表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
貧乏令嬢と秘密のラウンジ~婚約者の浮気相手は私でした~  作者: 梅澤 空


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/17

訪問者④

 目の前に広がるのは、宝石箱のようなデザートプレートだった。フランボワーズのムース、クレーム・ブリュレ、そして飴細工で飾られたフルーツのタルト。ハリエットはスプーンを握りしめ、恍惚とした表情で震えていた。


「……神よ」


 思わず祈りを捧げる。数時間前まで、折れたセロリに涙していた女と同一人物とは思えない。


(さっきの食前酒(アペリティフ)のシャンパンもローストビーフも頬っぺた落ちちゃうんじゃないかと思ったわ)


 だが、ひと口食べたところで、ハリエットの手がピタリと止まった。


「ん? 口に合わなかった?」

「……いえ。美味しすぎて、バチが当たりそうで」


 ハリエットは眉を下げ、皿の上の芸術品を見つめた。


「母様にも食べさせてあげたいなって。私だけこのような夢みたいなものを食べているなんて……」


 美味しいものを食べれば食べるほど、家にいる母の顔が浮かぶ。自分一人で幸福を独占するのは、なんだか裏切り行為のような気がして、喉が詰まるのだ。彼女は意を決して顔を上げた。


「あの、ルシアン様。不躾なお願いなのは重々承知しておりますが」

「なんだい?」

「この焼き菓子とタルト、包んでいただいてもよろしいでしょうか。母様にも食べさせてあげたくて」


 恥を忍んで頼み込む。高級レストランで「持ち帰り」なんてマナー違反もいいところだ。貧乏丸出しで笑われるかもしれない。けれどルシアンは目を丸くした後、優しく目を細めた。


「……君は、優しい子だね」

「え?」

「いいよ。ウェイターに言ってお母上用に新しい詰め合わせを用意させよう。ここの焼き菓子は日持ちもするだろうから、きっと喜ばれる」

「ほ、本当ですか!?」

「ああ、君が僕のために働いてくれるのだから、君の家族への配慮も僕の義務だろう」


(神だ。この人はやっぱり神だわ)


 ハリエットは感激のあまり、テーブル越しに拝み倒した。これで心置きなく目の前のムースに集中できる。


「ありがとうございます! ルシアン様のためなら、この身が粉になるまで働かせていただきます!」

「それは良かった。ではお腹も満たされたところで――少し『依頼』の話をしようか」


 甘く幸せな空気の中に、不釣り合いな単語が放り込まれた。ハリエットはデザートの皿から顔を上げた。


「なんでしょうか?」

「ブラックパウダーをね、奪ってきて欲しいんだ」


「ブラックパウダー? 黒コショウが効いた激辛スパイスかなにかでしょうか」

「まさか。文字通りの火薬だよ。黒色火薬」


 ルシアンはナプキンで口元を拭い、声を潜めた。


「僕の依頼の本命が『裏帳簿』なのは変わらない。だが、今の奴は権力を持ちすぎている。金、コネ、そして近衛騎士団という『武力』だ。いきなり帳簿を奪っても、やつは武力でもみ消しにかかるだろう。最悪、私兵を使って目撃者を消すことさえ厭わない」


「……野蛮なマントヒヒなんですね」

「っ!マントヒヒ……ふふ、そうだね、だからまずは奴の『牙』を抜こうと思う」


 ルシアンがテーブルの上に一枚の地図を広げた。帝都のエルドミア河港。倉庫街の一角に、赤い印がつけられている。


「ここだ。表向きは輸入茶葉の倉庫らしいけど、中身は違う」

「ここに火薬が?」

「大量にね。ここにあるのは、横流しされた軍用の火薬だよ。奴はいずれこれを裏社会に流すか、あるいは有事の際の切り札にするつもりだろうね」


 ハリエットはごくりと唾を飲み込んだ。石炭価格の高騰に嘆く庶民の裏で、そんな大量の爆発物が隠されているなんて。


「今回の君の任務は、この倉庫への潜入と工作だ」

「工作……ですか?」

「派手に爆破しろとか大量に奪ってきてなんて言わない。ただ、少しばかり、軍が『偶然』駆けつけたくなるような騒ぎを起こしてほしいんだよ。例えば、小火(ぼや)とかね」


 ハリエットは眉をひそめた。


「ルシアン様。私、こう見えてもか弱いレディですわ? 火遊びは母様に止められています」

「おやおや。先ほどスウィードで大男を撃退したレディが何を言う」

「それに、火薬庫で小火(ぼや)なんて、自殺行為です。危険手当はつきますか? 命の値段は高いのですよ」


「もちろん。成功報酬とは別に、この店の『ペアディナー券』を三回分つけよう。お母上と一緒に来るといいよ」


 ハリエットは震える手で口元を覆った。瞳にじわりと涙が浮かぶ。


「母様と……この夢のような時間を、三回も……? 貴方様はやはり神ですか?」

「い、いや、神じゃないしね。あの、だから泣くのはやめてくれ」


 彼女は涙を拭うと、ルシアンの手をガシッと両手で握りしめた。


「ルシアン様。私、決めました」

「痛い痛い、手が痛いよローズ」

「その倉庫、更地にすればよろしいですか?」

「いや、そこまで頼んでない。小火(ぼや)で良いって言ってるじゃないか。まぁでも頼もしいよ」


 ルシアンは楽し気に目を細めた。ハリエットは鼻息荒く席に戻り、残りのムースを口に放り込む。


(ディナー三回分! しかも母様と! 借金返済が進む上に、極上のご飯にありつける、火薬庫? 上等だ。母様との極上ディナーのためならスキップして火の海にだって飛び込むわ)


「で、具体的な潜入方法ですが」


 ハリエットは真剣な顔つきになった。この倉庫街、警備は厳重なはずだ。正面突破は難しい。


「ちょうどいいことに二週間後の夜、この倉庫の持ち主が主催のパーティーがあるんだ。港に停泊している豪華客船でね。表向きは茶葉の試飲会らしいけど、裏ではソーンと闇商人の顔合わせがある」


「……なるほど、その船上パーティーに紛れ込めと」


「警備の手薄な川側から倉庫へ侵入するには、その船のデッキを経由するのが唯一のルートなんだ。酔っ払った客のフリでもして船から倉庫に飛び移り――予定通り、小火(ぼや)騒ぎを起こしてきてくれ」


 ハリエットはこめかみを押さえた。船から倉庫への跳躍、そして放火。危険極まりないが、やるしかない。


「かしこまりました。それで、そのパーティーの潜入手段は? まさか泳いで行けなんておっしゃらないですよね?」

「まさか。正規のルートで堂々と乗船してもらうさ。これを使ってね」


 ルシアンは懐から、一枚の豪奢な封筒を取り出した。金箔の押されたやたらキラキラした招待状だ。


「招待状ですか!? さすがはルシアン様、素敵です!」


 ハリエットは目を輝かせて受け取ろうとした。だが、ルシアンはその手をひょいと引っ込めた。


「喜ぶのは早いよ、ローズ。その招待状には条件がある」

「条件、ですか?」

「そう。このパーティー、同伴者(パートナー)が必要だ。紳士と淑女。二人一組じゃないと入場できない」


 ハリエットはきょとんとした。


「ええと、つまり?」

「僕は行けないよ? 皇太子がこんな怪しいパーティーに顔出したら、一発でソーンに警戒されるから秒速で帰ることになる」


「……はい?」

「つまり君は、二週間以内に『ドレス』と、怪しまれない『同伴者(パートナー)』を自力で調達しなければならないということだね」


 ハリエットは、ぽかんと口を開けて固まった。


「む、無茶苦茶です! ドレスはともかく、男なんてどこで拾えばいいんですか!?」

「それは君の手腕次第だね。ただし、変な男を連れて行けば入り口で止められる。それなりの品格と、君の正体を黙っていられる口の堅い男……まあ、頑張って」


 ルシアンはにっこりと、爽やかすぎる笑顔で招待状をテーブルに置いた。


「ちなみにドレス代と、男のレンタル代って……」

報酬(金貨十枚)込みだよ。ああ、そうそう。そのパーティーで有益な情報も手に入れられたら臨時ボーナスもあるから。頑張って」


(……悪魔だった。この人、神の顔した悪魔だわ)


 問題が山積みだ。倉庫に飛び移れて、かつ見栄えのするドレスが必要、でも金はかけられない。貴族のパーティーに通用するマナーを持ち、私の言いなりになる男が必要。これにもやはり金はかけられない。


(どうしよう。ドレスはあそこの古着屋で探すとして……男? 私の周りにそんな都合のいい男なんているわけ……)


 レックスの顔が一瞬浮かんだが、ハリエットは即座に首を振って打ち消した。敵の近衛騎士団に所属する婚約者を連れて行くなんて、自殺行為もいいところだ。


(とにかく、まずは装備を整えなきゃ。二週間……長いようで短いわ)


 ハリエットは招待状を受け取ると、決意の眼差しでルシアンを見つめた。


「やってやりますよ! 見ていてください。完璧な淑女として乗り込みますから!」

「期待しているよ、僕の可愛い(レイヴン)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ