エピローグ・富士子
半年後
富士子は浮子と共に、菩提寺である妙案寺の石段を上っていた。富士子はゆったりと想い出を手繰り寄せるようにして階段を上がっていた。考えていた。ここで要さんと出会った、と。あれから3年、瞬くような日々を、私の人生を、彩色したのは要さんだった。
幼少期から孤独を選ぶようになっていた私は、自分には“液体デイバイス“しかないとしがみつき、寝ても覚めてもその一色に染まって生きていた。自分の可能性を自己の考えだけで限りを付けていた。人生は己がもので他人の意見を聞くのは大切な事だけれども、それはあくまでも人の事情の上にある意見でしかないと考え、私は冷めた態度で耳を塞いで生きていた。
要さんとの出会いはそんな私の眠れぬ夜を深めさせ、悲しみの涙になお鞭打つ日々で、週末の侘しさが骨身に染みる“時“の連続だった。それでも愛されているを得て愛するの行儀を知った。
そして要さんは私の元へ帰ってきた。私の心に身をもって帰ってきた。
今日の日、一緒に出掛けようと玄関先で浮子を待っていた要さんのスマホが鳴り、スーツの内ポケットに左手を入れた要さんは私の顔を眺めつつ、スマホを持つ第二関節の逞しくも美しい手を左耳に持っていった。そして「要。…承知しました」と言って通話をOFFにし、「緊急招集がかかった。何か伝言する事はあるか?」と私に聞いた。私は首を振った。束の間、視線を落としていた要さんは顔を上げて小さくうなずくと、屋内に向かって「浮子さん、申し訳ありません。お供できなくなりました。富士子をよろしくお願いします」と澄んだ声を響かせた。
私の目をみた要さんが「行ってくる。今のところ、いつ帰宅出来るかわからない。マメに連絡を入れて欲しい。返信がなくても必ず読んでいるから」と実直さが滲む声でそう言い、「もちろん連絡入れるわ。行ってらっしゃい」と応えた私のはぐれ髪を、右手で後ろに追いやりながら犬歯を見せて微笑んだ。魅力的な笑顔が私を幸せにした。そんな要さんはこの頃、ふと眉間に皺を寄せて一人、孤独の中に埋没する時がある。そんな日の夜、要さんは父の部屋をノックする。要さんの心の機微に、浮子と私が気づいてはいないと思っている。実に男性らしい発想と思い込みだ。チーム長と部隊長補佐を兼任しているからだろうか・・激務が続いている。それでも私は信じている、必ず帰って来ると。
門へと走る要さんに玄関から出てきた浮子が「行ってらっしゃいませ」と声を掛けた。キビッリと振り返った要さんが右手を振り「浮子さん、頼みます」と朗らかな爽快さで応えた。
心配が尽きないのか、要さんと父は私に黙って元特殊戦群の護衛を、私につけている。知った私は気詰まりと不安を感じて浮子に相談した。すると浮子は私の目をしかと見据えて「そういったことは、勝手にさせておくのが一番です」と言った。そして浮子は「いいですか、お嬢様。男性は適度にほったらかしていた方がいいのです。追うと逃げ、逃げれば追い、手中におさまれば勝手をし始めます。そして尽くす女をぞんざいに扱う種族となります。お相手に対しての興味深々は、必ず円満を脅かします」と言った。そんなことを口にする浮子の…、若き日々を私は知らない。浮子は私の師匠だ。浮子がそばに居る限り、私は間違いを冒しはしない。断言できる。
要さんは宗弥と会っているのだろう。緊急招集が掛かったたまの日、要さんは「何か伝言はあるか?」と私に聞く。あの日から私は宗弥に連絡を取っていない。要さんはそれに気づいているのだろう。私はそう聞かれる度に首を振る。それが宗弥と私のけじめだから。私はそう思っている。多分、宗弥もそう思っている。宗弥も要さんに私のことは聞かないだろう。それを宗弥と私が理解していればいい事だ。
red eyesの動乱が終息した3日後、自宅を訪れた要さんは座っていたソファーから下り、正座して父の目を真っ直ぐに見上げ「富士子さんを頂きに参りました」深海に声を凛と響かせた。何も聞かされていなかった私は要さんの隣に座り直して頭を下げた。要さんの顔をしばらく見ていた父はソファーから床に下りて座り「富士子をよろしくお願いします」と涙まじりの声で言った。「承知いたしました。ご安心ください。大切に致します。もう一つ厚かましいお願いがあるのですが、よろしいでしょうか?」と言った要さんに、父は「何でしょう?」と聞いた。背筋を改めた要さんは「今の私は尾長要ではありません。公式には尾長要は鬼籍に入っています。今、私は山田太郎という名で生きています。名前が気に入らず言っているのではありません。仕事柄、不在にすることが多く、海外派遣も時に長期に渡ります。私は富士子さんの安全担保と、生活環境を変えたくはありません。私を婿養子にしていただけないでしょうか?」と言った。父は驚きを隠せずに「尾長さんのご家族は承諾されているのですか?」と聞き返した。要さんは「両親には派遣先で交通事故死したと通達されています。お恥ずかしい話ですが、私自身も家族に未練はありません」と山の息吹が伝わって来るような清々しさで父にそう応えた。
「わかりました」と短く承諾した父に、なおの要さんが「この家で同居するという事も、お許しが出たと思っても宜しいでしょうか?」と聞いた。今思えばどこまでも要さんのペースだった。「もちろんだ。ありがとう…、えっと、なんと…、呼べばいいのか」至極珍しく言い淀んだ父に、「要でお願いします。今でもそう名乗っています」と晴れやかに応えた要さんが両手をつき、「結婚のお許し、同居する事、婿養子にして頂く勝手なお願い、ご承諾いただきましてありがとうございます。今度とも宜しくお願い致します。盾石家の名に恥じぬよう生きて参ります」と言って深々と頭を下げた。
父は要さんと共に顔を上げた私を見て「おめでとう」と言った。私の後ろで涙する浮子に父は潤む目を向け「浮子、よかったな」と感慨深く言った。「はい、旦那さま」と応えた浮子が「何か、お食事を準備いたします。お嬢様、おめでとうございます。早速で申し訳ありませんが、お手伝い願えますか?」と涙を拭きつつ言い、振り返った要さんは座を整えて「浮子さん。至りませんが、宜しくお願い致します」と言って頭を下げた。「こちらこそ、宜しくお願い致します」と泣きながら頭を下げた浮子は顔を上げて私を見るなり「お嬢様、夢が叶ってようございましたね」と言って、私は「ありがとうございます。今後とも宜しくお願い致します」泣きながら頭を下げた。浮子と共にキッチンに入ると、父は「ソファーに座ろう」と要さんに言い、要さんと談笑する父の声は悦び勇んでいた。その日、ちらし寿司とだし巻き玉子が食卓に準備されたのは言うまでも無い。
今日は母の命日だ。
共に石段を上がっていた浮子が「お名前は決まりましたか?」と富士子に聞く。富士子は「相談したら、“恵“ と書いて“ケイ“と読むと即答したのよ」クスクスと笑いながら答えた。「良いお名前ですね。きっと旦那様と要さんとで考えられたんですよ。宅の男性陣は内緒話がお得意ですから」と言った浮子が新緑の香り舞う、空を見上げて微笑んだ。




