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貧乏令嬢と秘密のラウンジ~婚約者の浮気相手は私でした~  作者: 梅澤 空


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訪問者③

「……はあ? なんだお前、ふざけてんのか?」


男の一人が、ナイフを抜いてルシアンに歩み寄った。

切っ先がルシアンの美しい喉元に向けられる。


「痛い目見なきゃ分からねえようだな、お坊ちゃん!」

「おや、野蛮だね」


ルシアンは眉一つ動かさず、優雅に微笑んだままだ。

男が腕を振り上げた――その時。


ヒュッ。


風を切る音がしたかと思うと、男の身体が糸の切れた人形のように崩れ落ちた。

白目を剥いて、ピクリとも動かない。


「――あ?」


残りの二人が状況を理解するよりも早く、彼らの背後から「影」が沸き上がった。

音もなく現れた黒い影たちが、男たちの首筋に手刀を叩きこむ。

鈍い音が二つ重なり、路地裏に静寂が戻った。


(……さすがは『(レイヴン)』。手際がいいわね)


ハリエットは関心してその光景を眺めていた。


彼らは皇太子直属の諜報機関『(レイヴン)』。末端構成員(アルバイト)のハリエットとは、装備も給料も桁が違う。


「お見事です。でもルシアン様、彼らに伝えていただけますか?」


ハリエットは倒れた男たちを冷ややかに見下ろし、ルシアンに向き直った。


「私のスウィードを踏まないように気をつけて、と」

「……君のその、ブレないところが好きだよ」


ルシアンは苦笑し、影たちに指先で合図を送った。かけたちは無言で男たちを引きずり、闇の中へと消えていく。その動きは素早く、足音ひとつ立てない。


(はあ、いいなぁ……)


ハリエットは羨望の眼差しで彼らの足元を見つめた。支給品だろうか、頑丈そうな皮のブーツを履いている。靴底もしっかりとしていそうだ。あれなら冬の水たまりだって怖くない。ひるがえって、自分の足元を見る。ぼろぼろの靴。穴まで空いている。


(『(レイヴン)』の正規雇用と、末端のバイトじゃあ、雲泥の差ね。……今度、現物支給で靴をねだってみようかしら)


そんな世知辛いことを考えている間に、路地裏では静寂が戻っていた。残されたのは、へし折れたセロリと、スウィードを握りしめた貧乏令嬢、そして煌びやかな皇太子だけだ。


「さて、邪魔者はいなくなったね」


ルシアンは地面に落ちたセロリを避けながら近づいてきた。

その顔から笑みが消え、為政者の顔になる。


「仕事を頼みたい、ローズ」

「内容は? そして報酬は?」


ハリエットもまた、即座に「ローズ」になった。

スウィードをポケットにしまい、眼鏡の位置を指で直す。


金貨(クラウン)十枚だ」

「やります」


即答だった。内容は聞いていない。だが金貨(クラウン)十枚なら、たとえ火の中水の中、敵陣のど真ん中でも飛び込んでやる。


「話が早くて助かるよ。……場所を変えようか」


ルシアンが歩き出そうとするが、ハリエットはその場を動かなかった。彼女は地面にしゃがみこみ、無残にも踏みにじられたセロリの残骸を、沈痛な面持ちで見つめている。


「あの、ルシアン様」

「なんだい? 前金をご所望かな?」

「いえ、今回の報酬に、『セロリの損害賠償』と『スウィードへの報奨金』は含まれておりますでしょうか」


ハリエットは折れた茎を拾い上げ、恨めし気に呟いた。

金貨(クラウン)十枚の話をしているのに、セロリを惜しむ。そのあまりの貧乏性、もとい堅実さにルシアンはきょとんとして――。


「ぷっ、くくく! あはははは!」


肩を震わせて吹き出した。


「君は本当に面白いな! 最高だよ! いいだろう、犠牲になった野菜たちに敬意を表して『最高級ディナー』を追加しよう。もちろん、デザート付きだ」


「……!」

ハリエットの手から、パラパラとセロリの残骸が滑り落ちた。


(この前、報酬で頂いたカモのコンフィも最高だったのよ。次は何かしら)


彼女はパンパンと手を払い、セロリの残骸を拾い上げた。先ほどまでの沈痛な表情をかなぐり捨てて、満面の笑みを浮かべる。


「参りましょう、マイマスター。荷物持ちが必要ならおっしゃってください。スウィードと一緒にお運びいたしますので」


「はは、頼もしいね。でもその野菜はしまっておいてくれ。投げられたらひとたまりもないからね」


ルシアンは楽しげに笑い、ハリエットをエスコートするように手を差し出した。


ふわっと彼が動いたときに風に乗って甘くて優雅な香りが漂った。


くんくん。ハリエットは無意識に鼻をひくつかせた。


最高級のベルガモットと、清潔な石鹸。そして糊のきいたリネンの香り。それは幸福の香りだった。


(それに引き換え、私は)


ハリエットは自分の袖口を嗅いだ。ブン、と鼻につくのは、へし折れたセロリの青臭さと、煤煙(ばいえん)の臭い。圧倒的な「生活感」の差に、少しだけ現実に引き戻される。


(うっかり触って、この高級な香りに『セロリ臭』を移したら、洗濯代を請求されるんじゃ? ひいっ! いくらするんだろう)


そんな懸念が頭をよぎったのだ。彼女は慌ててコートの裾でゴシゴシと手のひらを拭った。


「お気遣いなく。手が……セロリ臭いので」

「構わないさ。君の手は、働き者の美しい手だ」

ルシアンは強引にハリエットの手を取り、引き寄せた。

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