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17.永遠の眠りへ

ボーン伯爵の屋敷の納屋は、暗く湿っぽく、かすかに腐った木の匂いが漂っていた。サクレティアは荒々しくその中へ押し込まれ、扉が無情にも閉められる音が響いた。彼女はしばらくその場に倒れ込んだまま、冷たい地面に手をついて息を整えた。かつての記憶が蘇り、冷たい恐怖が胸に広がる。




「また、ここに……」




小さく呟いたサクレティアの声が、静まり返った納屋に吸い込まれるように響いた。彼女がこの場所でどれだけ苦しめられたかを思い出すのは、あまりにも辛いことだった。ボーン伯爵に搾取され、冷遇された過去が、まるで悪夢のように彼女を取り囲んでいた。




やがて、重い扉が再び開かれ、冷ややかな視線を投げかけるボーン伯爵が姿を現した。彼の後ろには、無表情の使用人たちが控えている。




「お前がどれほど高貴な場所にいるかなど関係ない。ここでは、昔と変わらず、私の道具だ。」




彼の冷酷な言葉に、サクレティアは顔を強張らせた。彼女がどんなに遠くに逃れようとも、伯爵の手からは完全に解放されることはなかったのだ。伯爵は机の上に古びた紙とインク、ペンを乱雑に置き、険しい表情で彼女を見下ろした。




「今すぐ、武器の図面を書け。お前がかつて作ったものを使わせてもらおう。それがお前の役割だ。」




彼女は反射的に抵抗しようとしたが、伯爵の視線は鋭く、拒絶する余地を与えなかった。




「また、私を……道具に……」




サクレティアは苦しげに呟き、目を伏せた。心の中では怒りが燃え上がるが、今の状況では何もできないことを悟っていた。




「お前が書かなければ、このまま朽ち果てるまでここに閉じ込められるだけだ。」




その言葉に、彼女は拳を握りしめた。自由を手に入れたと思ったのに、再びこの囚われの身に戻ってしまうとは。だが、ここで抵抗しても状況が悪化するだけだと冷静に考え、彼女は机の前に座り、伯爵の命令に従うしかなかった。




伯爵が立ち去ると、サクレティアは重くため息をついた。机の上に広げられた紙にペンを走らせながら、彼女は逃げ出す策を練り始めていた。




《これ以上、彼の言いなりになるわけにはいかない……》




――――――――


―――――


クレノースは、暗闇に包まれた戦場でテントの外に立っていた。戦火が静まった夜の野営地では、かすかに兵士たちの囁き声が風に乗って聞こえていた。疲れ切った兵士たちが休息を取っている間、彼は何かに追われるように歩みを止めず、周囲を見回していた。




その時、ひっそりと伝令が近づき、耳打ちした。




「クレノース様、緊急の報告がございます。サクレティア様が……攫われ、行方不明となりました。」




その瞬間、クレノースの体に衝撃が走り、彼の胸に抑えきれない感情が湧き上がってきた。今まで母親の影響で朦朧としていた彼の意識が、突如としてはっきりと正気を取り戻した。サクレティアが攫われた――その事実が、彼の中で眠っていた感情を一気に覚醒させた。




その時、背後から甘い声が響いた。




「クレノース?何かあったの?」




母親の声だ。彼女はいつものように腕を絡ませ、彼にまとわりつくように寄り添っていた。




クレノースは一瞬、彼女の腕の温もりを感じながらも、冷静に自分の現状を見つめ直した。戦争――今、彼が参加しているこの戦争は、なんの意味もない小さな衝突だ。自分がなぜここにいるのか、そして誰が自分をここに導いたのか、すべてがはっきりと見え始めた。




「いえ、何も……それよりも、母上。早くテントへ参りましょう。今夜は特別な夜にしたいのです。」




クレノースは低く囁き、母親の腕をそっと引いた。その言葉に、母親は甘く微笑み、彼の誘いに応じた。




テントの中に入り込むと、母親は無防備に彼の言葉を信じていた。クレノースはその無邪気な表情を見つめながら、心の中で決意を固めた。サクレティアを救い出し、この狂った連鎖から自分を解放するためには、もう一つの道しか残されていなかった。




「母上……」彼は静かに囁いた。その声には、甘さと苦しみが絡み合っていた。




「何かしら?」彼女は穏やかな笑顔を浮かべ、彼の髪を優しく撫でた。その仕草に彼の胸は再び揺れる。彼女の愛情は確かに存在していたが、それはいつしか彼を窒息させる鎖へと変わっていたのだ。だが、彼女はそのことに一切気づいていない。彼にとって、その愛は甘美でありながら、破壊的なものだった。




「さぁ、今日の戦いの疲れを癒しましょう。」




クレノースは母親の手を取り、彼女を優しくベッドに誘導した。母親は一切の疑念を抱かず、ただ優しく彼を見つめていた。彼女の信頼の表情が痛々しいほどに無防備だった。その無邪気な微笑みを見つめながら、彼の心の中にはもう一つの決意が固まっていく。




母親はクレノースを信じ切り、ベッドに身を横たえた。彼はゆっくりとそのそばに座り、深く息をついた。そして、静かに母親の手を取り、優しく囁いた。「母上……あなたを愛しています。」




その言葉に、母親は微笑んだ。「私もよ、クレノ。ずっとあなたを愛しているわ。」彼女の言葉は、彼の心を締めつけた。だが、今のクレノースにとって、これが最後の瞬間であることは揺るがなかった。




《さよなら、母上……》




母親が目を閉じた瞬間、クレノースは完璧に計画された動作で刃を取り出した。それは母親に一切の疑念を与えることなく、音もなく進行していた。彼女が気づく前にすべてが終わる。その瞬間、彼は決してためらうことなく冷静に行動した。刃が首筋に当たると同時に、彼の心の中で一瞬の痛みが走ったが、彼はその感情を押し殺し、冷酷に行動を遂行した。




母親は一度も目を開くことなく、そのまま永遠の眠りについた。クレノースは一息つき、冷静に母親の体を整え、まるで眠っているかのように見せかけた。次に、彼は一部の側近に静かに命令を下した。




「このことは誰にも知らせるな。母上は戦場で、名誉のもとに息絶えたと報告するのだ。」




彼の声には一切の感情がこもっておらず、ただ冷徹な命令を下すのみだった。側近たちはその言葉を聞き、無言で頷いた。クレノースが母親を殺害した事実を知る者は、彼の忠実な騎士だけであり、彼らは絶対に口外することはなかった。




《これで終わりだ……》




彼は心の中でつぶやきながら、テントから出ていった。夜の冷たい空気が彼の顔を打ち、彼は深い息を吐いた。もう、二度と振り返ることはない。




馬に飛び乗ると、彼はすぐさまサクレティアを救い出すために駆け出した。風が彼の髪を激しく揺らし、月明かりが戦場を照らす中、彼はただ一つの思いに駆られて進んでいった。




《サクレティア……今すぐっ!!》




その決意を胸に、クレノースは全速力で駆け抜けた。彼の心は、もう母親の影から解放され、ただ一人の女性――サクレティアを救うために燃え上がっていた。

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