19.崩れゆく契約
馬は疾走を続け、ついにクレノースとサクレティアは公爵邸に辿り着いた。夜の静寂を切り裂くように馬蹄の音が響き渡り、彼らが門をくぐると、執事のバルドが慌てた様子で出迎えに走り出てきた。彼の顔には血の気が失せ、明らかに重大な知らせを抱えていることが一目でわかる。
「クレノース様!大変です、大奥様が……戦争のさなかで……亡くられました!」
バルドは息を切らせながら報告したが、その言葉を聞いた瞬間、サクレティアの目が大きく見開かれた。彼女は驚きと疑念が交錯し、思わずクレノースの方を見た。彼の顔は平然としていたが、サクレティアはその背後にある何かを感じ取った。
《まさか……本当は……?》
クレノースが殺したのだという事実が、サクレティアの胸に押し寄せた。だが、彼女は何も言わず、冷静を保とうと努めた。
「奥様!?ご無事で!」バルドが続けてサクレティアに驚きの声を上げた。彼女が無事に戻ったことに、執事は目を見開き、さらに混乱していた。
「どうして……!?」バルドはダブルでパニックに陥ったかのように、血相を変えて彼女を見つめていた。大奥様の突然の死と、拉致されたと思われていたサクレティアの突然の帰還。その二つの出来事が彼の頭を混乱させていた。
サクレティアは彼のパニックを見つめながら、一度深く息をついて、冷静に振る舞った。
「すべては……後で説明するわ、バルド。今は落ち着いて。」
クレノースはバルドを一瞥し、冷静に軽く頷いた。「すべては解決した。心配するな。それより風呂に入りたい。」その言葉に、バルドは慌てて頭を下げ、緊張した表情のまま扉の奥へと向かった。「す、すぐにご準備いたします!」と、声が裏返るほどに慌てた様子で叫びながら去っていく。
クレノースは、ふっと微笑み、サクレティアの方へゆっくりと顔を向けた。その笑顔は優しく、しかしどこか狂気じみた熱を帯びている。「さぁ、一緒に風呂に入りましょうか。」
「……はい?えっ、ちょ、ちょっと待って?」サクレティアは思わず後ずさりし、クレノースの突然の提案に戸惑いを隠せなかった。
《今の状況で、風呂!?》
クレノースは真剣そのものの表情で、狂気が垣間見える眼差しで彼女を見つめていた。「大丈夫です、サクレティア様……一緒に入れば、すべてが浄化されます。……もう誰も邪魔をしない。」
サクレティアは心の中で必死に《いやいや、冗談でしょ!?》と叫びながらも、何とか冷静さを保とうと努力していた。「えっと、ちょっと待ってくださいね、クレノース……いろいろと準備もありますし……!」と、なんとか口実をひねり出したものの、クレノースのあまりに真剣な表情に返す言葉が見つからない。
クレノースはゆっくりと彼女に近づき、優雅に微笑みながら彼女の顔を見つめた。その瞳は狂おしいほどに情熱的で、サクレティアの不安を煽る。「クレノ……そう呼んでくれたではありませんか……サクレティア様……」彼は、彼女の唇をそっと指で撫でながら、まるで崇拝するかのような表情を浮かべた。
「えっ!?ちょっと待って!」サクレティアはさらに混乱しながら、どうにか事態を収拾しようとした。「ク、クレノ!お風呂は、一人で入ったほうがゆっくりできるんじゃないかな!?」
しかし、クレノースはまったく動じる様子もなく、さらに情熱的に彼女の顔を見つめ続けた。「いえ、サクレティア様……あなたとなら、どんな時間も特別になるのです……」と深くため息をつきながら、まるで永遠の誓いを立てているかのように続けた。
《えー!?もう無理、無理!!》サクレティアは心の中で大声で叫びつつ、冷や汗をかきながら、何とかこの状況を回避する手段を模索していたが、クレノースの異常なまでの崇拝が彼女をじわじわと追い詰めていた。
結局、サクレティアの抵抗も虚しく、クレノースと一緒に風呂に入る羽目に。彼女は顔を真っ赤にしながらも、状況に適応しようと必死に冷静を装っていた。《こんなことって……!》と心の中で叫びつつ、クレノースの手によって、寝室のベッドまで抱っこされて運ばれる。
ベッドに優しく降ろされたサクレティアは、顔を真っ赤にしながらクレノースを見上げた。「あ、あの……どういうことなんですか?戦争はどうなったんです?それに、お義母様は?」質問を浴びせながらも、状況がまったく把握できず、内心は大混乱。
クレノースは彼女の質問を静かに聞きながら、優雅に微笑んだ。その目には深い崇拝の色が宿っている。「サクレティア様……ご心配には及びません。戦争はすでに終結いたしました。すべてが無事に……そして母上は……残念ながら、戦場で倒れられました。」
サクレティアは唖然として、《倒れた!?いや、それって倒したんでしょ!?》と心の中で突っ込みたくなるが、言葉が出てこない。顔を真っ赤にして冷静を保とうとする彼女に、クレノースはさらに敬意を込めて接近してくる。
「サクレティア様、すべてはあなたのおかげです。母上の死によって、私は完全に自由になりました。これからは、あなたのためだけに生きていきます……どうぞ、私のすべてをお受け取りください……。」
《えええ!?なにそれ、ちょっと待って!!》サクレティアは、心の中で叫びながら、もうどうしようもない状況に追い込まれていた。
クレノースは静かに、そして優雅にサクレティアを押し倒し、彼女の顔に優しく手を伸ばした。その眼差しには、狂気じみた愛と崇拝が満ち溢れている。彼の息が彼女の頬にかかる瞬間、サクレティアの脳内に危機感の警報が鳴り響いた。
《ちょっと待って!?これ本当にまずい!》彼女はパニックを抑えながらも、どうにか冷静を装い、必死に彼を押し返した。「ちょ、ちょっと待ってください!契約に、恋慕を抱けば即離婚って書いてあります!だから、それは……!」
その言葉に、クレノースはピタリと動きを止め、サクレティアを見つめた。次の瞬間、彼の顔に不敵な微笑が浮かび、狂気じみた崇拝の色がさらに深まった。「なるほど、契約ですね……サクレティア様……。」
彼はスッと指を鳴らし、執事に目配せをした。執事のバルドは、何が起きるのかを理解しつつ、急いで契約書を持ってきた。サクレティアは目を見開き、これから何が起きるのかを悟った。
「こちらがその契約書です、クレノース様。」バルドが差し出した契約書をクレノースは無言で受け取り、サクレティアの目の前にそれをかざすと、彼は冷静かつ確実に、契約書を一枚一枚ビリビリに破いていった。
サクレティアは目の前の光景に完全にパニック。「えっ、えぇ!?ちょ、ちょっと待って!破るの!?契約書を!?」心の中で叫びつつ、彼の行動を止める術がなく、ただただ驚愕の表情を浮かべた。
クレノースは微笑んだまま、破れた契約書をその場に投げ捨て、再び彼女に向かって静かに囁いた。「もう契約など、無用です。あなたは私の唯一の存在……私がすべてを捧げる相手なのです……どうか、サクレティア様……私を拒まないでください……。」
《う、嘘でしょ!?いや、いやいやいや!これ絶対にヤバい展開でしょ!?》と心の中で叫ぶサクレティアは、再びどうにかこの状況から逃れようと必死で抵抗するが、クレノースの狂気じみた愛情からは逃れられそうもない。