01 膨らむつぼみ
古びた一軒家だった。
伝え聞いた待ち合わせ所はアムステルダムからそう遠くはない。徒歩でも30分といったところだろうか。
売り物がはけて空になった荷馬車のがたごとと、ふたつの影を揺らす。
「おじさんありがとう、助かります」
「いやぁ、かまわんよ。村に帰るだけだったからな。あんたら乗せるくらいどってことは無いさぁ」
お忍びで侍女を連れ出かける令嬢にでも見えたのだろうか。ちらちらとした視線で伺っている様子が可笑しかった。
麦を作付けした田園風景が続く。のどかな景色ををしばし楽しんだ後、降車。賃料をいくばくか農夫へ渡し礼を伝えて細いあぜ道を進んだ。チューリップの緑が、太陽にてらされ輝いている。
ネーデルランドではこのチューリップの栽培が盛んだった。農夫たちが日々耕す畑の一部にこれらが植えられ、花を観賞用に楽しむだけではなく時には花弁をサラダにつかったりく甘みのある根は菓子の材料にも利用されている。
しかし後世、ユグノー戦争と呼ばれるフランス国内で行われたカトリックとプロテスタントの対立が、この地のフローリスト(園芸愛好家)達の多くをイギリスへと追いやってしまっていた。
アウラの取引先にもフローリスト(園芸愛好家)達が居るが、その多くがルターの提唱した思想を伝える伝道師達に共感、または感化され、改宗している。イギリスは独自の宗教を取り入れ、カトリック教会とは一線を引いた国であるため、逃げ込むには最適な場所でもあった。
既に3回、フランスでは両者の対決が起こり多くの血が流されている。
ユグノーとはEidgenosse(アイドゲノッセ、盟友の意味)から生まれたプロテスタントの蔑称だ。
そろそろ破られそうなんだけれどねぇ。
アウラは視線を空に投げる。その方向はフランス、パリの都を見やりながらそう思う。
1570年8月8日にサン・ジェルマン和議が結ばれてからそろそろ2年、火種は様々な場所に蒔かれ続け、今も続く弾圧に対して降り積もった不満や怒りが暴動にいつでも結びつく状態になっていた。きっかけさえあれば。いつでも火山のように爆発するだろう。
「アマンダさん。それにしても、この格好はちょっと暑いのですが」
「お召しには慣れておいででは?」
「いや、そうなんだけれど、余りにも久しぶりで…」
胸元までしっかりと詰められた、ベージュを基調としたストレートのワンピーススカートは普段の服装と比べてどこもかしこも締め付けられ窮屈だった。コルセットなるものが出現するのはまだ先の時代だが、姿を少しでも美しく見せようとする術は既に取りいれられている。
夏だというのに素肌の露出が殆どない衣類に包まれ、アウラは気が遠くなりそうだった。汗がじっとりと滲む。
確かに以前はそういう服も着てはいたが、この近年は楽な船乗りの格好しかしていなかった付けとでもいうのだろうか。
最近の貴族達が好む流行りは、腰以降のスカートが大きく盛り上がったものだという。支えが無ければ歩く事もままならないらしい。
夏の日差しがじりじりと肌を焦がすように照りはじめた頃、ここだとアマンダが伝えた場所は木々が生い茂る、朽ちかけそうになっている赤レンガの家だった。手入れされず蔦に絡まれたままのリンゴの木が1本、家に寄り添うように立ち続けている。人が居なくなって久しいのだろう。
「こんな場所で会合…」
「さあさ、いってらっしゃいませ。他の皆さまにご迷惑をお掛けしないようご注意ください」
意味深な笑顔に文句も言わせて貰えぬまま、ノブへと手を伸ばす。
会場の中に入れるのは代表者のみ、となっているため、アマンダはもちろん外で待機せねばならない。従者なのだろうか、木陰で座っている者も複数人居た。
こんな場所でわざわざ開かなきゃいけない会合って何なのかしらね。
アウラはなんとか、まだドアとして機能している木の扉を押し開けて中へと入る。
やっぱり中も適当にしつらえた感じか。
出来るだけ笑顔を顔面に貼りつけて、入室する。
空っぽの室内には持ち込まれただろう簡素なテーブルと椅子が5脚、置かれているだけだった。
既に到着していた人物達がねちっこい視線で少女を見やった。その様子は商人らしい、値踏みを兼ねた観察といったところだろうか。
こんにちは、宜しくお願いします。
と、アウラは視線を伏せがちに小さな声で所属と名を告げ、空いている椅子のひとつに腰を下ろす。
「ファゴットからは欠席の旨を聞いている。今来たお嬢さんで最後だ。始めましょうか」
貴族のように飾った髭を生やしている者、でっぷりとした体躯をした者、痩せた長身の男、が視線を交わらせ、頷きあう。
そもそも商会同士というものは仲が悪い。排斥し合う関係だ。利益を独占出来れば当たり前に利益も多大となる。衝突や摩擦を何度も繰り返す会では、小競り合いも少なくはない。
お互いの商売品が被って居なければさほどではないが、どの商会にも得意分野がある。ブルースフィアのように突然の急ぎ仕事を主にこなす、大口から小口まで何でも取り扱う会は少ない。だが全くないわけでもなかった。
完全にアウラを蚊帳の外に置いた3名は、以前の会合で決着が付かなかった事がらを話し合い始める。何度も出席していなければ判らない内容だ。今回初めてこの場に出るアウラは完ぺきに場違いである。まったくもってアウラは手持無沙汰だった。なので出席者を順に見てゆく。6つの目はどれもぎらぎらと鋭い。
出来るだけ暇そうに装いながら、会話の内容を値踏みする。
口ぶりから想像するに、それぞれが扱う品目が違うようだった。
「いやいや、そのゆりかごは貴方の方が詳しい。任せたいのだがねぇ。私は茶葉を担当させて貰いたい。いやいや、全て譲ってくれとは云わない、70%でいい」
わざとらしく隠語を使った下世話な会話は、アウラにとって不快でしかなかった。しかし今この場を動くわけにはいかない。
出来るならば、この3名には判らぬまま連れて来られた不遇なお嬢さんという印象を与えたかったからだ。わざわざ着せ替えられた理由もそうに違いない、と勝手に解釈しておく。そうすれば次回からはこんな無意味な会合に呼ばれないだろう、よもや呼ばれたとしてもアウラではなく、もう一人を指名してくるはず、という目論見が叶うかもしれない。
だがそれぞれの駆け引きと云えば格好が良いかもしれないが、強欲の垂れ流し合戦具合を見続けなくてはいけない苦痛にそろそろ笑みが引きつって来るのが自分でも判っていた。
何か飲み物でもあれば、落ち着きのない様子を見せて退席をお願いするのも出来そうだが、テーブルの上にはなにも無い。不精な男達め、と思いながらただじっと、人形のように椅子へ座っている。
発言を促される言葉はもちろん、名すら呼ばれない。アウラは目を伏せがちに3名の表情を観察したり、発言を聞きながらなぜこの場にアマンダは出席を促したのかを考えていた。
聞こえてくる会話はハンザ同盟内でなにやら問題が起き、仕入れの調整が難航している、というものだった。今のうちならばその受注を奪い取れるだろう。先方へ連絡する算段も付いている。注文された品々を仕入れる手順のやり取り、受け持つ品目の奪い合い、ざっとそういう関係の話だと予想がつく。
ただじっと話を聞いているだけのアウラに視線を向ける男も居た。油断ない眼で俯く少女を見やる。だがすぐに視線を反らし、男達は3竦みよろしく、利益の奪取に余念なく話しだした。
侮っているわけではない。しかし聡いと思っているわけでもなさそうだった。どちらかといえば会合の内容が外に漏れないかどうか、が少々気になっている程度か。外部へ流れたとしてもどうせ、あらかじめ手は打っているのだろう。
ハンザ同盟は大きな組織だ。マイスター制度を導入し、既に同盟へ加入している商会出身者ないし、所属者からの紹介が無ければ所属出来ない集団だった。
ブロック経済主義。
未所属者は同盟商会からの購入は出来ても、ハンザの名が幅を利かせている商業地区内での売りは認めない、という経済域を形成している。
アウラが思うハンザ同盟という大きな塊は、商品として出来た物品を売買いし利益を求める集団というよりは、職人たちが作る品物の値を一定ラインに保つために組織されているモノ、という認識が強かった。
元々ハンザは都市間を交易して回る商人の組合として発生したという。そもそもは形ある集団では無かった。まとめ上げる中央機関等無く、商人達は拠点を置く町と己の利益を優先し、同盟自体の決定には強い拘束力がない相互扶助的なものだったからだ。しかしドイツを中心に国々を跨いだ都市交易を行う商人達が、組織としての交易特権を獲得する為の働きかけをはじめた。結果、同盟内の都市間ネットワークが強固となり、都市間での条約がまとめられ、取引に関して様々な規定が定められ今日に至る。
まあそれも昔の話。カルマル同盟にコテンパンにされて、弱まっているものねぇ。今が旬のカルマルも後250年足らずで崩壊してしまうとの事だし。栄え続けるのも難しいってことよね。
アウラはあくびをかみ殺す。
とはいえこのアムステルダムはまだ、ハンザの影響が色濃く残っているし、如何にして『ハンザに食い込むか』を話し合うのも分かるけれど。
ブルースフィアでは初代や現頭目が独自の販売ルートを確立しているらしく、云われたものを倉庫に納入するといつの間にか消えている事がある。販路を持っている事、は強みだ。
ん?
アウラはピクリと耳に神経を集中する。
語られている言葉が変わったからだ。その内容に、喉がごくりとなりそうになるのを必死でこらえる。
「王女マルグリット様とナバラのアンリ様、両名ご結婚が8月に決定したのだ。急がねばならん」
未来を知ることは、予言として、悪魔が魔女に伝えるモノとされていた。勿論アウラは悪魔に魂を売ってはいないし、神の存在は感じられないが宗教自体は人間にとって必要な思想であり教えであると理解している。解した上で、鏡で聞いた言葉を真実と信じた。
アウラが存在する時代は、1672年、7月だ。黒髪の友人が暮らしているのは、2016年、サクラという花がポトマックという地にあるタイダルベイスンの湖畔に咲き乱れる季節だと聞いている。
両名の結婚時、4度目の惨劇が再び幕を開けると伝えたのは幾つもの命の先に生まれる青年だった。君がもしその場に立つことがあるなら止められるかい?鏡の向こう側からまっすぐに尋ねてきた瞳が今でも忘れられず記憶に残っている。
判らない。
アウラはそう答えた。
「おやおや、お嬢さんには退屈な話が続きましたかな」
痩せた男がテーブルに肘を組み、口の両端を持ち上げる。
「あ、や、いえ、その」
突然声を掛けられた事、に慌てて言葉を探すが上手く出て来ない。
心臓の鼓動が跳ねあがり、耳奥に大きく響く。
「まったく。代表者がこのようなお嬢さんに変わっていたとは。私も驚きです。人材が不足しているなら、当商会より人を遣りましょうか。お安くさせてもらいますよ」
「ほっほぉ。よく見れば可愛らしい顔つきをしてるではないか。取り入ったのかな。いや失敬、ブルースフィアの代表は前席も女でありましたな」
まだその前席が頭目なのだけれども。別に教える義理は無い。アウラを新代表と勘違いしてくれているのなら、それもまたよし、だ。
アウラはにっこりと笑む。
「ご心配痛みいります。歓談の席、大層お上手な御冗談であると受け取っておきますね」
剣呑な眼光が威圧となってアウラをねめつける。だが所詮ちょび髭、よく口が動くこの男の程度は知れている。それよりも黙って此方を見ている痩せた男のほうが危険だと教える警鐘が鳴っていた。会合の開始を伝えたのもこの人物だ。
「お嬢さん、我らの話はしかと聞いていたようだから、再度の説明はしないがね」
ゆっくりと発せられる言葉にはねっとりとした重みが感じられた。
気持ち悪い。蟻が肌を這うような感覚が襲ってくる。
遠くない過去、逃げ出した場所に絶えず渦巻いていた不快感と同じものだ。
「お嬢さん、我らは出来るだけ連携を大切にしていきたいと考えている」
しかし。
「そう。しかしお嬢さん。か弱いお嬢さん。貴方が踏み込むには少し早い世界だ」
囁くように、諭すように。低い音程が静かに流れる。
「…そうですわね。私も今朝、突然この場に連れて来られて何事かと」
わざとらしくアウラはため息をついた。
ご商売のお話でしたのよね?おじさま方?どうぞお好きなようになさってくださいな。
汗を白地の布で押し拭きながら、アウラはにっこりと笑む。
「何かありましたら、アマンダまでご連絡下さい。私に出来ることなどたかが知れているとは思いますが…」
しおらしく、しゃなりと口元へ手の甲をあてる。
会合はブルースフィアの事実上、撤退宣言によって幕を閉じた。
「うあぁっい!」
どこに隠されていたのか不思議にさえ思う、3台の馬車が町の方に走り去った後、アウラは内に溜めていた言葉を吐き出した。帰りはモチロン徒歩だ。帰路にも上手く荷馬車が通る偶然などありはしない。地中海程蒸し暑くは無い北海に面したアムステルダム郊外だが、暑いものは暑いのだ。商会に帰ったら水浴びを絶対にしようと決めてアマンダと路を歩く。
「素直に引き下がれたと。私もそれが賢明であると考えます」
頭目ならば喧嘩を吹っかけに参りますが、確実に。アマンダのつぶやきに、そうだろうなぁと頷く。
「多分だけれどフランスで4回目のプロテスタント弾圧による、血みどろが起るでしょうね。話しぶりから察するに、どちらの勢力か、に食い込む伝手か何かがあるんでしょう。戦いがあるなら武器弾薬はどこもかしこも貯め込みたいだろうし?無論多額の金銭だけでなく人も物も動く。これ幸いと王宮か貴族達か、今後のお付き合い宜しくと賄賂を堂々と渡せる」
情報が絶対的に手元に足りていなかった。現状で慌ただしく動くにはリスクも高い。何より頭目が留守な上、この件について首を突っ込むなら今後の方針を商会のみんなで決める必要がある。
アウラがひとり加わったところで、状況ががらりと変わるわけではない。人間一人が出来ることなどたかが知れている。
「…フロイライン」
「ダメよ?」
アウラは人差し指を唇にあてる。
「私は全てから逃げたの。あの兄の事だから行方不明として扱っているとは思うけれど、私は二度とあの場所に帰るつもりも、名を名乗るつもりも無い。Je opaから貰ったこの名前で生きてゆくの」
どこまで知っているのかは聞かないけれど。
アウラはアマンダの数歩先を歩きながら、空を仰ぐ。
「だから、どうか過大な期待はしないで」
この話はここで終わり。さあ帰ろう、みんなが待ってる。
指を指す先には、アムステルダムの街並みが広がっていた。
何度も読み返し誤字脱字等を確かめておりますが、
もし、みーつけた。
という方は是非教えてくださいませ。
どうぞよろしくお願い致します。




