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十二章

駅前のバス乗り場からシャトルバスに乗り込み、バスに揺られること約三〇分。広大な田園地帯を進むバスのフロントガラス越しに、ゆっくりと、巨大な建物が姿を現す。昨年、オレ達の街に新しく建てられた、全国チェーンの超大型ショッピングモールだ。

モール内には、商店街がまるごと一つブチ込まれたかのように、様々な服、靴、雑貨の店、そして飯屋が軒を連ねている。いや、軒と言うより、むしろテナントと呼ぶべきか。

そんな擬似商店街の中を、さっそくオレ達は、葵が望む大きさの弁当箱を求めて回り始めた。いや正確には、葵が勝手に悩み歩く背後を、金魚のフンであるオレが、ドラクエのパーティよろしくひたすら付いて回った、と説明した方が正しいかもしれない。

そうして訪れた、とあるキッチン用具屋でのこと。

「ねぇ修司くん」

「ん?」

「このお弁当箱なんて、どうかなぁ」

 言いつつ、葵が差し出して見せたのは、国語の教科書程の比較的大きな弁当だった。にぎりこぶし程しかない今の葵の弁当に比べると、広さだけでも二倍以上はある。

「いや、こんなに食えないだろ、絶対」

「でも、これぐらい食べないと、男の子らしくなれないし……」

「別に、たくさん食ったからって、」

男らしくなれるワケじゃない、と言いかけたオレは、思わず続きの言葉を飲み込んだ。そこに、あくまで真剣な眼差しで弁当箱を見つめる、葵の真面目な横顔を見たからだ。

そういえば、何故こいつは男らしさなんかにこだわってやがるんだ? 

よく考えたらおかしな話だ。女装癖のある男が―――本来であれば男らしさを捨てたがっているはずの奴が、その男らしさを求めるなんておかしな話だ。行動と動機が矛盾してるだろ。

男に生まれつつ女を装い、その上で男らしさを求める……。何なんだ、その空中三回ひねり栄光への架け橋ムーンサルト、みたいなヒネリっぷりは。

一体コイツは、男と女、本当はどっちになろうとしているんだ?



弁当箱を選び終えたオレ達は、少し遅めの昼食を食いにフードコートへと向かった。

 フードコートは、午後も随分と回っているにもかかわらず、未だに多くの客でごった返していた。週末のためか家族連れが多く、その中に、オレ達のような学生グループが、ちらほらと見受けられるといった様子だ。

 念のため、人混みの中にクラスの人間が紛れていないかをざっとチェックする。もし誰かに見られでもした日には、ただでさえ教室を我が物顔で泳ぎ回る奇妙な噂に、さらに余計な尾びれや背びれが付かないとも限らない。

とりあえず、該当者はなし、と。

「葵は何食べたい?」

「私は、これ……」

 おずおずと葵が指差したのは、フードコート脇の、ホットドッグなどの軽食をメインに置くファストフード店だった。星条旗を模したゴキゲンな看板には、大口を開けてホットドッグに食らいつく金髪碧眼カウボーイの絵がデカデカと書き込まれている。

「やっぱり、男らしいって言ったら……肉とアメリカ、かなって」

「ん、んん……??」

 言わんとする所は分からんでもないが、それにしても随分とザックリした男性観だな。

 結局オレ達は、そのアメリカ屋でホットドッグ二本を買い、別の店でオレ用のカツ丼一杯を注文して席についた。カツ丼はまだ出来上がらない。出来次第、注文時に手渡されたアラームが鳴って、店に取りに来るよう促してくれるはずだ。

 早速オレは、出来立てのホットドッグに豪快にかぶりついた。一方の葵も、小さな口を目一杯に開き、ホットドッグの端っこに、かぷ、とかぶりつく。

 まるで、ひまわりの種をかじるリスのように、太いホットドッグを両手でしっかりと支え、かぷ、と小さく口に咥える。そして、口の中でもむもむと噛む。

一口かじって、もむもむ。かぷ、もむもむ。ぱく、もむもむ。

 よっぽどお気に召したのだろう、なおも葵は、一心不乱にホットドッグをかじる。よく見ると、その口元には、まるで口紅の塗り損じのようにケチャップソースがくっついている。

「どうしたの?」

 オレの視線に気付いたか、ふと葵は顔を上げた。

「いや、口元に、ケチャップが」

「本当? どこについてる?」

「ええと、ここ。わかるか?」

 すぐさまオレは、自分の唇を指差しつつケチャップのはみ出た場所を指し示した。だが、よほどオレのナビゲートがまずいのか、葵の指はなかなか塗り損じを捉えるに至らない。

「ここ?」

「いや違う……ああ惜しい、もうちょい右……」

「あ、あの」

「ん?」

「良かったら、拭ってくれない……かな?」

「え」

どきいいっ。

途端、オレは心臓が爆発する心地を覚えた。

ちょっと待てオレ。葵はただの男友達なんだぞ。それなのに、たかが唇のケチャップを拭うのに、何故オレはこうも体に悪い動悸を覚えてやがるんだ。

そんなオレの動揺など露知らずとばかりに、すでに葵は上体を乗り出し、艶やかな唇をオレの目の前についと突き出している。その様は、まるで何かを―――ぶっちゃけて言えば、キスを待ち侘びているようにも見えなくはない。くそ、いっそマジでキスしてやろうかな。

辛うじて己を律したオレは、おもむろにトレーからナプキンを拾い上げると、そいつを葵の唇にそっと寄せた―――

その時。

ピー、ピー、ピー……

「は?」

 唐突に手元のアラームがせわしなく鳴り、オレは思わず、伸ばしかけた手を引っ込めた。

「修司くんのカツ丼、出来たみたいだね」

「お……おう……」

 すぐさまオレは席を立つと、先程のどんぶり屋へカツ丼を取りに向かった。途中、握っていたナプキンをゴミ箱の中へポイと放る。手汗のせいか、捨てる間際のナプキンは、自分でも引くほどにひどく湿っていた。

 何やってんだよ、オレ……。

店のカウンターでカツ丼を受け取り、テーブルへと戻った時のこと。

「何だ?」

いつしか葵が待つはずのテーブルを、五、六人の見慣れない男達がぐるりと取り囲んでいた。年の頃はオレより少し上だろう、が、どいつもこいつも、一見するだに脳みその代わりにウレタンを頭蓋骨に詰めていそうな顔をしている。そんな連中の肩越しに輪の中を覗くと、そこには、まるで狼の群れに放り込まれた仔ヤギのように途方に暮れる葵の姿があった。

「だからさぁ、そのトモダチと一緒に回ろうっってんじゃん?」

「で、でも、そういうのは……あっ!」

人垣の隙間からオレの姿を認めたか、葵は地獄に仏を見出したような顔で声を上げた。

「修司くん!」

 途端、男達の鋭い視線がこちらへと集中する。

「は? トモダチって、カレシの事?」

「あ、いえ、友達ですけど」

すると、興醒めとばかりに男達は、ぞろぞろとテーブルから立ち去っていった。途中、聞くに堪えない罵詈雑言などを吐き捨てていったが、覚えておいても不快なだけなので、オレは早々に、それらの言葉を記憶から消し去る事にした。

ようやく静けさを取り戻したテーブルに戻り、早速、出来立てのカツ丼を掻き込む。薄味ながら、カツオのダシが効いていてまぁそこそこ……

「ねぇ……修司くん」

「ん?」

 顔を上げると、そこには、ふるふると瞳を震わす葵の白い顔があった。

「私、ひょっとして……男の子に、見え……ない?」

「へ? お前、今頃気付いたのか?」

「え」

 オレの言葉に葵は、ぴき、と音を立てて固まった。唇を震わせ、決壊直前のダムのごとく瞳に涙を溜め込んで呟く。

「ど、どうじて、はやぐ、おじえてぐれなかったんでずか……?」

 うわ。しかもひどい涙声。

何故、男に見えない事をコイツに教えてやらなかったのか。その点に関してはオレにも色々と言い分はある。そもそもコイツは、自分が男に見えるかどうかなんて一度もオレに訊いて来なかったじゃないか。むしろ、オレの方からそれとなく切り出した時も、パンツスタイルだから大丈夫、みたいな事をのたまっていたほどで。

 ―――とはいえ。

 こんな状態の葵を前に、そんな言い分など口にできる訳がない。長い睫毛の奥で、大きな黒目をうるうると滲ませる小動物のような葵を前にしては。

「ごめんな」

「う、ううん、私の方こそ、悪かったの。本当は、自分で気付かなきゃいけない事なのに」

「いや、オレも、友達ならちゃんと言ってやるべきだった」

 すると葵は、がばと顔を上げ、ふるふると大きく首を振って言った。

「ううん、きっと修司くんは、私を気遣ってくれたんだよね。私を傷つけないように……」

「え」

「優しいから……修司くんは」

 どき。

 その言葉に、オレは罪悪感で肺が潰れる心地がした。

 ごめん。本当は、お前が可愛かったから……ずっと、その姿のままでいて欲しかったから……だから、何も言わなかったんだ。

でも、それじゃイヤなんだよな? やっぱり男になりたいんだよな? お前は。

「これ食ったらさ、探しに行こうぜ、服」

「え? ……服?」

 怪訝そうに小首を傾げる葵に、オレはさらに続けた。

「ああ、男物の服だよ。今度はちゃんと男に見えるように、な」

 

昼食後、さっそくオレ達は、葵の新しい服を探しに旅立った。

 とあるブリティッシュ系のメンズショップでは、ジョン・レノンを二割ほど縮めたような店員とああでもないこうでもないを繰り広げ、さるジーンズショップでは、ブラッド・ピットを五段ほど劣化させたような店員と、ああでもないこうでもないを小一時間ほどやり合った。

 で、そんな調子で丸半日を過ごした末――――

「案外、見つからないもんだな」

「ごめん……」

 葵に似合う男物の服は、何一つ見つからなかった。

 身長が一五〇にも満たない葵に似合う服といえば、せいぜいが女物かユニセックスの量産品ばかりで、いくら探し歩いても、男物の服だけはついぞ見つけられなかった。靴についても同様の事が言えた。かと言って、子供用ではデザイン的にも納得がいかないのは当然なワケで。

「ごめんね。丸一日、振り回しちゃって」

 通路脇のベンチで小休止を取るオレの横で、同様にベンチに腰を下ろす葵が、溜息と共にぽつりと呟く。ったく、一番ヘコんでんのは自分のくせして、人の事ばかり心配しやがって

「そういう時は、ありがとうって言えよ。友達だろ?」

 すると葵は、漆黒の瞳を目一杯に見開き、隣に座るオレを見上げた。

「あ……ありがとう」

 驚いているのか、あるいは呆けているのか、上の空といった調子で葵は呟く。

「どうした、マンボウみたいな顔して」

「あ、ごめん……なんていうか、これがお友達なんだ、って」

 そういえば。これが初めてだったかもしれない。本当の意味で男友達らしい時間を、葵と一緒に過ごしたのは。

「そうだな、そうかもしれない」

「ところで、修司くんは何も買わないの? 服とか、靴とか……」

「別に。さしあたって、必要なもんは今のところ何もねーし。葵の方こそ、何も買わないのか?」

「私は……そもそも買えるものがなかったから」

「そういや、そうだったな」

ふぅ。どちらともなく会話が途切れる。オレはともかく、葵も随分と疲れているのだろう。

ちら、と手元の時計を見る。時刻は未だ午後四時を回ったばかりといった所だ。切り上げるには早い頃合だが、いつぞやのように、貧血でブッ倒れてもらっても困るからな。

「少し早いが……今日のところは引き上げるか」

 言いつつ、オレはベンチを立った―――

 くい。

「ん?」

 軽く袖をつままれ、振り返ると、そこには、慎ましげな上目遣いでオレを見上げる葵の黒い瞳があった。気のせいか、その眼差しはどこか寂しげにも見える。

「最後に一つだけ……」

「ん?」

「実はその……どうしても、やってみたくて」

「やってみたい? 何を?」

 すると葵は、またもや顔をかぁと赤らめて俯いた。

「わ、笑わないって、約束してくれる?」

「ああ、笑わないから、早く言ってくれよ」

「……ム」

「え?」

「クレーンゲーム。……だめ、かな?」



ご意見ご感想、お待ちしています。

ちなみに、葵ちゃんは男です。本当に。

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