第一話-現実と葛藤-
「いらっしゃいませ」
ここは「Cafe cuddle」、俺のバイト先だ。
元々俺の三歳年上の兄貴がバイトしていたところで、俺が大学に入ったときに紹介してもらって以来ずっとお世話になっているところだ。
家から歩いて十五分で着くし、時給もこの辺りでは割と高いためかなり助かっている。
夕方までは地元の学生や家族連れが来るいたって普通のカフェだが、夜になると落ち着いたバーとして営業している。
「おいっす、お疲れさん」
「光誠か、お疲れさん」
こいつは倉本光誠、愛知県の専門学校に通っていて俺と同級生。
ちなみに俺と光誠は小中学校が同じで趣味が合うため今でも暇なときは遊んだりする間柄だ。
「お前今日何時まで?」
「俺は朝からのシフトやから今日は四時まで。やで後二時間やな。お前は?」
「俺は編集やらなあかんから今日は十時で上がらせてもらう予定」
「てことはバー時間は今日は店長一人なんか」
そんなことを言いながらお互い仕事をしていく。
基本的にホールを俺が、調理を光誠がすることが多い。しかしこの時間はあまりお客さんが来ないので洗い物を手伝ったりしている。
「今日って俺たち以外シフトおらんかったっけ?」
そう光誠が聞いてきた。
基本的にバイトが三、四人と店長がいればいい店なので、そんなにバイトの人数がいるわけではない。
人が少ないときはこうして俺と光誠の二人だけの時もある。
「いや、今日は確かあいつがいたはずなんやけど……」
俺は今日シフトに入ってるはずのもう一人がまだ来てないことに気づいた。
おかしいな、もう時間的に来ているはずなんだが、まああいつのことだ、そろそろ来るはず――
「ごめんなさいおくれましたー」
そう言いながら慌てた顔もせずにこの女は入ってきた。
「あ、しんくんおはよー」
「おはよーじゃねえよ羽衣、今日も遅刻してんじゃねーか」
こいつは水瀬羽衣。
二つ年下の後輩で去年からここでバイトをしている。
美容学校に通っているため髪色が派手で毎月その色が変わるのだが、中身は意外といい奴でなんだかんだ一番仲のいい後輩だったりする。遅刻魔だけど。
ちなみに今は金髪のウルフカット?とかいうやつらしい。
「あー、うん、ごめんごめん」
「いやお前軽すぎやろ。心込めろ心」
「えー、わかんない、しんくん見本見せてよ」
「遅れました、ごめんなさい」
「しょーがないなぁ、許してあげるよ」
「いやなんで俺がお前に許される立場やねんおかしいやろ」
「おかしくないおかしくない。ほらしんくん、仕事するよ」
そう言って羽衣はホールの方へと向かった。
「くっそあの女許さん」
「相変わらず仲いいなお前ら」
なんだか光誠がにやにやしながらそう言ってきた。
「あん?……まあ、あいつと言い合いしてんのはおもろいからな」
「お前、あいつに対して素直すぎやろ。何なん、好きなん?」
「いやいっつも言っとるやろ、――大好きやって」
そう言って笑いながら俺たちは洗い物をやり続けた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※※
「それじゃあ先上がりまーす」
洗い物をしたりたまにくるお客さんを接客したりしているとあっという間に光誠が帰る時間になっていた。
「おう、お疲れさん。店長ちょうど取引先がどうのこうの言って出てったから帰ったこと伝えとくわ」
「さんきゅー、そんじゃおつかれー」
そう言って光誠はとても軽やかな足取りで帰っていった。
いつもは疲れ果ててしんどいですオーラを放ちながらわざとらしくゆっくり帰っていく光誠がなぜ今日はあんなに機嫌よく帰っていくとは……あ、鼻歌歌ってら。
――――うーむ、これは
「怪しいね」
「うっわビックリしたぁ!――急に正面に現れるのやめろよ羽衣!」
「むっ、そんなにびっくりしなくてもいいじゃんお化けじゃあるまいし」
いやいや冷静に考えて頂こう。
俺は今光誠が帰っていく姿を見ていた、そうしたら突然この女が目の前に現れた。
いやまぁ百歩譲って後ろから声かけてきたならわかる。でもこの女は正面に現れたのだ。
――なんなの、君、意識の好きでも狙えるの?前世殺し屋でもしてた?
「しんくん、今失礼なこと思ってるでしょ?」
やっべバレた殺される。
よっしゃ、こういう時は素直に答えよう。
「はい、思ってます」
やっぱり男に言い訳は似合わない。このように素直に自分の非を認めることが一番相手から許される可能性が高いのである(俺調べ根拠なし)。
ほら見てな、きっとこいつもすぐに許して――
「えー、きらい」
「本当に申し訳ありませんでしたどうか嫌わないでくださいお願いします!」
あー、怖い怖い怖い。このシンプルな嫌いって言葉心に刺さる刺さりまくるマジ死ねるなんなら死んだわマジやめて簡単に嫌いとか言わないでほんとにそーいうの男はすっげー傷つくんだから駄目だよ簡単に言ったらあーこわいこわいこわい。
「反省しております!」
「本当に?」
「猿回しのサルよりも反省しております!」
「私のこと好き?」
「大好きです!」
「しょーがないなー、許してあげるよ」
「ありがたき幸せ!」
ふー、危ない危ない、こいつに嫌われたらバイト辞めようかと思ったぜ。
――まあ割といつも通りのやり取りなんだけどな、これ。
俺が変なこと言ったりして、あいつが怒ったふりして、俺がめちゃめちゃ謝ると最後に好きかどうか確認してくる。俺たちの軽いノリでやる遊びみたいなもんだ。
まあたまにこれをガチだと勘違いした男どもから無駄なヘイトを買うということも起きるがそれは致し方なし。客の中には羽衣に好意を抱いてる人もいたりするからな。
――しかしこいつ、そんなに可愛いのだろうか?
「ねえ、また変なこと考えてない?」
「いいえ滅相もない」
俺にとってこいつは、面白い人なんだよなぁ。
「――ていうかしんくん、さっきの話」
「どの話?」
「ほら、光誠くんがルンルンで帰って行ったやつ」
そーいやこいつそれが怪しいって俺に言ってきたんだっけ。
いろいろと追い込まれてたせいですっかり忘れていた。
「あー、それな」
「彼女かなぁ、ね、彼女かなぁ!」
目を輝かせながらの上目遣いはやめましょう。男には効果抜群です。
「えー、期待しているところすみません。彼女ではありません」
「なんだぁ、つまんない」
「しかし女ではある」
「何それ面白い」
そんなに目を輝かせて聞くほど面白い話でもないと思うが、まあ簡単に言うと光誠のもう一つのバイト先である定食屋に新しく入ってきた同級生の女の子がめちゃめちゃタイプど真ん中で今日はその子と遊びに行く約束をしているというだけのことだ。
「へー、てことはその子と初デート?」
「まあ付き合ってはないけど二人で映画見に行くらしいからそういうことじゃね?」
「えー、いいなぁ、デートいいなぁ」
そう言いながらこちらを意味深な目で見つめてくる悪い女が一人。
これは男としての意地を見せるしかないな。
「お前のおごりならデートしたろ」
「何言ってんの今すぐ財布盗るよ?」
俺やっぱこいつには勝てねぇや。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※※
「ただいまー」
そう言っても誰も返事をすることはない。それもそうだろう、一人暮らしなのだから。
あの後も結局羽衣と話をしながら真面目に働いていたら一日が終わっていた。
賄を食べてから帰ってきてすぐに明日投稿する動画の編集をする。俺にとっての普通の日常だ。
といっても今日は最終チェックをするだけでいいから編集自体はあっという間に終わって今日一日やるべきことはすべて完了した。
このあとやることはいつも決まっている。
まずは風呂に入りその後いろいろな動画を見る。これが俺にとって動画投稿の勉強時間だ。
そしてそれも終わったらスマホの電源を切り、机の引き出しの中へしまう。代わりにCDプレイヤーで音楽をかける。いつも同じミュージシャンの曲を流している。
「Leon」
この人の曲を聴くのが俺にとって一番大事な時間だ。
バンドとして活動しているがすごいロック系というわけでもなく、アコースティックギターとキーボードの優しくてどこか儚い音色を中心とした聴いている人の心に寄り添い癒してくれるような楽曲が特徴の人気上昇中のミュージシャンだ。
CDを入れて電源をつける。そうしたら部屋の電気を消し目を閉じる。
こうすることによって今日一日の心の疲れが癒されていく。
――例えばバイトの時。
今日はまだ機嫌がよかったからいいが光誠は何か自分にとって気に入らないことがあるとイライラをすぐに表に出してしまう。それに後輩たちが怯えてしまうときもあったりする。
俺は付き合いが長いからそういう時の対応ができるが他の奴はそうではない。となると俺がずっと目を光らせておく必要がある。今日も何回か危ない場面があったがその子との約束のおかげで何とか耐えたという感じだ。本当に助かった。
でもいつも思う。……なんで俺だけがこんなことまで考えなくちゃいけない?
もちろん一番あいつの扱いが上手いのは自覚している。でも、そこはあいつ自身が上手くやるべき問題だし周りもある程度は考えて行動したらあいつもあそこまでイラついたりしないだろう。6対4くらいで周りにも非があることが多い。もっと全員考えて行動すればいいのに、なんで全部俺に押し付けてくるのか。
――羽衣についてもそうだ。
あいつはバイトの中ではすこし周りと馴染めていない。でもそれは周りもあいつ自身も馴染もうとしないからであってどちらにも非はある。
その癖にあいつは「しんくんと話せるからそれでいい」とか言って周りと距離をとろうとする。
地下アイドルをやってるやつがそんなこと思ってるはずがないだろう。承認欲求が高いのにひねくれたことを言ってめんどくさくしてるのはお前自身じゃないか。お前がいる日はいつも話し相手になってるよ。お前と喋ってるのは面白いからいいけど自分が話したい時しか話さないよな。わかるよ。お前が必要としてるのは「稲葉真介」じゃなくて「私のことが好きなしんくん」なんだろ?
だから俺はそれを演じてやるよ。
それが一番苦しいけど、一番楽にあそこで働きながら生きていく方法だから。そのためならいくらでも好きでいてやるよ。
ちょうど一曲が終わろうとしている。
そっと目を開けると、外から月の光が入り込んでいる。
その光はまるで、この世界から逃げ出してもいいのだと俺を誘っているかのようだ。
――ああ、とても気持ち悪い。
この息苦しい日常も、そんな世界で自分を偽りながら生きている自分自身も、そう思いながらもあいつらを嫌いになれないこの感情も、全てあの光に招かれてどこかに消え果ればいっそ――――。
そこまで考えて一人静かに笑う。
そんなことできるはずもないのに、なんてくだらないことを妄想しているのだ、と。
だが、せめて、一つだけ願うことがあるとしたら。
どうかこの自分を偽ることでしか生きていけない偽物だらけの世界に、本当の自分をさらけ出しても受け入れてくれる、
そんな人と出会えますように。
最後に聴こえてきた歌詞を口ずさんでから俺は意識を手放した。
「きっといつか、巡り合うから――」