一仕事終えて
「臭い」
開口一番に失礼なことを言ってくる祥子さん。
その表情はいつになく険しいものであり、これは怒りが最高潮に達しているときに見せるものだ。
こめかみに青筋を浮かべている当り、限界なのだろう。
「キビヤックとシュールストレミングご馳走になりましたからね」
「書類は?」
「こちらに」
手に持った茶封筒を見せると祥子さんは少し表情をやわらげたものの、いまだに顔つきは厳しい。
「牛タン塩」
「72」
「上カルビ」
「91」
「ハラミ」
「107」
「馬刺し」
「179」
「レバー」
「46」
「よし、それを貰うわよ」
合言葉を終えて祥子さんに茶封筒を手渡す。
この合言葉ね……始めて祥子さんに焼き肉おごってもらったときに私が食べた肉の皿数。
ちなみにバリエーションはもっと豊富なんだけど、その時々で適当な5品を選んでくるから覚えるのは難しいと思う。
それに普段私食べた料理の数とか覚えていないんだけど、祥子さんにお酒飲むたびに愚痴られるから覚えてしまった。
それがいつの間にか合言葉になってたのよね……。
あの時はセーブしたんだけどなぁ、他人のおごりでなおかつ高いお店だったから。
「随分と……なんというのかしらね、変わった研究をしているみたいね」
「そうですね。私もちらりと見ただけだけど、結構面白い研究してますね」
「この幽霊可視化アイテムとかほしいわ……あいつら今すぐにでもぶん殴りたい」
「そんなに酷いですか?」
「……なんで刹那がそんなにピンピンしてられるのかが不思議なくらいにね、引っ越したばかりの頃トラブルとか無かったの?」
トラブル……あぁそういえば結構あったわね。
「えーと近所のスーパーの食材買い占めて怒られたり、七輪を20個並べてサンマ焼いて火事と間違えられて消防車が来たりとかですかね」
「……幽霊関係は?」
「あまりなかったです。夜はぐっすり眠ってたし、食べ物を粗末にするような奴がいたらひっぱたいてたらおとなしくなりました。せいぜいインド土産の人形が踊りだすくらいでしたね」
「……あんたの精神どうなってるの?」
「バズビーズチェアに座ろうとして怒られた経歴があるとだけ言っておきます」
まぁとある呪いの椅子よ、座ったら絶対に死ぬと言われている椅子。
今は座れないように天井から吊り下げられているけれど、座らせてほしいと頼んだら絶対だめだと怒られた。
その事を北欧で知り合った人に話したら残念そうな、それでいてほっとしたような顔をしていたわ。
あとはそうね……ブルーダイヤを購入しようか検討したくらいかしら。
これも呪いの一品だけど、中国の知り合いがこの手の念のこもった品物を欲しがっていたからプレゼントしようか迷ったのよ。
まぁ予算オーバーしたからあきらめたけど。
「まぁいいわ、この書類は預かっておく。それと帰ったら真っ先にお風呂に入りなさい。絶対に銭湯とか行っちゃだめよ。公共の乗り物に乗るのもダメ、時間貰えるなら車回すからここで待ってなさい」
「え、歩いて帰れますよ?」
「その悪臭をばらまくなと……」
「そうですか? 焼肉屋の後と大して変わらない気がするんですけど」
服に染み付いた食べ物のにおいなんてそんなに変わらないでしょ。
焼肉屋でついたにおいもシュールストレミングのにおいも。
「はったおされたい?」
「理不尽な」
「できる事なら今すぐ消臭剤ダース単位でぶっかけたいくらいよ」
「んー、シュールストレミングって消臭剤くらいで何とかなりますか? 以前実家で開けて家族からものすごく怒られたんですけど」
「悪臭の自覚あるじゃない……」
「納豆と同じで癖になる臭さですよ、くさやとかと同じです」
あ、そういえば七輪でくさや焼いてトラブルになったこともあったわね。
そのころには私の食欲も知れ渡っていたから、また私のせいかとか言われていたらしいけれど……みんな私が七輪持ち出すと一斉に洗濯物しまって窓を閉めてたわね。
サンマの件は反省したから1枚ずつ焼いて食べてたけどダメだったみたい、むしろまとめて焼いてくれと怒られたわ。
難しいものね、人付き合いというのは。
「そういえば中の様子は?」
「コンピュータールームとかは入れてもらえませんでした。というか今回は挨拶だけなんで、ウェルカムドリンクのキビヤックとおやつのシュールストレミング茶漬けを貰ったくらいですね」
「……あの野郎ども」
「どうしました?」
「いえ、あなたを送り込んで正解だったなと思っただけよ。それより今公安と化けオン運営からあなたの部屋を調べたいと言われているのだけど」
「私の? 今祥子さんが管理してる部屋ですか?」
「そうよ、あの部屋はなんかすごいことになってるらしいから」
「へぇ……別にいいですよ? 自由に調べてください。 あ、でも……」
「なに? 調べられると困るところとかあるの? 麻薬とか隠してた?」
「なに言ってるんですか、麻薬なんて味覚狂っちゃうじゃないですか」
「……もう狂ってるのよね、割と」
「何か言いました?」
「いえ別に、それでなに?」
「あぁそうだ、お風呂場とトイレ、それと寝室の押し入れそれぞれの天井裏は見ないほうがいいですよ。脅かしてくる奴がいるので」
まぁ脅かしてくるくらいで実害はない。
こちらに飛びかかってくるけど、途中で足を止めて後ずさりして遠目にこっちを見てくる奴がいたくらい。
頭や腕がやたら大きくて透けているから明らかに人間じゃないんだけど、あれは何がしたいのかしらね。
私が覗いた時は天井裏がうるさいなぁと思ったからあちこち確認してただけなんだけど、懐中電灯がいきなり消えてそれが飛びかかってきた。
真っ暗闇の中なのに、もっと暗いそれの輪郭がはっきり見えたのよね。
それで後ずさりし始めたあたりで懐中電灯がついて、その姿を視認できたけどおびえているように見えたわ。
ちょっとかわいそうだから週に一回くらいのペースでお供え物を用意してあげたけど……今はどうしているのかしらね。
海外の友人たちはその話を面白がってけらけら笑ってたわ。
普通おびえる類の話だと思うけど、経験した私自身ドッキリにあったような気分でしかなかったから笑い話なんでしょう。
「脅かしてくる奴ね……あなたを脅かすくらいなら、こっちは全力で挑まないといけないわね……しょうがない、私がやるか」
「えぇ? やめた方がいいと思いますけど?」
驚いて足を踏み外したら大変だ。
どれも天井裏だから落ちたら怪我じゃすまないこともある。
「むしろ私以外にあの部屋でまともに活動できる奴がいないという問題があるのよ……何度か公安の人間を呼ぼうとしたけど、誰も来たがらないから」
「はぁ……あ、ちなみに着せ替え人形届きました?」
「昨晩その人形がダイナミックセルフ開封して飛び出してきてブレイクダンス始めた話でもする?」
「動画とっておいてほしかったです」
「……寝ているときだったのよ。バリバリと音を立てて、それがあなたから届いた荷物だと気付いたのは。その後はがったんがったん音がして朝になったらリビングが荒れていたの。倒れた人形が落ちていてね」
「あぁその程度なら1週間もすればおさまりますよ。気になるなら今度お守り貸しましょうか?」
「お守り?」
「はい、砕けた刀から作った鉄のネックレスです。重いけどつけていると肩こりが和らぐんですよ。ただ海外の友人たちからは不評ですね」
「……いいわ、そのままあなたが持ってなさい」
「……? そうですか?」
「はぁ……まぁ詳しい話は後でそっちに人をおくるわ。ちょうど車もきたし、ともかく今は早く帰って風呂に入りなさい。散歩中の犬が死ぬんじゃないかってくらい臭いから」
「はぁ……まぁ祥子さんがそういうなら」
祥子さんの言う通り、黒塗りの車がもう一台現れたので促されるまま乗り込み自宅へ送ってもらった。
徒歩で15分くらいの距離、車だと10分くらいなんだけど運転手さんが3分おきくらいに外に出て嘔吐してたから歩くよりも時間かかったわ。
うーん、やっぱり歩いて帰るべきだったかしら。
祥子さんは特別な訓練を受けています。
普通の人が突然密室にシュールストレミングとキビヤックの香りを漂わせながら突入してきたらこうなります。
その後運転手は3日休暇を貰い嗅覚を正常に治しました。
また車は解体清掃となりました。
特に関係ないのですが主人公が住んでいた部屋の近隣は瑕疵物件です。
小学校が近かったからね、多分主人公のせいじゃない、たぶん。
以下祥子さんの訓練風景
「カレーお替り!」
「これより対ガス訓練を始める!」
「うるせえカレーのお替りよこせ!」
ガス充満の中平然とカレー食べる祥子さん。




