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第十三章:再生

——闇の中で差し出された手を取った、その日の夜。


玲がそっと玄関のドアを開けたその瞬間——

気配に気づいた母親が、リビングから飛び出すように駆け寄ってきた。


「玲……! 玲っ!!」


母の声はひび割れたように掠れていた。目は真っ赤に腫れ、唇は強く噛みしめた跡が残っている。何度も何度も名を呼び続けて、こうして帰りを待っていたのだろう。肩で荒く息をしながら、震える手で玲の頬や腕を何度も撫でる。


「ごめんね……ごめんね……ずっと探してたのよ……!」


玲は、小さく微笑み、そっと頭を下げた。


「……大丈夫だよ、お母さん。帰ってきたから」


その声に、母はついに耐えきれなくなったように玲を抱きしめ、声を殺して泣き始めた。


——こんなふうに誰かの腕の中に包まれるのは、いつ以来だろう。


その温もりが、現実感となって玲の胸に染み渡っていく。


しばらくして、背後から静かに父親も歩み寄ってきた。


「無事で……良かった。本当に……」


普段は無口で厳格な父の目にも、滲む涙があった。


玲の胸の奥に、あの時夢で見た光景が静かに蘇る。


必死に自分を探し回る、両親の姿——

夢だったのか、現実だったのかはわからない。

けれど、今こうして腕の中にある温もりが、確かなものとして玲を包んでいた。


「……ただいま、お母さん、お父さん」


玲は、胸の奥からそっと言葉をこぼした。


月曜日の朝。玲は、久しぶりに制服に袖を通した。


鏡の前で髪を整える手が、微かに震えている。顔色もまだ完全には戻っていないが、それでも目は、どこか穏やかな光を宿していた。


「……行かなきゃ」


小さく呟くと、玲は鞄を肩にかけ、玄関の扉を静かに開けた。


道すがら、すれ違う生徒たちが彼女を二度見する。


(……噂になってるんだろうな)


分かっていた。いじめの主犯格だった生徒たちが、突然学校に来なくなったり、奇妙な事件に巻き込まれたりしていたのだから。


あの日、何が起こったのか——玲自身、すべてを覚えているわけではなかった。ただ、夢のように断片的な記憶が、胸の奥に残っている。


屋上での光景。誰かの声。黒い闇と、差し込む光。


そして、「生きたい」と願った、自分の声。


その感覚だけが、確かに残っていた。



教室の扉を開けた瞬間、静まりかえった空気が玲を包んだ。


誰も何も言わない。ただ、目だけが一斉に彼女を見ていた。


だが——


「おはよう」


玲が静かに挨拶すると、数人が小さく会釈した。


それだけだった。


誰も笑わないし、誰も話しかけてこない。けれど、誰ももう、彼女を傷つけようとはしてこなかった。


いじめは、止んでいた。


主犯だった八代や香坂、美羽はすでに姿を見せていない。


一人は自主退学、一人は転校、もう一人は心を壊した——そんな噂が廊下の隅で囁かれている。


(……本当に、終わったんだ)


実感はまだない。でも確かに、あの日を境に、何かが変わった。



放課後、玲は図書室の窓辺で一人、本を読んでいた。


誰にも邪魔されない静かな時間。数週間前までの自分には考えられなかったことだった。


ページをめくる手が止まる。


(……あの人)


ふと、心の中に浮かんだのは、あの不思議な声と、深い瞳。


顔は思い出せない。ただ、そこに“何か”がいたという確信だけがある。


あの人は、私を助けてくれたのか?


それとも——ただ、契約のために現れたのか?


(でも、あのとき……)


闇の中で差し伸べられた手。選ばせてくれた言葉。


『お前自身が選べ』


あの言葉があったからこそ、自分は今、ここにいる。



帰り道。


夕暮れの風が制服の裾を揺らす。


玲はふと立ち止まり、空を見上げた。


「……ありがとう」


それが誰に向けた言葉なのか、自分でもわからない。

けれど、その瞬間だけは、胸の奥が少しだけ軽くなったような気がした。


(——もう、前に進もう)


そう、静かに決意を重ねるように、玲は家へと歩き出した。


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