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第二章:介入

それから二日間、

アズライルは“東雲玲”の観察を開始した。


命令は単純明快。

三日後に自死を選ぶこの少女の魂を、最後に回収すればいい。


干渉する必要はない。ただ見ていればいい。


……けれど、思っていたより、はるかに胸に障る。



朝の教室。


玲が入ってきた瞬間、空気が明らかに“引いた”。


何人かが意味ありげに顔を見合わせ、誰かがわざとらしく笑い声を立てた。


(この光景にも見慣れたな…)


「……あ、玲ちゃん、また同じ服?」


「しかも昨日のシミ、まだついてるじゃん。マジやばくない?」


クスクスという音があちこちから漏れる。


玲の制服の袖には、確かに小さな赤茶けたシミが残っていた。昨日、真依にすれ違いざま飲み物をかけられたまま、クリーニングにも出せなかったのだろう。


真依はわざと大げさに鼻をつまむ。


「てかさ、保健室とかで身体洗ったほうがよくない? あんた、なんか臭い」


周囲の生徒たちが笑う。中には、笑いながらも視線を逸らす者もいたが、それすらも“加担”にしか見えなかった。


玲は何も言わず、俯いたまま自席へ向かう。


机の上には水浸しのプリント、イスはひっくり返されていた。

下駄箱には紙屑と泥が詰め込まれ、体操服はカッターで裂かれていた。


「またやられてんの、可哀想〜」


香坂美羽の声が聞こえる。担任が教室へと入ってくると、美羽は猫撫で声で言った。


「先生〜、東雲さん、今日も遅刻しそうでしたよ。私、ちゃんと注意してあげたんです」


玲が口を開く前に、美羽が笑顔で言葉を被せる。


「ね? 東雲さん、最近ちょっと様子変だよ〜?私心配で心配で…っ」


それを聞いた担任は「そうか」とだけ頷き、玲の方を一瞥し、だが面倒ごとに巻き込まれたくないとばかりに目を逸らす。そして何事もなかったかのように教壇へと立ち、「ほらホームルーム始めるぞ。席につけ」と号令をかけた。


(……くだらない)


教室の隅で見ていたアズライルが、低く呟いた。


(この空気、まるごと腐ってるな)


玲は、それでも口を閉じたままだった。


怒りもしない。反論もしない。

まるで“無かったこと”にして進もうとするように、ただ静かに教科書を開いた。



昼休み。


誰よりも早く席を立った玲は、鞄を抱えて非常階段に身を隠す。


そこが彼女の“昼食の場”だった。


鞄から取り出したパンは、誰かのイタズラで中身が潰されていた。


仕方なく包みを戻し、水筒だけ口に運ぶ。


無味の水を飲み下しながら、玲はふと、手の甲をじっと見つめた。


そこには数日前、八代に押し付けられた痣がまだ残っていた。


「おい、邪魔だ」


ぶつかってきた彼の肘が、わざと手を狙ったように打ち込まれていたのだ。


彼は目を合わせることすらせず、ただ肩で玲を押し退けた。


それを誰かが見ていた。でも、誰も止めなかった。



放課後。


玲はまっすぐ帰宅せず、公園のベンチで立ち尽くしていた。


カバンから一冊のノートを取り出す。

それは、誰にも見せない“死にたい理由ノート”。


ページには、玲自身の手で記された苦しみが並んでいた。


《話しかけられても、すぐに嘘にされる》


《転んだら、笑われた》


《泣いたら、「自分でやった」と言われた》


《誰かが私の机を蹴っても、みんな笑ってた》


《……でも、誰も助けてくれなかった》


そして——


《もう、誰にも期待したくない》


ページの端が、雨で少し滲んでいた。


アズライルはその背後で、じっとそのノートを見つめていた。


(助けを求める声も出せないほど、黙らされてきたってわけか)


彼女は“壊れている”のではない。


壊され続けているのだ。日々、じわじわと。


それを“いじめ”という言葉で済ませるのは、あまりにも優しすぎる。


アズライルは、自分の感情に戸惑っていた。


これまでにも、無数の死を見てきた。

そのどれもに、涙や絶望があり、怒りや憎しみがあった。


でも、玲の中にはそれすらない。ただ「諦め」があるだけ。


(こんな結末、……本当に“正しい死”なのか?)


ふと、彼の中にわずかな違和感が生まれた。


それはほんの小さな裂け目だったが、アズライルの中の何かを確かに揺らしていた。



三日目の朝。


玲は荷物を持たずに、制服だけで家を出た。


無言で、静かに。


通い慣れた通学路を外れ、人気のない街へと向かう。


その先にあるのは——事前に渡された結末の中にあった東雲玲の最期の場所、廃墟と化したビル。その屋上。


アズライルはその背を、黙って追い続けた。


(そろそろだな)


任務の終点が近づいている。


だが、彼の足取りはどこか重かった。


屋上のドアが、鈍い音を立てて開く。


風が玲の髪を揺らす。


その細い肩が、柵の向こうに吸い込まれるように進んでいく。


アズライルは、一歩、足を踏み出した。


その瞬間、口からこぼれた言葉は——


命令とは、まったく別の感情を孕んでいた。


「……本当に、死にたいのか?」

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