第2話 『燃えかけのパン屋』
「火事、ですか」
アイレはそう言うとケーキをフォークで口に運んだ。恐ろしく小さい一口だ。
普段はアイレの居場所に合わせて彼女の侍女が長椅子を置いてくれるが、今日はお互いテーブルを間にして座っている。
15時過ぎくらいに訪れた時、いつもの安楽椅子で新聞紙を広げていたアイレに「これからお菓子が出てくるらしいのですが、一緒にどうですか?」と誘われ、紅茶とよくわからない果物のケーキが2人の前に置かれることになった。
「はい。今朝、住民街のパン屋が火事に遭いました。幸いなことに外の壁が燃える程度のボヤで済みましたが」
「それはパン屋にとっては災難でしたね。ですが、それでなぜ私の所に?」
少し首を傾けて聞いてくる。
今日は青い花の飾りを付けていた。元気な時はいつも花飾りをしている。花が好きなのかもしれない。
「焼けたのが厨房なら事故で片付いたのですが、実際に焼けたのが裏口の横の壁だったんです」
「……放火ということですか?」
「なんとも。事故でないとも言い切れないし、放火とも言い切れない状況でして。ひとつ間違えれば大惨事になりかねなかった事案なので一応どうやって処理したものか、と」
「……つまり、私に事件か事故かを決めてもらいたいというわけですね」
「端的に言えば、はい、そうなります」
事故として片付けて、もし連続放火でもあれば、今回の件を事故として流した騎士団に責任が生じてしまう。それで朝から騎士団は頭を悩ませていた。
そこで俺は少し頭を冷やしてくると言いアイレの所に訪れた。
……アイレなら何かしらの決断を下してくれるだろうという淡い期待があったことは否定しないし、そうでなくとも落ち着いた声を聞いて疲れた頭を休めたいというのもあった。
「わかってると思いますが、そこまでの責任を私は負えませんよ」
アイレが困ったような顔で言った。
「それはもちろん。なのでただの参考意見のひとつとして聞きたいだけです。やれ剣だ、やれ馬だ、訓練ばかりの騎士団は書類仕事も多いとはいえこういったことを考えるには不向きでして」
「それは、わかりましたが……推論を立てるも何も情報がないのでは、私も想像でしか語れません」
困った顔のままケーキを口に運ぶ。一瞬だけ綻んだと思ったら、また困った顔に戻った。
「私が情報を勿体ぶっているなら良かったのですが、残念ながらさっき話したのでほとんどです。
付け加えるとすると、パン屋の上の階は住居になっていて、そこに店主と奥様が暮らしています。
仕込みのため早朝に目を覚ました店主が身支度を終えて下の職場に降りると、焦げ臭い匂いがして、同時にパチパチとした音が裏口から聞こえた。
不思議に思い裏口を出てみたところ、置いてあったゴミと壁が燃えているのを見つけた。……これだけです」
話し終えるとアイレは目を細めてこっちを見ていた。
「……だいぶ勿体ぶってた気もしますが。……まぁ良いでしょう。他に目撃者はいないのですか?」
「はい。仕込みのため早起きをしていることもあり、周りの住民は起きていませんでした」
アイレは右手の人差し指と親指で下唇を触りながら考え込み始めた。
俺は待っている間にフォークでケーキを切って口に運ぶ。
……こりゃ美味しい。疲れた頭に沁みていく。生クリームも甘すぎず、スポンジの弾力も程よい。
そしてよくわからない果物だと思ってたが食べてみるとぶどうだと判明した。
皮を剥かれ、半分に切られ、しまいに断面を上にされるとわかるわけがない。
しかしこれが甘さの中に爽やかさを醸し出していて非常に合っている。
紅茶で口を整えてから、もう一口。
ケーキがなくなり、紅茶も底が見え始めた頃に、アイレがようやく口を開いた。
「……ひとつ質問ですが、そのゴミは『新聞』でしたか?」
「ゴミの種類ですか、気にしていませんでした。……いやまった、事情聴取をしてる時に新聞の配達員が来た気がします。すぐに奥様がやってきてポストから回収して行きました。ですが、それになんの関係が?」
それを聞くとアイレは微笑んで「私の想像では、読んでいたのはこの新聞だと思います」と言い、横に置いてあった新聞を俺に渡してきた。
なんの変哲もない新聞。タイトルは『日報サージェン』知らない名前だ。
「これに何かあるのですか?」
「ここ1ヶ月ほど前から、著名な恋愛作家が数百字程度の連載をしているんです。その人気たるや、これを読むためだけに新聞を契約する人がいるほどですよ」
「ゴミがその新聞をまとめた物だというのは理解しましたが、それが事件とどう関係が?」
「……今からする話はあくまで作り話です。事実は全く違うことも十分にあるでしょう。なのでこういった視点もある、程度に思っておいてください」
同意を示すために俺は頷いた。アイレもそれを見て頷いた。
「情報がなさすぎるので今回の件が放火でないと仮定して進めます。この場合は何が原因で火事は起きるでしょう? 自然発火は考えにくいです。であれば考えられるのは火の不始末です」
それは考えたが、パン屋はまだ仕込み前で焼く工程には入ってないはずだ。
「火の不始末と言っても、パンを焼くオーブンの話ではありません。オーブンなら火事になるのは内側でしょうから。私が言いたいのは『タバコ』の不始末です」
紅茶を一口飲んでアイレが続ける。
「店主が朝起きて身支度を整えて、と言っていましたが、その中にタバコを吸うことが含まれていた。
上の階が住居になっていると言っていたので、もし家族に配慮するなら窓の近くで吸うはず。
加えて歳をとってから急に喫煙を始めることは少ないので、それは長年の習慣になっているはずです。
以前まではなんの気もなしに捨てていたタバコの灰が、今日になって偶然火事の火種になってしまった。それはなぜか」
「新聞を取り始めたから」
思わず口を挟む。アイレは笑顔で頷いた。
「そうです。今までは地面に灰を落としても燃える場所がなかったから良かったのです。
けど最近になって奥様が取り始めた新聞、それをまとめた物が下に置かれてしまった。
主人からしたらいつも通りの行動だったのでなんの警戒もしてなかったでしょう。
それでもたまたま新聞の上に灰が落ちて、さらに発火することはそんなに高くない確率だとは思いますが……それは運がなかったのでしょう」
アイレが喋り終え、少しの静寂に包まれる。
「……すごく理にかなった推論、だと思います。本当に。間違いなく騎士団だけじゃここまで考えつきませんでした」
「勘違いして欲しくないのは、これはあくまで少ない情報を頼りに想像した言わば作り話や創作の一種です。
主人がタバコを吸っていなければ成り立たないし、またもっと以前から新聞を取る家庭だったかもしれない。
これはベルツさんを助けるために、与えられた情報から適当に理屈を付けただけです。なのでこれを真実だとは思わないで欲しいです。放火だって、情報がないから推論できなかっただけで、全くあり得ないわけでもありません」
「わかっています。もう一度アイレさんの推論を頼りに捜査をして、騎士団で結論を出します」
そう言うとアイレは微笑んで「約束ですよ」と言った。
「けど楽しかったです。たまには創作というのも悪くないですね」
「何か書こうとは思わないのですか?」
「書くのも悪くない、程度ですかね。私は何かを書くには人より経験が圧倒的に少ないので、それは独りよがりになりそうです」
「……私は読んでみたいです」
「嬉しいことを言ってくれますね。いつか気が向いたら書いてみても良いかもしれません」
寂しそうな顔をするからつい余計な言葉を言った。こうも調子に乗られると困る。
「それはそうとアイレさんも恋愛小説などに興味があるのですね」
「言われると思いました! 私はクロスワードがしたいだけです。ほら、これ!」
そう言って新聞のクロスワード欄を指しながら俺に突き出してくる。やりたかった割には何も埋まってなかった。
俺は笑ってアイレの部屋を後にした。
それから騎士団本部に戻る前にパン屋を見に行くことにする。
着くとパン屋は今日の営業を終えていた。
アイレの推論を思い出して路地から裏口の方に出てみる。
すると2階の窓に店主を見つけた。右手にはタバコ。「騎士の旦那!」と何も知らず笑顔で手を振ってきて、思わず吹き出してしまった。




