9.忘れられない愛しい相手(視点変更)
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(視点変更)
王がまだ王子だった頃、一人の女性と出会った。
女性は旅芸人の一人で、踊り子をやっていた。
初めて見たその舞いは、とても美しかった。
思わず目が釘付けになるほどに。
ひらひらと舞う花びらの中、まるで妖精のように踊る女性。
白く細い手足は流れるように動く。
指先まで意識しているのは踊り子として当然のことだが、驚くことに長いピーチピンク色の髪の毛まで踊っているように見えた。
なにより目を引かれたのは一人の女性の笑顔。
踊ることが何よりも楽しいのだと、全身で伝えているかのように、見ているとこちらまで楽しい気分にさせられた。
「いい踊りだった」
服は平民と同じようなものを身に着けているが、顔は変えられない。
王太子として顔を世間に晒しているから、旅芸人だろうが王子の顔を知っているものは多いのだろう。
舞台裏にいる踊り子たちのもとに声をかけると、一瞬間の抜けた顔をされたが、フードをとり顔をさらすと表情を引き締めた。
「あ、ありがとうございます!
殿下にそのようなお言葉を頂くことができ感銘でぬぅ!」
「は…」
「あ……」
思いっきり噛んだ女性に、その場に沈黙が走る。
舌を噛んだ女性は俺があの時見惚れたあの女性だった。
だからこそ、あの時の印象とは随分違う雰囲気に驚き、何も言えないでいた。
そんな雰囲気を壊してくれたのが、彼女の踊り子仲間だった。
「ブッフーーーー!!なに大事なところで噛んでんの!」
「アンタ本当期待を裏切らないわ!」
バンバンと彼女の背中を掌で叩き、励ますかのように声をかける仲間にふと笑いが漏れた。
すると俺の存在を忘れていたのか、俺に目を向けて固まる二人は勢いよく頭を下げる。
「あ、……ありがとうございます!殿下!」
「うれしいです!殿下!」
そんな二人に俺は従者と目を合わせた。
「少し話が出来ないだろうか」
「は、話!?」
「ああ。君と話がしたい」
思えば一目惚れだったのかもしれない。
王子という立場で恋愛結婚だなんて許されることではないかもしれないが、この気持ちだけは蔑ろにしたくはなかった。
平民の暮らしを知りたいという建前で、せめて一時だけでも安らぎを感じたいという本心を隠して俺は彼女に近づきたいと思った。
ついてきていた従者のジョセフは二人の女性に対して話を進める。
支援援助の話をするためだ。
あれ程の踊りが出来、そして人々に笑顔をもたらした彼女たちを援助することは決して愚かなことではないだろう。
そして彼女達だけでは答えを出せないからと、団長を呼びに部屋から出ていった彼女達を横目で見つつ、引き止めておいた女性に話しかけた。
それから俺はたびたび彼女と話をするようになった。
彼女の名前はアリエル。
両親がいなく、施設で育ったとのことだ。
その暮らしの中で出会ったのが旅芸人たち。
施設を出て、感動を与えてくれた彼らと共に旅に出たいと強く思ったらしい。
「そういえば、アリエル達が踊るときに舞う花びらはなんなんだ?」
「あれは……」
そう言って口を閉ざしたアリエルは空を見上げ、そして笑った。
俺の耳元で囁き、ニッと口元を上げる。
”内緒”
アリエルは歩き出す。
ピーチピンク色の髪の毛を風になびかせるアリエルを俺はただ見つめていた。
「私、子供が出来たら沢山愛を与えたい。
それでね“アリシア”って名前を付けたいって思っているの。私が一番好きな薔薇の名前なのよ」
どう?と尋ねるアリエルに俺は目を細めた。
彼女がまぶしかった。
彼女の笑顔がまぶしかった。
逆光に照らされる彼女が__
「いいと思うよ」
出来ればその子の父親に名乗り出たいが、きっとそうはいかないだろう。
この気持ちに、関係に終わりを告げなければならない。ならないのに。
もう、アリエルとは会えないという言葉が喉に詰まり、出てこない。
「……ねぇ、私明日には王都を出なければいけないの。
だから、今日だけは、今日だけ一緒にいてくれない、かな?」
悲しそうに笑う彼女に、息が詰まった。
思わず手を伸ばして、彼女を力強く抱きしめた。
彼女を、アリエルの体温を存在を感じたいと、そう思った。
そしてその日の夜、流れるままにアリエルと二人で過ごした。
幸せだった。
だけど、その分悲しくなった。
これが最後だと、互いにわかっていたから。
一度だけ体を重ね合わせたことがそもそもの間違いだったのかもしれない。
だが、アリエルとは別れなければいけなかったのだから、これでよかったのだ。
一度の幸せを味わうことができた。そう思えば。
時が流れ、婚約者との婚姻の日取りが決まった頃、昔別れた彼女の情報が流れてきた。
「やめた…だと?」
アリエルが所属していた旅芸人の団体が活動をやめたという情報が入った。
アリエルも他の者たちも、この先もずっと活動をしていきたいと、笑顔を浮かべる人たちを見るのが好きだからと、そう口をそろえて言っていた者たちが一体何故と。
そんな時聞こえてきたのが、婚約者となった公爵令嬢の言葉だった。
「ふふ。やっと安心できますわ。
ずっと目障りだったのですから」
その言葉にどんな意味が込められているのかは正しくはわからない。
アリエルに手を出したのか調べようと思っても、父である王が認めることはなかった。
ただの平民で旅芸人。
俺にとってはそうではない大切な存在なのに、動くことも許されなかった。
それでも死んではいないと、この国のどこかで静かに暮らしているのだろうと、そう願っていたからこそ、俺は王太子になり、王となり、この国を豊かにすることだけを考えた。
たまに窓から外を眺め、アリシアの花びらを舞い散らせながら、奇麗な笑みで今もどこかで踊ってくれていたら、幸せそうに笑っていてくれたら、俺はそれだけで幸せなんだ。
それから時が経ち、突然頭痛と睡眠障害に悩まされることとなった。
どんな医者にみせても治ることはなかった。
徐々に苛立ちが募り、周りの者達に当たり始め、そして次第に仕事に手がつかなくなっていった。
痛む頭では判断能力も鈍り、睡眠障害を患っては思考も低下する。
そんな俺に遂に臣下たちが口を開いた。
「陛下、癒しの神子に要請を出しましょう」
そう告げた臣下の言葉に頷き、神殿から癒しの神子がやってきた。
王に少しの癒やしを与えられればと、そんな切実な思いで迎えられた神子に王と王の側近の一部が釘付けとなる。
自分たちが、いや、王が探していた女性に似ていたからだ。
正確に言えば、王となってから何かの情報を掴んだのか突如王がアリエルを探し始めたのだ。
ただの平民を。すでに解散されたただの旅芸人の一人を。
指示を受けた臣下たちは困惑した。
反論するものまでもいた。
だが、国の為に必要なのだと主張されては指示にしたがざるを得なかった。
そんなアリエルに似ているアリシアに誰もが注目した。
だが、いかに顔立ちが似ていようとも年齢が合わない。
それでも似ているアリシアに息を呑んだ。
「お前、名は何と言う…」
王が告げた。
「アリシアと申します」
アリシアの言葉に王ただ一人が息をのむ。
愛していたアリエルが、娘が生まれたらアリシアという名前を付けたいと、そう告げていたからだ。
生き写しともいえるアリシアに王は心臓を鷲掴まれる感覚に陥った。
「そなた…親の名前はなんだ」
期待を込めて尋ねた。
声は震えていなかったか、と後から思う王にアリシアははっきりと告げる。
「私には親がおりません為、申し上げることが出来ません。
……それより初めてもいいでしょうか?」
親がいない?
王は疑問に思った。
アリエルの娘であれば、アリシアを手放すことなどあり得ないだろう。
何故ならアリエルは言っていた。
子に沢山の愛を与えたいと。
子が出来る前に子の名前を決めているほど、待望していた様子を見せていたからだ。
ふと脳内に記憶が蘇る。
九年前に別れたアリエルが所属していた団体がいきなり解散されたこと。
そして、消息が途切れてしまった事。
当時婚約者であり、今では書面上の妻となった女が嬉しそうに仄暗い事を口にしていたこと。
アリエルを探すことも許されず、日々を過ごした己の事。
もしかしたら全て仕組まれていたのではないかと、今更ながら考えに至った。
だから目の前のアリエルに生き写しのアリシアには親がいないのだと。
アリエルに何かがあったからこそ、アリシアは一人で生きることになったのではないかと。
「陛下?」
再度問われ王は我に返り、そしてアリシアの歌を聞いたのだった。
(視点変更終)
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