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一章

某ラノベ賞で二次落ち。

プロの壁は厚いですね、ほんと。

友人曰く、オレが女子に一目惚れする確率は、大気圏に再突入して来た人工衛星に当たって死ぬよりも確率が低い、との事らしい。

 まぁ、その言葉の真意としてはつまり、オレほど異性の好みにうるさい人間は、世間を見渡してもそうそうお見かけしませんよ、という呆れであり、また、お前程度のY染色体が、偉そうにえり好みしてんじゃねぇよ、といった侮蔑でもあって、翻って、そういうお前だから、贅沢な事は言わずにさっさと適当な相場で手を打っとけ、という忠告でもある。

 確かに、女子に対するオレの好みの細かさは、高二の夏を待たずして、すでに学年でもそこそこに有名な事実と化していた。とはいえ、かくいうオレ自身は、女子に対し決して手厳しい事を言っているつもりはない。単純に、男子であれば誰もが共感しうる感覚を、あくまで正直に、包み隠さず、かつ声高に述べ立てているに過ぎないのだ。

例えば、優しく明るく誠実で、などという条件は、別にオレが求めずとも、学校での集団生活においてはいの一番に要求されるスキルだろう。バイトの面接でもそうだ。オレが要求する条件など、コレに毛が生えた程度のものと思って頂いて構わない。

まず、最低でも女である事―――という点は冗談として、オレが特に重視する条件の一つに、まず、甲斐甲斐しさが挙げられる。

例えば、オレが風邪でダウンしたとする。そんな時、こちらから頼む前に自ずから気を利かせ、「大丈夫? はい、差し入れだよっ!」などと言いながら枕元へスポーツドリンクを差し入れてくれる女子は非常にポイントが高い。

さらに、コップに注いで両手で―――両手だぞ! でそっと差し出してくれたならば、間違いなくオレは萌える。いやむしろ惚れる。

もう一度言う。両手で、だ!

まかり間違っても、「どうせ仮病でしょ? ところで、トイレットペーパが切れたから、ちょっとドラッグストアに行って買ってきて」などと切って捨て、逆に病人へ買い物を押し付けるような女はご免被る。

 あと、オレが重視するポイントに、か弱い女子が良い。

 女子の連中からすれば随分と身勝手で愚かな理屈に聞こえるだろう。だが、事実オレは、風速五キロ程度の微風にでも吹かれれば飛ぶような、草食獣を思わせる線の細い女子が好きなのだ。よって、「肉がなきゃ死んじゃう! あんた、家族を殺す気?」などと言って、夕食に肉を出さなかった事を延々と責め立てる肉食女など問題外だ。もちろん、出したら出したでナイフで切る事もせず、肉の塊にそのまま食らいつく女も言語道断である。

その他にも、例えば料理が上手いとか、できればレパートリーは洋食より和食がいいとか、笑顔が可愛いとか、その上で顔立ちが良ければなお良いとか、黒髪がいいとか、どうせなら腰まで届くような艶やかなロングヘアがいいとか、儚げな感じの色白な細身が良いとか、加えて、白いワンピースと麦わら帽子とサンドイッチを詰めたバスケットが似合うとなお良しとか、基本的にはしっかりしているが、案外ドジな所もあるとか、さらに、そのドジな部分は、オレ一人にしか見せない、とか―――。

まぁ、その他にも項目は多岐に渡るが、この場でその全てを挙げるのは、オレも疲れるし聞かされる方もうっとうしいに違いないので、ここでは割愛しておく。

こんなオレをクラスの女子は、やれ保守主義だのキモイだの右傾派だの変態だのと言って揶揄する。あまつさえ、同志であるはずの男共の中にすら、女子に嫌われないがためにオレを避けて通る軟弱者がいるぐらいである。

けしからん。そういう連中は皆、地獄の業火に焼かれて死ぬべきである。

とは言え、オレもバカじゃない。そんな要求を全て満たすような女性が、この二〇〇〇年代も踏み込んでより一〇年以上経過した現在においては、パンダよりもジュゴンよりも携帯を持たない高校生よりもなお希少な存在である事ぐらい百も承知だ。

右のような理由で、冒頭の友人によるオレ評は、オレから見てもまことに芯を食ったものであった。これほど異性の好みにうるさいオレに限って、一目惚れなどするはずはない―――と。


――――だが。

そんなオレが、ある日、完璧なまでの一目惚れをした。





 うそ、だろ?

振り返ったその瞬間、そこに立つ少女の姿に、オレは目を瞠った。

 学校からの帰り道、とある大通りで信号に捕まったオレは、何を考えるでもなくただ目の前を行き交う車列をぼんやりと眺めていた。つい先程までオレは、模擬試験などという、二年生が受けたところで果たして意味があるのかないのか分からない面倒なテストを受けさせられていた。その緊張感から開放され、この時のオレはすっかり気を緩めきっていたのである。そして愚かにも、その背中を無防備にもがら空きにしていたのだった。

江戸時代であれば、間違いなく辻切りの振るう凶刃の餌食と化していたであろうこの背中を、つん、と控え目に突っつくものがあった。

 そして振り返るや、オレはすぐさま目を瞠る羽目になったのである。

そこには、小さな卵形の顔をちょこんと傾げつつ、初めてオモチャを目にした子犬のような眼差しでじっとオレを見上げる、一人の少女が立っていた。

ちょっと待て。

こいつ、何で、頭の上から爪先まで―――

ことごとくオレ好みに仕立ててやがるんだっっ!?

 そう。そこには、オレの理想をそのまま体現したかのような少女が立っていたのである。

五月の初夏においては若干季節を先取りした感のあるノースリーブの白ワンピースが、ガラス細工のように華奢な身体をそっと覆う。足元には涼しげなローヒールの革サンダル、腕には小さなバスケット。そして、その小さな頭には、つばの広い麦わら帽子。

その麦わら帽子からは、艶やかな黒髪が腰まで流れ落ち、紅潮した頬をさらりと撫でている。さらに、その広いつばの下では、長い睫毛に縁取られた黒く大きな瞳が、控えめな光を放ちつつ、おっかなびっくりオレを見上げている。

「その制服……ひょっとして、優駿館高校の生徒さん、ですか?」

銀の鈴が水琴窟の中へ転がり落ちると、きっとこんな音がするのだろう。そんな事を思わせる高く澄んだ声で、少女は言った。

「はい、そうですが」

「ああ、やっぱり」

オレの答えに安堵したのか、少女は、ただでさえ潤みがちな瞳をさらにじわりと潤ませながら、赤らんだ頬をふっとほころばせた。

その笑い方も、まぁ、こういう言い方は稚拙でアレだが、とにかく素直の一言に尽きた。近年、日本を席巻する“リアクションとしての造られた”下賤な笑い顔ではなく、本当に心の芯から滲み出た、見る者の心をじわりと温めてくれる遠赤外線のような微笑みだ。

いや、さっきから何をほだされているんだオレは。そんな笑みを心の底から浮かべる事のできる女性が、この二〇〇〇年代日本に未だ生息しているとでも!?

いいや。騙されないぞ。オレは騙されないっ!

オレは知っているんだ。オレの理想とする女性が、もはやこの地上には存在しない事を。トキよりもなお早く、この国から絶滅してしまったという事を!

気持ちを引き締めるべく、オレは制服のジャケットを正すと、今一度、姿勢を正して彼女に向き直った。

「で、何か用?」

「は、はいっ!」

 びく。オレの声に、少女は小さく身じろぎした。

その仕草たるや、これまたリスかハムスターなどの小動物を思わせる可愛らしいものだった。いよいよオレは、彼女をスモールライトで縮小し、手元のボストンバッグに入れてこっそり持ち帰りたくなる衝動に駆られる。が、それは犯罪だし、何よりスモールライトが手元にないので実行には移さない。

「ええと、そのですね……」

 口ごもり、俯く彼女の長い睫毛が、まるで水場で羽根を休める蝶のように、優雅に上下する。

照れているのか、なだらかな頬は、相変わらずほんのりと桜色に紅潮している。いちご大福にも似たそのほっぺたが、視覚を通じて、その柔らかな触感をオレに伝える。

間違いない。きっとそれは限りなくフニフニして、もちもちして、指先でちょこんと触れると超気持ちいいはず……って、だから何をほだされているんだオレはっっ! 

まるで吹雪の雪山で、必死に睡魔と戦う遭難者のごとくに己を奮い立たせたオレは、再び少女に相対し、その破壊的なまでの可愛らしさに身構えた。

ややあって、少女は再びその小振りな唇を開いた。 

「実はその、これから優駿館高校の方に、用事があるのですけど……」

「は……はい」

「よ、宜しければ、道を教えて頂けますか? その……慣れない街で、道に迷ってしまって……」

言いながら少女は、バスケットの中からもぞもぞと地図を取り出し、オレの目の前にそれを広げて見せた。向かい合わせではなく、オレの肩口にそっと寄り添いながら。

彼女の身体から、ふわりと石鹸の匂いが漂う。

だから、何で石鹸なんだよ! 香りつったら他にもあるだろ、ローズとかラズベリーとか、それにココナッツとか! 

おかげで……おかげで、未だもってオレの夢が醒めてくれないじゃないか!

そう、例えばこの時、DQN御用達のディスカウントストアで売られているような安物の香水でも匂って来ようものなら、オレはこれ以上、彼女に対し余計な期待を寄せずに済んだはずなのである。こいつが纏ったお嬢様のメッキも剥がす事が出来たはずなのである。

なのに、彼女ときたら……石鹸!? 石鹸だと!?

それも、歳暮に入っていそうなバラだとかシトラスだとかいうフローラルな香りの石鹸などではなく、もっと家庭的な、パッケージに牛の絵が描かれていそうな石鹸だとぅ……!?

思わず深く深呼吸。

くそ……認めるしかない。彼女の香りが、えもいわれず心地よいという事実を……!

「あの、大丈夫ですか?」

「え?」

 振り返ると、すぐ眼前に彼女の顔があった。

 卵のようなほっぺが、ついと尖った鼻筋が、艶やかで小振りな唇が、オレのすぐ鼻先に迫る。

「先程から、随分と苦しそうですけど……ひょっとして、体調が優れないとか?」

大きな黒水晶の瞳が、不安げにオレの目を覗き込む。その艶やかで邪気のカケラも感じられない瞳たるや、間近で見ると本当に……舐めたくなる。

って、自重しろオレ! これじゃあまるっきり変態じゃないか!

「え、あ、いや……」

慌てて顔を逸らしたオレは、改めて自身の理性の建て直しを図った。まずい。こんな状態が長く続こうものなら、いよいよオレの心は(もちろん身体も)どーにかなっちまう。

 ところが、そんなオレの内面的葛藤やら自家撞着など露も知らないであろう彼女は、

「あの、すみません……これ、少し持っていて頂けますか?」

と、遠慮がちにオレに地図を託すと、何やら再びバスケットの中を漁り始めた。

そして中から、小学生の遠足かっ、とツッコミたくなるほど小さな水筒(くまさん柄)を取り出すと、同じく小さなプラスチックの蓋に、何やら琥珀色の液体をこぽこぽと注ぎ始めた。

やがて。

「よろしかったら、これをどうぞ」

 柔らかな笑みと共に彼女は、柑橘の香りも華やかな一杯の紅茶をオレに差し出した。

 そのカップを差し出す彼女の手は―――両手だっ! 両手であるっ!

 さながら繊細な美術品を支える台座のように、白く華奢な両手が、こぢんまりとした水筒の蓋にそっと添えられている。指先にまでくまなく漲る凛とした美しさは、否応なく彼女の育ちの良さを伺わせた。これは絶対に、茶道あるいは華道といった、着物系の稽古事を嗜む人の指先だ。よしんば嗜んでいないとしても、礼儀の行き届いた古風な家庭で育まれた仕草には間違いない。

 カップを差し出す彼女の顔が、こて、と小さく傾ぐ。その角度、約十五度。

 さらに駄目押しとばかりに、黒い瞳に満ちる慈愛の光。仮にオレがノーベル賞の選考委員であったならば、この眼差しだけで彼女に平和賞を与えかねない愛と慈しみに満ちた眼差しである。 

 だが。

「あ、ども」

 つとめてそっけなく、ぶっきらぼうに、オレはカップを受け取った。

もちろん、これが女性に対して取る態度ではない事ぐらいオレだって百も承知である。だが、察してくれ同志よ。こうでもしなければ、オレは十六年間の人生で培った社会性のみならず、オレをオレたらしめんとするアイデンティティ、すなわち、稀代の若年女性評論家にしてディフェンスに定評のある小宮山修司、という自画像すらも、見失う危険があったのだ。

このオレが、一目惚れなどという野卑で下品でDQNな真似など、できようはずがない!

「ども」

 茶を飲み終えるなり、オレは早々にカップを突き返した。

 そのカップを受け取る少女の手も……両手だ! やはり両手であるっ!

 空っぽの、しかも、オレの唾液がついたカップを、まるで伝家の骨董を扱うかのような手つきで、恭しく受け取るだと……?

「おかわりは、よろしいですか?」

 そして、すかさずおかわりを勧めるこの甲斐甲斐しさ! 

だがしかし、オレは敢えて涙を呑みつつ、この申し出をすげなく断った。 

 もちろん、これが女性に対して取る態度ではない事ぐらい(以下略)

 その後もオレは、彼女の手から茶を受け取った時と同様、自分でもイヤになる程の無愛想な態度で、学校までの道順を彼女に示し続けた。

 え? 紅茶? 美味かったに決まってるじゃないか!

 やがてオレが案内を終えるや、少女は小振りな手つきでちまちまと地図を畳み始めた。大判な地図を持て余してか、その手つきはひどくおぼつかない。よっぽど手伝ってやろうとも思ったが、たどたどしい手つきに見入っているうちに、ついぞ声をかけずじまいに終わってしまった。もっとも、声をかけたところで無駄に気味悪がられ、断られる可能性もあったので却って丁度良かったのかもしれないが。

 ようやく片手で携えうる大きさまで畳んだところで、彼女は再びオレに遠赤外線の笑みを向けた。と共に、ぺこりと下げられる小さな頭。

「ありがとうございます」

 丁寧なお辞儀につられるように、細い肩から黒髪がさらさらと零れ落ちる。その絹糸のような髪が放つ細やかな煌きは、まるで夜空に輝く流星雨のようだ。

 頭を上げるや彼女は、駄目押しで本年度アカデミー最高の微笑みをオレに寄越すと、スカートの裾をふわりとなびかせ、軽やかに踵を返した。そして、先程までオレが歩いて来た道を、学校へ向けて逆向きに辿り始めた。

 ふう。これでようやく、このヘヴィな戦場から離脱できる―――と思った、その時だ。

「あっ」

 微かな悲鳴と共に、彼女の白い身体は、まるでそよ風にさらわれたレースカーテンのごとくふわりと揺らいだ。

「危ない!」

 すかさずオレは彼女に飛びつくと、崩れかかったその身体を咄嗟に受け止めた――

 彼女の身体が腕に収まるや、オレは息を吞んだ。

うわっ……軽い。

それは、まるで羽毛で出来ているのかと思われるほどの軽やかな身体だった。さらにその髪の毛も、見た目に違わずシルクのように滑らかな肌触りである。

 懐からオレを見上げる彼女の深い瞳。と同時に鼻腔を急襲する石鹸の香り。

 やばい。いよいよこれは、マジで魂を持っていかれる……。 

 ともすれば成仏しちまいそうな自我を必死に呼び戻し、オレは訊ねる。

「ど、どうしました?」

「すみません……急に、めまいが……」

「え?」

「元々貧血がちで……こういう暑い日は特に……」

 さ、最後の最後で、まさかの病弱属性追加、だとぅっ!?

いつしか彼女の麦わら帽子は、彼女の頭を離れ、歩道の上にはらりと着地していた。先程まで帽子で隠れていた彼女の広い額には、今やうっすらと汗が滲み始めている。

暑いのか、気分が悪いのか、彼女の小振りな唇は間断なく苦しげな吐息を漏らす。

「はぁ……はぁ……ご、ごめんなさい……すぐに……治りますから……」

その悩ましい喘ぎ声に、ついにオレは、オレの中の赤い実が弾け飛ぶ音を聞いた。

「よ、良ければオレが担ぐよ。どうせ、学校はすぐ近くだし」

 え? 何を言っているんだ、オレは。

「で、でも」

 戸惑い、微かに首を振る彼女。ああそうとも、君の反応こそ全面的に正しい。

 見も知らない野獣の腕に、安易に自分の身を委ねるなど、真っ当な乙女であれば遠慮と廉恥を抱かずにはおれない背徳行為である。―――そう、分かっている。分かっているとも。

 そんな君の言葉が、表情が、君の奥ゆかしさを雄弁に示す証拠であるという事を!

ここまで来れば、もはやオレも認めざるをえない。

オレは、そんな君の事が――――

「男なら、これぐらいどうって事……」

「え?」

瞬間、オレは裸のまま宇宙空間に打ち上げられたかのような心地がした。

「え……あっ!」

と同時に、少女の表情もまた、瞬間冷凍されたかのごとく硬直する。

ちょっと待てお前。今、なんつった……?

やがて信号が青に変わるも、オレはもはや一歩も動く事が出来なかった。その場に立ち尽くし、つい今し方放たれた一言について、様々な視点論点から解釈を巡らす。

そうして、しばしの間、演算に時間を費やした後。

「お……男? 君が?」

 ようやくオレは、単純かつ真っ当な問いを喉元から搾り出した。もちろん、そんなワケはない、あってはならない。冗談であって欲しい―――と念じつつ。

が、そんなオレの願いも空しく、少女はやにわに顔を真っ赤に染めると、涙声でこう喚いた。

「ちちち、違います! 騙そうと思ったつもりは全然なくて、その、確かに私は男ですけど、いたずらとかドッキリとかじゃなくて、その、普段から私はこういう格好で……その……」

 じわ。

 少女の黒い瞳に、うっすらと涙が滲み始める。

いや、泣きたいのは、むしろオレの方なのだが。

「……うそ、だろ?」

「ほ、本当ですっ! 信じてくださいっ!」

 真剣に力説されるたび、彼女(いや彼?)の真摯な気持ちが伝わるたび、かえってオレの気持ちが、暗く沈んでゆくのは何故だろう。

うなだれるオレを、騙された事に腹を立てていると見たらしい彼女(彼?)は、とうとうバスケットから何やら書類を取り出し、そいつをオレの目の前にずい、と突き出した。

「本当の本当に本当なんですっ! これがその証拠ですっ!」

「……あ」

 それは、これから学校に提出するものと思しき編入届の書類だった。確かに、性別欄では男の文字に丸が印されている。だが、書類に貼り付けられた顔写真には、やはり一〇〇人に聞けば一〇〇人とも可愛いと答えるに違いない、愛らしい少女の顔しか写っていない。

「も、もし、これでも信じて頂けなければ、今度は住民票を―――」

「いや、もう充分だよ」

 なおもバスケットを漁る少女を、オレは軽く制した。

 充分だった。もうたくさんだった。

 一瞬とはいえオレの心に宿った甘酸っぱいときめきを、粉微塵に打ち砕くには充分だった。むしろ充分過ぎたぐらいである。

「ごめん、じゃあオレは、この辺で」

フラフラと立ち上がるや、オレはすぐさま“彼”に背を向けた。まるで、冷めきったコーヒーのような、ざらりとした苦味を心に宿したまま。

 こうしてオレの初恋は、ものの五分で塵と化したのであった。




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