第1話 『毒を飲んだ令嬢』
「今日はなんの用ですか?」
安楽椅子に座り灰色の膝掛けをした彼女が、丸いテーブルに置きながら読んでいた厚い本を音を立てないよう閉じ、尋ねてくる。
大体予想出来ているだろうに、彼女はいたずらっ子のように薄く笑って、俺の言葉を待っている。
「毒殺未遂です」
メルシニア伯爵令嬢が毒を盛られた。
シノン伯爵の屋敷、伯爵や子爵の令嬢が集まる茶会で事件は起きた。
箝口令が敷かれたため事件を知っているのは現場にいた伯爵令嬢2人と子爵令嬢3人、そしてシノン伯爵令嬢の侍女1人と、屋敷の使用人たち。
加えて俺こと、リルトール侯爵家の長男であり王国騎士団所属のベルツ・リルトールと調査にあたっている騎士だけ。
犯人探しを騎士団が続けているが、いまだ有力な手がかりが見つかっていない。
「そんな話を私が聞いて良いのですか?」
「貴女はその限りではないと、私が判断しました。……これまでの貴女の実績を考えるとわかるでしょう、アイレ嬢」
そう言うと目の前にいる、真っ直ぐ光沢のある長い黒髪にスイセンの髪飾りをつけた、エルソナ侯爵令嬢であるアイレ・エルソナは紅茶を口に運んだ。
「その“嬢”というのはやめて欲しいと申し上げたでしょう、ベルツ様」
「これは失礼。とっくにわかっていることを無邪気な顔で聞いてくるので、つい。」
少しの沈黙の中で鳥のさえずりが聞こえた。
んん、と咳払いをしてアイレが口を開く。
「それはそうと、未遂ということはその令嬢は無事だったのですね」
「はい。危なかったみたいですが、治療の甲斐もあり一命を取り留めました。まだ目覚めてはいませんが、じきに目覚めるはずです」
「それは良かったです。人が死ぬ話は、少なくとも気分が良いものではありませんから」
アイレは特に表情を動かさずにそう言った。
相変わらず捉え所がない人だ。
「それで、私にこの話を持ってくるということは、犯人がまだ捕まってないという事ですか?」
「そういうことになりますね。恥ずかしながら私は、今回も貴女の頭脳をお借りしたいと思っています」
「……協力を惜しむつもりはありませんが、私が確実に結果を残せると思って声をかけているのでしたら、今一度認識を改めてもらいたいです」
アイレの黒い瞳が真っ直ぐ俺を見ていた。
そりゃそうだ。
成人したといえど、齢15の娘にそんな責任を負わせるつもりは毛頭ない。騎士としても、俺個人としても。
「これまで通り、あくまで意見交換だと思ってもらえれば大丈夫です。私は解決にあたり貴女の名前は出しませんし、仮に何も浮かばなかったとしても貴女をどうこうするつもりは一切ありません」
「安心しました」
それからアイレは少し笑って「本当ですよ」と付け加えた。
「では、今一度事件当日の流れを説明します。
場所はシノン伯爵邸で行われた令嬢によるお茶会。
伯爵と子爵の令嬢達が集まった後、シノン伯爵令嬢から開会の言葉があり、その後彼女の侍女があらかじめそれぞれの席に置いてあったグラスにワインを注いでいき、乾杯を行った。
皆がワインを口にしてから数分後、メルシニア伯爵令嬢が体調不良を訴え、それから数秒もしないうちに喉を掻きむしるようにして倒れた。
他の令嬢達に症状はなく、現状の容疑者は場にいた人たちとシノン伯爵家の人とされています」
「毒はグラスに塗られていた、ということですか?」
一通り黙って聞いていたアイレが聞いてくる。
「はい。捜査により毒は、メルシニア伯爵令嬢のグラスにだけ塗られていたと判明しています」
「つまり、グラスを用意した主催者であるシノン伯爵令嬢とその一家、使用人が容疑者としては強く見えるわけですね」
「ええ、そう考えて騎士団もシノン伯爵家の者の尋問を進めています。ですがシノン伯爵令嬢に始まり全員が容疑を否認していますね。彼女の話によると、そもそも座席自体が指定されていたものではない、とのことです。なのでメルシニア伯爵令嬢がどこに座るかは前もってわからなかったということになります」
これで容疑が晴れるわけではないが、特定の個人を狙ったことを否定するには十分に思える。
「……無差別の可能性が出てくると?」
「そうなりますね。ただ無差別にグラスの一個だけに毒を盛る犯人は考え辛いかと。全部に塗る方がまだ理解ができる」
「ええ。私もそう思います。メルシニア伯爵令嬢を狙ったものかはさておき、特定の誰かを狙ったものであるという線が濃い気がします」
それからアイレは顎に合わせた手の親指を当てながら考え込む。白くて細い腕だ。流暢に喋るのを見ていると、つい病弱であるということを忘れてしまう。
「……考えられる仮説は3つですね」
「その3つとは?」
「1つ目は、計画的な犯行。メルシニア伯爵令嬢を毒が塗られたグラスの席に案内する何かしらの手段があった。この場合犯人は主催者であるシノン伯爵家の者になるでしょう。
2つ目は、無差別な犯行。考えにくいですがこの場合、外部犯の可能性も出てきます。シノン伯爵家に何かしら泥を被せたい家があっても不思議ではありませんから。
そして3つ目は“メルシニア伯爵令嬢による自作自演”です」
そこまで聞いて思わず口を出す。
「自作自演? そんなことをしてなんのメリットが?」
自ら毒を飲む? 信じられない。
たまたま治療が上手くいったから命が助かったものの、まだ目を覚ましてもいない。死んでいてもおかしくなかった。
最悪死んでしまうことも勘定に入れた計画があるとは到底思えない。
「私は日頃他の令嬢と交友がないので、メルシニア伯爵令嬢について残念ながら詳しく知らないのですが、それでも理由ならいくつか挙げられると思います。
まずは先ほど2つ目に挙げたのと似ていますが、シノン伯爵家を陥れる意図があった場合。実際かなり成功率の高い賭けだと思います。現に騎士団はシノン伯爵家の人を捜査しているわけで、その一貫で汚職の証拠などが出てきた場合、シノン伯爵家は事件と関係なく罰を受けることになるでしょう。もし汚職の存在を事前に知っていたなら、それは単なる告発よりも強く作用するであろうことは、想像に難くありません。……それが自分の意思であるかはわかりませんが。
もしくは、毒を飲むことで何かから逃げ出したかった場合。……これは少し説明が難しいですが、例えば自分の行動を逐一指定してくる逃れようのない支配者がいたとして、その人から逃れるための手段として毒を飲み、騎士団の保護下に逃げようとした。そんなことがないとは言い切れないでしょう。最悪死んでしまったとしても、逃げられたことに変わりはないですし。よほど追い詰められていたならば、十分に取り得る選択肢だと思います」
……支配者。そんなわけはないと思うが。一応思い当たることがあるので言っておく。
「メルシニア伯爵令嬢にはユーシス子爵との結婚の予定があったはずです。……しかし、相手は特に悪い噂もなかったはずです」
「……それは私たち部外者には知る術がないことでしょう。
とりあえずメルシニア伯爵令嬢の所持品を捜査し直すことを勧めます」
「それは、なぜですか?」
アイレが静かに微笑む。
「……散々語っておいて申し訳ありませんが、私は他2つの仮説が成り立たないため、ほぼほぼメルシニア伯爵令嬢による自作自演だと思っています。
1つ目の仮説は、計画的なのに計画的じゃなさすぎる点で、成り立たないと考えます。ピンポイントで被害者にグラスを取らせる計画を立てられる人が、自分の1番疑われる場所で犯行に及ぶ理由がないからです。シノン伯爵家の人が犯人だとして、あまりにも注目を浴びてしまう。現に騎士団はそう睨んで尋問しているわけですし。
2つ目の仮説は、外部犯を含む犯人がグラスに毒を塗ったとして、そのグラスをお茶会で使うかどうかまでは、わからないという点で成り立たないと考えます。もし家族での食事にそのグラスが使われて誰かが倒れたとして、真っ先に疑われるのは使用人ひいては政敵になり得る外部犯です。それにシノン伯爵家に対外的なダメージはないですから。
なので3つ目の仮説が本命です。
もちろんシノン伯爵家の中に裏切り者がいる場合もあるにはあるので、あくまで合理的な視点の整理とだけ思ってもらえたら」
そこまで一気に話すとアイレはふぅ、と息を吐いた。普段こんなに話さないからか、疲れで二重が若干深くなっている。すっかり冷めた紅茶のカップに口をつけるて微妙な顔をしていた。
「……メルシニア伯爵令嬢の持ち物を今一度調べ直してみようと思う」
アイレは微笑んで「えぇ」とだけ言った。
いつも通り見送りは出来ないという謝罪を固辞して俺は帰路に着いた。
後日アイレのもとを訪ねると、今日は寝室のベッドで上半身だけ起こしていた。寝巻きの上に白いカーディガンを着ていた。髪飾りはなかった。
「こんな格好で出迎えて申し訳ありません。今日は朝から体調が優れなくて」
「こちらこそ、そんな日に押しかけて申し訳ない。なるべく手短に済ませよう」
「心遣い感謝します」
アイレは丁寧に頭を下げた。
「……メルシニア伯爵令嬢の件だが、ひとまず解決となった」
「それは良かったです」
「大体アイレさんが話した通りでした」
俺は目覚めたメルシニア伯爵令嬢に、今は騎士団の保護下にいること、シノン伯爵家が疑われていること、今なら何を言っても守ってやれることを伝えた。
それを聞いた彼女は涙ながらにユーシス子爵による暴力や脅迫について告発した。
ユーシス子爵に金銭的な援助を受けていたメルシニア伯爵は、その対価として娘を差し出していた。その対価をメルシニア伯爵が高いと思ったのか、安いと思ったのかは知らない。
伯爵令嬢はほぼ監禁状態にあり、助けを呼べることもなく子爵に何度も関係を求められた。
そして結婚が決まり、婦人として社交の場に必要が生じて外に出ることが限定的だが許されるようになると、彼女はこれが最後のチャンスだと思うようになった。
しかし、社交の場で出会った誰かに告発してもらうにも相手を巻き込んでしまうかもしれないし、ユーシス子爵に近しい人物かもしれない。正常な判断が下せる状況になかったのもあり、迂闊に助けを求めることは出来ないと感じていた。
今回のお茶会から2週ほど前の夜会で計画の相談した幼い頃からの友人に、お茶会の3日前に毒をもらい、今回の計画を実行するに至った。
これが事の顛末だった。関係者の処罰はもう俺の管轄ではない。
「嫌な話ですね」
体の前で指を組んで静かに聞いていたアイレがぽつりと言った。
「貴女も侯爵令嬢ですからね。思うところはあるでしょう」
「もっとも私は体が弱いので、同じ枠なのかは疑問ですが」
触れずらい返事だ。言わなきゃ良かった。
「……そうですね」
あまりアイレのことを知らない俺はそう答えるしかなかった。
「それはそうと、今回も貴女のおかげで無事解決できました。心から感謝します」
俺は騎士として、そして個人としても謝辞を述べた。
アイレがその名前を公表したがらないため、事件解決の報酬は代表であった俺がまた受け取ることになった。
だからせめて感謝だけは心から言いたいと思った。
そんな俺の胸中を知る由もないアイレは、得意げな顔で「天才ですから」なんて言った。彼女なりの照れ隠しなのかもしれない。
だから「知ってますよ」と俺も真剣な顔で言ってみる。半分は冗談だけど半分は本気で。
得意げにしていたアイレの視線が揺れるのを、俺は見逃さなかった。
「……そうですか」
その仕草が年相応の令嬢に見えて、俺はどこか嬉しくなった。




