3.孤独な令嬢に訪れた自由
サクレティアがバレンティル公爵家に来て2週間が過ぎた頃、やっと彼女専用の部屋が完成した。執事は、その報告を公爵であるクレノースのもとに持っていくため、執務室へ向かった。
「公爵様、サクレティア嬢の部屋が完成いたしました。」
クレノースは書類から目を上げ、執事を見やる。
「そうか。それで、彼女はこの2週間、どうやって時間を潰していた?」
執事は一歩前に進み、落ち着いた声で報告を始めた。
「実は、サクレティア嬢はこの間、独自にドレスや服のデザインを行っておりました。そのデザインは、どの家にも専属しないことで有名なマダムティーホップをも惹きつけたようです。彼女がぜひバレンティル公爵家の専属デザイナーになりたいと申し出てきました。」
その言葉を聞いて、クレノースの眉がわずかに動いた。彼は驚きを隠せず、無表情を装いながらもわずかに息を詰める。
「……マダムティーホップが、専属に?」
「はい、さらにサクレティア嬢は靴もデザインしておりまして、それを知った靴職人も専属契約を希望しております。」
クレノースは一瞬言葉を失ったが、すぐに冷静さを取り戻す。彼が考えていたよりも、サクレティアの才能は遥かに大きなものだった。
「まさか、あの娘が……そんな才能を持っていたとはな。」
執事は深々と頷き、続けた。
「はい、サクレティア嬢のデザインは、これまでに見たことのない斬新なもので、業界内でも注目を集めております。彼女が自由に発想したデザインが、これほどまでに反響を呼ぶとは……」
クレノースはデスクに肘をつき、しばらく考え込んだ。彼にとって、サクレティアは単にカモフラージュの妻としてしか見ていなかったが、彼女の才能が思いがけない展開を生む可能性があることに気づいた。
「……面白い。」
クレノースは静かに呟き、目を細めた。
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サクレティアは、執事に連れられて新しく完成した部屋の前に立っていた。扉が静かに開かれると、彼女はゆっくりとその中へ足を踏み入れた。
部屋は、まるで自然と調和するかのように、ボタニカルな雰囲気に包まれていた。柔らかなグリーンのカーテンが揺れ、窓から差し込む陽光が部屋を優しく照らしている。本棚には農作物や草花に関する本が並び、植物や自然に関心のある彼女にとってまさに理想の空間だった。
「ほ、ほんとに……こんな豪華な部屋に住んでもいいのですか?」
サクレティアは、驚きと信じられない気持ちが混じり合った声で尋ねた。目の前に広がる豪華な部屋には、ふかふかのベッドがあり、奥には衣裳部屋までついていた。優しそうな侍女たちが3人、静かに彼女を見守っていた。
執事は少し驚いたように微笑み、サクレティアに向けてゆっくりと答えた。
「もちろんですとも、サクレティア様。このお部屋は、あなたのためにご用意したものです。」
彼女はその言葉を聞いて、再び部屋を見渡した。まるで夢の中にいるような感覚だった。こんなに豪華で心地よい場所が、自分のために存在しているということが、まだ信じられなかった。
執事は彼女の反応を見て、少し間を置いてから静かに言葉を続けた。
「サクレティア様、もうあなたはバレンティル公爵家の一員でございます。」
その言葉に、サクレティアは一瞬息を飲んだ。これまで感じていた孤独感や不安が、まるで溶けるように少しだけ和らいだ気がした。自分が「公爵家の一員」であるという言葉――その響きは、彼女に新たな居場所を与えてくれるように感じられた。
サクレティアの目に、思わず涙が浮かんだ。これまでの人生で味わったことのない安心感が、胸の奥からじわじわと広がっていく。
「ありがとうございます……」
彼女は涙をぬぐいながら、静かに感謝の言葉を口にした。その声には、これまで抑え込んできた感情がほんの少しにじみ出ていた。
執事はそんな彼女の姿を見守りながら、軽く微笑み、再び彼女に向かって話し始めた。
「サクレティア様、こちらはあなたの専属侍女となります。アリア、ミレイ、そしてオクレアです。」
彼が手を軽く振ると、三人の侍女が一歩前に出て、優雅にお辞儀をした。それぞれが、温かさと気品を漂わせており、サクレティアに優しい笑顔を向けていた。
「アリアでございます。これからどうぞよろしくお願い申し上げます。」
「ミレイでございます。お世話させていただきます。」
「オクレアです。どうぞ、ご遠慮なく何なりとお申し付けください。」
彼女たちの穏やかな言葉に、サクレティアは再び胸が温かくなるのを感じた。彼女は少し不安ながらも、ゆっくりと微笑んで頭を下げた。
「よろしくお願いします……」
サクレティアが部屋の素晴らしさに感動している中、執事は再び彼女に向かって微笑み、さらに奥の扉へと案内した。
「こちらへどうぞ、サクレティア様。」
彼女は執事の後について扉を開けると、目の前に広がる光景に再び息を飲んだ。そこには、広々とした家庭菜園場が広がっていた。自由に使えるその場所は、サクレティアにとってまさに夢のような場所だった。
「ここは、サクレティア様専用の家庭菜園場です。ご自由にお使いください。」
サクレティアは目を輝かせ、何度もその場を見渡した。こんなに広々とした菜園場が自分のものとして使えるなんて、想像すらしたことがなかった。彼女の心は、畑で土いじりをするという幼い頃の夢でいっぱいになった。
「さらに、もしご興味があれば、この家庭菜園場だけでなく、庭園全体の管理もお任せできます。ご自身の手で育てたい植物があれば、遠慮なくお申し付けください。」
執事のその提案に、サクレティアはさらに驚いた。まさか、自分が庭園全体を管理することができるなんて――それは、今までの自分の生活では考えられなかった自由と責任だった。
「本当に……私がこんなことを?」
彼女の声はまだ信じられないように震えていたが、執事は自信を持って頷いた。
「もちろんですとも、サクレティア様。これも公爵様のご厚意です。」
サクレティアはその言葉を聞いて、心の中に温かなものが広がるのを感じた。彼女はしばらくの間、目の前に広がる菜園場を見つめ、そして静かに頷いた。
「ありがとうございます。ぜひ、やらせていただきます。」
サクレティアが広々とした家庭菜園を眺めながら、これからの作業について考えていた時、侍女たちが静かに近づいてきた。彼女たちはそれぞれ大切に苗を抱え、微笑みながらサクレティアに声をかけた。
「サクレティア様、注文されていた苗をお持ちしました。どこに置きましょうか?」
アリアが優しく尋ねると、サクレティアは少し驚きながらも微笑んで答えた。
「こちらにお願いします。」
彼女は手で指し示した場所を丁寧に説明し、侍女たちはすぐにその指示に従い、苗を慎重にその場所に並べていった。
「ここに置きますね。」
ミレイが優しく声をかけながら、苗を整え、周囲を見渡して整然とした空間を作り上げていく。サクレティアはその様子を見守りながら、ふと心の中に温かい満足感が広がるのを感じた。
「ありがとうございます。これで、ようやく本格的に始められますね。」
サクレティアはそう言うと、楽しそうな笑みを浮かべながら自室に戻り、自分がデザインした農作業用の服に着替えた。これまでの彼女の生活では想像できなかった、動きやすく、実用的なデザインの服――それは彼女の創造力が発揮された、シンプルかつ機能的なもので、彼女が作業に集中できるように考えられていた。
服を整えたサクレティアは、再び庭へと戻り、慎重に苗を植え始めた。指先が柔らかな土に触れ、苗を一つずつ丁寧に根付かせていく。土の香りが鼻をくすぐり、太陽の暖かさが彼女の背中に心地よく感じられた。彼女は自然と一体となるように作業を進め、心が穏やかになるのを感じた。
「これで、あの小さな苗たちも、立派に育ってくれるわ……」
サクレティアは、ふとつぶやきながら、苗に優しく手を添えた。この瞬間、彼女の中にあった不安や孤独は少しずつ薄れ、新たな生活への希望と充実感が芽生え始めていた。