古着屋「フィンチ夫人の店」
古着屋「フィンチ夫人の店」は、帝都の下町にひっそりと佇んでいた。看板代わりの木製マネキンが纏っているドレスは少し色褪せ気味だ。ここはハリエットにとってお馴染みの店。ここで何度、掘り出し物を見つけたことか。
カランカラン、とベルを鳴らして店に入る。
「いらっしゃい」
奥から現れたのは、白髪を後ろで束ねた老婆だった。フィンチ夫人その人だ。
「あら、ハリエットちゃん。今日は何を探しに来たの?」
「フィンチさん、こんにちは。今日はドレスを探しに来たんです。パーティー用のちゃんとしたやつを」
「パーティー? あなた、お貴族様復活したの?」
「仕事ですよ、仕事。……で、何かありませんか? 予算は銀貨五枚におさめたいんです」
「五枚!?」
フィンチ夫人は目を剥いた。
「ハリエットちゃん正気なの? パーティー用のドレスが銀貨五枚で買えるわけないでしょう」
「だから、古着屋に来てるんじゃないですか。掘り出し物があるかもって」
「掘り出し物ねえ……」
フィンチ夫人はため息をつきながら、店の奥へと消えていった。
ハリエットは待つ間、所狭しと吊るされた服の山を物色する。
ラベンダーの香りのする、埃をかぶった防虫剤。そして、かすかなカビ臭さ。
「これなんて、どうかしら……」
手に取ったのは、深緑のベルベッドドレス。デザインは悪くない。値段は……ちょっと超えるけど許容範囲内だ。十年ほど前の流行だが、流行は繰り返すものだ。今着れば「古典的で上品」と言い張れなくもない。
だが、胸元をよく見てみると、赤黒い染みがべっとりと付着している。
(これって……ワイン? じゃないわね)
どう見ても「事件性」のある染みだ。洗って落ちるかも怪しいし、仮に落ちたとしても、パーティー会場で「お怪我されました?」と心配されたり噂になるのは御免だ。
「フィンチさん、これ何の染みですか?」
「ああ、それね。前の持ち主がインクレット通りの近くに住んでた人でね。ほら、あそこの床屋――」
「思い出さなくていいわ」
インクレット通りの床屋。猟奇的な事件を起こした、悪名高い理髪師の店があった界隈だ。
(このドレスの持ち主、今どこで何になってるのかしら。何にせよ、聞かなくてよかった)
ハリエットは静かにドレスをラックに戻した。
次に手に取ったのは、淡い水色のシルクドレス。色は可愛らしいが、よく見るとわきの下に黄ばみがある。しかも、かなり年季の入った黄ばみだ。
「……そもそも夏物だしね、これ」
三着目、四着目、五着目。
どれもこれも、「古臭い」を通り越して「呪い」のドレスとしか言いようのない代物ばかりだ。
「ねえ、フィンチさん。本当にこれで全部ですか?」
「全部よ。銀貨五枚でまともなドレスが買えると思ってるの? ドレスよ? 世の中舐めてるんじゃないわよ」
「……十枚なら?」
「話にならないね。最低でも銀貨五十から。それでも中古よ」
銀貨五十枚。それだけあれば、この冬を暖かく贅沢に過ごせる。
(無理よ……)
どう考えても、ドレス一着に払う金額ではない。
「わかったわ、今日はやめとく」
「お金が出来たらおいで」
フィンチ夫人に追い出される形で、ハリエットは店を後にした。
煤煙に覆われた空を見上げ、深く息を吐く。
(銀貨五枚じゃダメだったか。そりゃそうよね。あの店ならあると思ったんだけどな)
道端の石ころを靴先で蹴飛ばす。石は乾いた音を立てて坂道を転がっていった。
(母様のドレス、売らなきゃよかったかな。でも、あの時は食費がなかったんだからしょうがなかったし)
ぐるぐると、色々な思考が頭を巡る。
(いっそのことカーテンでも巻き付けてパーティーに行く? 店のいらなくなったカーテンなら質もいいだろう……し)
ふと、ひとつの可能性が頭をよぎった。
(待って……店?)
黒蝶の館には、ラウンジ嬢用の衣装が山ほどある。どれも仕立ての良い、上等な品ばかりだ。
普段は店から借りているのだから、一晩くらい外に持ち出しが可能かもしれない。
ハリエットの足取りが軽くなった。
「貸出? ダメに決まってるじゃない」
黒蝶の館の従業員用の出入り口付近で、支配人のマダム・モリ―はにべもなく切り捨てた。
マダムは派手な紫のドレスに身を包み、真っ赤なルージュを引いた唇から紫煙を吐き出している。
「そこをなんとか、マダム。一晩だけでいいんです」
「一晩だろうが、一時間だろうが、変わらないわ」
「洗濯屋に出してからお返ししますから」
「問題はそこじゃないの」
マダムはキセルの灰を落とし、ハリエットを睨んだ。
「いい? ローズ。うちのドレスはすべて特注品。帝都で五本の指に入る仕立て屋に頼んで、一着につき金貨十枚以上かけてるのよ」
「じゅ、十枚……」
「もし汚したり破いたりしたら、あなたのお給料三か月分じゃきかないわ。それでも借りたい?」
ハリエットは黙り込んだ。
三か月分。マダムは冗談を言わない人だ。もし本当に弁償することになったら、ハリエットはタダ働きを強いられることになる。
「……わかりました」
「分かればよろしい」
マダムはふん、と鼻を鳴らした。
「諦めて自前を用意なさい。それがプロというものよ」
マダムが去った廊下で壁にもたれ、天井を仰ぐ。
(……終わったわ)
古着は祟られそうなものしかない。店の衣装は借りられない。新品を買うお金はない。貸衣装屋に行くにしても、まともなドレスを借りるには金貨がいる。汚したり破れたりなんてしたら……。
(どうしようか。やっぱり金貨出すしかないのかな。私のなけなしの金貨ちゃん。後で報酬で回収できるけど、もし失敗したら)
パーティーまであと二週間。ルシアン皇太子から命じられた任務だ。なんといっても金貨十枚、ペアディナー券付きだ。赤字で終わるなんてハリエットの矜持が許さない。
だが、ドレスがなければ会場に入ることすらできない。
(報酬に釣られて即答しなければ良かった……あの日の私のバカ! マダムもちょっとぐらい融通利かせてくれてもいいのに……もう! ケチんぼ! 厚化粧!)
ハリエットが壁にガンガン頭を打ち付けていると、背後から声がかかった。
「ローズ、何やってるんだ」
その声にハリエットはビクリと肩を震わせた。振り返ると、呆れ顔の黒服のボーイが立っていた。
「うふふ、最近肩こりがひどくて。額に刺激を与えると、血行が良くなるのよ。知らない? それで? 何の用?」
ハリエットは早口で捲し立てた。黒服のボーイは引き気味に答える。
「し、指名だぞ。上客だ。『どうしてもローズがいい』ってさ。奥のボックス席で待ってる」
その言葉にハリエットの耳がピクリと動いた。
上客ということは、金払いがいい。チップも弾む。うまくいけば、ドレス代の足しになるかもしれない。
「……分かりました。行きます」
ハリエットは手早く鏡で髪を整え、「ローズ」の顔を作った。
営業用の微笑み。しなやかな所作。声のトーンを少しだけ上げる。
奥のボックス席は、重厚なカーテンで仕切られた半個室だ。常連の貴族や富豪が使う、店でも一、二を争う上席である。
カーテンを開け、ハリエットは優雅に一礼した。
「お待たせいたしました。ローズでございま――」
言葉が止まった。皮張りのソファに腰掛けていたのは、見知らぬ貴族ではなかった。
黒髪。灰色の瞳。いつもの軍服ではなく、仕立ての良いグレーのジャケットを着た、私服姿の青年。
レックス・アシュフォード。
ハリエットの婚約者が、そこにいた。
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