小さなお助け屋①
ルシアンから渡された招待状は金箔で縁取られ、見るからに上等だった。ハリエットは食卓に広げ、流麗な文字を一文字ずつ辿る。日時、場所――ここまでは良い。会場に入るためのドレスも手に入れた。
報酬の金貨十枚が目の前でチラつき始めている。
『ご同伴者さまと共にお越しください』
ハリエットの指が止まる。招待状を反射的にテーブルに叩きつけそうになって、寸前で止めた。紙自体に恨みはない。
(本当にこれどうしたらいいの!?)
一見華やかな船上パーティーという光の下へ、独り身の女がふらりと入ることは許されない。そういう世界なのだ。
(誰か、適当な男を調達しないといけないわね)
今回の任務は、船上パーティーへの潜入工作だ。
優雅にグラスを傾けたあと、強風が吹くデッキから倉庫の屋根へ飛び移り、小火騒ぎを起こして憲兵を誘導する。失敗すれば、極寒のエルドミア川へ真っ逆さま。水死体の出来上がりだ。
ハリエットは腕を組み、『黒蝶の館』の顧客リストを思い浮かべる。
候補者一人目、ウィリアム伯爵。
金払いはいい。でもワイン一杯で口が軽くなる。ついでに手も早くなる。店以外で会うとなった時点で自分の貞操が危うい。却下である。
候補者二人目、クーパー子爵。
紳士的だが、奥様が探偵を雇って浮気調査中という噂がある。修羅場に巻き込まれるのは避けたい。却下である。
候補者三人目、トンプソン男爵。
ここ最近男爵になった成金の商人。この前、隙あらば隣に座るラウンジ嬢の手を舐める変態。もうそろそろ出禁になるらしい。論外中の論外。生理的に無理なので却下である。
そもそもラウンジの客は、あくまで「客」だ。上客に頼み事など出来やしない。したら最後、マダム・モリーにクビにされて終わりだ。
(仕方ない、金だけで動いてくれるプロを探すしかないわね)
余計な出費だが、背に腹は代えられない。
ハリエットは変装用の地味な帽子を目深に被り、スカーフで口元を隠して長屋を出た。
帝都の裏通り。大通りの華やかさとは無縁の、カビの臭いが漂う一角に、その店はある。
看板はなく、さび付いた鉄扉に「ちいさなお助け屋」と殴り書きされた紙が貼ってあるだけだ。
ハリエットは扉をノックした。三回、一回、二回。
「……入れ」
中からしわがれた声がした。
薄暗い室内には、古臭い紙と安いタバコの臭いが充満している。天井まで届く書類の山と、小道具が乱雑に積み上げられていた。その隙間に埋もれるようにして、片眼鏡をした爺さんが座っている。
「なんだ、またお前か。今日は何の用だ? また即金の仕事でも探しに来たのか?」
「今日は、人を探しに来たのよ」
ハリエットは埃っぽい椅子をハンカチで拭ってから腰を下ろした。
「『一夜限りの恋人役』が出来る男を借りたいの」
「ほう?」
爺さんは片眼鏡の位置を直し、ニヤリと笑った。
「条件は?」
「口が堅いこと、夜会服を着こなせること。余計な質問をしないこと。そして、私の指示に従うこと」
「多いな……それで? 予算は?」
ハリエットは財布の中身を確認してから、指を一本立てた。
「ほう、中々の奮発だな」
「……銀貨一枚」
爺さんは目を丸くし、それから鼻で笑った。
「帰りな。その額じゃあ、老いぼれ爺さんの一人も借りられないわ」
「そこをなんとか! 多少ポンコツでも私がカバーするから!」
「……チッ。仕方ねえな。お前さんには以前、クリケットチームの件で世話になったからな」
爺さんは分厚い台帳をめくり、一枚の紙を破り取った。
「こいつなら、顔だけはいい。ちょうど仕事にあぶれてるそうだ」
三十分後。指定されたカフェで、ハリエットは紹介された人物と対面していた。
ロバートと名乗る男は、確かに顔は悪くなかった。細身で茶髪を撫でつけ、どこか憂いを帯びた瞳をしている。彼は胸に手を当てて、コーヒーカップを掲げて話し始めた。
「ああ、夜会! なんと甘美な響きだろうか! 僕はずっと待っていたんだ。この才能が輝く舞台を! 僕はね、本当は帝国劇場の主演を張るはずだったんだ。だが、時代が僕に追いつかなかった! 君もそう思うだろう? この顔の良さ、この情熱!」
(うるさい。しかも依頼内容を大声で言うとか頭がおかしい)
ハリエットは冷めた目で男を見た。
彼は将来有望な劇団員(自称)。いや、売れない理由は明白だ。日常会話がすべて芝居がかっていて会話が成立しないのだ。
「『友よ、帝国民よ、同胞よ、どうか耳を傾けてくれ』」
カフェの客たちが一斉にこちらを見る。ハリエットはこめかみを押さえた。
(無理だ。多少のポンコツならカバーできると思ったけど、これは出来ない)
目立つなと言っても、この男はスポットライトを求めて蛾のように光に飛び込んでいくだろう。隠密行動には最も不向きな人種だ。
「……ロバートさん」
「なんだい? ブルータス」
「ハリエットです。お話は終わりました。ありがとうございました。お帰りはあちらです」
「なっ!? まだ演じ足りない!」
「知りません!」
ハリエットは男を追い出し、テーブルに突っ伏した。
コーヒー代、二銅貨の払い損になった。
今日の夕食のパン代が、無駄な演劇鑑賞代に消えた。
ハリエットは空になったカップの底を見つめ、ため息を盛大についた。




