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短編 53 そらがけ 後編

作者: にょこっち


 後編だけど終わらないの。えへへ。終わらないのー。


 分かるか! この苦しみが!


 終わらないんだよ!


 では後編をどうぞー。



 

「……肥田野君。昨日の事は忘れなさい」


「……了解であります。先生殿」


 朝のホームルームが始まった。今日もこの大徳寺高校で勉強の一日が始まる。青春の申し子達が耐えるべき雌伏の時である。


『……やった?』


『やったよね?』


『え、先生だよ?』


『ほら、押し倒してボディプレスだよ』


『あー……』


『先生も肉奴隷か……え、つまり妊娠させた?』


『どうなの? 委員長!』


『妄想では既にサッカーが出来るくらいに産んでるけど?』


『……え、イレブン? 肥田野ズイレブン?』


『それだと試合出来ないわよ』


『……倍?』


『控えもあるでしょ?』


『………………』


 そんなひそひそ話が朝のクラスで囁かれた。委員長としてはあくまで『妄想』なので問題ないと思っている。クラスメートも『妄想』だと理解しているのだが……。



 そして時は過ぎてお昼である。


 この日も肥田野君は一人教室に残されて寂しい一人飯を強要されていた。


 まだ『天海海月ショック』は学校を痺れさせている。ズビビビビーと生徒、教師の区別なく。


 自身のクラスでもまだ馴染んでいない天海海月が食堂で自分達と同じ飯を食う。


 なんというか、別世界の生き物がそこにいるような感じがして違和感が凄まじいのだ。


 豪腕のデブ、肥田野君によってこの学校のイキった生徒達は全滅した。なので酷い騒ぎにはなっていない。


 まさかこんなところであのデブが役に立つなんて、とアイドルの食事風景に見とれる生徒達は思ったという。


 だが青髪のアイドル天海海月。今日は一人で飯を食べてる訳ではなかった。


「ひかる、そこの醤油を取ってもらえる?」


「はいよー! しるばぁ?」


「……ありがと」


「汁婆……つまり醤油をかけまくって急性高血圧にしてやんよ……だったら楽しいのですが」


 アイドル天海海月の側には二人の女子生徒が居たのだ。


 一人はどう見ても『委員長』な女子である。誰が見ても『委員長』でむしろ違和感はない。アイドルのお世話を先生から頼まれた、そんなバックストーリがすぐに頭に浮かぶようである。


 しかしもう一人の女子は……なんだろう?


「海月ちゃんは、ご飯と麺とパン、どれが好きー?」


「手軽に食べられるからパンばかり食べてたのよね。でも好きではないわ。豚骨ラーメンとかすっごく好き」


「うちの田舎だと煮干しとかなんだよねー。さっぱり醤油味。都会は豚骨ラーメンがそこらじゅうにあるって聞いたけど……そなの?」


「ラーメン屋さんは沢山ありますね。私達は外出出来ないので意味はありませんが」


「……出前とか取れないのかしら」


「おー!」


「駄目に決まってるでしょう。食堂の人に頼めば色々と作ってくれるとは聞いてますけど……豚骨ラーメンはハードルが高そうですね」


「豚を捕まえるのって大変だもんねぇ。あの子達、結構足が早くてさー」


「……ええ、そうね」


「大空さんはそうですよね」


 委員長とアイドルと……なんかアホの子である。


 元気が一杯なのだが、そのせいなのか、アホが目立つ。


 頭にアホ毛こそ付いていないものの『……あ、こいつすげぇ』と感心してしまうくらいのアホっぽさである。


 この学校に居る事から、それなりの知力はあるのだろうが……なんかアホっぽいのである。


 不思議な三角形である。


 アイドル。


 委員長。


 アホ。


 なにこのギャルゲー。男子達はその思いに駆られながらも目が離せない。


 女の子三人組はのべつまくなし、様々な話題の会話をして食事を終えていった。


 見ている者達は『羨ましい』と感じるよりも『……遠くで見るだけにしておこう』、そんな気持ちになっていた。


 アイドルとお近づきになりたい。そんな女子も男子も居るのだが、彼女達の話題に『あのデブ』がちょくちょく現れるのが不穏すぎたのだ。


 きっと『あのデブ』は三人組に頼まれるのだろう。


『刀削麺ってどんなの? 美味しいの?』


『ひーちゃんなら詳しいわよ。彼は料理も得意だから』


『刀削麺……流石に無理だとは思いますが、とりあえず聞いてみましょうか』


 ……刀削麺作るんかなぁ。もし作るんなら自分も食べたいなぁ。


 そんな男子も女子も沢山いた。


 ここは全寮制の大徳寺高校。


 陸の孤島。青春の監獄島である。


 外出は基本不可。たまにはコッテリと豚骨に溺れたい。それが青春というものなのだ。




 そして放課後がやって来た。


 でもその前に帰りのホームルームの時間である。


 全寮制なのでこのホームルームが必要なのか微妙な感じではある。だかしかし連絡事項を伝える場はどうしても必要なのだ。


 例えばこんな風にである。


 担任が俯いたまま教室に入って来た。その足取りは重い。そして教壇に立つと、おもむろに顔をあげた。


「……ひーちゃん。先生も刀削麺が食べたいの」


 その顔は必死であった。


「初耳でござるよ!? なんでいきなり刀削麺!? いや……麺系はスープさえあればなんとでもなるっちゃなりますが」


 この日、教室が沸いた。


 ひかる達はまだ肥田野君に尋ねていない。部活の時にみんなで聞こうと思っていたのだ。しかし、ここは陸の孤島、青春の監獄島である。


 噂が一瞬にして広まる田舎の集落と何ら変わりがない場所なのだ。


 お昼に伝え聞いたものが放課後にはみんなに知れ渡る。みんな娯楽と豚骨に飢えているのだ。


「ひーちゃん! 豚骨ラーメンが食べたいです!」


 大空ひかる、やはりこいつが最初に飛び出した。田舎っぺ大空ひかるは豚骨ラーメンを食べてみたいのだ。都会の豚骨ラーメン、というものを食べたいのだ。博多は都会なのか微妙に疑問が残る。


「豚骨は無理でござる! あれは大変でござる! というか臭うから許可も出ないでござる! 調理場のおばちゃん達が激怒するでござるよ!」


「なんだとー!? なら味噌ラーメンが食べたい!」


「……まぁそれなら……え、自分が作るの?」


 肥田野君は戦慄した。クラスメートと教師、その全てが飢えた野獣の目で自分を見ていたのだ。


 え、自分、出汁にされちゃう? いや、献血は良いけどそれ以外は流石にちょっと……。


 肥田野君をして怯える視線の強さである。そして特に強い視線を向けるもの、教壇に立つ女教師は更に踏み込んできた。


「ひーちゃん。最短で、いつ食べられそうなの!?」


 ギン! そんな音すら聞こえてきそうな目付きである。


「うぇ!? えーっと、まずは調理場のおばちゃん達に話をして、どれくらい作るかをプランニングして、それを書類にして学校側に提出するから……早くても一週間は掛かるかと」


 肥田野君、すごく詳しい。伊達に調理バイトをしているわけではなかったのだ。


「……随分面倒なのね」


 思ったよりも手間が掛かる上に時間も掛かるということで担任のテンションはひとまず落ち着いた。


「来週は味噌ラーメン……再来週はなんだろなー?」


「……え、マジで?」


 この日大徳寺高校に極楽蜻蛉なアルキメデスが現れた歴史的な日となった。




 そして放課後。


「はーい。エア靴五人分受けとりましたー。他のは全部持ってってねー」


「……えっと……天海さんは?」


「君達は問題を起こしたのよ? 会えると思う? 前の顧問と一緒に北海道の僻地に行きたいの?」


「す、すいませんでしたー!」


 この日、そら部の部室は引っ越し作業に追われていた。大きな体育館から小さな体育館へ荷物を運ぶ大移動である。


 自分達の居場所を取られることになった部員達であるが、罰を受けるよりはマシとして全員が納得したはずであった。


 でも彼らは高校生である。


 あのスーパーアイドルと同じ部活でキャッキャッしたい。そんな想いも捨てきれずにいたのである。


「君らはギリギリなんだから変なことを考えないようにね。壁にめり込んで退学したいなら止めないわ」


 教師にこう言われては従う他ない。


 せめてもの復讐として、置いていくエア靴に悪意を混ぜるのが精一杯である。


 教師と女子、女性用の靴は普通のエア靴である。これに細工は出来なかった。怖すぎて。

 

 だがブタ野郎。てめぇだけは許せねぇ。


 男子用エア靴に悪意の塊をぶちこんで、そら部の部員達は去っていった。


 それがあんな結末をもたらすとは露とも思わずに。



 そして場面は変わり、ここは調理場である。


 大徳寺高校、調理場。ここは選ばれし者しか立ち入れない大徳寺高校の心臓部である。


「……以上です。生徒、職員の両方からラーメンを食べたいという強い要望が出ているのは間違いありません」


 ここに直立不動で報告をあげる一人のデブの姿があった。彼を以てしても、ここの住人には決して逆らわない。ここはそういう場所なのだ。


「あらあら、気持ちは分かるけど面倒なのよねぇ。スープが」


「そうよねぇ。すごく面倒なのよ。スープが」


「それ専用のお手伝いさんが欲しいわねぇ。スープ用の」


「ある程度分かってる子じゃないと駄目よねぇ、スープのことを」


 次々と声を挙げたのはここのヌシ達である、見た目は普通のおばちゃんにおばあちゃん達である。


 大徳寺高校を影で支配するのは実はこういった所にいるおばちゃん、おばあちゃん達となる。彼女達の献身的な働きによって成長盛りの若人達は健康でいられるのだ。


 飯が不味い。


 それだけで人は絶望に呑まれてしまう。


 この学校が全寮制となるのが決定した時からこの問題は至上命題となった。


 旨いものを作る。


 ただそれだけなのに、それがとても難しい。


 その問題を解決するために集められた精鋭。


 この調理場で働くおばあちゃん、おばちゃん達は全国から選ばれた食のエキスパート達なのだ。


「翔ちゃん。あなたが寸胴の管理をするなら私達は許可を出しましょう」


 デブの肥田野君。何故かここのおばちゃん達には好かれていた。そして信頼もされていた。ここ『調理場』で『調理』のバイトが出来るのはそういう意味である。

 

「……寸胴鍋、何個になるんでしょうか」


 そんな信頼される肥田野君なのだが……彼は絶賛絶望中であった。


「全校生徒と教職員……ひとまず十個で様子見してみましょうね」


 寸胴鍋十個。その管理。にこやかな老婆がさらりと提案した拷問である。上品な老婆であるが、彼女のしわしわアームの馬力は肥田野君を優に越える。長年料理に携わり、半世紀以上鍛え続けてきた彼女達の細腕は、そのしわしわの見た目に反して超馬力を誇る豪腕だったのだ。


「いやぁ、自分はここの生徒なので管理は無理ですよねー?」


 肥田野君、必死に逃げる。ここでの彼は最弱の生き物である。比喩では無しに。巨大な鍋を軽々と持ち上げる老婆達である。それも中身入りを。肥田野君がここでは『一番非力』なのだ。一番大きい体なのに。


「休み時間とお昼、あとは放課後も使えば大丈夫よ。ここで食べ物を出す以上、半端なものは許しませんよ?」


 優しげな物言いであるが、それを口にした老婆の眼光はあまりにも鋭い。デブの背中に汗が流れる。


「……ぶ、部活もあるので」


 肥田野君逃げる。必死に逃げ道を模索する。逃げられないのは分かっているが、彼は漢なのだ。どんな時でもすぐに諦めるという腰抜けな選択肢は持ち合わせていない漢なのだ。


「あらぁ、なら尚更頑張らないとねぇ」


「そうねぇ」


「そうよねぇ」


「若いうちの苦労は買ってでもしろ、と言うし。後が楽になるのよ? 本当よ?」


「ではそういう事でよろしいか?」


 判決は決まった。というか最初から決まっていた。


「……はい。頑張ります」


 エロと二次元に熱い男。これからは『調理』にその精力を傾ける事と相成った。


 蛇足な説明になるが、寸胴というのは巨大な鍋を指す。人が入れるサイズの鍋である。流石に人は煮込まぬが。


 話中に出てくる寸胴鍋一つでおよそ六十人前、そう考えて欲しい。一般人に寸胴鍋は馴染みがないので一応説明である。


 ……つまり六十人前を十個だよ肥田野君。この学校、教職員を含めても五百人を切るのだが。ハードだねぇ。ふぁいとー。


 

 説明が終わった所で舞台は調理場へと戻る。


「……うー」


 肥田野君、レシピを書きながら唸る。スープに使う材料を書き出すだけでも、とんでもない事になっていた。単位が基本的におかしいのだ。単位が箱である。玉ねぎを箱で8箱。そんな感じである。


「スープに使うお野菜はくず野菜を主に使いましょうね。それでも足りないかしら」


「農家さんから売り物にならないお野菜を大量に仕入れる必要があるわねぇ」


「また献立が豊かになるわねぇ。うふふふふ」


「うぬー」


 肥田野君の孤独に見えておばあちゃん達に囲まれているから全然孤独じゃない戦いは続く。



 そしてこちらは体育館。女子達の秘め事が行われる男子禁制の新生『そらがけ部』である。


 部室の引っ越し作業が終わったので女子達が体育館に集まった。そしていつものようにマットを敷き、秘密のお茶会が開かれた。


「うぎゃぁぁぁぁぁ!」


 お茶会に絶叫は付き物……ということらしい。


「やっぱり固いわねぇ。ひかるはお風呂上がりにも私の部屋に来なさい」


「私も固い方ですけど大空さんは特に固いですよね」


「そうよねー。え、先生は良いのよ? ほら、顧問だし……ぬがぁぁぁぁぁ!」


 例外はない。アイドルは容赦を知らない人種であった。


「先生も固いんだねー。あ、そだ。エア靴はどこですかー?」


「ぬごっ!? ぬごぉぉぉぉぉ!?」


 担任がすごい声を挙げていても、やはりひかるは気にしない。というか大分回復が早くなった。ついさっきまで悲鳴を挙げていたのに今はケロリと涼しい顔である。


「はい、息を吐いてー……吐けぇぇぇ! 全部吐けぇぇぇ!」


「ぬがぁぁぁぁぁ!」


 そして今雄叫びを挙げながらマットを必死にタップしている女教師は既にグロッキーである。アイドル天海海月。妙な所にスイッチがある娘であった。


「……天海さんも変な人よね」


「うー……今日はエア靴楽しみにしてたのに……ひーちゃん遅いなぁ」


 教師が必死にタップしているというのに、やはりこいつは気にしない。マットに座りながら体育館の入り口を見るひかる。黒子のひーちゃんはまだ現れない。


「私『そらがけ』未経験でエア靴を履いたことすら無いんですけど……先生は経験あるのですか?」


「……ぐふっ……一応……研修で」


 ふかふかマットに埋もれている女教師は切れ切れに答えた。まだ息はある。しかし瀕死である。強制前屈と股裂きの刑はアラサーの彼女にとんでもないダメージを与えていた。


「私も何度かやってるわ。スケートとほとんど同じだからそんなに難しく考えなくても大丈夫よ。本当の『そらがけ』とはまるで違うし」


 天海海月から出た『そらがけ』という言葉。これに女教師はピクリと反応した。


「……天海さん。肥田野君からの伝言よ。自分は『そらがけ』に詳しいただのぽっちゃりだって。自分は肥田野だと、そう言ってたわ」


 女教師は動けない体ながら、それだけは言い切った。あの日見せた肥田野君の男気を無駄には出来ない。


 酔ってる時の記憶を全て覚えている女教師は彼の想いを無駄にしたくなかったのだ。


『自分は肥田野翔であり天宮翔ではない』


 彼はそう言ったのだ。


 天海海月ならば恐らくこれで理解するだろう。じんじんする股関節を撫でながら女教師は肩の荷を下ろした。


「……つまり私に肥田野海月になれと言うことなのかしら」


「私だと肥田野ひかるかぁ」


「うちは婿を取ることになっていますので肥田野姓は名乗れませんね」


「はっはっは。小娘どもが何を言うておるか! ひーちゃんは私のですっ!」


 そこからは女の闘いになった。アイドルの蹴りが舞い、田舎っぺのタックルが炸裂し、委員長のショートアッパーが空気を切り裂く。そして女教師の頭突きが体育館の床を揺らした。


 黒子のひーちゃんが体育館に来たときには女四人が仲良くマットにダウンしている状況であった。


「……仲良しか」


 乙女四人は折り重なるようにしてマットの上で寝ていた。黒子のひーちゃんにはそう見えた。四人同時ノックアウトという凄惨な結果なのだが今来たばかりのひーちゃんにはそんなことなど知る由もない。


「……布団ってあったっけか」


 黒子のひーちゃんは空気の読める黒子である。


 仲良し四人組を起こすのは忍びない。そう考えた。しかし体育館の倉庫にはふかふかマットはあれど、掛け布団は存在しない。


 ならばと部室に寄ってみた。


 体育館の中にある『そら部』の部室……だった部屋である。もしかしたらあるかも知れない。多分無いとは思うがとりあえず。


 黒子のひーちゃんはそんな軽い気持ちで部室へと足を運んだ。既にこの体育館自体が乙女達の専用施設となったので部室には鍵が掛けられていなかった。


 部室の中には空のロッカーが壁際に並び、部屋の中央には椅子と机が置かれていた。学生が使うものとはまるで違うお洒落なテーブルと椅子である。


 ロッカー内の荷物は全て搬出したようだがロッカー本体とテーブルの類いは残っていた。流石にこれらは持っていかなかった模様である。


 元はミーティングルームだったので部室の大きさは教室の半分くらいの大きさになる。そら部の部室と言ってもここに全ての部員が集まる訳ではなく、荷物を置くための部屋、そういう使われ方をしていたのだ。


 何か毛布のようなものは無いかと、この部屋に来た黒子のひーちゃん。


 部屋の戸を開けて、すぐにそれに気付いた。


 部屋の真ん中に置かれたテーブル。その上に乗る五足の『エア靴』を。


「……何故五足?」


 予備も入れての五足……にしてはおかしい。何故なら一足はどう見ても男子用のエア靴なのだから。


 黒子のひーちゃんは頭を傾げた。


 もしかして……自分もカウントされているのか? 部員として。自分にやる気は無いのだが、と。


 ひーちゃんはテーブルに置かれていた男子用エア靴を手にとってみた。そしてすぐに気付いた。


『これ、壊れてるやん』と。


 つまりゴミを置いていったのだ。


 そうなると他のエア靴もその可能性がある。


 黒子のひーちゃんは女子用のエア靴をチェックし始めた。椅子に座り、四足のエア靴をテーブルに並べての動作確認である。


 作業はすぐに終わった。


 四足ある女子用のエア靴は薄汚れていたものの壊れてはいなかった。品質も普通である。


 少々汗臭い気もするが天日に干せばいい。


 黒子のひーちゃんは胸を撫で下ろした。ついでに軽く整備もしてしまえ。


 黒子のひーちゃんは久し振りにエア靴を触っていた。それはひーちゃんが思っているよりずっと楽しい事だったのだろう。たとえ触っているのが女子用のエア靴だったとしても。


 だから熱中するあまり、開けっぱなしにしておいたドアから頭が四つ、部屋の中をこっそりと窺っている事に彼は気付けなかった。


「……ひーちゃん、靴の臭いを嗅いでたよ」


「すごい細かく見てましたね」


「今も触りまくってるわよ」


「ひーちゃん……靴フェチだったのね。まぁ知ってたけど」


 ノックダウンしていた四人は起きていた。そしてとりあえずエア靴見に行こうぜ! としてここに移動してきたのである。


 闘いを通して彼女達は友情を深めあったのだ。


 アイドルは対等な関係を。


 田舎っぺは愉快な友達を。

 

 委員長は良きライバルを。


 女教師は有望な生徒達を。


 彼女達は、それぞれ得たのである。


 表向きは。


 そう、あくまで表向きである。裏は知らない方が良いのだろう。そういうものだ。


「……どうしよう。ひーちゃんが靴を舐めるように見てるよぉ」


「……あれを履くんですか?」


「私は履くわよ」


「私は……顧問だし。履かなくてもいいよね?」


 黒子のひーちゃん。真面目に点検、整備しているのに、とんだ風評被害である。


「……ねぇ。あれ、ひーちゃんに履かせてもらうの? なんか恥ずかしくない?」


 ここでひかるが風向きを変えた。西北西の風をダウンバーストに変えたのだ。吹き下ろす嵐は乙女達を狂わせる。


「……それがエア靴の正式な履き方と聞いてます。そういうものなら従わないといけませんよね」


 委員長は風に乗った。見事な風乗りである。


「え、そんなの初耳……いえ、そうよ。エア靴は誰かに履かせてもらうものなのよ。そういう公式ルールなの」


 かつては生意気だった女の子天海海月。今ではすっかり真面目なアイドルとなった彼女も風に逆らう事なく吹き飛ぶことを選んだ。


「あらあら、ここのルールは顧問が決めるものなのよ。エア靴を履く際は必ずひーちゃんに履かせてもらうこと。これをこの部のルールとするわ」


 大人ってずるい。結論はこうなった。


「ううっ……なんか恥ずかしいけどルールなら守らなきゃだね」


「……脱ぐときはどうします?」


「脱ぐときは……流石にねぇ?」


 天海海月は躊躇った。既に経験しているからこそ起きた乙女の躊躇いである。前回は勢いでやってしまった。そして思わぬダメージを負った。それは甘く背徳的な疼きを彼女にもたらした。溺れてはいけない、そんな理性の声がする。とても小さな声だけど。


「脱ぐときもひーちゃんです。蒸れた足をひーちゃんに差し出す覚悟はあるかしら?」


 真面目に整備している彼の背後でとんでもない会話がされている。


 本来エア靴の整備点検はそれ専門の資格を持った者にしか出来ない高等技術である。

 

 何せ『そらがけ』自体が解明しきれていないオーバーテクノロジーの産物なのだから。

 

 基本的に『そらがけ』に使用する道具は『エア靴』のみとなるが、その専門性は群を抜く。『天宮翔』はこれのカスタマイズに長けた少年だった。勿論運動神経も優れていたが、一番の強みは子供ゆえの『適応力』だったと言えよう。


『エア靴』


 その外見はスキー靴のように厳つくてメカメカしいハイテクシューズである。無駄にお洒落な外見をしているのは見た目を重視した結果であり、性能において邪魔にしかならない。


 この、やたらとメカメカしいエア靴から発生する『フォトン回路粒子』と特殊な力場で空中に足場として作られた『フォトン回路粒子』を接触させ、対消滅を人為的に引き起こす。この対消滅の反作用により瞬間的に全ての物理法則が無効化される。この現象を利用したのが『そらがけ』となる。

 

 ひかるが部活見学初日に見た体育館に浮かんでいた光のレーン。あれが『フォトン回路粒子』の塊である。


 手で触れても何も感じないが、エア靴を履いて上に乗ると靴とレーンの『フォトン回路粒子』同士が反発して浮かぶのだ。


 今の『そらがけ』は対消滅の範囲を限定化させているので重力を完全に消滅しきれていない。なのでスケートのように光の道の上を滑走する、というスタイルになる。


 かつての『そらがけ』は出力最大でガンガン対消滅をさせていた。当然その反作用も激しかった。人が空を飛べるくらいである。これは空への大ジャンプが可能となる反面、少しでもミスると大惨事になる諸刃の剣でもある。空を自由に跳べるようになるが、少しのミスで紐無しバンジーまっしぐら。どこぞのアイドルは、それで事故った。


 それはともかく、一時的とはいえ重力を完全無効化である。


 色々とヤバそうな技術に思えるが実は使い勝手が非常に悪く、活用法がまだ『そらがけ』以外に見つかっていないオーバーテクノロジーとなっている。


 重力無効の反作用が及ぶのは、おおよそ百キロ以下の物体まで。それも作用するのは一秒以下の短時間。


 そうなるとわざわざこの技術を物流業に転用する旨味もない。


 すごく微妙な技術なのである。


 でもこの技術によって、人は空を跳べた。


 最初の『そらがけ』はお馬鹿な天才によるピーキーチューンの悪ふざけであったが、それに魅せられた人は沢山いたのだ。


 そのなかで頭角を表したのが『天宮翔』だった。他にも空を駆けた者達は沢山いた。


 人は空を跳べるようになったのだ。


 だがそれも昔の話。


 女子用のエア靴を弄っていた黒子のひーちゃんはメカメカしいエア靴の整備を終えて、一人ため息をついていた。


『出力が低すぎる』


 かつてのエア靴とは比べ物にならないくらいに出力が制限されている。なのにエア靴の価格は昔よりも遥かに高額なのだ。

 

 今のエア靴はかつてのエア靴劣化版である。見た目こそ昔よりもメカメカしくてハイテク感に満ちているが、その実、性能はへっぽこである。


 エア靴に刻まれた日本唯一のエア靴メーカー『天宮工業』のロゴを黒子のひーちゃんは冷めた目で見つめていた。


『相変わらず金儲けに勤しんでおられるようだ。我が父親殿は』


 黒子のひーちゃんが『そらがけ』を完全に辞めた理由。それがこれであった。


「ひーちゃん、エア靴のチェックは終わったのかしら?」

 

 黒子のひーちゃん、背中に掛けられた声にビクンとす。


 振り返るとそこには四人の女子の姿があった。先程まで仲良く寝ていた四人である。何故かその顔はひきつっているが。


「……一通り見ておきましたが問題は無さそうです。少し臭いますが干せば良いかと」


 真面目なひーちゃんは、そう答えた。彼としては特に疚しい事もない。しかし女子達は違った。疚しい気持ちでいっぱいである。


「ひーちゃん! 私の足を嗅ぐのだ!」


「私の足もね」


「私のもお願いしますね、ご主人様」


「……先生のも行っとく?」


 ……何が起きている? 世界に奇病が蔓延したのか? 


 黒子のひーちゃんはまずそんなことを考えた。


「……らじゃ?」


 多分女の子特有のどっきりか悪ふざけだろう。黒子のひーちゃんはそう判断した。これで四人は『もーやだー! 冗談に決まってるじゃない! このド変態野郎!』と言い出すに決まっている。


 黒子のひーちゃんはエロゲの展開的にそうなると思っていた。ここはまだコメディーフェイズだと。


 しかしこの考えは甘かった。


「今日は先生からいくわよー。ひーちゃんは床にかしずきなさい。匂いのコメントはしなくていいわ。したら責任取って結婚してもらうから是非コメントしなさい。良いわね?」


 ……とんち? これなんて一休さん? 助けて足利将軍。橋の端を渡らずに橋を渡るのか?


 固まるひーちゃんを余所にして女教師は椅子に座り足を差し出した。


 ひーちゃんはとりあえず床に膝を着いた。


 女教師の顔を下から見上げてみる。


 ……真面目な顔だ。すごい緊張感をそこに感じる。これは何かの罰ゲームなのだろうか。女子ってその辺の容赦ないよね。怖いよね。


「さぁ、靴を脱がして匂いを嗅ぎなさい」


 女教師は真っ赤な顔で言い切った。彼女も凄まじい羞恥心と戦っているのだ。少しきゅんと来たのは肥田野君の内緒である。


「……先生殿、これは罰ゲームなのですか?」


 たまらずひーちゃんは聞いていた。これは良くない。良くない流れであると漢ひーちゃん、断腸の思いで欲望の鎖を断ち切った。


「あれ? ひーちゃんにはご褒美になると思うんだけど」


「……とりあえず落ち着きましょう。こういうのはその……もっと深い関係ですることかと存じます」


 エロと二次元に熱い男。土壇場ではすこぶる真面目な男であった。女の子から見たら、ただの腰抜けチキン野郎とも言う。


「……ひーちゃん、私の足を嗅ぐのよ! 今すぐに!」


「ちょっ! 先生ずるいです!」


「そうですよ!」


 女子達が黒子のもとへと殺到する。女教師は黒子の胸をげしげしと蹴る始末である。しかし一人の少女は動かない。


「私は恥ずかしいから、やっぱりパスで。せめてお風呂に入ってからだよねー」


 一人引き下がった少女……大空ひかるのこの発言。何気無い発言であったが、今にも黒子の黒頭巾を剥ごうと手を伸ばしていた女子達には効果が抜群であった。


 少女の言葉の意味するところはとても深い。深すぎてひーちゃんも驚愕である。


「……こほん。ひーちゃん。今日の夜は先生の部屋に……」


「拙者、これにて御免! また明日でござる!」


 身軽なデブ、黒子のひーちゃんは飛ぶようにして部室から逃げていった。


 彼にはこれからスープ作りという大事業が待っている。まだやることはないが、そういうことにしておかないと大変な事になる、そんな予感をひしひしズビズビと感じたのだ。


 お風呂上がりに足の匂いを嗅ぐ。それだけで果たして済むのだろうか。エロゲに詳しいひーちゃんであっても、フラグの立ち方がまるで読めない展開である。


 現実とゲームは別物。分かっていた事ではある。しかし現実の真なる恐ろしさに直面したひーちゃんはただただ震える事となったのだ。


 そして部屋に残された乙女達といえば……。


「おおー! これがエア靴っ! なんか……かっちょいい!」


「かなりゴツいんですね。結構重いですし」


「起動させると軽くなるのよね。不思議な事に」


「先生に理論とか説明を求められても困りますからね! 私の専門じゃないし」


「とりあえず履いてみよう……あ、ひーちゃんがいない!?」


「時間もそろそろなのでお開きにしますか」


「そうね。とりあえず好きな靴を選んで今日はお仕舞いかしら。このロッカーって自由に使って良いのよね」


「……お酒とか入れちゃダメ?」


「ダメです」


 今も困惑しながら疾走する黒子のひーちゃんとは対照的に女の子達は和やかな雰囲気であった。




 そしてその日の夜。


「あらあら、翔ちゃんは働き者ねぇ」


 今日は調理場である。バーではない。明日の仕込みと寸胴鍋の用意の為に、コック衣装の肥田野君が調理場を駆け回っていた。


 大徳寺高校の調理場は二つある。寮に程近い所にある調理場と校内の調理場である。実はこの二つは地下で繋がっていて、ここで働くおばあちゃん達はそこを経由して移動していたりする。元は戦時中の避難路だったものを再利用しているのだ。


 食材や調理済みの料理もここを経由して運ばれたりする。だが料理の基本はこの地下通路ではなく、やはり地上の調理場なのだ。


 そういうわけで今回は寮用の調理場である。寮には食堂や調理場が設置されていない。寮から少し離れた所に建物があって、そこに調理場と食堂が併設されている。購買部があるのもここである。


 ここで生徒と職員は朝と晩のご飯を食べるのだ。


 毎日作る量が量なので校内の調理場だけでは設備が追い付かない。そんな事情である。


 ここも校内の調理場と同じくらいの規模で忙しさはあまり変わらない。朝と晩を担当するがその分おばあちゃん達の層も厚いからだ。

 

「翔ちゃんこっちもお願いね」


「アイアイサー!」


 野菜の皮剥き、肉の下拵え、出汁の準備、やることは無数にある。


 肥田野君は無心になって働いていた。


 今日の出来事を忘れる為に。


 今日の出来事を振り払う為に。


「翔ちゃん。お料理は逃げる場ではありませんよ。ちゃんと真摯に立ち向かわないといけません」


 肥田野君、おばあちゃんに怒られる。達人には全てお見通しであったのだ。


「イエスマム! ソーリーマム!」


 あれに真摯に立ち向かっていたら自分はどうなっていたのだろうか。


 いやいや、今は真摯に料理に向き合わないと。考えてはならない。きっと考えてはならないことなのだ。


 ものすごく後悔してるけど。


「青春ねぇ」


「やっぱり若人に色恋は大切ですものねぇ」


 バレてらっしゃる!? 何故に!?


 そう思うも手は止めない。もりもりと下拵えを終えた野菜の山が出来ていく。

 

「翔ちゃん。女の子は少し強引なくらいで丁度良いの。でも嫌がる事をしては駄目よ?」


 おばあちゃんからの訓示である。


 足の匂いを嗅ぐのは大半の女の子が嫌がる事だと思うんだけど、それを強引に求められてる自分はどうしたら良いのかなぁ。


 肥田野君は悩みながら包丁を華麗に操っていく。


「あらあら、青春ねぇ」


「翔ちゃんにも春が来たのねぇ」


 おばあちゃん達も巨大なしゃもじを動かしながら、にこやかで和やかな雰囲気である。


「……やはり男として受け止めるべきなのでしょうか」


 男、肥田野君。悩むところはそこである。やはり彼も青少年である。エッチな事にも興味が津々なのである。


「あらあら、そういうことは一人前になってからほざきなさいな」


「イエスマム! ソーリーマム!」


 この調理場のおばちゃん、おばあちゃんは選ばれし者達である。その厳しさは軍と同じ。まだまだ半人前にもなっていない肥田野君はヒヨコ以下なのであった。


「エッチな事は、ちゃんと経済的に支えられるようになってからよ? 女の子を不幸にさせたら……どうなるか分かるわよねぇ?」

 

「イエスマム!」


 野菜の煮付けが入った巨大な鍋。それを持ち上げ、振ることによって混ぜている老婆からの訓示である。鍋の重さは十キロ以上。中身を入れると五十キロはある鍋を軽々と持ち上げ揺らしている老婆である。


「……向こうから求められたら、どうしたら良いのでしょうか。今日は逃げましたけど」


 熱々の鍋を素手で持ち上げている老婆に肥田野君は助言を求めた。


「あらあら、駄目よ。逃げるなんて。ちゃんと相手をしてあげないと」


 ……とんち? またしてもとんち? 助けてよ足利将軍! 屏風の虎は捕まえらんねーよ!


「女の子はね? 満たされたいのよ。愛や温もりで」


「……了解であります」


 肥田野君、何となく掴めた気がした。むしろ自分の得意分野であったことを思い出したのだ。


 自分は『いちゃラブ』同盟に入っていたではないか。答えは最初からそこにあった。あったのだよ。すぐそこに。


「翔ちゃん、気が散ってるわよ? お料理に集中」


「イエスマム! ソーリーマム!」


 この夜、肥田野君はへとへとになってバイトを終えた。


 そして部屋に戻ると母親に向けて手紙をしたためた。


『かーちゃん。俺、女の子を満たす男になるよ』


 そんな手紙である。


 しかしこの手紙。翌朝冷静になった肥田野自身の手によって破かれ捨てられる事になった。


 肥田野君は高校生。まだまだ未熟な青少年という事を忘れてはならない。


 そしてまた朝が来る。


 朝が来るのだが、この日は休日である。


 大徳寺高校の部活動が強豪揃いなのは休日も部活動が自由に行えるからである。


 つまり今日は朝から体育館。そういうことになる。肥田野君は覚悟を決めて部屋を出た。尻のポケットには何が起きても良いように避妊具を仕込ませて。




「ひーちゃん。くつー!」


「……らじゃー」


 今日の体育館には光の道が浮かんでいた。広い体育館の半分を占める宙に浮かぶ光の道である。


 今日から本格的な部活が始まろうとしていた。


「その前に柔軟体操よ、ひかる」


「ぐぬぬぬ。すぐここに『そらがけ』があるのにぃ!」


「準備体操は大切よ。大空さん、また骨折したくないよね?」


「怪我したら先生がラッコですからねー。絶対に怪我をしないでねー。いい? 絶対に! 怪我は! するなー!」


「先生殿……」


 新生そら部はそんな感じでスタートした。



 黒子 1名


 顧問 1名


 アイドル 1名


 アホ 1名


 委員長 1名



 ここから伝説は始まった。


 乙女三人衆の『光る海月と委員長』


 謎しかない『回転する覆面レスラー』


 そして絶対強者の『ラッコ先生』


 後に伝説となる『真そらがけ部』がここに生まれたのであった。



「んじゃ、先生はひーちゃんに濃厚マッサージしてもらうことに……ぬがぁぁぁぁぁ!」


「先生も『そらがけ』に参加してもらいますっ! 吐けぇ! 息を吐けぇ!」


「私達も柔軟体操しとこっか」


「そうね」


 新生とはいえ普通に部活である。その始まりは普通……普通に始まった。この部活では普通の光景である。絶叫もいつもの事であるし。


 床面積の半分をマットで敷き詰めた体育館に、たった五人の部活動。なんとも贅沢な使い方である。


 黒子のひーちゃんは基本的にやることがない。柔軟体操は女の子同士で行うのが鉄板である。


 でもひーちゃんも暇なので一人で柔軟体操をすることにした。黒子の柔軟体操である。


「うげっ! ひーちゃんが気持ち悪い!」


「お相撲さんみたいですね」


「その体でその柔軟性は……ちょっと気持ち悪いわよ?」


「ぬごぉぉぉぉ! ひーちゃんがぁぁぁ! 股を開いてるぅぅぅぅ!」


 開脚の出来るデブ。黒子なのに目立つデブである。柔軟性を備えたデブほど意味の分からないものはない。


「……何故にみんな股間を凝視?」


 乙女達の視線の先には己の股間。確かに彼女達には付いてないものが付いているが、ちゃんと黒装束で恥ずかしがり屋さんは隠れている。少しもっこりしているが、それは男性ならば当たり前のもっこり範囲である。興奮はまだしていない。


「……ひーちゃんって男の子なんだね」


「天海さんだとあそこまで膨らみませんし」


「私、一応女の子よ?」


「わだじも女のごぉぉぉぉぉ!」


「……」


 ひーちゃんは黙っていた。女の子。何歳までが、女の子? 


 女教師の叫びが木霊する体育館での柔軟体操はしばらく続いた。


 ここしばらくのスパルタ式柔軟体操によってガチガチ娘であったひかるも少しだけ柔軟性が改善していた。ほんの少しだけだが。


 空中を滑走する『そらがけ』に柔軟性はそこまで必須ではない。


 『そらがけ』とは、言ってしまえば空中を走るだけのスピードスケートである。まっ平らな光の道をただ滑る。そんなスポーツなのだ。


 スピードスケートとは違い、スピードを生み出すのは筋力による踏み込みではなく『エア靴』の性能それのみとなる。


 靴側の出力如何で推力が決まるのだ。なので滑ると言うより『靴に運ばれる』というのが『そらがけ』を表す一番的確な表現になる。


 しかしそれはある程度慣れたものにしか理解できない感覚的なものである。


「さぁ、ひーちゃん! 私に靴を履かせたまえ!」


「……らじゃー」


 とりあえず初エア靴を体験する者には遠い話である。


 まずはアホの娘ひかる。この少女から、やたらとゴツくてメカメカしい靴を黒子のひーちゃんによって履かされていくことになった。


「……なんか……へんなの」


 憧れのエア靴を履いたのに、ひかるのテンションは珍しく低かった。


「まだ起動してないからそんなもんだ」


 エア靴は起動後にいきなり軽くなる。靴に仕込まれたフォトン回路粒子発生装置はまだ点けていない。最初は靴に慣れること。今の黒子のひーちゃんは真面目モードであった。


「……ん」


 ひかるの様子がおかしい。女子達はみんな気付いていた。その顔は赤みを帯びており、ひかるは胸を押さえている。


 ……乙女だ。男に靴を履かされて、ひかるは女に目覚めつつあったのだ。それなんてシンデレラ? 女子達も驚きである。


 でも黒子のひーちゃんは気付いていない。空気の読めるひーちゃんであるが『腹に股間をぐーりぐり!』をするような女の子が男に靴を履かされた程度で乙女に変容するとは夢にも思わない。というか思ってたまるか。


「その重さのまま歩いてみて慣れること。起動したまま外を歩いたりすることは禁じられてるからな。別に誰も困らないけどそういうルールだから一応守ってくれ」


「うん」


 ひかるはぼーっとしたままマットの上をもしゃもしゃと歩いていく。エア靴には硬質な素材も使われているので普通に床を歩くと床に傷が付くのだ。体育館に敷き詰められたマットは転落用というよりは床面保護の意味が強い。


 なら体育館ではなくて外で『そらがけ』をやれよ! となるのだが、そうなると今度はエア靴が地面によってダメージを受けるのだ。


 昔はエア靴自体がスニーカータイプだったので問題は無かった。フォトン回路も既存の運動靴に後付けで十分使用に耐えた。


 かつての『そらがけ』はもっとお手軽だったのだ。


 フォトン回路自体もそこまで繊細なものではないし。だから多くのものが空を飛んだのだ。そして怪我をしまくった。


 だが時を経て『そらがけ』は全てにおいて劣化した。かつての『そらがけ』はもうどこにもない。

 

 黒子のひーちゃんは少しアンニュイな気分になったが女の子達は女の子達で緊張感に満ちていた。


「あのひかるが乙女に……」


「これは楽しみですね」


「ううっ……股間が痛いぃ……でも先生も頑張るぅ……」


 ここからはダイジェストで行ってみよう。



 アイドル天海海月の場合。


『ふわぁぁぁぁぁ! 触られてる! 触られてるよ、私の足が! すごく優しいわよ!? ……はふぅ』


「……天海さん? 何故に気絶してるのかね?」



 委員長の場合。


『ご主人様の手が私の足に……くっ! 孕みました! 三人は産めそうです!』


「……委員長? お腹痛いの? トイレ行く?」



 女教師の場合。


『うふふ。小娘にはない大人の色香。これでひーちゃんは私のものよ。うふふふ』


「履けましたよ、先生殿。歩行訓練してください」


「あれぇ!? 着けるの早くない!?」


「慣れました」


「もっと堪能させてよぉぉぉぉ!」


 こうしてゴツくてメカメカしい靴を装備したジャージ女子四人はマットの上をもしゃもしゃとしばらくの間、歩き続けることになったのだ。わりとシュールな光景である。


「……ん? ひーちゃんは履かないのかしら?」


 それに気付いたのはマットの上をもしゃもしゃ歩く女教師だった。黒子のひーちゃんがマットの外で佇むのを発見したのである。


 シンデレラガールひかるは既に元のアホの娘ひかるへと戻っており、マットの上を爆走して遊んでいた。たまに転ぶがマットの上なので大丈夫。他の二人は暴走するひかるに付いている状況である。

 

「男子用のエア靴は壊れているので……まぁ履けなくもないのですが履く必要もないでしょう」


 黒子のひーちゃんは事も無げに答えた。その声音は本当になんとも思っていない風である。顔は黒頭巾で見えないが……多分本当に怒っていないのだろう。担任である女教師はそう感じた。


 でも腹は立った。


「……あいつらどこまで性根が腐ってるのかしら」


 思わず本音が彼女の口から出てしまう。


 この学校の『そらがけ部』はわりと恵まれた部活と言える。体育館を半分も占拠している事からもそれは見てとれる。


 この『そらがけ』にはお金が掛かるのだ。靴にお金が。設備にもお金が。学校の部活となると諸々の費用は普通に買うよりも、かなり安くなる。だがそれでも他の部活より掛かる費用の割り増し感が格段に強いのだ。


 何より『そらがけ』は、そのルールがえげつない。


 誰にでも出来るスポーツ。そんな売りで『そらがけ』は全国の学校に推奨されている。


 誰にでも出来る。確かにその通りなのだ。金さえあればどんな運動音痴にも出来る、勝てるスポーツ……それが『そらがけ』なのだ。


 エア靴を履いて光の道『フォトン回廊』に乗れば勝手に靴が進んで行く。


 選手の力量は進む際のバランス取りぐらいにしか必要とされない。


 早さを競うレースタイプの競技なのだが、スピードを上げるには高いエア靴を使うしか手がないのだ。どれだけ筋力を鍛えてもスピードは上がらない。むしろ体重が増えるとスピードは落ちる傾向にある。


 スポーツと銘打った『そらがけ』は、ただ『エア靴』の性能差によってのみ勝敗が決まる課金ゲームだったのである。


 札束で走る空中スピードスケート。


 ブルジョワカタパルト。


 女子のパンチラさいこー!


 巷に溢れる『そらがけ』の二つ名は、どれもそのようなものばかり。


 高いエア靴を履けば勝てる。スピードを競う競技であるのに全ては『道具頼み』なのだ。そしてそれを公式ルールが認めている。


 この奇特な性質から競技としての『そらがけ』は金持ちのボンボンがこぞって嗜むスポーツとして、真面目なスポーツマンからものすごく嫌われているのである。


 金さえあれば圧倒的。そんなものが大手を振ってスポーツとして認められているのだ。


『ふざけるな』


 真面目なスポーツマンならそう思うのが当然である。


 当然顧問にされた女教師もその口だ。努力によって伸びるのではなく、いくら支払うか、によって結果が出るスポーツを彼女は好きになれなかった。


 そんなスポーツを部活として選ぶ人間もまた、どうしても好きになれないのは当然の事だろう。


 事実、そら部に在籍する生徒のほぼ全ては金持ちの子女である。女子の比率が高いのは女子の方が軽くて小さくて有利なのと『エア靴』の価格が安く済む、ただそれだけの理由である。


 何故女子のエア靴が安くなっているのか、それには深い理由があるのだが……一言で表すと『パンチラうぇーい!』となる。


 まあそれはともかく。


 ここの部員は真っ当な部活で汗を流す他の生徒たちとは根っこから違っていたのである。そういう話である。パンチラうぇーい!


「楽しみかたは人それぞれ。大空さんは空を跳びたいから。委員長は……なんでそら部に来たんだ? あ、天海さんも分からんぞ? ……まぁ所詮はお遊びですよ」


 黒子のひーちゃんは良いことを言おうとして失敗した。必死に誤魔化そうと、あたふたである。


 彼としても大空ひかるのインパクトが強すぎて他のメンバーが何故このそら部にいるのか、さっぱり知らなかったのだ。委員長に関しては彼女自身も頭を捻っているので本当に誰も分からない。


「……まぁそうね。公式試合には向こうの生徒が出るでしょうし」


 顧問のこの人もある程度は諦めていた。


 この為に『そら部』は二つに分たれたのだ。こっちはアイドルと問題児を一般生徒から隔離するために。向こうは向こうで問題を起こさせないために。


 問題が起きたらラッコである。女教師は必死なのだ。


「ひーちゃんはこれにも詳しいと思っていいのよね?」


 必死なのだが、彼女自身はこの『そらがけ』に全く詳しくない。それこそ細かいルールや決まり事なんて全く知らない素人顧問である。


 彼女は最初からひーちゃん頼りでなんとかするつもりであったのだ。


 これが大人というものである。


 でもあとでひーちゃんに私お手製のお菓子を作ってあげよう。うん。賄賂ね。うふふ。お菓子よりも私をあげちゃってもいいわよね。うふふふふふ。


 彼女はそういう大人であった。


「……この『そらがけ』は昔のに比べたら子供のお遊びですからね。よくもまあここまで劣化させたもんですよ」


「……そ、そうなの? ふーん」


 女教師は察知した。肌がチリつくのだ。今のひーちゃんはガチで怒っている。黒頭巾で表情はまるで分からない。でも空気がチリチリしているのを女教師は肌で感じていた。


 かつて彼が問題を起こした時、からかってきたクラスメートを殴り飛ばした時ですら、彼はこんな風にチリチリとしてはいなかった。


 言葉使いこそ荒っぽかったが、今のような『怖い気配』はさせなかった。だから彼女は肥田野君を制止するのに出遅れてアホな生徒が壁にめり込んだのだ。


「ねぇ、ひーちゃん。あなた、やっぱりまだ『そらがけ』のこと……」


「自分は肥田野です。肥田野なんですよ。彼女たちの憧れた男の子とは違う……醜いぽっちゃりさんなんです」


 黒子のひーちゃんは気付いていた。


 大空ひかるの心に住まう男の子。


 そしてアイドル天海海月が求める者。


 委員長は……なんだろな? まぁいいや。


 彼女達は『天宮翔』を求めてる。


 でもそれはもう居ないのだ。こんな姿になった憧れの人。真実を知れば、それは彼女達の夢を壊すだろう。ならば知らずにいた方がずっと良い。それでいいのだ。自分はそれでも彼女達を支えるだろう。

 

 同じ空に憧れを抱いた者同士である。多分。


 空を捨てた自分に出来るのはそれくらいである。きっと。


 あとなんかエロいイベントさえあれば自分は幸せであると。


 女の子の足を合法的に触れるこの部活はひーちゃん的にご褒美だったのだ。


「ひーちゃん……やっぱり私と結婚してー!」


「ぬっ!」


 黒子のひーちゃん、女教師に飛び付かれ抱きつかれる。


 しかし黒装束で身を包んだ今日の彼は一味違った。


「……あれ? なんか……固くない?」


 女教師は抱き締めてる感触に違和感を覚えた。もっとふくよかな感触を予定していたのに腕に返ってくる感触はまるで違うのだ。


 悩む間に他の女子達が二人の抱擁に気付く。マットの上をもしゃもしゃと走りながら近寄って来る。


「あー! 先生がひーちゃんに飲み込まれてる!? クラスの人達が言ってたひーちゃんスライム説は本当だったの!?」


 よし、やつらは休み明けに、しばいてやろう。


 ひーちゃんがそんな決意を決めていると女教師が彼の肉体をぺちぺちした。


「……ひーちゃん? 何を仕込んだの? まるで……え、いや、え?」


 女教師の顔は徐々に驚愕のそれへと変わっていく。黒子のひーちゃんは男としての覚悟を決めたのだ。それが今日、初めて日の目を見ることになる。


 既に三人の乙女は二人を取り囲んでいた。いわゆる吊し上げ、である。


「先生!? ひーちゃんは私達で共有すると女子会で決めたのを忘れたの!?」


 え、なにそれ初耳なんですけど。ひーちゃん固まる。


「ご主人様の幸せを何よりも尊ぶ……それを提案した先生がそんなことをするなんて……予想はしてましたけど」


 そうなの? ひーちゃんびっくり。


「ひーちゃん……やっぱり年上好きなんだね」


 女の子はみんな好きだよ。ひーちゃん節操なし。


「みんなもひーちゃんを触ってみなさい。ちょっとこれは……ひーちゃんマジで?」


 女教師は黒子から降りて距離を取った。そして信じられないものを見るような視線でひーちゃんの全身を確かめた。


「……え、何かおかしいの?」


 ペタペタ。


「……ご主人様を合法でおさわり」


 ペタペタ。


「ひーちゃんのおなかー!」


 どすどす!


「かったーい!?」


 ひかるは涙目になった。


「何故殴った?」


 ひーちゃん困惑。


「……ひーちゃん? あなた……なにしたの?」


 女教師が訝しげに黒子を睨む。この展開に黒頭巾の下で肥田野君はニヤリと笑みを浮かべた。


「自分は女の子が大好きなスケベな人間です。でも未熟者でもあります。いずれ誰かと恋仲になるとしても現段階で性行為やそれに類することをした場合、責任が取れません」


「……ほえ?」


「つまりだ。俺にはまだ誰とも付き合う気はない。エッチな事をする気もない。そういう事だよ。四人とも子供が出来るような事は控えていただこう。まあこの肉体に欲情することなど出来まいが」


 黒子のひーちゃん。そう言うなり黒装束を脱いだ。上半身だけ黒装束をはだけたのだ。


 黒装束から現れた肉体。それはえげつないものだった。


「……うっわ」


「……きもい」


「……あの、ひーちゃん? これ……なに?」

 

 あのひかるがドン引きして青い顔をする。ひーちゃんの露になった上半身ボディは、ぽよんぽよんのぷよぷよボディからギチギチムキムキマッスルボディへと変貌していたのである。


「なにと言われても……これが自分の真の肉体なのだよ。だが本当の自分は更にここからだ」


 デブの肥田野君。


 黒頭巾を被ってムキムキマッスル上半身をさらけ出した上級変態の彼は拳を握りしめた。


 バキバキと骨の鳴る音がし、既にマッチョな腕の筋肉が更にボコりと盛り上がる。前腕から上腕に掛けての筋肉が嘘みたいにボコりボコりと膨らんでいく。


 まさかの筋肉バースト二段式である。


「……ひーちゃん……マッチョだったの?」


 ひかるが怯えていた。膨らむ事を止めない筋肉達の讃歌にドン引きである。


「見た目が良くないからな。いつもは、なるべく力まないようにしてる。ぷよぷよしてるのはそういう理由だ。そしてこれが本当の自分になる」


 腹筋が、胸筋が、僧帽筋が限界を越えて爆発するように盛り上がる。かつてプルプルしていた肉体は既に別の物へと変貌していた。


「……うわぁ」


「女の子はあまりにもマッチョだと気持ち悪さを感じると女性雑誌のアンケートに書いてあった。これでも君達は欲情出来るかね?」


 そこには筋肉要塞『ギガマッチョ黒頭巾』がいた。


 六つに割れた取れそうな腹筋。割れたと言うよりもギチギチと常にせめぎあっているようなシックスパック。


 まるで剣闘士が着けるような胸甲のような大胸筋。どんな攻撃も弾く鋼の胸甲、それが二つスイカのように並びたつ。


 上腕は最早腕ではない。巨大なボールが所々に付いたスタッフである。二の腕の太さは自分達の太ももよりも太いだろう。


 そこにあるのは筋肉の概念そのものだった。


 さらけ出した上半身。はち切れんばかりの筋肉からは距離が離れているというのに熱気が伝わってくる。ただ佇んでいるだけなのに押されているような圧力を女子達は感じていた。知らず後ずさりをしてしまう。そんな筋肉の化け物がそこにいた。


「……私、いつものひーちゃんの方が好き」


「はっはっは。そうだろうとも。しかし俺はこうなのだ!」


 これが漢、肥田野翔の出した答えである。


 このあと調理場で今日の成果を報告することになっている彼が選んだ『誰もが幸せに、そして誰もが不幸になる道』である。


 彼は本来『いちゃラブ』を尊ぶ純愛人間である。


 しかし大空ひかる、天海海月、委員長……委員長? まあ入れておこう。そして担任である先生。


 自分は何故かこの女子達に好かれている。


 モテ期キター!


 と喜んでもいられないのだ。


 このままで自分も欲情の波に飲まれて『若気の至り』が発生してしまう。学生のうちからパパとママである。


 バッドエンドまっしぐらですやん! 


 いちゃラブハッピーエンドを旨とする自分がそんな事をするわけにはいかぬぅ!


 ならば採る手はひとつ。


『エロスよ、貴様を封印する!』


『な、なにぃ!?』


『我が筋肉に命ず! エロスよ、消え去れぃ!』


『キレてるぅぅぅぅぅぅ!?』


 そんな最低最悪の選択である。


 肥田野君も、それは分かっていて、これを選んだ。


 だって本当にエッチしたいんだもん。思春期の男の子は泣く泣く筋肉に頼るしか無かったのだ。


「ひーちゃん! すぐに元のひーちゃんに戻りなさい! そのひーちゃんは校則違反です!」


「……うわぁ」


「そんな校則ありましたっけ?」


 マッスル肥田野は素になって聞いていた。筋肉を禁ずる校則なんてあるのかなぁ? と。


「生徒として相応しい生活を送る……そう書いてありますぅ! それは生徒として相応しくありません! 断じて!」


 無理筋な気もするが筋肉要塞肥田野君も何となく納得する物言いではある。


「しかしこれが俺なのだ! この俺を愛せるかっ! お前達に今の俺が愛せるのか!?」


 肥田野君。実は言ってみたかった台詞を言ってるだけである。エロゲの台詞は味わい深いものが多い。


「……今日の部活はここまでー」


「うん。そうね」


「はー。今日も疲れたねー」


「今日はどこで女子会をしましょうか」


 熱く吼えたままのポーズで固まる筋肉を無視して、ジャージ姿の女の子達はエア靴をポイ脱ぎして体育館からそそくさと去っていった。


 残されたのは上半身をさらけ出すマッチョな黒頭巾だけである。


「……勝ったな」


 筋肉肥田野君、勝利のポーズ。


 そして後片付けを始めた。


 今日は『フォトン回廊』も作動させているし、マットも敷きまくった。片付けは大変である。ポイ脱ぎされた靴も干しておきたい。勿論匂いを嗅いでからになるが。


 筋肉要塞肥田野君は、一人ひーひー言いながら片付けに勤しんだ。



 そしてその日のその後である。


「あらあら、翔ちゃんたら……まぁそれも青春かしらねぇ」


「これならば……」


「邪魔なのよねぇ。あんまり大きくても」


「……すいません」


 筋肉達磨となり、いつもの体積から二割増しとなった肥田野君。上官に報告に上がるも、早々に調理場から追い出された。あまりにも大きなものは調理場で邪魔にしかならないのだ。


 この日の肥田野君は地下通路で延々と栗の皮剥きを命じられる事となった。巨漢がちびちびと栗の皮剥きである。明日のおやつはモンブラン。そういうことである。


 しかし怪我の功名なのか、これによって『筋肉要塞現る!』というニュースは学校に流れずに済んだ。おばあちゃん達のナイス判断である。


 そして場面はまた変わる。


 ここは女の子の花園。そう、女子寮、委員長の部屋である。ここは乙女達が集い『きゃっきゃっウフフ』の乙女会話が部屋を彩る乙女の園。男子禁制の乙女空間である。


「……どうしましょうか」


「どうしたらいいのかしらねぇ」


「どうにもならないわよ」


「ひーちゃんムキムキだったねー」


 乙女の園では女達の作戦会議が行われていた。女子会とも言う。先日はミリタリーな話題で盛り上がったが、今回は筋肉である。


「私は……あれもありかなと今は思います。あのご主人様に攻め立てられたら間違いなく昇天しますよね」


 ぶれない、折れない、怯まない。委員長は今日もキレてる委員長である。


 一方この人は、怯んで折れて、ぶれまくりである。


「ひーちゃんがあんな筋肉達磨だなんて……駄目よ! あんな筋肉だらけだと水に浮かばないのよ!? ラッコとの水中格闘戦はどうなるのよ!」


 女教師は、まだ故障中であった。


「まさかあんな特異体質とは知らなかったわ。探偵もあれには気付かなかったのかしら」


 無茶言うな。多分その探偵はそう言うだろう。


 肥田野君が本気を出したのは実は今回で二度目である。一度目は家にゴキブリが出たとき。まだ中学生だった彼は母親と一緒に大暴れして当時住んでいた家が半壊した。


 当時はガス爆発として片付けられた事件である。


「んん? たんてい?」


「なんでもないわ。で、あの筋肉ひーちゃんをどうするか、よね」


 天海海月は誤魔化した。流石にちょっと恥ずかしい。


「ご主人様は無駄に男前ですよね。別にそこまで気にしなくても妊娠くらいならいつだってしてみせますのに」

 

 ただし、妄想ですけども。


 委員長は折れない、ぶれない、怯まない。そんな女の子だ。彼ならば自分達の不利益となることを絶対にしない。そんな信頼があるからこそ、委員長は安心して彼に身を任せることが出来ていた。委員長自身はまだ気付いてないが、それは普通に『愛』である。


「……あの主張はね、教師としては満点なのよ。やり方は零点だけど。確かに好きだからエッチして子供が出来て……本人達は本気なんでしょうけど、子育ては普通に大変だからね」


「ひーちゃんとエッチかぁ……想像が出来ないよね。ひーちゃんのエッチって」


「絶対に優しいわよ! 蕩けちゃうわ!」


「いいえ、ご主人様はドエスです。でも優しさを合間合間に挟むので最終的にデロンデロンですね」


「ひーちゃんはなぁ……本性はチキンっぽいからこっちからぐいぐい攻めないとダメっぽいわね」


 ここは乙女達の秘密の花園である。歯に衣着せぬ乙女の本音トークは男の猥談の上を行く。


 乙女達の話題は際どい所をなんの躊躇もなく進んでいった。


 あまりにもエグいのでその会話は載せられない。ただ女教師による『男の子の扱い方(Rサーティーン)』授業の一説だけは紹介するとしよう。


『男は胃袋を掴め』


 変なとこで、わりと王道を往く乙女達である。Rがサーティーンなのでそんなもんである。30ではなく13である。


 この女子会はひかる提案による『みんなで女子会しようよ!』から始まった『訳あり女の子』の秘密の女子会である。


 ひかるもその『訳あり』にこっそりと数えられているのは仕方無い。


 女教師も女子会に参加しているのはアイドル天海海月が早く学校に馴染むように、との学校側の配慮である。委員長は……委員長である。いつものようにひかるに連れられて、いつの間にか参加、常連である。


 類は友を呼ぶ。


 女教師は女子会に参加しながら、それを実感していた。元々この女子会は参加自由の開かれた女子会だった。このメンバー以外にも近所の部屋の女子が何人も女子会に来たのだが、部屋に入った時点で強烈な違和感を感じたようで、すぐに部屋からおさらばしたのだ。


 そしてこの女子会は『選ばれし者にのみ許された秘密の女子会』となったのだ。つまり一般人は止めておけ、そんな警告である。


 いつの間にかこの女子会は『肥田野君の事が気になる乙女の恋バナ女子会』として機能するようになった。


 ミリタリー特集も『肥田野君が軍曹だったら』そんな話から発展していったのだ。委員長は大興奮である。


 ここではアイドル天海海月も恋する乙女の一人でしかない。彼女が何故肥田野君に惚れたのか、そんな話はどうでもいいのだ。今好きなのだから、これからどうするか。


 デブに恋する乙女達は常に前を向いて進んでいた。


「味噌ラーメン……ひーちゃんの味噌ラーメン」


 乙女は前を見て進んでいた。未来とはラーメンである。


「事務の情報が何でこんなに早く生徒に出回るのかしらねぇ」


「本当にひーちゃんが作るんですね。どうしよう。本当にお婿さんにしたいかも」


「くっ……エッチしてそのまま責任取らせる予定が……」


「ひーちゃんがあなたの熱狂的なファンに襲われるから駄目って言ったでしょー。子作りは禁止ー。まぁそれ以外は別にいいかなー」


「そうだよ! 子作りよりも味噌ラーメンだよ!」


 そう、未来とは味噌ラーメンであったのだ。



 そういうわけで物語は更に次話へと続く。




 今回の感想。


 ひーちゃんは一応人間です。


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