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第一章:命令

闇に沈む空間に、ひとつの声が響いた。


「——アズライル。次の命を与える」


その声に応じるように、虚空がわずかに震えた。


冷たく、どこまでも澄んだ闇。光の概念さえ存在しないこの領域で、アズライルは静かに目を開いた。漆黒の外套をまとったその姿は、まるで影そのものだった。


「命令か。……また、つまらない魂の回収か?」


吐き捨てるように言いながらも、彼は問わずにはいられなかった。


命を回収する。それが彼の存在理由であり、アナンケの命令は絶対だった。


アナンケ——この世界の因果と時間を司る“運命の女神”。その声は、凍てついた夜のように冷たく響く。


「高校一年、女。東雲玲しののめ れい。命の終わりは三日後。自死による。」


その言葉に、アズライルは眉一つ動かさず応じた。


「自殺か。……楽な仕事だな」


アナンケは微動だにせず、ただ淡々と続ける。


「彼女の魂は、放っておけば自己崩壊する。崩壊させるには惜しい魂だ。干渉は不要。ただ、最期を確認し、崩壊前に魂を回収せよ。」


「ふん……見てるだけね」


アズライルの口元に、わずかに皮肉な笑みが浮かぶ。彼は“介入しない”という命令に、ある種の退屈を感じていた。


それでも従わなければならない。悪魔とはそういう存在なのだ。


「承知した。女神様の仰せのままに。」


嫌味ったらしくそう言うと彼の周囲に、黒い霧がゆっくりと広がり始める。任務への移行。それは人間界への降下を意味していた。


「東雲玲。さて、どんな死に様を見せてくれる?」


アズライルの姿がゆっくりと闇の中に溶けていく。


その瞳には期待も憐れみもない。ただ、義務感と興味、それにほんの少しの、理由のわからない違和感。


“誰かの最後を見届ける”"手を出すことも出来ずに"そのことが、なぜか妙に気にかかる——その理由さえ、彼自身にはわからなかった。



その日、東雲玲は傘を持たずに学校へ行った。


朝から小雨が降っていたが、雨に濡れても彼女は気にする様子はなかった。傘をさすことも、防ぐことも、もう何かを「避けよう」という気力すら残っていないのだろう。


教室に入ると、さっそく無言の空気が張り詰めた。


「……あ、東雲さん」


近づこうとした一年生の女子が、真依の目線ひとつで足を止めた。玲はそれに気づいていながら、ただ俯いて自席に向かった。


机の中には、今日も異物が入れられていた。


中身はペンキを塗られたノート。真っ赤に塗りつぶされたページの中に、“クズ”“死ね”の文字。


何も言わずに、玲はそれを取り出して破り、ゴミ箱に捨てた。


まるでそれが、日常の一部であるかのように。


アズライルは、誰にも気づかれないようにして教室の片隅に立っていた。


その目は冷静だった。


「……見事に壊れてるな」


真依の嘲笑、香坂の演技、八代の肩で押し込むような威圧。


どれもが玲という一人の人間を少しずつ、確実に、削り落としていく。


教室全体が“彼女をいないものとして扱う空気”に満ちていた。


アズライルはただ見ていた。


――最期まで。


それが命令だった。


「死にたがっている奴の末路なんて、ありふれている。だが……」


ふと、玲の目元に浮かんだ涙が、アズライルの視界に引っかかった。


泣いてはいなかった。ただ目が潤んだだけ。


それでも、ほんの一瞬だけ、彼は思った。


(……似てるな……)


その感覚に、アズライルは微かに苛立ちを覚える。


無関心でいられないことに、どこか引っかかることに——


理由はわからなかった。


だからこそ、彼はまだ知らない。


この任務が、ただの“回収”で終わらないことを。


そして、この日が、長く続く“始まり”だったことを——。

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