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13.二人を繋ぐ子

数日後、間もなく出産の時が迫っていた。サクレティアはその緊張感に、深く呼吸を整えようと努めていたが、身体が徐々に出産の準備を進めているのを感じていた。痛みが波のように押し寄せ、彼女は静かにその瞬間を待っていた。




しかし、その不安をさらに大きくする知らせが入った。侍女の一人、アリアが顔色を曇らせ、慎重な足取りでサクレティアの元へと歩み寄ってきた。彼女の表情からは、何かを言い出しづらそうな雰囲気が漂っている。




「サクレティア様……」アリアは低い声で、申し訳なさそうに口を開いた。「申し訳ございません……実は……」




サクレティアはその表情を見ただけで、何か良くない知らせであることを察した。彼女はゆっくりとアリアに視線を向け、その続きを待った。




「今、大奥様が……出産に臨まれていて、医師はそちらに呼ばれてしまいました。おまけに……クレノース様も大奥様に付きっきりで……」




その言葉を聞いた瞬間、サクレティアの心に冷たい波が押し寄せた。出産を支えるはずの医師がいないという現実。そして、クレノースが母親にかかりきりだという事実が、彼女の胸に重くのしかかった。彼女はその現実に打ちのめされそうになるも、すぐに冷静さを取り戻そうと、強く拳を握った。




「……じゃぁ、どうすれば?」サクレティアは意外なほど冷静な声で問いかけたが、その声の裏には強い不安が隠されていた。




アリアはますます申し訳なさそうに目を伏せ、しばらくの間、沈黙が続いた後、静かに答えた。「今のところ、素人の私たちだけで……どうにかするしかないかと……」




その言葉は、サクレティアにとってあまりにも衝撃的だった。医師もいない、クレノースもいない――出産という命がけの瞬間を、侍女たちの力に頼るしかない状況だということが、彼女に突きつけられた。




だが、サクレティアはふと、自分の胸に宿る強い意志を感じ取った。




《大丈夫……私は負けない……》




サクレティアは深呼吸し、痛みと恐怖に打ち勝つ決意を胸に秘め、アリアに向かって小さく頷いた。「いいわ……準備を進めて。私がどうにかする。」




サクレティアは痛みに耐えながら、汗だくで呼吸を整えていた。波のように押し寄せる痛みが、彼女を強く締め付け、何度も意識を奪いそうになる。しかし、彼女はその度に気力を振り絞り、必死に耐え続けた。




侍女たちは懸命にサクレティアを支えようとしたが、経験のない彼女たちには限界があり、サクレティア自身もその事実を理解していた。それでも、彼女はひたすらに強くあろうと努めた。全身に力を込め、声にならない叫びを噛み殺しながら、ひとり孤独に痛みに耐え続けていた。




《……私は……一人でやれる……誰にも頼らず……》




そう自分に言い聞かせていたその瞬間――ふと、部屋の扉が大きく開かれた。




「サクレティア!!」




聞き慣れた声が、遠くから響くように耳に届く。クレノースだった。彼は息を切らし、汗で濡れた額を拭いながら、彼女の元へ駆け寄った。彼の顔は疲れと緊張に満ちていたが、その目は彼女を見つめ、深い心配と決意が見え隠れしていた。




「……クレノース様……」




サクレティアは、彼がここにいることに驚きながらも、すぐに気を取り直し、痛みに耐える自分を必死に落ち着かせようとした。彼女は、自分のことよりも、クレノースが母親の元を離れて、此方に来たことを心配していた。彼女は、彼がここにいることで後から何か仕打ちが来るのではないかと恐れていた。




「クレノース様、私は大丈夫です……あなたはお義母様のもとにいなくては……後で大変なことになります……」




サクレティアは、苦しみの中で言葉を絞り出し、彼に気を遣っていた。しかし、クレノースは彼女の言葉を遮るように、彼女の手をぎゅっと握りしめ、強く首を振った。




「俺は君の側にいる。母上のことは……後で考える。今は君を助けることが先だ!」




彼のその言葉に、サクレティアは一瞬驚いた。彼女に対する強い決意が感じられ、彼が本当に自分を優先していることが伝わってきたのだ。彼女は、これまでのクレノースの冷徹な態度とは違う一面を見て、少しだけ心が揺れた。




クレノースは、サクレティアの手を離さずに、侍女たちに指示を出しながら、彼女の痛みを少しでも和らげようと奮闘した。そして、サクレティアは彼の声を聞きながら、痛みと共に最後の力を振り絞り、全力で出産に臨んだ。




そして――ついに、その瞬間が訪れた。赤子の産声が部屋中に響き渡り、サクレティアは疲労のあまり全身の力が抜け、そのまま深いため息をついた。




「生まれた……」




彼女は安堵し、疲れ切った表情で天井を見つめた。クレノースも息を切らしながら彼女の手を握り、二人は一瞬、静かな幸福に包まれた。




だが、その瞬間、サクレティアはふと彼を見つめ、心配そうな表情を浮かべた。




「本当に……大丈夫なんですか……?私なんかよりも、お義母様の方が……」




クレノースは彼女の言葉に応じ、少し笑みを浮かべた。




「大丈夫だ。俺は……君の側にいたいと思ったから、ここに来たんだ。」




その言葉を聞いたサクレティアは、わずかに表情を緩めたが、まだ心の中には不安が残っていた。彼女にとって、クレノースへの恋慕という感情はほとんどなかったが、それでも彼のことを心配せずにはいられなかった。




「……なら、どうか無事でいてください……私は……怖いんです……」




彼女はそう言いながら、疲れ果てた目で彼を見つめた。クレノースは、その言葉に少しだけ苦笑を浮かべ、彼女の額にそっと手を置いた。




「心配いらない。俺が守る。」




クレノースは赤子をそっと抱き上げ、微笑みながらその小さな顔をじっと見つめた。彼の腕の中で、赤ちゃんは安らかに眠っていた。その穏やかな姿に、クレノースの胸の中で何か温かいものが湧き上がってくるのを感じた。




「サクレティア……」




彼は少し躊躇いながら、彼女に向かって優しく声をかけた。




「名前を……俺が決めてもいいか?」




サクレティアは疲れ切った体を少し持ち上げ、クレノースの方を見た。彼の真剣な表情に気づき、わずかに微笑んで頷いた。




「もちろんです。クレノース様が選んでください。」




その返事を聞いたクレノースは、赤ちゃんの顔をもう一度見つめ、少し考えるように視線を下げた後、静かに口を開いた。




「キース……彼をキースと名付けよう。」




サクレティアはその名前を口の中でそっと繰り返し、微笑みながら同意した。




「キース……良い名前ですね。」




クレノースは赤子を抱きしめ、ゆっくりとその小さな手にキスをした。




「キース……君は俺たちの大切な子だ。」




その言葉に、サクレティアも安らかな笑みを浮かべた。

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