ぎない。
「あの、これ手土産です、良かったら後でご一緒に……」
「おおっ、ありがとっ! 男のくせに気が利くわね!」
葵が気を利かせて差し出した菓子折りを、全くもって気を利かせた形跡の見えないセリフと共に受け取る母さん。いっそ葵の爪の垢どころか、爪そのものを食らわせてやりたいと思うのは、単にオレが不孝者だからか?
「よーしっ、そんじゃ早速、ワインで乾杯といくかぁ!」
どんっっ! ソファに腰を下ろすや、母さんがワインボトルをテーブルに叩き付ける。初っ端から飲む気満々のご様子に、もはやオレは悪い予感しか覚えない。
「さんせー」
「母さん、言っとくけど今日は職場の飲み会じゃないんだからな! ってか母さんと姉貴以外、みんな未成年だから!」
「綾菜もワイン飲むー!」
「飲むなっ! お前も未成年だろうが!」
ぐい。オレに頭を押し付けられるや、綾菜が不満げな声を上げる。
「何よぅ、お兄ちゃんのケチ! ネコの肉球に経絡秘孔を突かれて死んじゃえ!」
「あら葵ちゃん。何だか顔色が良くないわね。私、こう見えて医者なの。少しアナタの身体を調べさせてくれない?」
「え、あ……」
「なにシレっと葵の身体をチェックしようとしてんだよアンタは!」
早々にカオスへと陥るテーブルを眺めながら、オレは、何を今更な事を思った。
やっぱ、連れて来るんじゃなかった。
これはオレの私見による見立てなので、世間的に正しいとは言い切れないかもしれないが、オレは男と女の会話を、それぞれ正規に編成された軍隊同士が国際ルールに則って衝突していたゼロ年代以前の近代戦争と、ルールもクソもないゼロ年代以降の現代戦争とに見立てている。
起承転結。前フリとオチ。問題提起と結論。すなわち宣戦布告に始まり降伏文書の調印で締めくくられる男の会話と違い、連中の会話は文字通り、ヤマもオチもイミもない。なぜなら、連中にとって会話は手段ではなく目的なのだ。とりあえず、長続きがすればソレで良いのである。その点でも、裏に控える軍事産業が旨い汁を吸うために行われる、大儀なき現代戦争に似ている。
で、そんな連中が三国同盟なんぞを結び、葵を囲んでぎゃあぎゃあやっているものだから、当然、収拾なんぞつくわけがない。
「葵ちゃん、ほら、あんたも飲みなさいよぉ」
すっかりデキ上がった母さんが、葵の肩に腕を絡めながらクダを巻く。一方、無理難題を押し付けられた葵は、黒い瞳を右往左往させながら、ひたすら所在なげにフライドポテトをついばんでいる。
「こらぁあっ! 葵に酒を勧めるなと何度言えば、ってかクサッ! めちゃくちゃ酒臭ッ!」
そんな母さんの傍らには、空のワインボトルが三本ほど転がっている。これで悪酔いなんぞをしなければ誰も文句は言わないのだが、あいにく、母さんの酒癖の悪さは筋金入りだった。
「ねぇ、うちの修司とはどこまでいったのぉ? ちゃんと上手くヤレてる? そっちの穴は、もともと出す方専用だから、入れる時はちゃんとほぐして入れなきゃ痛めちゃうわよぉ」
「え……えと、はぁ」
「なな、なんつー知識授けてんだよぉおいっ!」
「ねぇ葵ちゃん、このオッパイ触ってみてぇ」
「えっ!?」
ぎゅむっ。今度は姉貴が、その豊満な胸を葵の腕に押し当てる。襟のホックが開かれたチャイナ服の胸元から、餅のような二つのふくらみがもふんと溢れ、一方で、双丘を押し当てられた葵は、恥ずかしいのか照れているのか、たちどころに頬を紅潮させた。やばい、このままでは葵が男になってしまう……いや、そもそもよく考えたら葵って男じゃね? ―――だとしても、良く分からんがこの状況は許せんっ!
「おい姉貴、葵が嫌がってるだろ? さっさと離れろ!」
「えー、せっかく葵ちゃんにサービスしてあげようと思ったのにぃー」
「あんたのはサービスじゃなくてセクハラだ」
ただでさえ料理の準備だの部屋の掃除だので削られたオレの体力が、ここへきて二次関数的に削られてゆく。ところが、そんなオレの体力ゲージに反比例するかのように、連中のテンションは時間を追うごとにいやましに高まってゆく。
「ねぇ、ホントの所、葵ちゃんは男の子と女の子、どっちに欲情しちゃうのー?」
「えっ……!?」
あまりに唐突かつ直球な質問に、葵は弾かれたように顔を上げた。その顔色を、床屋の看板のように赤青白と変化させる様は、もはや気の毒と言うより他はない。
「何訊いてんだよ姉貴! 葵は男なんだから女が好きに決まってんだろ!?」
「あらぁ、常識の押し付けは良くないわ。そういう偏見が、マイノリティに対する差別と排他の温床になるのよー?」
「わかった、わかったから、とにかく今は葵から離れてくれ」
「きゃっ!」
「どうした!?」
突如上がった葵の悲鳴に、すかさずオレは振り返った。見ると、今まさに葵の胸を背後からわし掴みにしている奴がいる。綾菜だ。
「勝った……」
「え? ど、どうしたの、綾菜ちゃん」
「勝ったぁ! 綾菜、生まれて初めておっぱいの大きさで勝ったよっ!」
感無量の笑みと共に、なおも綾菜は葵の胸を揉みしだいた。そんな綾菜を、すかさずオレは葵の背中から引き剥がす。
「当たり前だろ? 葵は男なんだから」
「そ、そうだった……」
ガチでヘコむ綾菜に、オレは改めて慄然とした。こんな奴の兄貴をやってんのか、オレ。
「修司ぃ、ワイン切れちゃったぁ。新しいボトル開けてちょうだい」
「ねぇねぇ葵ちゃん。それで、結局どっちに欲情するのー?」
「え、ええと……よく、わかりません」
「ねぇお兄ちゃん、大きくしたいから、綾菜のおっぱい揉んで」
「何でだよ!」
こうして、彼女達の乱痴気騒ぎは、葵が帰路につく夕刻まで延々と続けられた。
マンションから駅へと続く商店街を、オレ達はいつものように歩いていた。日曜という事もあり、この時間であれば通りにあふれているはずの買い物客の姿もまばらにしか見えず、開いている店舗自体もいつもより少ない。
うら寂しい夕刻の商店街を、二人して並んで歩く。先程から―――正確にはマンションで連中に見送られてからこちら、ほとんどと言って良いほど葵はオレに口を利いて来なかった。真っ白な顔で俯いたその表情からは、怒っているのか、それとも疲れているのか、あるいはヘコんでいるのか、いや、そもそも一体何を考えているのか、まるで感情を読み取る事ができない。
「今日は……マジでいろいろごめん」
「う、ううん。すごく、楽しかった」
「いや、正直に言っていいぜ。ぶっちゃけしんどかったろ。ほんと、あいつら色々とズレてる所あるから」
「そんな事、ないよ。むしろ修司くんの家族らしいな……って」
「そ……そう」
これほどに嬉しくも有難くもない慰めもそうそうないだろう。つまりは葵が、オレを連中と同種だとみなしてるって事なんだから。
ところで。
オレには是非とも、葵に言っておかなければならない事があった。
「あと……」
「ん?」
「お前が男だって事、バラしてごめん」
「……」
オレの言葉に、葵は何も答えを寄越さなかった。やっぱり、秘密をバラされた事に相当腹を立てているんだろうか。
仕方ない。オレは腹をくくった。ここは、いくら作り話じみていても本当の事を話して、オレなりの筋を通しておこう。間違いなく、信じてはくれないだろうけど。
「実は……先週買い物に行っただろ? その時にさ、母さんがオレ達の事をツケてたらしいんだ……それで、マイクでオレ達の会話を録音してやがって、それで、」
「じゃあ、やっぱりあの人、おばさまだったんだ」
「は? ―――やっぱり、って?」
思いがけない言葉に拍子を抜かれるオレとは裏腹に、何ともすっきりとした表情を浮かべて葵は答えた。
「うん。お買い物の時、知らない人が私達を尾行してて……誰だろうってずっと不思議に思ってたの。今日、初めておばさまに会って、もしやって思ったんだけど―――やっぱり、修司くんのお母さんだったんだ」
「って事は、じゃあ、」
「うん」
尾行に気付いていたのか、とオレが続けるよりも先に、葵はこくりと頷いた。
身内のオレでさえ全く気付かなかった母さんの尾行を、さも当然のように見破るとは、さすがニュータイプと言うべきか。―――つか、このパターン、いつかどこかで見たような。
「それじゃあ、仕方ないよね」
そう言って、葵は困ったような笑みを浮かべた。
こんな理由で納得してくれる奴も随分と奇特だが、よもやこんなかたちで納得してくれるとは、オレも想像だにしていなかった。有り難いと言うより、ただ、呆れるより他はない。
「でも、おかげで、すごく楽しかった」
「ん?」
「ビクビクせずに……ウソをつかずに、済んだから」
夕暮れ時の柔らかな風が、葵の黒髪をさらりと攫う。緩やかになびく黒髪の向こうに垣間見えた葵の横顔は、どこか儚げで、そして、いたく寂しげに見えた。
その時、オレの脳裏に、ふと一つの疑念が浮かんだ。
編入して間もなくの頃の葵は、決して人当たりの悪い奴ではないにも関わらず、誰ともつるまず、いつも一人で過ごしてばかりいた。今でこそオレとつるむようにはなったものの、この小さな安全地帯から、葵自らコミュニケーションの食指を広げる様子は未だもって見られない。
いや、むしろ拒んでいるようにさえ見える。まるで、何かに怯えているように。
「ひょっとして、オレとつるんでばかりいるのは、そのせいか?」
「えっ」
「他の奴らに接すると、自分の秘密がバレるかもしれない……それが怖くて、なかなか友達を作れずにいるんじゃないのか?」
オレの問いに、再び葵は口を閉ざした。代わりに、ぼやけ始めた大きな瞳が答えをよこす。
「ごめんな。少し、言い過ぎた」
「ううん。多分、それ当たってる……」
力なく、葵は答えた。
「やっぱり、守らなきゃいけないのか? 秘密……」
「うん……約束、だから」
「誰との?」
「お爺……家族みんなとの、約束」
「破ったら、どうなっちまうんだ?」
すると葵は、きゅっと口を閉ざし、頑なに俯いた。
「……葵?」
が、ややあって。
「今日は本当に、楽しい時間をありがとう」
振り返るや、葵は満面の笑みをオレに振り向けた。が、その柔らかな頬の底には、オレの知らないアイツなりの苦しみや葛藤が潜んでいるのかもしれない―――そんな気がしたオレは、今回ばかりは、無邪気につられ笑いをもよおす事が出来なかった。
「また、来てもいい?」
「あ……ああ」
「嬉しい」
にこ。そして葵は、再び天使の笑みを浮かべて見せた。
ご意見ご感想、お待ちしています。
男の娘は、BLに当たるのか当たらないのか、その辺のご意見も待っています。