遠くから聴こえる聲
「なろう」にアップロードしています昨品としては、
『アナザー・ワールド / AnotherWorld 』
『 切羽史郎の休暇 』
『遠くから聞こえる聲』
検索してお読み頂ければと、思っています。
下記作品は、原稿用紙で約50枚ほどの短編です。
★★★★★★★★★★★★★
『遠くから聴こえる聲』
❤️第1章 夜のハイウエイ
夜のハイウエイをヘッドライトが、探照燈のように照らす。
目の前のものが仄白い光の輪に包まれては、次々に後ろに飛んでゆく。
獲物を嗅ぎつけ鼻先を揺らす猟犬のように、
キャンピングカーがときおりバウンドした。
三人は、遠くから呼ぶような声に向かって車を走らせていた。
車が運びゆく先で、大地を踏みしめる期待からか、
足のふくらはぎがキュッと鳴った。
中古のキャンピングカーで三人旅。
運転するのは私こと寺田路彦、
助手席には里村くん、それに後部寝台にいるヤーシャンの三人だ。
西九州の小都市、長崎を出発して目指すは能登半島羽咋。
そこにまだ見ぬ私の姉(異母姉弟)宮下彩が住んでいる。
日本列島縦断とまではいかないが、結構遠い。
行程は目の前の車載GPS・衛星ナビにお任せだ。
長崎から能登半島まで千百キロ、休憩なしで十三時間、
途中休憩を入れるので、到着は翌朝十時か十一時だろう。
タイヤの振動に、助手席で寝入っていた里村くんが薄く目を開け、
また閉じた。
窓から入っては流れる光が、表情に陰影を刷りこんでゆく。
ハンドルを握ったまま後部座席寝台を振り返ると、
ヤーシャンのあどけない寝顔が見える。
夕刻七時に出発してからそろそろ三時間経つ。
桜も開花するころだが、北進するほど肌寒く、
エアコンのスイッチは「暖」にしたままだ。
「眠とうなったら、代わるけん
助手席の里村くんが、気を遣う。
「いや良かよ。まだ大丈夫」
私は応えてナビをのぞいた。
九州道を抜けると、いったん中国自動車道に入る。
三十分で、分岐点山口JCTとなる。分かりやすく例えれば、
左手の人指し指と親指で輪を作るように高速道路が上下二手に分かれる。
上回りの中国自動車道(カーブが多い)と、下回りの山陽自動車道だ。
ナビは下回りの山陽自動車道を指示し、
姫路あたりから今度は上回りの中国自動車道路に向かい、
福井金沢方面を目指す行程図を映している。
ナビ任せとはいえ初めて能登を目指す運転者には、緊張の連続。
夜間だからなおさらだ。
車は白い中古の軽だが、今はやりのキャンピングカー仕立てで走りも良い。
まだ逢ったことのない、私の姉が能登にいることを知った里村くんが、
自分のキャンピングカーで行こうよと提案した。
行くのは私、里村くん、それにヤーシャンだ。
★★★★★★
❤️第2章 このままで終わりたくなかった。
三人は殻を破りたい心の行き詰まりを持っていた。
このままで終わりたくなかった。
三人とも、走り幅跳びのようなホップ、ステップが必要だった。
その跳躍をして次なるジャンプをしたかった。
ホップが能登への行程、
ステップが能登の姉に逢うこと(これで殻を破れるかもしれない)、
そして次は何かが変わるジャンプ、といきたい。
「目的地、能登半島の羽咋には怪火伝承があるらしかよ。
そうはちぼんが飛ぶのが、江戸時代に目撃されたらしか。
今でいう未確認飛行物体たい」
里村くんが眠気を払うように言った。
キャンピングカーが道路の繫ぎ目に乗りまた揺れた。
三人に期待と不安が交互にやってくる。
ヘッドライトの先に浮かぶ、
仄白い円環状の闇が後方へ後方へと消えてゆくのと逆に、
私の脳裏に、能登への道に連なる出来事が、
次々と手繰り寄せられ蘇る。
三人は、児童福祉施設「海ほおずきの里」仲間だ。
仲間というのはおかしいが、やはり仲間だ。
私は五十五歳、支援員。そして里村くんは五十歳、出入り業者。
ヤーシャンは十歳、施設の子という関係なのだが。
牛は牛連れ、馬は馬連れと言うが、私たち三人はそのような集まりかもしれない。血縁でもない地縁でもない、職場縁とか組織縁でもない。
同じ個性に魅かれた《個縁》とでもいうべきか。
私たち三人の強い結びつきは、施設の図書室から始まった。
図書室といってもいつも閑散としていて、談話室を兼ねることもある。
図書カウンターに私も手伝いかたがた座ったりする。
食品衛生の本とか全国学校給食協会の本など、
棚に並んでいるので知識吸収に役だつ。
ヤーシャンは、本好きで独りでよく来る。
子供向きの歴史物語が好きな子だ。
里村くんは施設の備品の「注文販売屋」で、
私のところにも営業でちょくちょく訪ねてくる。
いつもカタログを入れた鞄を無造作にぶら提げている。
里村くんもこの図書室をのぞきに来ることもあり、
取り留めもない会話をしているうち、
三人の間に妙な仲間意識が芽生えた。
三人の共通点は、規格外品。セオリー通りの道を歩かない一面がある。
里村くんは、エレベーター嫌いだ。
互いの人間臭さを隠すように息をこらして突っ立つ、
あの密室空間が嫌いで
何段あろうと階段を選ぶ。
ヤーシャンは、
「自分は戦国時代の侍の生まれ変わりや、
そやけど足軽なんだよなあと」言う。これまた脳内は、規格外品だ。
私はというと、山登りで正規の道より、
頂上に繋がる別の道を好むといったところか。
こんな脳味噌が発する臭いを、互いに仲間と嗅ぎつけたわけだ。
フロントの液晶デジタル時計が二十二時ちょうどを示している。
キャンピングカーはナビどおり、本州に入り山口JCTを目指す。
後ろの寝台兼ソファーでごそごそと音がする。
ヤーシャンが、冷凍パックから何か飲み物を探しているのだろう。
ヤーシャンは未だ十歳なのに、ほかの同じ歳の子とは違っている、
というより変わっている。
大阪生まれだが母は早逝し、父親が子育て不適格者で、
長崎の祖母に引き取られた。
その祖母も認知症を発症したため、児童福祉事務所経由で
「海ほおずきの里」に回された経緯がある。
施設は共同生活で学校はそこから通う。
本名は山川たけし、百姓上がりの侍にあこがれていて、
大阪弁を使うませた男の子だ。
図書室でも戦国時代の歴史物語や、その方面の漫画に読み耽っている。
顔に産毛が目立ち小猿のような風貌をしているが、どことなく愛らしいので、
ヤーシャンと上級生からあだ名をつけられた。
ヤーシャンの語感から膝小僧丸出し、小袖姿の餓鬼が立ち昇る。
そういえばヤーシャンが失踪したことがあった。
一晩後、島原の北門町で見つかったのだが。
本人に言わせると図書室で戦国時代の歴史読み物を呼んでいるうち、
神隠し状態になった、という。
確かに島原市北門町には、
戦国時代に沖田畷の戦いが起こった古戦場跡地がある。
「小袖を着た猿みたいな子供がのう、
トウモロコシ畑を歩いてゆくのを見たでなぁ」と、
農夫の証言もあったが、狐につままれたような事件だった。
神社の床に寝そべっていたヤーシャンを見つけた神主から、
「海ほおずきの里」に電話があった。
腰に縫い付けてあった名札で連絡先が分かったらしい。
「海ほおずきの里」の施設長は「ま、小さい子にはよくあること。
わしも神童と呼ばれた時期があり、
三日三晩山の中をさ迷ったことがあってね。
祠の前できれいなお姉さんが饅頭をくれ、その美味しかったこと」と
周りを煙に巻き、幕引きをした。
遥かなる私たちの祖先、ホモ・サピエンス。
樹上暮らしから、気象変化で樹を降りて、サバンナを歩いたという。
そのとき直立二足歩行を更に進化させたらしい。
その我らの父と母、ホモ・サピエンス。
約六万年前にアフリカを出て世界各地へ拡散したというが、
それこそ一族郎党連れだって出たのだろう。
新天地を求めて。もうそのとき既に、
愛とか憎悪とか孤独感などの感情が内面に棲んでいたのだろうか。
ただ食べ物を求めるだけのために、《出アフリカ》を果たしたのではなく、
何処か遠くから聞こえてくる声に向かって歩いたのではないか。
里村くんがため息交じりに話したことがある。
多分彼もよく読む人類史の知識から、考えに至ったのだろう。
「サバンナを歩いた俺たちの母と父たちは、
血縁社会から地縁社会を築いたが、
その村社会は血縁地縁とは希薄な《社会》に変わっていったんだ。
科学技術は超発達したけどね。人間の内面は、《出アフリカ》のときより何ら進化してないとでは? 心の闇は拡がるばかりでさあ」
里村くんが二十歳のとき、
まだ世はバブルの真っただ中であった。
二十二歳のときバブル崩壊、氷河期が到来。
護送船団方式廃止とか効率重視で人員削減の波が押し寄せた。
彼のまわりにもフリーターやニート族がたくさん生まれた時代、
まさしくロストゼネレーションの落とし子だ。彼が《シャカイ》と言ったときは、唾が飛んだ。
お尻と足は文化である、と言ったら世の淑女たちから、
多分ひんしゅくを買うだろう。
ブログだったら炎上ものだ。
しかしマジ、道行くヒトたちの、
あのお尻(骨盤と言った方がいいかもしれないが)の下の
二本足が交互に動くのに、見とれてしまうときがある。
どんな棲み家から出て何処へ行くのだろう。
変態と誤解されないように観察するが、その方の趣味人と私を思ったのか、
お尻をプリプリ振るオッサンもいる。
以前、膝に水が溜まって歩けなくなった友人がいたが、
「歩けなくなってから僕は、一番あちこちに出かけるようになったよ」
と語ったことがある。歩くとはそういうことなのか。
お尻の中の骨盤には、もう一つの脳があるのかもしれない。
★★★★★★
❤️第3章 美東SAのフードコーナーで腹ごしらえ
「もうどこらへんやろ」
里村くんが目を擦っている。
「九州はとっくに抜けたよ」
ライトが、どこまでも無表情な道を照らし続ける。
フロントの液晶デジタル時計は二十二時三十分を知らせている。
長崎を出てから三時間半、そろそろ休憩時か。
「じゃ、山口県かな」
里村くんは短い眠りから覚め、欠伸を漏らして、あーゴメンと謝った。
ずっと先に、サービスエリアの灯りが蜃気楼のように浮かんでいる。
ライトが美東SAの標識を捕らえた。
里村くんが私の方を見ながら顎を振った。
「あのSAで休もうよ。運転も交代するから。もともと俺の車だから、
この先の長距離は任しといて」
私は、SA入口の標識に沿って左へ大きくハンドルを切った。
片方に重量がかかり、タイヤがバウンドしたので、
ヤーシャンが目を覚ました。
「もう着いたんかいな」とヤーシャンが言ったので、
「馬鹿、まだ半分も行ってはしないよ」、里村くんはそう言って、
窓ガラスを開けた。心地いい冷気が流れ込んできた。
この美東SAのフードコーナーで腹ごしらえをした。
ここから先、運転は里村くんと交代。私は助手席に深く座った。
ヤーシャンは後方の寝台で、光と音が出るゲーム機で遊んでいる。
里村くんは片手で冷たい缶珈琲を飲み干し、
キャンピンカーのスピードを上げた。
平日夜の高速道は比較的空いている。
ヤーシャンはゲーム機片手にまた寝入ったようだ。
ライトに照らされた目の前のものが、仄白い光の輪に包まれては、
次々に後ろに消えてゆく。幾重もの環状の空間をひた走りしている感じだ。
助手席の私は、彼らと巡り合った児童養護施設「海ほおずきの里」を
思い浮かべた。
私は全国展開もしている「西九州食品開発」に勤務をしていたが、
児童養護施設「海ほおずきの里」に出向となった。
私の得意分野は、食品衛生管理国際基準(HACCP)にそって
危機管理をする仕事だ。
食品衛生管理者とも呼ばれている。
「海ほおずきの里」は地域でも大きな施設だが食中毒問題が発生し、
取引先の関係経由で、施設長から応援の要請があった。
ちょうど役職定年になったばかりの私に、白羽の矢が立ったわけだ。
西九州食品開発には人事の流動化を図るため、
役職定年という規定がある。
それに該当した私はこれから定年まで数年を、
平社員で勤務する日々となった。
この期間は、定年後、再雇用制度を選択するか、
どういう道を選ぶかの考慮期間でもある。「海ほおずきの里」への出向は、
考慮期間として好都合だったかもしれない。
ここでの仕事は、給食安全指導と、子供たちの見守りだ。
出向という私にとって不安定な状態のとき、この「海ほおずきの里」で、
里村くん、ヤーシャンそれに私、この三人の結びつきは始まった。
「海ほおずきの里」は、二歳児から十八歳までの子供たちが
四十人ほど生活をしている。
創設者は国境なき医師団に参加した老医者だという。
「ヒトは代々継いできたDNAがあり、
出発点を考えれば人類は一つの塊だ」
というのが彼の持論だったらしい。
現在の施設長は先代の甥っ子だが、
螺旋状の遺伝子の図鑑を机上にバイブルのように置いている。
支援スタッフもこれをよく理解していて、
ときには施設の高学年の子供たちに話すことがある。
「あなたたちの身体の中には、お父さんお母さん、
そのまた前のお父さんお母さん、そしてまたその前の、
とずっと大昔からの血が流れているのよ。ずっと昔のお父さん、
お母さんも見守もってくれてるのよ、そうあなたたちを応援しているんだ」と。
不遇な環境に育った子どもたちを、力づける意味あいがあるようだ。
中には目を輝かす子どももいる。その中の一人がヤーシャンだった。
液晶時計は二十三時十分を表示し青く光っている。
ヘッドライトに照らしだされ乳白色の環となった闇が、
次々に後方へ飛んでゆく。もうすぐ高速道路は分岐点にさしかかる。
ナビ画面が、カーブが少ない下回りの山陽自動車道を
走行するように指示している。
私は、クーラーボックスからコーヒーを取り出した。
「コーラーが良かばい」
里村くんはにっと笑った。
そういえばこんな話を思い出した。
施設に出向してもなく、里村くんが私に接近しているのを気にしてか、
事務長が話しかけてきたことがある。
「あの里村くんは、得体がしれないですな」と事務長は切り出した。
「得体がしれないって」、私は訊ねた。
「寺田さんにはまだお話ししてなかったですな。
彼はあれこれ間口を広げ、
薄利多売から結構危ない営業をやっているようですよ。
ネット上ではまがい物に近いものを売ったり。
ま、彼は持ち前の人当たりの良さで、施設長のお気に入りとなり、
こことのおつき合いは続いているのですがね」
「どうした切っ掛けで、ここに出入りするようになったのですか」の
私の質問に事務長は、
「彼はね、IT・パソコン教室も開いてまして、
ITが苦手な施設長が習い始めてからですよ。
子供たちのパソコン講習をここで開いたり、
彼が開設しているネットショップを宣伝したり、
何やらかんやらですよ。
大きい声では言えませんが、気をつけていてくださいよ。
ダークでなくともグレーですからね。わたしはそう思っています。
ま、彼は彼なりに苦労してるみたいですけどね。
生まれは長崎の離島と聞いてますが。福岡の情報専門学校を出て、
東京のIT企業を転々としながら、長崎に帰ってきましてね。
聞くところによると、東京で一度結婚に失敗したらしく、
子供はいないようですがね。
ま、地方でネット販売業を起ち上げて何とかやっているようですから、
その点では立派といえば立派ですけど」
里村くんは、眉毛が濃く剃り残しのあご髭ありという
風貌が割を食っているのか。
堅物そうなこの事務長にも、新規の取引業者に盆暮の付け届けを
暗に催促するという噂がある。
どちらが、グレーが分からない。
★★★★★★
❤️第4章 アルプスで遭難した父の話
キャンピングカーは、中国道と山陽道の分岐点山口JCTにさしかかった。
ナビの指示通り、下回りの山陽自動車道に入る。
ここから山口、広島と続き、
岡山、兵庫へと車はひた走ることになる。
下り坂にさしかかると、車線前方、テールランプが赤く尾を
引き列なったり離れたりしているのがよく見える。
「寺田さん、親爺さんはアルプスで遭難したんだよね。
能登で暮らしているお姉さん、祈祷師って話してなかった。どんな人やろね」
里村くんが顔はヘッドライトを追いながら、
眠気冷ましの話題のように言った。
今回の目的はその姉に、能登まで逢いに行くことだ。
「相続手続きを担当してくれた弁護士の話ではね、
姉は霊感のある母と二人暮らしとか。姉も小さい頃、
母に手を引かれ野辺を歩いていて
小石に躓いて転んだときから、霊感を感じるようになったらしい。
転んだ場所のちょうど前にお地蔵さんの祠があったそうだ」
里村くんが不思議そうな表情をしたとき、
フロントガラスがピシリと鳴り何かが飛んで行った。
追い越し車線を走行していた冷凍車が小石でも弾いたか。
川魚がフロントガラスを尾鰭で叩いて逃げたようにも見えた。
父に、私以外の子供がいたことを知ったのは、
父の特別失踪を家庭裁判所に請求したときである。
その子供というのが、今回夜行バスで目指す姉(腹違いの姉)のことなのだか……。
父は十三年前、登山仲間三名と白馬岳登山中、雪崩で行方不明になった。
仲間二人は雪の中で発見され絶命していた。
父の装備品はあちこちの雪の中で埋もれて見つかった。
吹雪の凄まじさを物語るように。二次遭難の恐れがあり、
救助、捜索隊は三日間で解散せざるを得なかった。
私たちの願いもむなしく、父の生存への期待は絶たれた。
一年後、母は悲しみもあったが生活の区切りも必要なので
遠縁の弁護士に
相談した。いろいろ協議の結果、家庭裁判所へ「失踪宣告の申し立て」を
することになった。
その弁護士によると父の場合「特別失踪」が成立するということであった。
私も母も法律に疎いので申し立て手続きは、
その弁護士に進めてもらうことにした。
「特別失踪」も認められ相続開始の手続きとなったとき、
父は母と結婚する前に一度結婚していて女の子が生まれていたことが
「原戸籍」から分かった。
バツイチを受け入れて父と結婚したと、
弁護士に母は言ったそうだが、私に詳しく話すことはなかった。
父は信州大学の農学部を卒業し、
JA全農に就職、金沢本部を皮切りに福岡本部を経て
故郷長崎の本部に勤務した。
薬剤師をしていた母と出会い結婚、私が誕生した。
これが私の知っている父母の経歴だ。
父がバツイチであったとか、
そのうえに子どもまでいたなんて初耳であった。
母は理系の女らしく、過去にはそれほど拘らないように見えた。
「ああ、こういうことになり、こういうことがでてくるんだね」と
フラスコを振り、溶媒を加えた水溶液から
混合物を抽出するかのように言った。
父は山登りや遺跡発掘への興味、
母は茶道と趣味はそれぞれ異なっていたが、夫婦仲は良い方であった。
たまに近場の温泉地へ旅行に行くこともあった。
母を温泉地のパチンコ屋に連れて行ったら、
「ラッキーセブンにあたり出玉がじゃんじゃん出て、
文絵が(母の名前だが)、足をバタバタさせ興奮したよ」
と父が面白可笑しく話したりした。
一方父にはもう一つの顔もあった。
母がお茶会で帰りが遅い夜、薄暗いリビングで独りオールドパーを、
ちびりちびり飲んでいることがあった。
テレビは事件もの推理ドラマを流していた。
青白いブラウン管に照らされた父の姿を偶然見て、
父のもう一つの顔をのぞき見したような気がしたのを憶えている。
父が残した狭い土地と家屋は、弁護士が能登の姉と交渉し
「遺産分割協議書」が整い、母単独相続ということになった。
母は父の遭難死後、ずっと独り暮らしを続けた。
三年前、自分の家系に癌になった者はいないと常日頃言っていたのに、
胃カメラを飲んでの検査で腫瘍が発見され、あっけなく死亡した。
結局は母も亡くなり、私と妻は母が相続した家に住むことになった。
下り車線のトラックが威嚇するように光の筋を走らせた。
行く先に、待ち構える何かがいるかのように。
「なんだこいつ、ライトを上向きにしやがって」
里村くんが片手でハンドルを叩きながら吠えた。
液晶デジタルが午前一時五十五分を示している。
長崎を出て約七時間だ。能登まで、もう半分走ったことになる。
次の岡山ICの手前、吉備SAに二回目の休憩のために寄った。
夜中の二時はドライバーにとって鬼門だ。睡魔に襲われる。
車を駐車場の一角に止めた。少し眠ろうやということで、
里村くんは後方の仮眠用ベッドにもぐった。隣のベッドではヤーシャンが寝息を立てている。
私もリクライニング式座席を倒し、目を瞑った。
疲れがどっと出たのか、爆睡した。
仮眠は一時間ほどだったが口を開けて眠るくらい、熟睡したので、
目覚めは良かった。
ガソリンを補充し、また能登をめざしキャンピングカーは走り出した。
ヤーシャンがポテトチップスをカリカリいわせて食べている。
小一時間もすれば、山陽姫路東だ。そこから中国道への連結道路を走り、
能登へ一直線の福井、金沢を目指す。
「あそうそう。奥さんは家で独りお留守番でしょ」
ハンドルを握った里村くんが、気にかけているような声を出した。
「今回は、妻の秋子が積極的に送り出してくれたんだよ」。
私の返事に彼は意外そうだ。
★★★★★★★★
❤️第5章 秋子はストレートフラッシュ
私と秋子の出逢いは、
私が二十八歳、秋子が二十七歳のときだった。
食品関係の集まりがきっかけだった。後で思うと合コンみたいな会合であった。秋子は学校給食センターの栄養士をしていて、
その集まりに友達と来ていた。
何人かのグループができてトランプのポーカーをすることとなった。
場が盛り上がるなか、秋子はストレートフラッシュ。
彼女は当然、勝ちと思った。
しかし、滅多に出ないロイヤルストレートフラッシュを
出したものがいた。
そこで秋子は泣き出した。場の皆はびっくりしたが、
所作が可愛かった。
このせいか、お付き合いの希望の申し込みも多かった。
私もお付き合いの申し込みカードに書き込んだ。
運よくと言うか、お互い感じるものがあり、
私と秋子は交際を始め、一年後に結婚した。
泣きべそかきは今も治っていない。秋子が私を選んだのは、
壊れやすい自分を引っ張ってくれる人だと感じたかららしい。
私たちには子どもがいない。結婚して四年後に不妊治療を始めた。
子どもはまだなのというプレッシャーもあり、秋子は仕事を止めた。
私も職場仲間が、スマホの待ち受け画面に、
わが子を入れてニヤケているのを見るにつけ寂しい思いをしていた。
夫婦で不妊治療を始めて二年目に秋子は妊娠した。
しかし三カ月弱で流産した。
二人で上げたアドバルーンがビルの向こうに落下してゆくのを、
震えながら見つめるばかりだった。
秋子は今までにない大粒の露を次々浮かべて泣いた。
私は込み上げる感情を抑えるように下唇を噛みながら、
震え動く秋子の肩に手を差し伸べた。
このとき誰の慰めも多分虚しかっただろう。
二人以外の他の誰からか、慰められても何になろう。
両手から伝わる温もりと両肩から伝わる温もりだけが、
二人で生きている、と感じさせた。
その後、医師の指導で人工授精や体外受精を続けたが、
望みは叶わなかった。
気づけば不妊治療開始から八年経とうとしていた。
「自分たちに子どもがいないが、
子どもたちのためになる仕事しよう」と
話し合った。
終点の見つからない治療と時間に二人は疲れきっていた。
私と秋子はわが子を残せなかったが、
それに匹敵するいやそれ以上と思える心豊かな、
大事なものがこの世のどこかに必ずあるはずだ。
「古民家を買い取り、子ども食堂を始めたい。
子どもたちが遊べる庭もあったりして」
定年前まで資金を準備して開業したい。
その目標に向かってこれから進みたいと秋子は言った。
「その前に、シニア海外ボランティアに行こうか」。
私はそういう制度があるのを最近知ったのだが。
「え、なによそれ」。秋子は身を乗り出した。
シニア海外ボランティアは、
JICAが実施している海外ボランティア派遣制度で、
開発途上国での生活指導や技術支援を行う仕事である。
現地での治安対策や生活費、旅費などの最低限の支給もある。
基本的な語学力と技術資格などは必要だが。私は集めていた資料を、
早速秋子の前に広げた。
その夜は、小学生が修学旅行先の旅館で話し込んでいるような夜だった。
また、結婚前のあの合コンの盛り上がりを思い出させた。
今から準備して定年近くになったら、
シニア海外ボランティアに三年ほど行って、
それから子ども食堂を開こうと二人の目標を立てた。
ポーカーで秋子はストレートフラッシュ(子供食堂)、
これで勝ちと小躍りしたら、
私がロイヤルストレートフラッシュ(シニア海外ボランティア)を出した。
今度は、秋子は泣かなかった。目を輝かしていた。
出口の保証がない不妊治療の迷宮をさ迷っていて、
薄明かり射す出口を見つけたような気がした。
不妊治療を止めた翌年、白馬岳で父は遭難死した。
不妊治療中止を母にはあとで伝えたが、
父にそれを伝える機会を失った。
不妊治療を止めて今、十年経っている。
海外で通用する基本的な英会話の勉強を二人でしたり、
秋子は職場復帰してJICAの資格にマッチングするよう
管理栄養士の経験も積んだ。
★★★★★★★★★
❤️第6章 秋子が開かずの間の扉を開くように言った
今年、母の三回忌を終えて二か月経った頃だった。
たしか秋子とリビングで、鍋物を二人で突いていたときだ。
JICAのシニア海外ボランティアへいつ行くかの話題の途中、
秋子が思いだしたように言いだした。
「ねえ、こんなこと言ってもいいかしら」
「なんだ改まって」
「おかあさんも亡くなって、三年になるよね」
「そうこのまえ三回忌を終えたじゃない」
「年忌の話ではないのよ。ほら、みっちゃんのお姉さん」
秋子は私のことをみっちゃんと呼ぶが、
突然姉のことが飛び出したのでびっくりした。
「ほら、能登半島に住んでいらっしゃるというお姉さん。
おかあさんも、もう許してくれると思うよ。みっちゃんが逢うのを」
秋子が開かずの間の扉を開くように言った。
父の「特別失踪宣告」以後十年間、母は亡くなるまで、
父のもう一人の子のことを話すことはなかった。
自分たちの暮らしはこちらと割り切っていた。
父の十三回忌と母の三回忌も終わった今、あの世で、
母は父との距離を近づけようとしているに違いない。
秋子は義母に遠慮しつつ、
私に姉がいるということがずっと気になっていたようだ。
私も触れようとしない母に気を遣い、
姉の存在は片隅に仕舞い込んできた。
「わたしね。ずっと気に掛かってたの。あなたの姉さんのこと。
おかあさんが(逢ってきなさい、実の姉に。
路彦にあなたからそう伝えて)って、
わたしに聞こえたような気がしたの。
このまえ、おかあさんから頂いた着物を整理していたときだけど」
「母さんたら、僕に直接伝えてくれればいいのに」
「だっておかあさんにも勇気がいったのよ。
行ってらっしゃいって言うのが」
私たちの頭の隅に仕舞い込んでいたものに、
母は気づいていたのかもしれない。
三回忌の折、住職が
「お母さんは死後法要十回の都度、
十王の審判なるものを受けられました」
と説話を始めた。
仏教では宗派での違いがあるが、初七日から三回忌まで、
死後の裁きを十回うけるそうだ。そのうち四十九日までのあいだ、
七日ごと順次に冥府の担当十王の裁きを七回受けるという。
三途の川は誰でも渡れるものと思っていたら、
初七日でその川のほとりに着き、第一の裁きを受けるらしい。
法要は死者が極楽浄土に無事行けるよう、
お祈りする場でもあるという。
死んだらその日から何もかも楽になるもの思っていたら、
そうでもないようだ。
死後、七日ごとにお坊さんがお経をあげに来る厭わしさに、
お布施目的ではと思わないこともなかったが、
住職の法話ですとんと腑に落ちた。
お坊さんに、そんなに来られなくてもいいですのでと、
親不孝なことを言わずに良かった。
母はこれまで十回の法要の度に
「逢いに行ってきなさい。あなたの姉に」
ともしかしたら言っていたのではないか。
「かあさん、わたしたちが海外ボランティアに行く計画があることは
知ってたみたいよ。それでみっちゃんに能登にいる姉に逢ってきなさいと、
かあさんは言ってるのよ。きっと」
永い間封じ込めていた姉と逢うことが、
一つの跳躍台だと私は思った。
遺産分割の協議書の手続きをしてくれた弁護士の話では、
姉は祈祷師をやっていると言っていたが。今もやっているのだろうか。
フロントの液晶時計が午前四時を刻んだ。里村くんに説明したり、
あれこれ回想したりするその間、
能登への道も近づいてきた。
長崎を出発してから約九時間経った。
舞鶴若狭自動車道、北陸自動車道を走り金沢を抜ければ後は、
のと里山海道へ一直線。そこには姉が住む目的地が待っている。
ホップ、ステップと殻を破ることがきるだろうか。
★★★★★★★★★★
❤️第7章 ヤーシャンは母とか父とか口に出さない
ヤーシャンは後ろの寝台で寝入っているようだ。
里村くんはよくキャンピングカーであちこち旅行するらしく、
深夜の運転は慣れているようだ。
また記憶が手繰り寄せられる。
ヤーシャンがある事件を起こしたことがある。
そのときヤーシャンは大きく自信を無くしていた。
海ほおずきの里では、施設内での草むしりとか厨房での皿洗いなどの
勤労に応じて、施設内売店で使える金券を発行している。
ヤーシャンが八坂神社の祭りの日、
露店でその金券を使い、香具師からこっぴどく叱られた。
私と里村くんは、ヤーシャンを引き取りに行った。
施設では、自分たちにとって価値があっても、通用しない世界がある。
自分まで通用しないのではないかとヤーシャンは、ひどくしょげていた。
自分がいる此処は、本物の世界ではないではないか。
施設は子どもたちにとって柵で囲まれた世界、
いつか出てゆかねばならない一時避難所に過ぎない。
「ただ試してみたかったんだよな。俺も分かるよ」里村くんは
そう言ったあと、「本物の世の中には、このおっちゃんと一緒に行こう」
とヤーシャンを抱きしめていた。
そのときの記憶が今も鮮明に浮かぶ。
ヤーシャンは母とか父とか口に出さない。
その気丈夫さが、自分自身、不遇な過去を持つ里村くんにとって
また愛おしいのだろう。
(何でもないようなことが 幸せだったと思う)
錆が利いた声が暗い車内に響く。
キャンピングカーが繋ぎ目に跳ねた。
高速道路にも状態の良くないつぎ目がある。
里村くんが、虎舞竜のザ・ロードを歌いだした。
(何でもないようなことが 幸せだったと思う)
錆が利いた声が暗い車内に響く。
私、里村くん、ヤーシャンは日曜会と称して、
街中で落ち合うこともある。
会といってもゲームセンターの隅っこの休憩室で開いている。
第一と第三日曜日午後に約二、三時間ほどだ。
ヤーシャンは私が付添人ということで、
「海ほおずきの里」を抜け出しやすい。
社会適応のためにも、施設に籠りっきりよりいいという判断も
あり許可が出た。
UFOキャッチャーやガチャガチャでレアものを狙ったり、
隣接のマックでハッピーセットを注文したりする。
レアな景品はメルカリに売りに出す。
ここのところはITに詳しい里村くんの出番だ。
ヤーシャンのもう一つの楽しみは、タブレットでアニメを描く手ほどきを、
やはり里村くんから受けることだ。
WIFIオーケイのゲーセン休憩室でヤーシャンは、
丸い顔をいっそう丸くして猿飛佐助のアニメを描く。
はたから見ていると本当の父子のように見えた。
もし、二人が里子里親関係になるのなら私はバックアップするつもりだ。
★★★★★★★★★★
❤️第8章 「思えば遠くへ来たもんだ」
キャンピングカーは北陸自動車道に入り、
南条SAで小休憩を取ることにした。
液晶時計は午前六時時半の時刻を光らしている。
三月の北国の夜明けは遅い。ここで三人は洗面をして、
隣接のコンビニでおにぎりと暖かいスープを買った。
「あと三時間ほどかな」と私が言うと、
「思えば遠くへ来たもんだ」里村くんが鼻歌して、大きく背伸びをした。
これから一時間ちょっと走るとナビの指示通り、のと里山海道に入る。
空が弱々しく明けだした。黒い雲と茜色の帯の下をキャンピングカーは
走り出した。
「おい大丈夫かい」
私は運転する里村くんに声をかけた。
何か考え事をしているように見えたからだ。
「大丈夫だよ。中々上手くいかないもんだってチラッと思っちゃってさ」
「オッチャン、この世のものを独り占めしようったって無理や」
いつの間にか起き上がったヤーシャンが、後ろの小窓から顔を出した。
里村くんが、中々上手くいかないもんだというのは多分この件だ。
去年の暮れのことだった。里村くんからメールがきた。
「来年早々の日曜会で重大発表をするよ」
年明けその日曜会の当日だった。里村くんは、
今までにない夢に満ちた幸せそうな笑顔を作った。
「『里村企画』もやっとヒット商品にたどり着いたよ」
「えっ、ヒット商品?」
私とヤーシャンはびっくりして同時に顔を上げた。
里村企画とは、里村くんが個人運営するネット販売会社の名前である。
儲かっているのか損をしているのか、その実態はよく分からない。
里村くんは、バナナジュースを美味そうに飲んで号外ニュースを読み上げるように話し出した。
「画期的なモバイルバッテリーの販売権を取得したんだ。
蓄電量、容量、急速充電、どれをとっても他の類似商品を上回っていてね。
さっそくポケモン探しをしている全国の暇人たちから、
引き合いがあっとるとさ」
「それがヒットしたら、安アパート脱出やんか。
マンション暮らしや」、ヤーシャンがおどけ気味に言った。
「ま、その前に(海ほおずきの里)へ遊具機を寄付すったい」
「ようっ、タイガーマスク伊達直人」
ヤーシャンが両手を上げてまたおどけた。
ネット販売では顧客情報の完全保護、セキュリティ対策が重要だ。
人間の悪意は生身のリアル空間だけでなく、
恐ろしいことに電波空間でも蠢いている。
ヤーシャンがその手の本から仕入れたのだろう、
「インターネットにはな、すかしっ屁ようなんが潜んでいるんや」と
大人びたことを言ったことがある。悪意が目に見えないから厄介だ。
里村くんのヒット商品販売もあっけなく販売中止に追い込まれてしまった。
「里村企画」もSSL/TLS(ネット信号化・安全対機能)を
導入しセキュリティ対策はしていたのだが。
顧客情報の漏えい問題が突発した。更に、もう一つのアクシデントは
発火までは至らないが、充電中きな臭い臭いがするといった苦情である。
これは購入者の使用ミスもあったようだが。
不吉な予感が走った。
三月初めの「日曜会」に決めた時間をとっくに過ぎても、
里村くんは現れなかった。私とヤーシャンは路面電車に乗り、
四つ先の駅で降りて、里村くんのアパートに向かった。
錆びた鉄製外階段をかんかん鳴らして上ると、彼の部屋があった。
チャイムを鳴らすが返答はない。
ドアの上の電気メーター針は動いている。
一抹の不安に襲われ、ドアノブを力いっぱい何度も廻した。
留め金から鈍い音が鳴り、錆びた匂いが鼻を突いた。
「開いたぞ」、ヤーシャンと私は靴を脱ぐのも忘れ部屋に上がり込んだ。
真っ暗な部屋に青白い光を放つ夜光虫が、里村くんに群がっていた。
そこには、多数の返品された充電器をタコ配線し、
それぞれに接続したスマホを体中に巻きつけて仰向けになっている
里村くんがいた。
夜光虫と見紛うほど青く点滅していたのは、スマホの液晶だった。
ヤーシャンは泣き声で叫んだ。
「オッチャン、死んだらあかん。ほんまもんの世の中に、
一緒に行こうって約束したやん」
里村くんの頬を何度か叩くと目を覚ました。
続々と返品される充電器をスマホと繫ぎ、
発火しないか実験していて眠ってしまったということだったが。
体中に巻きつけたのは、半分自暴自棄になってのことのようだ。
「約束が残っとったなあ、ヤーシャン」
里村くんは、ぽつりと言った。個人情報乗っ取りと、悪意のある口コミ。
里村くんはネットのすかしっ屁にやられて、歩くことを放棄しようとしていた。
★★★★★★★★★★
❤️第9章 姉と会う、そして そこには……
ナビに誘導されいよいよ、姉の町、羽咋志賀町に車は入った。
液晶時計を覗くと午前十時半。休憩仮眠もしたので、
長崎を出て十五時半ばかりかかった。
多分ここら辺りかなと目星をつけて速度を落としていると、
道端で田の神さんの石像を見つけた。大きな椿の木のむこうに、
弁柄色の古びた冠木門がある。
「ここだよきっと」
言いながら里村くんが、ナビと照合している私の手元の「地図」をのぞき込んだ。
「ごっついところだ」
ヤーシャンも身を引き締めている。
キャンピングカーを駐車場らしい空き地に止め、
三人は冠木門をくぐった。石畳みを歩いた先に、
「宮下」と刻まれた古木の表札が玄関柱に下がっている。間違いなくここだ。
姉、宮下彩と生まれて初めて逢うのだ。
腹違いとはいえ血が濃く繋がった姉と弟だ。
玄関上には大きなしめ縄が下がっている。結界を示すように。
私は勿論だが、ほかの二人も緊張して乾いた息ずかいをしている。
玄関のガラス戸をあけた。
重たそうに軋む音がした。「どうぞ」という女の声が聞こえる。
喉が、からからになり生唾を飲み込んだ。
「どうぞ」と言う声が再び届いた。
「あのー初めてお伺いしました」
私はなにから、そしてどう告げたらいいか、頭の中は空転していた。
「あの、九州からやって来ました。長崎の寺田です。路彦です」
しばらくすると、白小袖に袴姿の年のいった女が、
廊下の手すりを伝いながらやってきた。
目が不自由なのか、白みがかった目で私たちを確かめるように見つめた。
鼻を振り、訝しげに確かめる象のようだった。
「九州。長崎。寺田道彦さん・・・・・・」
そう答えた女は、目の前で水鳥が水面を激しく叩き飛び上がったかのように、驚いて顔を上げた。
そしてもつれた記憶が解けたたような顔になり、白い顔に紅色が射した。
「姉さん、ですか」
私の口からなんの躊躇いもなく言葉が出た。
「もっと早く逢いに来なければいけませんでしたが。やっと思いが叶いました」
姉は感情を抑えているのか、手すりを握る手が小刻みに震えていた。
「目が悪いのですか」
「はい、でもじっと目を凝らすとまだなんとか見えます」
そのとき奥から、「どなたかお客さんかい」、
男の声がした。姉は私に奥へ行くように手で合図して、
「お連れさんもどうぞ」と声をかけた。
姉に従って行った広間には祭壇があり、
隅にある小机に老人が座っていた。痩せてはいたが、
肩が張り大柄に見えた。
薄明かりに浮かび上がるその老人を見て、
私は稲妻に撃たれたように直立した。
そこには父がいた。白馬岳で遭難した父に違いはなかった。
「父さん。父さんだね」
でもなぜここにいるのだろう。息子が訪ねて来るのを察知して、
死者がここにやってきたのか。
老人は無言のままだった。もう一度私は言った。
「父さんだよね」
老人は私の方に顔を持ち上げ、深く頷いた。
「よう来た・・・・・・」
絞り出すような声であった。
何から話そうかとしている二人の傍に、姉が座った。
「父は十三年ほど前、ここに来ました。母が病死し、
私の目の病気が進行しているのを知って、来てくれたのです。
私の視力は医者の診断によると、
年々衰え差し込む光を感じるだけになりそうとのことです」
このときまたもや私の頭の中を稲妻が走った。
もしかしたら「呼んでいる声」は、父の声だったのではないか。
父は姉がまだ少しでも視力があるうちにと、
弟である私と逢わせたかったのではないか。
「路彦さん、お父さんにそっくり」と視点を合わせようと首を振り、
目を凝らして姉は言った。
細面の姉も父に似ていた。血を同じくした三人が此処にいる、
不思議な沈黙の後、父が重い口を開いた。
「あの遭難事故が無かったら、ここには来ていなかっただろう」
父はしばらく記憶をたどるかのように目を瞑り、
唾液で喉をゴクリと鳴らした。そのあと、決心したように話し出した。
待合室ふうの小上がりに座っていた里村くんとヤーシャンも、
目の前で起きたことが信じられない面持ちで、身を乗り出している。
「十三年前のあの日、四月下旬。
陽が明ける前に父さんたち三人のパーティは、
山荘を出て下山を開始した。
陽も昇ったころ、大雪渓を大方下り切った地点で、
後方から白い轟音が聞こえ、雪崩だと思った時には、
体が雪に巻き込まれ流された。咄嗟に浮かんだのは、
雪崩に襲われたら、
(泳げ、泳ぎながら鼻先口元を片手で覆い空間を作れ)の
言われが脳裏に走った。
無我夢中でもがきにもがき、もがいたよ。
破裂しそうな脳の中に土色の人形が現れた。
土偶のような形だった。
次に現れたのは、赤い束ね熨斗柄の着物を着た赤ん坊だった。
ぐるぐる回転して消えて行った。
能登の風景、初誕生祭。記憶が蘇ったとき、
風と雪流に押し出された体が、
岩場の手前でぽっとそう本当にぽっと肩から表面に
浮き上がったんだ。
雪崩は怒涛のように岩場を乗り越えて行った。助かったと叫んだよ。
意識を失うくらいほっとした。
もがき泳いだことが結果につながったのだが、
あの土偶、束ね熨斗柄の着物を着たあの赤ん坊、
あれは四十年前ほどに自分が残してきた能登のわが娘の姿だったんだ。
命拾いした今、自分が帰るところは能登に残してきた娘のところだ、
その思いしか浮かばなかった。
遭難ショックが、他の思考回路を抜け落とさせたのだろう」
ここで父は話しをいったん切り、背筋を伸ばした。
父は能登で生きていたのだ。
長崎を葬って。再び背をかがめ父はまた話し始めた。
「そこからどう下ったかは覚えていない。
携帯電話やザックは見当たらなかったが、
アイゼンは外れてはいなかった。途中、ピッケルを拾い下山したわけだ。
麓では救助村が急きょ設営されていて、
救援隊、登、下山者が右往左往して混乱状態だった。
隅っこで焚火にあたり、炊き出しの雑炊で暖まり、
そこを抜け出したんだ。
作業小屋に天干してある暖かそうなコートを見つけ拝借したよ。
人様のを盗んだのは、この一回限りさ。
生きるためには、人間はこんなこと簡単にやっちまうんだよな」
父は経緯を話し少しほっとしたようだ。笑みも浮かんだ。
「それから、途中で通りすがった農夫の軽トラに便乗して、
麓のJR駅にやっとたどり着いてね。
そこから金沢経由で能登を目指した。
今思うと、遭難から蘇生した自分は、
あの(赤い束ね熨斗柄の着物を着た赤ん坊)に
引き寄せられたのだう。
幸いにも胴にしっかり巻いていた小物入れに、
切符代くらいはあってほっとしたなあ。
靴は駅構内の靴屋で買って登山靴と履き替えた。
列車は暖房が効き、助かったよ」
父は頬がこけていたが、
大柄で骨太い骨格は昔と変わっていなかった。
また唾液を飲み、喉仏を野鳥のように震わせた。
戸籍によれば父は、姉が三歳になる前に離婚している。
その後、四十年ほども会っていないのに、
突然わが子、彩の前に現れた実父。
そこにはどんなドラマがあったのだろう。
私が言おうとするのを察したのか、父は一度結んだ口をゆっくり開いた。
「父さんがまだ二十一歳、金沢の全農にいたころ夕子と知り合い、
結婚した。夕子は十九歳だった。翌年、彩が生まれた。
しかし三年後、厳格な神職の義父と折り合いが合わず離婚となった。
父さんの仕事柄、
出張も多くまた酒席の接待で夜も遅いときがあったからね。
その後、すぐ九州へ転勤となった。彩が三歳になるころだったよ。
出張にかこつけて能登まで足を延ばし、義父たちには内緒で、
夕子と彩に会いに何回か行ったけど。
数年後、義父から彩は再婚したという便りがきて、
その後私も長崎で再婚した。
後で分かったが、夕子が再婚したというのは、
義父の作り事だったようだ。
これからのことを考えてのことか」
父がそこまで話すと姉さんが、
不思議なことがありましたと語り始めた。
「父が十三年前、本当に突然わたしの前に現れました。
わたしが四十七歳のときです。未だ今より視力はありました。
その頃、妙なことがあったのです。
母を祭る台に載せていた珠洲焼の湯飲みを洗うため、
水屋へ運んでいた時でした。
手から滑って床に落ち、割れたのです。
母にすまないとお詫びをしたのですが、
この二日後、父が表戸を叩いたのです。
父は私が小学校入学直後に時間を作って会いに来てくれました。
あれがその時の写真です。お茶を上げるたびにいつも見るんです」
★★★★★★★★★★
❤️第10章 人の営為は、それぞれだ。
何処で最期の時を過ごすかだ
祭壇の脇に一区切りあり、母であろう人の顔写真の横に、
記念写真のホルダーが立てかけてあった。
ホルダーには、
ランドセルを背負った女の子を挟んだ夫婦が収まっていた。
そこには骨太く大柄な、若いころの父がいた。
「私は母の死後、独り住まいでしたが、
父が訪ねてきたときそれこそ路彦さんが先程、
なんで父が此処にと言うのと同じくらい驚きました。
父さんだよという声で、小学校入学の写真と結びつきました。
父のイメージは、大柄で骨っぽいと子供ながら抱いておりましたから。
居間に案内して、父から遭難の一部始終を聞きました。
浮かび上がった束ね熨斗柄の着物を着た赤ん坊のことも。
母の祭壇に上げている湯飲みが割れたのは、このお知らせかと思いました。
母はもう自分にお茶の御供えはしなくていいから、
やってくる父と一緒に暮らしなさいと私に告げていたのです」
目の前の父と姉を見ながら、
霊感という濃いそしてヒンヤリとする空気が流れる磁界を感じた。
十三年前の出来事を思い浮かべていると、
父は私にすまなそうにして言った。
「父さんに若い頃、金沢での離婚歴があること、娘、彩がいることを、
路彦に話すことは無かったけど。
母さんがその話には触れたくなかったようだからね」
ここで私は母が三年前、胃ガンで死んだことを父に伝えた。
父は、苦労かけたなと肩を落とし、皺にめり込んだ目を潤ませた。
「父さんは」私はやっとの思いで言った。
「今までずーっと続けてきた家庭を捨てたんだよね」
弱々しかった父の目に鋭い光が射した。
「捨てたのじゃない。選んだのだ。も一つの場所を」
父はきっぱりと言ったあと、少し間があったが唇を少し震わせた。
「一人生き残ったわけだが、結果的にこの場所にいる父さんを、
遭難死した仲間たちも許してくれるだろう」
姉が深刻な場面を繕うように話し出した。
「私は金沢の神社の新年の祈祷会で、
父が遭難する三ヶ月前になるでしょうか、
父の旧友という方から偶然話しかけられました。
その方は、母に恋心を抱いたようです。父と恋の争いといいますか」
ここで姉はちょっと言いよどみ、父の方を見た。
「ああ、岩松か」
父はそのまま続けて良いよと硬い表情を崩した。
「そう岩松さん。私が《羽昨郡の祈祷師、宮下》と
会場で紹介を受けたので
式典後、もしやと話しかけて来られました。
『お母さんがお亡くなりになられたのを知りませんでした』と。
目が不自由な私の付き添い人が母でなかったので、
参詣に来ていたどなたからか聞いたのでしょうか、
母の死にひどく動揺されていました。新年の場でありましたので、
もうそれっきりでした。
その方が岩松さんで、学生時代母と恋敵であったことを、
父から後で聴きました」
「その新年の祈祷会の二か月後だったんだな。
父さんが岩松と会ったのは。
雪崩遭難に遭う一か月前だが。
父さんは白馬岳に登山する前準備のついでに、
松本に住んでいる岩松を訪ねたんだ。彼は代々の旅籠屋を継ぎ、
今は山登りよりシルバー音楽隊にはまっていたよ。
『岳』から『樂』へ転身さって、
苦笑いしてたけど。フルートを吹くかっての山男も、
まんざらではなかったよ。そのとき、彩と彩の母、夕子の消息を知ったんだ」
「でも何年かぶりだから、
岩松さんもびっくりされたことでしょうね」。姉が父に訊ねた。
「うん、でもきっかけは彼からの誘いの便りだったんだ。
そろそろ古希だ、むかしの仲間はどうしているんだろう。
それで彼は、家業の旅籠屋を引き継いだことの御披露目方々、
大学のゼミ仲間や山岳会のメンバーに絵葉書を出したようだ。
それを受け取ったときは懐かしかったよ。
旧友というものはありがたいものだ。今までのことは水に流し、
快く迎えてくれてね。二年前に夕子が亡くなったこと、
その夕子がずっと独身を通したことを岩松から知らされたよ。
そして娘の彩が天涯孤独になっていて、目が大分不自由になりながらも、
巫女さんというか、祈祷師を続けているということも聞かされたよ」
結果的には、雪崩という自然災害が私たち親子を結びつけたのですが、
と彩が言葉を繋いだ。
私はここで思いついた。「特別失踪」が成立したとき、
父は姉のところに居たのではないかと。それを姉に訊ねると、
「はい。父はいました。長崎の弁護士さんからお電話を頂き、
その後、書類に署名捺印して、その弁護士さんのもとへ返送しました。
私の目が不自由なので父が手伝ってくれました。
勿論、弁護士さんには父の存在を話しませんでした。
どういう暮らしをしてますかなど、世間話はしましたが。
父が残したとはいえ、路彦さんのお母さんが住んでいる家土地を、
私が一部でも相続する気は有りませんでした。
私は路彦さんと異母兄妹ですが」
ここで姉は口を閉じ、意を決したように、
「私は、実の父を相続したのです」
そうか姉は家土地ではなく、父を相続したのだ。
あと何年か分からないが、
父と暮らせるだけで十分幸せだと姉は静かな表情をした。
黙って聞いていた父が、
「人の営為は、それぞれだ。何処で最期の時を過ごすかだ。
二人での暮らしは心配するな。幸せだから。
これは余談だが、全身全霊で神降ろしする彩は、
お蔭様で信者さんからも信頼され、過分なご芳志も頂いているよ」
「父は、四手とか御幣を器用に作って神社に納めもしています」と
姉もつけ足した。
私は人生の半分以上、父を所有した。
もう十分ではないか。
今度は、この先短い父と不遇な姉に幸せになって欲しい。
玄関のガラス戸が開く気配がした。
結界を越えてきたような冷たい風が吹き込んだ。
濃い「時」の空気が揺れるように、
父の後ろのカーテンが大きく浮いた。
予約を入れていた相談者がきたのだろう。
「今来ています信者の祈祷が終わるまで、
ゆっくりしていってください」
「はい。でも今日は姉さんと逢えたし、
思いもしなかった父さんとも逢えて、
もう十分な《時間》を過ごせました。
これから連れの二人と車で、九州へ帰ります」
「そうか」父は深く息をして、
「秋子さんは元気か。ずーっと二人で・・・・・・」と
口を開き、そのあと口をつぐんだ。
私には分かっていた。父が遭難した十三年前、
私と秋子は不妊治療をこのままずるずる続けかどうかに迷っていた。
「僕たち、子ども食堂を開く計画があるんだ」
「子ども食堂」。父は瞼をぱちぱちさせたが、
すべてが飲みこめたようだ。
「いろんな生き方があっていいさ。
生きていると、答えの無い選択がつきまとうがね。
人生に優劣があってたまるか。最期に瞼を閉じるとき、
俺の人生はこれで良かった、と思えればそれでいいんだ」
山男であった父を彷彿とさせる言葉だった。
玄関の方から軽い咳払いが聞こえた。
事情を知らない参拝客が順番待ちを知らせているのか。
長々と居て希薄な時間になるより、
凝縮したこの時間を抱いて私は帰ろうと思った。
「父さん、元気で」
「路彦、お前もな」
私は深く頷いて、姉さんにも声をかけた。
「遠いけどまたお逢いできる日まで姉さんも」
「路彦ちゃん、あなたも元気で」
「姉ちゃん、元気で」
私は姉ちゃんと自然と口から出た。姉は乏しい視力で、
私を探すかのように見つめた。
父が真っ白な半紙を座っている子机に広げた。
姉は、その意味を理解したように傍らの硯台の筆を取り上げた。
文字がはみ出さないよう、
書き出しのところを父は指でトントンと叩いた。
姉は一瞬考えたあと一気に筆を動かした。
半紙には「限」と流れるような字で書かれていた。
墨の香料の匂いが漂った。
瞳孔に射し込む乏しい光りを必死に網膜で受け止めて、
私に書いてくれた「限」。ゲンあるいはカギリと読むのか。
有限、無限・・・・・・。何を意味するのだろう。
異母姉弟の私とのことか、
父と姉のことかそれとも、もっと大きな何かのことか。
長崎に帰ってから、光が失われゆく姉のその文字を読めば、
答えは出るかもしれない。
父は先程の半紙を携帯用ホルダーに丁寧に納め、私に手渡した。
車のエンジンの音が聞こえてきた。
里村くんとヤーシャンが戻ってきたようだ。
「今度は奥さんと一緒においでなさい」
姉は言いながら、神棚のお供え物の和菓子籠を、
「道中の目覚ましに」と渡してくれた。
別れ際、差し出す私の片手を姉さんは
両手で包み込むようにして握った。
玄関には、心許なさそうな表情の老夫婦と娘の三人が待っていた。
奥の部屋からは、
香の匂いと儀式を始める巫女鈴の音が流れてきた。
普請、商い、病、縁談などのお伺いで、
姉のところに人は来るのであろう。
民間信仰に心の拠りどころを求める人たちは、
この世にたくさんいる。
幸せになりたくない人がどこにいようか。
冠木門を出ると、結界に向かって冷たい風が通り過ぎた。
里村くんとヤーシャンが、車のそばで鳥肌立った腕をさすっている。
「そうはちぼんが、飛んでいたみたい」
里村くんは剃り残した顎髭を撫で、
じゃりじゃりいわせている。ヤーシャンも身をすくめている。
「サブイボが立ったわ。なんか狐に憑かれたような感じや。
あの親父さんずーっと立ち上がりせえへんやったけど、
足があるんかいな」
父はあの日、
赤い束ね熨斗柄の着物を着たわが娘が呼ぶ声に向かって、
歩いたのだ。長崎でなく能登を目指さして」
このとき、ポケットに入れていたスマホが鳴った。
秋子からである。
「お姉さんどうだった。逢えたの」
「うん逢えたよ。いろいろ話したいけど、帰ってからね」
「話したいこと。あ、私のほうもあるのよ。
庭のコブシがいっせいに咲いたの」
出かけるときはまだ蕾状態だった。
長崎に帰ったら秋子と語ることがいっぱいある。
★★★★★★★★★
❤️第11章 巫女鈴の音が聞こえてきた
キャンピングカーのナビは帰路にセットした。
私は金沢駅で降りることを里村くんとヤーシャンに伝えた。
金沢駅から東京に行き、JICA事務所に寄ることにした。
前まえから、夫婦でシニア海外ボランティアに行きたいと
話してはいたので、
里村くんとヤーシャンは特に驚かなかった。
父と姉には、カンボジアに行った先で、新生活の報告の便りを出そう。
今度は私が、父と姉を驚かせる番だ。
温かい家庭を知らない生い立ちを背負ったヤーシャンは、
ほんまもんの世の中を知りたかった。
バブル崩壊、氷河期に不運にも遭遇した里村くんは、
もっとしたたかに生きようと思った。
そして私と秋子は、わが子を育てることは叶わなかったが、
何かを育てるもう一つのものを探しに行くことをと決めた。
人生にはナビは無い。
だが、倒れても歩くことを諦めない遥かなる父、
母たちのDNAが私の体内には棲んでいる。
金沢駅前の適当なところに、キャンピンカーを一時駐車した。
「二人はこれからどうするの」
里村くんとヤーシャンに私は問いかけた。
「こいつと暮らすよ」里村くんが、
「俺も決めたんだ」というふうに言った。
個性が取り持つ縁だから里親里子の関係も、
持ちつ持たれつで築いてゆけるだろう。
「オッチャンと暮らすんも悪かないかな。
だけんど、こん前んよう、
もう二度とすかしっ屁を喰らわんよう頼んますわ」
ヤーシャンが悪戯っぽく言ったので、
里村くんがヤーシャンの頭を小突いた。
善意づらで近づいてくる奴らに、
逆にすかしっ屁をかませるくらい逞しく
ならなくては。
能登の陽射しが、二人くっつくような影を地面にくっきりと刻んでいる。
「どこかで仮眠して行ったら」
「北陸自動車道に入ったら、
ハイウエイオアシスがあるからそこでシャワーを浴びて、
キャンピングカーのベッドで一眠りすっから。
心配せんでよかよ」
私の心配声に里村くんは、ピースサインを作った。
ヤーシャンも窓から手を振っている。
二人を乗せたキャンピングカーは、
二、三度車体を震わせて帰路に向かった。
彼らを見送った後、私の二本足はためらうことなく地面を踏みしめた。
歩道の片隅で、作業員たちが点呼を終わり、
ご安全にと声を掛け合い持ち場へ散って行く姿があった。
近くに霊場があるのか脚絆姿でご詠歌を唱え、通り過ぎる一行もいた。
能登に、長い冬の終わりを告げる風だろう、
一陣の風が通りすぎてゆく。ショルダーバックに手をあてると、
半紙ホルダーの膨らみに触れた。私は風が来た方角を振り返った。
春まだ冷たい空の向こうから、巫女鈴の音が聞こえてきた。