訪問者②
「……何の用?」
ハリエットは麻袋を背中に隠し、警戒心むき出しで問う。男の一人が、黄色い歯を見せて笑う。
「つれないねえ。借金の回収だよ」
「つい先日も返したばかりじゃない」
「へへ、利息だよ、利息。今のままじゃ元金は減らねえ。あっという間に『大金貨』の大台に乗っちまうぞ? 小銭しか稼げねえ庶民が、一生かかっても返せる額じゃなくなっちまう」
(……大金貨!)
ハリエットの顔色がさっと青ざめた。庶民が使うのは銅貨か、銀貨だ。金貨でさえ滅多に拝めないのに、大金貨なんて貴族の土地取引でしか見ない単位だ。そんな額になれば、一生奴隷のように搾取され続けることになる。
「金がないなら、その体で払ってもらおうか。腐ってもお貴族様。ああ、元お貴族様か、何より生娘だ。大通りの娼館なら良い値がつくだろ」
「お断りよ。安売りするつもりはないわ」
「威勢がいいねえ! じゃあ、まずはその袋の中身を貰おうか。金目のもんが入ってんだろ?」
男の手が、ハリエットの背後の袋に伸びた。
「あ、ちょっと!」
汚い手が、麻袋からセロリの葉を掴む。パキッ、という嫌な音がした。新鮮なセロリの茎が無残にも折られた音だった。――ハリエットの脳内で、何かがプツンと切れた。
(私の……セロリ)
ノーマおばさんがくれた、大事な食糧。希望の糧。筋を取って、薄くスライスして、炒めて食べようかスープに入れようか幸せな悩みを抱えていたのに、あの嫌な音がぶち壊してしまった。
「離しなさい」
「あぁ?」
「その汚い手で、私の夕飯に触るなって言ったのよ!!」
ハリエットは叫ぶと同時に、袋の中に手を突っ込んだ。掴んだのはスウィードだ。ずしりとした重み。
(スウィードならちょっとやそっとじゃ砕けないはず! 洗って皮剥けば問題なし!)
彼女はそれを迷いなく振りかぶる。
(感謝するわ、あのアルバイト!)
去年の夏にやった「クリケットチームの練習相手兼、球拾い」の短期バイト。飛んでくるボールを素手でキャッチし、ウィケットに向かって全力で投げ返し続けたあの日々。まさかこんな路地裏で、あの時に得た筋肉とフォームが役に立つとは。
「ふんっ!」
美しいフォームから繰り出されたスウィードは、一直線に男の顔面に吸い込まれていく。
ゴッ!!
鈍く、重い音が路地裏に響き渡る。
「ぶべっ!?」
男が鼻を押さえてうずくまった。予想外の反撃。しかも凶器は野菜。残りの男たちが呆気にとられている間に、ハリエットはもう一度麻袋からスウィードを取り、構え直す。
「かかってきなさいよ! 本当はあんたたちに野菜を投げるなんてもったいなさすぎるんだから! 感謝して受け取りなさい!」
「こ、この女……」
男たちが色めき立ち、ナイフを取り出そうとした、その時だ。
「――ぶっ、ははははは!」
頭上から、場違いに明るい笑い声が降ってきた。全員が驚いて見上げる。路地の横、低い屋根の上に、一人の青年が腰掛けていた。
夕闇の中でも輝くようなブロンドの髪。白シャツとベストの上に、最高級のテンの毛皮を襟にあしらった、深いロイヤルブルーのコートをマントのように肩に引っ掛けている。長い足をぶらぶらさせながら、彼は腹を抱えて笑っていた。
「傑作だ! まさかスウィードで人を倒す令嬢がいるとはね! いやあ、いい音だったよ。骨が砕けるような音と、野菜が割れる音が同時にした」
(……ルシアン様!)
ハリエットの表情が、ぱあっと輝いた。見間違うはずがない。以前、同じように借金取りに囲まれていた私を、颯爽と助けてくれた命の恩人。それだけではない。路頭に迷いかけたハリエットに『黒蝶の館』という高給の職場を紹介し「君の度胸とここで得た情報を高く買おう」と言ってくれた、気前のいい雇い主。イラディア帝国皇太子ルシアン・イラディア様。
つまり、今のハリエットにとって彼は、闇夜に輝く「歩く大金貨様」だ。いや、もはや後光すら差して見える。「慈悲」という名のお金をばら撒く、現世の神だ。
(私の超優良雇い主様じゃないですか)
彼はハリエットが金に困っていることを知った上で、チャンスと報酬を与えてくれる。ハリエットはスウィードを持ったまま、思わず敬礼しそうになった。
ルシアンは屋根からひらりと飛び降りた。着地音すらさせず、ハリエットと男たちの間に割り込む。
「あ、あん? なんだてめえ……」
男たちが気圧されたように後ずさる。ハリエットは冷めた目でそれを見ていた。無理もない。立っているだけで場を支配する気配が、笑顔の裏に隠されていることを本能で悟ったのだ。
(まるで、ライオンね。圧倒的強者だわ)
ルシアンは男たちなど眼中にないという風に、ハリエットへと視線を流した。
「やあ、こんばんは。楽しいパーティーの最中に申し訳ないが、この女性と勇敢なスウィードは、僕がもらってもいいかな?」
スウィードは、日本ではルタバガやスウェーデンカブと呼ばれています。




