第6章 感染
壊れてしまった社畜の悲しい復讐劇
変化は、音を立てない。
最初に崩れたのは若手だった。
次に揺らいだのは中堅だった。
三十代後半、入社十年以上。
会社の将来をまだどこかで信じている層。
彼らは相沢を軽蔑しだしていた。
「最近の相沢、やる気ないよな」
「昔は違ったのに」
だが、数字は伸びない。
無理な目標は続く。
上は詰める。
下は辞める。
中堅は板挟みになる。
ある日、山本が言った。
「もう無理かもしれん」
彼は営業成績トップクラスだった。
だが目の下に濃い隈がある。
「今期の目標150%にされたよ」
笑いながら言う。
目は笑っていない。
「達成できそうですか」
相沢が聞く。
「できるわけないだろ」
沈黙。
「でもやるしかない」
相沢は小さく首を傾げる。
「やらなくても、死にはしません」
山本は苦笑する。
「お前みたいにはなれん」
その言葉に、わずかな棘がある。
だが半年後、山本の残業時間は減った。
会議での発言も減った。
資料の完成度も、わずかに落ちた。
誰も気づかない程度に。
それで十分だった。
会社の空気が変わる。
挑戦よりも、防御。
提案よりも、無難。
会議は静かになる。
「何か意見は?」
黒田が言う。
誰も手を挙げない。
かつては活発だった議論が、消えた。
相沢は発言しない。
ただ頷く。
沈黙は伝播する。
勇気よりも、諦めの方が移りやすい。
大型プロジェクトが動き出した。
会社の命運を握る案件。
全社横断。
通常なら士気が上がる。
だが今回は違った。
「どうせ無理な目標だ」
その声が、水面下で広がる。
相沢は八割で仕事をする。
不足はない。
だが、攻めない。
リスクの深掘りをしない。
「まあ大丈夫でしょう」
その一言が、何度も会議で使われた。
誰も強く否定しない。
なぜなら、深く踏み込めば自分の負担が増えるからだ。
結果は、失敗だった。
納期遅延。
仕様の見落とし。
顧客からのクレーム。
損失額は大きい。
役員会は荒れた。
黒田は吊るし上げられる。
「なぜ管理できなかった」
だが、誰か一人の責任ではない。
全員が少しずつ足りなかった。
その“少し”が積み重なった。
部署は沈んだ。
怒鳴る気力もなくなる。
黒田は目に見えて老けた。
相沢に言う。
「最近、みんな覇気がない」
「そうですね」
「どう思う」
相沢は考える。
本当の答えは知っている。
だが口にする必要はない。
「疲れてるんじゃないですか」
曖昧な言葉。
だが否定もできない。
社内アンケートの結果が出た。
「会社の将来に希望を持てるか」
肯定回答は過去最低。
人事は対策を検討する。
研修。
スローガン。
社内イベント。
表面を磨く。
だが内部は乾いている。
相沢は資料を見ながら思う。
もう戻らない。
一度削がれた意欲は、簡単には戻らない。
その夜、相沢は一人で残業していた。
特に急ぎの仕事はない。
帰っても何もない。
蛍光灯の音だけが響く。
ふと、胃に鈍い痛みが走る。
机に手をつく。
呼吸を整える。
壊れているのは、会社だけではない。
だがそれでも、止めない。
やめれば会社は少し回復するかもしれない。
自分が本気を出せば、何かは変わるかもしれない。
だが、それは選ばない。
選ばないことを、選び続ける。
それが復讐だ。
窓の外は暗い。
ビルの灯りが点々と残る。
同じように消耗した人間たち。
相沢は思う。
会社は人でできている。
ならば人が静かに弱れば、会社も弱る。
怒りではない。
憎しみでもない。
ただ、温度を下げる。
熱を奪う。
それだけでいい。
大型案件の失敗から三か月。
売上は下方修正。
来期予算は縮小。
人員補充は凍結。
負の循環が始まった。
誰も叫ばない。
誰も暴れない。
静かに、確実に、沈んでいく。
相沢はその中心にいる。
だが目立たない。
最低評価でもない。
最高評価でもない。
ただの社員。
ただの八割。
それが一番、長く効く。
胃の痛みを抱えながら、相沢はキーボードを打つ。
音は規則正しい。
まるで心電図のように。
まだ止まらない。
まだ続く。
会社も、自分も。
どちらが先に崩れるか。
それを見届けるまで。
次回、第七章は3月22日 19時更新予定




